2007年04月25日(水)
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またしても評価会議でむかつく
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しかし、肌寒い。 空模様はぐずつきっぱなしだし。
今頃の時期、薄手とはいえウールのセーターなんて着ていたことはなかったように思う。 変な感じ。
って、過去の日記とか読んでいて。 腹立ちとともに、先日の評価会議のことを思い出した。
4月って大体こんなん出て、むかついて帰ってくることが多いから。 出たくもないのだけど、自分が担当した人のために真っ当な評価をGETすることは それをしなきゃ人非人なので出る。
他の人の評価コメントが、聞いていて毎度のことで何なんだけど、いちいちむかつく。 「定時に帰るから"C"」とか「子育て中で勤務時間の自由が利かないから」とか 「習い事とかをしていて、夕方もさくさく帰るので、クライアントにも おたくにもそういう人いるんですねとか言われちゃってるので。マイナス評価。」とか。
何か、つまりは、全てを差し置いて仕事を最優先にする人出来る人以外はいりません、 みたいなコメントがばしばし出る。あーいらいらする。
実態もない法人格になぜそこまで人格をよりそわせなければいけないのか、理解不能。
自分のことを考えると。 もうちょっと真剣に仕事をしなきゃいけないっつー反省点はある。
それはもう非難されても正当だと思う。 そういう指摘がされたとしたらそれは許容できる。 正すべきって自分でも思うから。
でも、生活の中で仕事を一番には出来ないな。 それを求められても、それは無理。
だって、楽しく生きることが一番で。 仕事はその糧をえるための一手段だもの。
皆がそうであるべきとは思わないけど。 排除される理由がわからない。
って、毎年。 ものすごく違和感があるの。 なんなんだろう。この人たちって。
何のために働いているんだろうって。
とりあえず。
あと5日行けば、お休みだー。 こんなことを考えながら、日を過ごすのって、なんかイヤだな。
世界は宇宙はこんなに広いのに。 自分の窓が小さい所為で、何にも見えない。
開けばいいのに。 開く勇気がないことに、さらに落ち込んで、もう一押し窓を閉じてる。
そんな午後でした。
2007年04月21日(土)
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自分の人生こうあるべきとか、あんまり思わないほうがいい。
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ポケモンの公式サイト見るようになるとは・・・
自分の人生こうあるべきとか、あんまり思わないほうがいい。(by 源さん@組!) ホントにねー。
それにしてもトニオって山本さんに似てない? 鼻の稜線とか、デコな感じとかさ。
人生って言えば。 2005年の2月に小笠原さとさんに占ってもらったことがあるのだが。
最近、親の体調が悪く、なんかそー言えば言われてたかもって、 当時のメモを引き出しから探した。
書いてあるがな・・・。 他にも、クラシック音楽とか、不思議系が心の糧だとか。 まぁ不思議系についてはそもそも占いに行く時点でどーかという話はあれど、 クラシック音楽なんて2005年当時は全く興味なかったし。
今はモーツァルトに嵌って、自分でも弾く。 というか思う存分弾ける週末を待ちわびるとこまで来ている。
要するに。 当たってる。
当時はそーかぁ?とイマイチ合点のいかなかったことが、今になって現実化している。
普段でも2年前に一度会っただけの人なのに、妙に気になる。 もう一回行ってみようかな。
でも、今月は御殿山のサロンにチャクラ・リーディングのapo入れてるから。 来月以降だな。そんなにお金ないし。
チャクラの存在だけでもそれ何っつー感じなのに、それを読むんだぜ。 不思議系全開。
面白そうなので人体実験というのが動機の一つ目。 もう一つは。
このぐだぐだから救って欲しいとい他力本願。 自分で何とかするしかないってことは自分でも分かっていて。
でももしかしてとか、自分だけはとか思っちゃうんだな。
臍が決まってないっつーか。
痛いのはイヤだけど。 早いとこ即死してGAME OVERしたいな、出来れば勤務中、だって労災になるじゃん、 という安易というか甘いというか不穏というか、それが今の一番の望みって、 病んでるよなー色々と。
でも、地球滅亡系の予言とかのネタが尽きず、出版物も手を代え品を代え出ている ということは、多分、そう珍しい存在じゃないのかもしれない。
社会としてヤバイじゃん。 (って自分が一番やばい)
2007年04月20日(金)
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『感動には勉強が必要』
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『感動には勉強が必要』って、アニメーション作家のノルシュテインの言葉だそうだ。 赤川次郎が引用していたのを、さらに引用。
感受性の器を大きくしておかないと、どんなに大量の感動が注ぎ込まれても溢れて 失われてしまうから、と。
山本さん関連のブログで好きで頻繁に読みに行っているところがあるのだけれど。 その人が、来るメールに「頑張ったよな、俺たち」(これはもちろん組!台詞)と 書いてあるのがあると書いていた。
確かに、ヘドウィグ。 英語歌詞で受け取るために、渡すほうも必死だったと思うけど、 受け取るほうも、ほんと「頑張ったよな、俺たち」
「感動できないのは自分のせいじゃない。作品の所為だ。」と思いがちだ。 まぁ、作り手が闇雲に観客の所為にするのもどーかと思うが。 そう考えると、自分のせいじゃないって安易に開き直るのも、あんまりみっともいいもんじゃない。 (と自戒で言っている。)
今回のヘドウィグは。 口を開けて待ってる雛じゃなく、自分から取りに言った。ちゃんと。
大楽のMidnight Radioは。 奇跡のような一曲だった。
それは観客の地道な努力なくしては生まれなかったと、思っている。
・・・そういえば。 思い出した。組!!のテーマ。三谷さんが言っていたこと。 「違う価値観を持った人間が心を通わせること認め合うこと。」
舞台に対してちゃんと分かろうとするなら、人に対しても。 切らないで、理解する努力をしましょう。⇒自分。
あー。 いろんな事ってリンクしているんだな。
2007年04月18日(水)
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寒い! そして、2002年から全てが始まったような気がする。
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おいっ!寒いぞ。
10度でそれ何? もうそろそろGWというのに。何これ。 ねぇ温暖化は?地球温暖化は? 思えばゴアの映画ってタイミング良かったよねー。 今公開していても、説得力ないもん。
ところで。 日記っつーものでもないけれど、ちまちまと気持ちを打ち込んでいると、そしてそれを溜めておくと、 自分の気持ちの流れっつーのかな、そういうものが見えてきて面白い。
転機は何時ですか?みたいな質問って、TVではゲストに対してよくやるじゃない? 私にはこれと行った転機ってないんだけど。
でも2002年が萌芽の年だって言うのは明らかにわかる。 この年に何かが変わったというのではなくて、この年に種が撒かれたという年。
横森理香の本を読み、精神世界とかマクロビ系に流れ出したのもこの年。 美容関係の某サイトの会員になったことも、 ハーモニーベルのセッションに行くことも、五穀米(商品名はふっくら御膳)を常食していることも、 エバメール好きも、LOHAS・ORGANIC系も。 全ては、横森理香の『愛しの筋腫ちゃん』という本を、BOOKOFFで購入したことから始まっている。
身体動かす系のDVDとか買うのもこの年。(正確にはVIDEO) 今やそのVIDEOは全く見ていないけれど、太極拳とヨガだったのが面白い。 まさにその2つに、2007年4月現在夢中だ。
三谷幸喜が大河ドラマを書くことが発表されたのもこの年。 2004年には、その三谷幸喜脚本の『新選組!』で山本耕史に落ちる。 そこから派生して、RENTにジョナサン・ラーソンに。 ヘドウィグの愛しさも知った。 さらにはモーツァルトにも引っ張りこまれ、現在、週末の趣味がピアノでモーツァルトのソナタを弾くこと。 という2002年にはこれっぽっちも予測出来なかった事態となっている。
2002年の10月には、嵐の1ヶ月がある。 ねじを巻かれたチョロQのように、自分がお掃除マシーンになってしまったのだ。 突然に。 何だか自分でもわけわかんないけど、片付けまくり、捨てまくった1ヶ月がある。 毎晩毎晩だから、眠いし疲れるし。 でも、自分が止まらなくて、ホント嵐に巻き込まれたとしか言いようのない期間があった。
あんまり身辺整理してるんで、自分でも死期が近いのかと思ったくらいだ。
変化って、いきなり落ちてくるものではなく、 見えないけれど積み重ねた何かが崩れてくるもの、崩れて始めて気づくわけだが、
そんなものなのかなぁと思う。
alain
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