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2007年04月17日(火)

それを言うのならば、身体の"どこが"固いかだ

「身体が固い」という表現があり、自分でも何の気なしに使っていた。

この表現は間違ってはいないけど、若干の嘘がある。
ヨガのクラスとか行って、他の人の身体を見る機会が増えたことで初めてわかった。

身体が固いという表現は正確じゃない。
それを言うのならば、身体の"どこが"固いかだ。

子供の頃からバレエやってたとか、柔軟性を鍛えてきた人は別にして、
普通にちょっと運動してみようかーと思う人の身体は、それなりに身体が柔らかく、かつ、固い。
そしてどこが柔軟でどこが固いかは人によって、全然違う。


私の場合。
足首は驚異的に柔らかい。下手したらインストラクターより柔らかい。

肩関節はまぁ柔らかいほう。
背骨を捻ったり、横に曲げたりも、かなり得意。

股関節については、前方向への稼動(つまり前屈ね)は、まあまぁ。
なんといってもだめなのが、開脚。
そして開脚しての前屈。

この動きが全く出来ない。


「これは難しいよー!」と周りを見て、ようやく自分にとっての難易度と、人とのそれは全然違うことに気づいた。

面白いくらい肩は硬いのに、開脚前屈はぴたっと出来る人とか居て、新鮮な驚きだった。
身体の癖って人によって違うのだ。。。


そこで気になったのが、身体と性格の関係。
本で読んだことあるけど、病気とその人の性格って結構関連があるという話。
元看護師の人にもそう聞いたことがある。

整体でもそういうらしい。腰が固い人は頑固とか・・ね。


オーラの本に身体と心との対応との対応が載っていたのを思い出して、調べてみる。

足首のオーラの意味するところ。
地面が周囲の現実や環境。足首は自分と生活との接触面であると。

腰のオーラの意味するところ。
自分の理想が上半身と下半身が現実にある自分の姿。腰はそれらを繋ぐ交流点。


つまり、この解釈で言うと私の身体は。
『自分のやりたいことと、社会生活は上手く繋がっていない(=腰の柔軟性に欠け、特に円運動が出来ない)けれど、周囲との妥協だけは小器用につける(=足首は抜群に柔らかい)』

ということだ。
それなりに納得出来る解釈になっているのが面白い。

っとーことは、だ。
せっせと柔軟に励んで、腰を柔らかくすれば、性格も矯正されるということ?!

やってみるか。面白いから。人体実験だ!



2007年04月16日(月)

太極拳を始めてほぼ一年。体型の変化には驚く。

ポケモンって!!
と思ったのは私だけではあるまい。

一人の人をここまで真剣に追ったことがないのだけれど。
芸能人の仕事ってはば広い上に、移動が多いし、同時並行で色々進むし、めっちゃ混乱しそうだ。

あぁ・・・でも映画館で聞いてみたいな。
山本さんのやる天才科学者トニオの声。


ところで。
太極拳を始めて、そろそろ一年になる。

これはねー。個人的には超お勧めだ。
週一でフィットネスクラブの健康太極拳(要するに全然本格的でない)だけど、
半年くらい経って、いきなり腿の、そもそも一般的にはかなり細いといわれている、
そもそも体脂肪率が10代でBMIが16%台の私の腿の、
それでも多少は残っていた贅肉がざっと落ちた。

お尻がぎゅっと上がった。
ヨガが流行っているけれど、脚痩せ効果を望むならば、太極拳の方が絶対に効果があると思うなー。


ヨガは10月から、通える時間に講座が出来たので、80%位の確率でこれも毎週通っている。
ヨガの効果はさ、身体感覚が鋭敏になったことだと思う。
自分の身体が今どういう状態にあるのか、どう動いているのか、歩いている今、
どこの筋肉をどんな風に使っているのかを、自分でちゃんとわかることが出来るようになったこと、だと思う。

あと、骨盤の中の筋肉に意識が行くようになったこともある。
歩く時の意識の使い方とかも変わった。

今まで脚に力をぎゅっと入れて歩いていたのね。
じゃないとたるんだお尻になると思っていたし。
そして腰から歩く。
だって、モデルさんとかそーだって聞いてたから。

今はね。違う。
力は脚には入れないの。
あ。それも脚が細くなった一因かも知れないな。

力は背筋に入れて、胸骨から歩く。
そして脚には力は入れない。意識は入れるけど、あくまで筋肉はリラックスさせて。

今までは車で言うと、後輪駆動というのかしら、脚だけでがんがんと歩いていたけれど。
肩が前輪で骨盤が後輪で、という4輪のバランスを取れるようになったと思う。

駆動は二足歩行をしている以上、後輪にあるわけだけれど、方向指示機能をちゃんと
前輪に割り振れるようになったことによって、後輪周辺についていた筋肉の一部が前輪、
つまりは肩周辺とか大胸筋に移ってきたように思う。

身体って、面白い。
どーやっても変わらないとか思ってた。
子供じゃないんだし。

いや、それは違う。
自分でもびっくりするくらい。
体型って身体の癖で出来てるから、ある日いきなり突然に変わる。

自分でもびっくりしている。


2007年04月15日(日)

ハーモニーベル ソシズノノ レベル3の2回目の感想

金曜日。
急に時間が空いたので、だめもとでTELしたところ空いていたので、
タクシー飛ばしてで御殿山の某サロンへ。

ハーモニーベル レベル3の2回目。

一回目から空くこと3週間くらいかな。
再開したことで変化という変化はないのだけど、とにかくベルの音って気持ちがいいのだ。
すっきりするっていうのかな。

澱のようなものが流れ出る気がして、"すっきりしてーっ!"と単純にその気持ちが強い。
前世のカルマとか思い癖とかを取る!とか、人格的向上とかそんなんは全くなく、
"おっちゃんの風俗通いの感覚"と共通するものを感じたりする。

それに、17日(火)が春分の日の後の最初の新月じゃん?
その前に身も心もすっきりさせたかったっつーのもある。

今回も揺れましたねー。
そして前回より、ちゃんと身体が音を受け入れだしたよう。
上半身にもしっかり気がめぐって、肩のあたりもゆったりすっきり。

マッサージより気持ちがいい理由はさ。
マッサージって外から圧力を掛けて揉み解すじゃない?

ベルって、音で身体の細胞だか、水だかが揺れるから、内側から揉み解される感じがするんだよね。
外から火で焼くのと、細胞が振動する電子レンジの違いみたいな感じ。

空気の流れでぐわんぐわん揺れる大きな波と、細胞がぷるぷるするのと両方感じて、
もう気持ちいいったらないですわ。

で、がん寝。

あと、妙に眉間が痒かったな。
っつーか、これ、ここ一年くらい、時折妙に痒いんだよな。

第三の眼とか言うが、今のくらいの私の心根で開いても、変なものが見えるだろうから、
それはそれで微妙だな。

後、ベルの最中、妙にギャルが脳裏をちらちらしていた。
ビーチの水着の背中とか。かわいいワンピで緑の下を闊歩とか。
かわいい女の子の楽しそうな絵ばかりが、脳内に浮かぶ。(← オヤジかよ)

私の金星かー?
最近、結構活性化しているからなーと思いつつ、当日のホロスコープを見たら、
n海王星にt金星が180度でHIT。

私の中のイメージの海王星に、きゃぴきゃぴの金星が流れ込んだのかー。

うーん。
変なものチャージしちゃったかも。
物欲とか遊び欲とか全開だしー。

えーでも、かわいーサンダル欲しいな。
あと、今年はなにをおいてもワンピでしょー!




2007年04月11日(水)

ヘドウィグ感想 多分最後

ヘドウィグに決定した時に、確かWebのぴあだったと思うのだけど、
「加減しない山本耕史を見ることが出来るのではないか。」というような評が出ていた。
相手役に合わせて、自分の表現力なり歌唱力なりを加減していて、全力を出していないように見えるからと。

やっぱり、同じような印象を受ける人はいるのだ、とその時思った。

TVnaviの対談で佐藤浩市さんに「一回痛い目みないとな。」と言われていた。
その時も、だよね〜と思った。


彼が仕事に対して、手を抜いていると言っている訳ではなく。
泰然自若に微笑みながら出来るようになるまで、裏でどれだけ努力をしているかということは、
もちろんその大変さを本当にはわかっちゃいないけど、きっと大変な努力家だろうなとは思う。
彼の言う"茨の道を歩んできた"についてもそーだろうなと思うし、
"階段を上ってきたのではなく、作ってきたのだ"という表現にも、素直に頷ける。


でも、何ていうのかな。
"のたうつ"という印象が彼からは感じられないのだ。

多分それは、彼の努力や真摯さが、
自分で設定したハードルとの戦いに勝つためのものだからなんじゃないかと思う。

ひたむきに自分と戦う姿には孤高の美しさがあり、
それが各種劇評で"高潔"と表現される彼の持ち味になっているのだと思う。


だけれども。
戦いって、そして負けって、もっと理不尽で暴力的なものじゃないかと思うのだ。
そして相手は自分以外の存在に限る。

よく"自分との戦い"って、対誰かの戦いより、レベルの高いという位置づけをされるが、
私は違うと思う。
自分を律するという点が評価されているのかも知れないけれど、
自分との戦いはあくまで自分の意思で行うわけだし、戦いの種類も自分で決められるわけでしょ。

突然降りかかる不運とか不幸にもがくほうが、よっぽど大変じゃないか。
まず、自分では何時おこるかもコントロール出来ないし、下手すると何が起こっているのかも理解出来ない。
何と戦っているのかもわからず、そーなると、どーすれば勝てるのかもわからない。
でも、どんどん、なすすべもなく落ちていく。

なぜか唐突に関西弁なんだけど、"もう、あきませんわ"というさらさらした泣き笑い。
必死とか、哀れとか、ずたぼろ感って、その泣き笑いの上にしか育たないように思う。
(力量のない人が取り繕うとする低レベルの必死さとは別のものね。)


山本耕史と言う人には、その弱い生き物の持つ無力感がない。

結果、今回のHedwigには、決定的にみじめさと汚さがなかった。
ぼこぼこに殴られて、でもカウントナインでよろよろと立ち上がるボクサーの様な、
悲壮と滑稽が入り混じった人間像は感じられなかった。

かわりに、自らの純粋な愛に翻弄されて傷ついて、でも愛に支えられて立ち上がる
"瑞々しい"Hedwigがいた。

表現の志向性が異なるのだから、それを欠点とか物足りないというのは筋が通らないと思う。
だから言わないけどー。

ただ・・・。
やっぱり、いつか、"のたうって、でも負けて落ちていく"姿も見てみたいーと思うのは・・・。

ドS?


というところで、一旦ヘドウィグの感想はおしまい。
どっかで、まとめて別ページにUPすることは当面の目標。


2007年04月10日(火)

ヘドウィグ感想 続きの続き

本屋に行き、『月間ミュージカル』をチェック。
小藤田千栄子さんのHedwigの観劇レポを読むため。

TTBの時も褒めてくれていたが、今回も"感心しきり"と絶賛。
嬉しいなー。
それにしても"二枚目サン"って。

山本さんって綺麗だなーとは思うけど、私の基準では二枚目には入らないのだけど、
世間的にはどーなのだろう?
最近は、バラエティとかでもイケメンキャラとして扱われているから、そーなのか?
座りが悪いのは私だけか?


もう一つ『アクチュール』にも評が載っていると聞いていたので、これも立ち読み。
既出の評価と感想とほぼ同じだったが、写真に惹かれるとこともあり・・・。
うーん。買う?買う?どーする?どーするよ自分!


でも、Hedwigの劇評は新聞とか雑誌とかでかなり読んだけれど。
Webの時代になるとホント怖いなー思う。
お金出して売っている媒体のより、検索掛けてHitした個人のPageの劇評の方が、
よほど緻密で表現も的確だったりする。

特に読売新聞の評なんて、これほど学級新聞くさい表現は最近あまり見ないのでむしろ新鮮だったくらいだ。
(もちろん、けなしているのだ。)


私には評を書くほど、エネルギーと文章力ない。
でも、気持ちは残しておかないと消えてしまっては哀しいから、感想はここに置いておく。
さて。

公演が始まる前に何が不安だったと言って、所謂山本耕史振りや山本耕史節が、全開だったり、
さらに悪いことに散在していたら、興ざめだなーと言う事。

ジェイミーはある意味まんまだし、ヒロシも引き出しにありそうだし、
シーモアはおどおど系ということでこれも持ちキャラだし、ジョンというかジョナサンは彼の血だし。

いずれにしても彼の素(ないしは素としてメディアで演じているキャラ)が出ることが不自然ではないように思う。

でも、うらぶれたドラァグクィーンを演じるにあたっては、素がちらちらしたら、
ストーリーには力がなくなるなって感じていた。


新宿FACEで見た。
舞台の上には、山本耕史はいなかった。
Hedwigだった。

歌っても歩いても喋ってもHedwig。


全く。
見くびっているつもりはなかったけど、やっぱり見くびっていた。
L5Yの初演の時に、演出家のスズカツが『山本くんは天才』と言っていた。
TTBの再演の時に、演出家の吉川徹が『あとは彼がなんとかしてくれる』と言っていた。

身近にいる人は分かっているのだなぁと。
演じるために生まれて、本人が覚悟を決めて命削っている舞台は、それは素晴しいものだった。

比喩ではなしに、身体が震えた、あの大楽のラスト2曲は。
これを聞くことが出来ただけで、自分が今ここにいることの意味としては充分だと、
思わせてくれるものだった。

色んなあれこれ。
いうなれば運命?
仰々しい言い方だし、微妙にずれもあるのだけど、単語言うとそうとしか言えないなにものかに。

この上なく素直に。感謝って言える。
斜に構えずに今なら言える。

 


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