2007年04月09日(月)
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ヘドウィグ感想の続き
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Hedwig and the angry inchの感想 続き。
私にとっては、結局、英語歌詞は良かったように思う。 新宿FACEから約一ヶ月。
ずっと歌詞カードを手放さず、読み込んで聞き込んで。 英語が英語としてでなく、日本語変換もせず、気持ちとして入ってくることを目標に。
それなりにがんばっちゃったよ。 (毎度思うのだけど、このエネルギーをもうちょっと有効に・・・)
英語歌詞が壁なしで心に染みるようになると、そりゃ原語だから、一番無理がないわけで。 もちろん、歌の力と、歌い手の山本さんの表現力あってのことなのだけど、 そりゃもう絶品でした。
英語歌詞でなければ、これだけ深く原曲に嵌ることも、読み込むこともなかったわけで、 そういう機会があったことは、思えば良かったのかも。
山本さん云々でなく、Hedwigの曲そのものに対して、始めて聞いた時より、 今の方がずっとずっと深く愛しているって言える。
それ以外の感想をちらちらと。 中村中さん。
歌番組で聴いて、いい歌手だなぁって思っていたけれど。 期待以上の素晴らしさ。 コーラスの合わせ方、リズム感、さすがでした。
演技も新宿FACEと大楽では、別人の様に進化していてびっくり。 それから、声の表情が多彩。
まだ、20代前半だよね? 若いのに陰影があって厚い。 それは彼女の経てきた過去という土壌あってのことかもしれない。 決して取って変わりたくはないが、歌い手としては大きな武器になるよね。
彼女くらい、声が太く音が揺るがない人がコーラス入れてくれていたおかげで、 山本さんは伸び伸び歌えていたという面はあるんじゃないかって、思う。
演出で気になったのは。 バックバンド。
まず、衣装。 スーツならスーツで、もうちょっと何とかならなかったのか。 酔っ払ったサラリーマンみたいだった。
モッズっぽくするとか、バンドが派手というわけにも行かないのなら、 せめてネクタイだけでも極楽鳥にとか、何かなかったのだろうか。
黒子にするなら、パンキッシュな黒Tでも良いわけで。 衣装には最後まで不満が残った。
それからピアノというかキーボードの人。 出たり入ったりを繰り返していて落ち着かない。 ずっと座っていられないわけがあるのだろうか?
他の人が見に行った時には、空き時間のたびにケータイで話していて不愉快だったと 言っていたが、それもどーかと。
演出にしては変だし、自分勝手に動くというのも、あまり考えられないし・・・。 何だったのだろうか。
とりあえず、今日はこんなところで。
2007年04月08日(日)
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『ヘドウィグ アンド アングリーインチ』TOUR FINALを見た!
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魂を持っていかれた・・・ 終わった瞬間の率直な感想。
演技とか歌とかの五感面の感想を言えば、とにかく歌が圧巻。 2000人入るホールに響き渡るMidnight radioには、比喩ではなく本当に身体が震えた。 表現力、歌唱力、佇まい。
遠近法で絵を描くときって、中心点を決めて、建物の角度とかって全てをそこに集めるよね。 それと同じく。
観客の思い、バックの音楽、照明などの裏方、当日の舞台だけでなく、事前の全ての作業に関わってきた人たち、 全ての思いを一点に凝縮させて、真っ暗な夜空に一点、白く強く輝く星のように、彼はそこにあった。
ここ2,3年だけど、山本耕史さんが好きだーと公言し、 公開メディアの9割は雑誌立ち読みを含めてカバーし、舞台も何度か見ている。
でも、もう頭かかえちゃう。 私は今までこの人の一体何を見てきたんだろうって。 一人スマンカッタ祭りだ。
そして、帰り道に思った。 これだけのものを見せるのに、彼はどれだけ努力をしたのだろうかと。 単純にあの長大な台詞と英語の歌詞を覚えるだけだって、信じられない。
私は凄い人のFANになってしまったのだなぁ・・・。 と、今更ながらに思う。
もう、毒を喰らわば皿までも。(使い方違う?) 彼の行くところは、どこまでも追いかけて、見届けてやろうじゃないの!
次に、五感でなしに、感じた感想。 前回の新宿FACEとは何か違う。 以前の感想は、2月20日の日記以降何回かに分けてぽつぽつ書いていたんで、読み返してみた。 (メモ残しておくとこーゆー時良いよな)
うん。 やっぱり。
方向性は同じだけど、質的変換がある。
自分でも書いててすっかり忘れてたんだけど、観劇後の気分は『浄化』。 これは前回も今回も同じ。
今日の日記の冒頭、『魂を持っていかれた』って書いたけど。 そうなの! エネルギーを貰うとか、舞台の感想であるじゃない? でも、この舞台には貰うじゃなくて、持って行かれる、吸い取られる、ないしは、託す、 というOUTの指向性を感じる。
見終わった後、何だか妙に、胸のあたりがすかすかする。 あえてビジュアル化するならば、身体が海綿。 魂を抜かれた感じ。 決して不快なものではなく、元気がなくなるとか萎えるというのとも違う。 風と水の通りが良くなるとでも言うのだろうか。
と、ここまでが新宿FACEと今日の厚生年金会館TOUR FINALとの共通点。 つまりは舞台から受ける根本印象には違いはない。
そして、今度は相違点。 新宿FACEの時の印象は"波"だった。
寄せては返し、柔らかく包みつつ癒して浄化してくれる波を思わせる舞台だった 柔らかく生命を育む地球の命の源である海の水だった。
が、今回の舞台には海は感じなかった。地球も感じなかった。 暖かさも柔らかさも感じなかった。 というか、物理的な感触がない。
『魂を持っていかれた』と言っても、鷲づかみにされたー!とかじゃなく、 4次元的にというのかな、"いつの間にか消えた?!"という無くなり方をしていた。
感じたのは。宇宙。 音もなく、空気もなく、どんな大きな星の強い光も途中で力尽きてしまう、広大な宇宙。
静寂。完全な均衡。つまりはエネルギーの消滅。つまりは無。
エネルギーってものが動くときに発生する。 発電を考えたって、水が高いところから低いところに流れるから電気が生まれる。 食べ物は消化されて成分が変化するなかで、カロリーになる。
何も動かない。完璧にバランスが取れて入れて、かつ何を吸い込んでも揺らがない。 今回の舞台にはそんな宇宙の暗さを感じた。
ROCKで、あれだけ爆音で、激しい舞台なのだけれど、観劇後の印象は、一言で言えば"静謐"なのだ。
舞台で演じられるHedwigの波乱の過去や純粋で強すぎる愛、ついでに付け加えると持っていかれた私の魂。 それら全てをブラックホールじゃないけど、すーっと飲み込んでニュートラルに中和し、果てしなく広がる無がそこにあった。
なぁんてことを考えて、帰り道にとっことっこと歩いていて、唐突に思い出した!
レスリー・キーの取ったヘドウィグの宣伝写真。 表参道に写真展を見に行った時に写真についていたメッセージ。 「Stageは汗、Stageは息、Stageは血、Stageは鼓動、Stageは命、Stageは・・・無・・・」
そうだー。あれだ。 今日の舞台は、まさに"無"だった。
素晴しいものを見た。 一生で何度もない、素敵な時間を過ごせたと思う。
清水玲子の『秘密』という本では、死後、脳の摘出し視覚的記録を再生することが可能という設定が出てくる。 死んでから人に再生されるのはイヤだが、今日の見た絵をディスクに焼けたら、どんなに嬉しいだろうとは思う。 (あーでも音もないと寂しいな)
眠い・・・
退屈だから眠いのか、寝てばっかりいるから退屈なのか。 好きなことをやりたい気持ちはあるけれども、生活苦のストレスもきつそうだ。
好きなことイコール生活苦という発想も貧困だが、かと言って、 有望なビジネスプランも皆無。
それにしても眠いな。 何かをやりに生まれてきたのだとしたら、それは全くもって無駄足だったということだ。
ぐだぐだだもの。
でもさぁ生まれてくるのが意思だとしたら。 ちゃんとその動機を覚えていろよなと、思う。
効率的じゃない。
無性に青山に行きたくてたまらない。
六本木って、どうも自分のテリトリーじゃない気がして、わりとどーでもいい。 長州藩の屋敷跡だしね。 私、血統的には会津なので、"敵じゃいか〜"という想いがなきにしもあらず。 高杉晋作とか好きだけどね・・・。
あと、六本木ヒルズって磁場が変という話があるじゃん? そう言われてみれば、その所為なのか何なのか。 わざわざ車を駐車場に止めて入ったにも関わらず、ろくすっぽ見ず食わず買わずに立ち去ったっつーことがあったが、 東京ミッドタウンの方はどーだろう?という磁石を持って調べには行きたい気はする。 別に店とかには関心ないけど。
でも混んでそうだなー。
私の中のお買い物MAPって、日常の一種義務なお買い物は新宿で、ギャル心を満たしてくれるのが青山、 サブカルの国立という感じ。
他は銀座とか丸の内とかも、職場が近かったこともあるんだけど、どーもマーキングされてないというか、 どっか自分と気が通じ合わないとこがあって、買い物はしにくい。
青山は好きだなー。 何がっつーんじゃなく、特に店がどーこーではなく。空気感が好き。
下着屋(Rue de ryu)とかPeopleTreeとか、行きたいなー。 あと脱毛も行きたい!
背中をもう一回くらいやったら、もうちょっとすっきりするんじゃないだろうか。 脱毛ってやりだすときりないね。 次次って、気になっていく。
足も脛だけじゃなくてひざ上もやりたいし、顔も産毛も綺麗にしたいしー、 襟足も腕もやりたいなー。
バッグとか時計とかには興味がないんだけど、毛焼き代だけはすっごく欲しー!
2007年04月04日(水)
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海王星と土星を乗りこなす
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満月。 だからなのか何なのか。 めずらしく頭痛。すっきりしない。
先週末の日曜日は満開の桜を見にサイクリング。 ファイヤーキングのお皿にげっちゅーだったんだけど、例に漏れず高っ!
サラダ盛るのに使いたいお皿が一個一万円弱っつーのは。どーかと。 高級感があるわけでなし。
あぁでも好きなんだよなー。 ジェイダイなんだけど、厚みといい、色といい、アメリカが満ち足りていた時代の雰囲気、 大きくとらえるとアングロサクソン文化の最後の質実さと寛容さを内包しているような佇まいに、 とても惹かれてしまう。
ファイヤーキングだけではなく、最近食器に気持ちが走っている。
食器というと日常で、占星術では一般に月の管轄と言われているけれど。 私の場合、食器って毎日繰り返すルーティンのツールというより、 可愛い彩りなので、金星の方が強いように思う。
それ以外にも、ファッション雑誌とか女性っぽいエッセイ、しかもイラスト付きとかに 心が動いているので、自分のホロスコープの中の金星をフューチャーしたい時期なんじゃないかなって 言う気がする。
山本耕史さんのファンで、舞台見に行ったらり、出ている記事とか集めまくったりというのも、 ハンティングの牡羊座の金星っぽい。
多分、一種の逃避なんだろうな。 太陽−土星−MCの私のホロスコープの中のかっちりしっかりラインに、 土星が重くどーん!とのしかかり、しかも海王星が混乱を上乗せしているから。
占星術の良いところ、世間一般にとってではなく、あくまで私にとってだけど、 『整理出来ること』にある。
何となく感じてる、ことを可視化するって言うのかな。 無意識を意識下に置くことで、自分で納得できる。 それから、それをコントロール出来る。ないしは、出来るような気になれる。
例えば。 2月の終わりごろ。 アルコールに弱いわけではないんだけど、普段はめったに一人で飲んだりしないのに、 何回か、一人部屋で飲んだくれたことが数回あった。
2月の終わりごろ、t土星とt海王星が私の太陽の上でぴったり180度のオポジションをつくっていた。 海王星はアルコール。土星はプレッシャー。 そしてネイタルの太陽は自分の生き方スタイルをあらわす。
自分の生き方とかスタイルに、真っ向から批判やプレッシャーがかかり、 それをアルコールで紛らわす・・・・と読める。 そのまんまやん。
と、占星術で読んでいくと、自分の行動に解釈をつけることが出来る。 かつ、じゃあどーするという、展開を考えることが出来る。
t海王星とt土星のオポを現実は変えられない。それは星の配置だから。 でも、その星のエネルギーをどう現実に落とすかは、誘導可能。
海王星にはイメージ力という意味もある、土星には現実という意味もある。 だから、プレッシャーとアルコールという具現化ではなく、 頭に描いた無意識とか混沌とか混乱を、すっきり整理して具体化・可視化するという、 展開も可能ではないかと。
6月末にもう一度、n太陽の上でt海王星とt土星のオポがある。 その時にはもうちょっと上手く使いたいなー。
alain
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