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2007年10月30日(火)

ハーモニーベル ソシズノノレベル3の7回目の感想

先日ソシズノノレベル3の7回目のセッションに言った。
レベル6まであるけれど、とりあえず3が踊り場というか一区切りの位置らしい。
レベル4以降は時間も長いし、その分お金もかかるので少なくともしばらくはやらない予定。

前の日記にも書いたが、生物学上の父が死んだという連絡があった。
ノノの日の前日に連絡があり、一日開けても、心は落ち着かず。
何ていうか、感情の磁場が乱れまくっていて、心のコンパスの針が回りっ放し。

なにせ、5歳の時以来会っていない人。顔も覚えていないし。記憶も皆無。
寂や哀に落ち着くには嘘があるし、嬉や楽に向くほどの思い入れもなし。
「葬式出席せず」との連絡のために、親戚だという人にTELを入れたのだが、
その対応に違和感を覚え、かつ、今後の面倒を想像すると、気持ちは憤ないしは倦にふれる。

こんなにぐらぐらした気持ちで、ノノを受けたら、それはどんなもんなんだろう?
とそれなりに興味はあったのだが、面白いくらい一切関係なかった。

普通に気持ちが良いだけ。
身体って逞しいね。

っつーか、私が身体に振り回されてるだけか?
哲学的じゃないっつーか、思索思考タイプじゃないっつーか。
下部構造に依拠しすぎとか、無理を承知で帰納的とか・・・・。

まぁ身体がすっきりすると、案外気持ちってどーでも良くなる。
「心のコンパスで気持ちの針がどっち向いていても、それがオレなんだし。
中心軸さえ飛んで居なければ、回ってもふらついても、それは成り行きっつーことで。」
と、投げやりとも言えるが、気持ちはかなりすっきりとした帰り道でありました。


2007年10月26日(金)

父帰らず

感情のメーターがあったとして。
それがどっちに振れているものやら、振れるべきなのかがわからない。
何かぼーっとしている。
なので書く。指で掬うことで自分が何を感じて、考えているかがわかるかもしれないから。

本日親戚だという人から連絡が入った。
父が死んだという。
5歳の頃以来会っていない人だ。
葬式に出ないかという。
返事はまだしていない。直接話していないから、明日連絡するつもり。

最初に思ったこと。
良かったと。引き取れとか面倒見てくれとかそういう話が発生する可能性が
無くなったことに対して安堵した。冷たいね。

次に。まさか遺産はないよな?ということ。
懸念しているのはマイナスのほうね。
プラスもマイナスも一切放棄しますからということ。
いや、プラスが一億とかだったらしないかも・・・。って金の話か。世知辛いな。

最後に。葬式には出る気がないということ。
だってもう、関係の無い人だから。
生きている時になんら関わりを持とうとしなかった人に、その焼く前の死体を見に行ってどーしろと?

付け加えると、占星術的に切り替え期であるところのこの2005〜2008年。
このタイミングは区切りとしてはまぁ悪くない。とか、そんなことも頭をよぎる。

と、まぁ。言語化できる範囲の感情としてはこんな感じ。
なのに、なんなんだろう。この物憂げな感じは。

遺伝子的には私の半分であることは間違いなく。
その存在が今、原子レベルに分解されつつあることに身体が共鳴しているかのような。
ある種の、何ていうのか。哀しいとも違う。顔もよく覚えていないし。
思い出もほぼないので。寂しいでもない。

ただ何となく。どんよりしている。
落ち着かないというのでもなく、もちろん浮かれる必要もないのだが、普通でも、ない。
何となく、そう、やっぱり物憂げという単語が一番しっくりくる。

明日、私の叔母であるところの人に電話しなければ。
お葬式にはいかん。勝手にやってくれと伝えねば。

今回は書いても自分が何を思っているかは良くわからなかったね。
でも、そうだということが分かっただけいいかもね。


2007年10月25日(木)

メインキャスターですと?!

岡田斗司夫の『いつまでもデブと思うなよ』によると、
人間は欲求型と欲望型という2タイプがあるという。

欲望型の人間は身体の声より、心の叫びと欲望で動く。
「TVで紹介されたアレが食べたい!」という脳的な欲求がエネルギー源となる。
欲望型の人間は、「身体の要求してくる声」が大きすぎるので、自分の欲望があまり感じられないタイプ。

どちらが良いというのではなく、そんな2タイプだと。

私は間違いなく身体の欲求に振り回される欲望型だ。
頭で考えていそうで、それはあくまで後付けの理屈であり、なんら決定力はない。

だから、将来を考えて資格の勉強とか全然出来ない。続かない。
気分のおもむくままに食べても太らないが、ちょっと熱っぽいかったり、疲れたりすると、
即座にベッドにもぐって出て来れない。
一言で言うと意志が弱い。っつーか無い。
身体が眠いと言ったら、もう寝るしかない。
下手に逆らうと反動がある上に、気持ちが加速度つけて落ち込むので、
早め早めに、身体の声が小さいうちに、はいはいと聞いておくにこしたことはないのだ。
(長年の付き合いで会得した、このやっかいな身体の機嫌取る方法である。)

ということで、今日はほぼ寝ていた。
午後、家でちょっと仕事の始末はしたけれど。
そして夜のヨガレッスンには行ったけれど。(それはどーかと)

という弛緩した身体と精神に驚愕の一撃が!

山本さんが!
「嘉納治五郎杯 東京国際柔道大会 2007ワールドグランプリ」のメインキャスターに!

階段踏み外したような衝撃。
全く予想外の方向からガツン!と来るなあ。
仕事選びの方向性、オファーした側の志向性もまるで分からん。
業界には業界の論理展開というものがあるのであろうか?

スポーツニュースにてインタ映像を見たが。
これまた未だかつて聞いたことのない、鼻声かつかすれ声。
ドラマで鼻声という役者は見たことがないので、きっと仕事の場合は強烈な薬とか使って何とかするところを、
会見なら美声でなくとも良いわけだし、ということで、ちゃんと風邪を引けているのか?と推測。
ゆっくり養生出来ていると良いのだが。

しかし展開が予想できない。
織田裕二なハイテンションは求められていないと思うが、まさかマーメイド・プリンスじゃぁ、
競技のジャンル違いすぎるし。
紅白ん時みたいに、また何の関係もないのにハラハラするはめになるのかー。
(っつーか、ハラハラするな!)



2007年10月21日(日)

L5Y@横浜BLITZの感想です。

横浜BLITZでのラストファイヴイヤーズの大楽見てきました。

本人が誰より悔しいだろうと、そして、それをカバーしようと力を尽くしていたこと、
それから、演技中はもちろん、カーテンコールの挨拶に至るまで、
悔しさ哀しさを一切表には出さないんだな・・・。
と、ストーリー以外のところに気持ちを持っていかれてしまった大楽でした。

計4回見たのですが。(一つの舞台で4回は新記録!)
それ以外の舞台も含め、山本さんの声がこれほど出ていなかったのは、初めてだと思う。
かすれてしまっていて、高音域は一部下げざるを得ず、出ているところも、
粘膜の擦過傷を連想させるような痛々しさがありました。
カーテンコールの挨拶では何度か咳をしていたし、クマも濃く、頬にもやつれがあり、
多分具合が良くなかったのだろうと思う。

だけれども、動きは相変わらず軽快で、声が張れない分、
語りかけるよう、染み入るように、一声一声とても丁寧に演じていたように思う。
それはそれでとても味のある舞台であったのだけれども。

何ていうのかな。
客席に妙な緊張感(次の高音域は大丈夫か?!というハラハラ感)と、
最後の最後で自分の力を出し切れなかったことに、間違いなく申し訳なく、
それはおそらく客に対してだけでなく、共演者や舞台を作ってきたスタッフに対して、
感じているであろうその人に対して、もう、どうすれば良いのであろう、いや何も出来ないのだが・・・という煩悶と
『舞台の神様』とでも言うものに対する憤りなどが、ぐるぐると渦巻いていて、

正直、客席全体の空気の抜けが悪かった。

重ねて言うが、事実として声の不調はあったものの、
鮮やかなステップや一人ひとりの心に寄り添うような語りかけは絶品で、
舞台として悪い出来というものではなかった。
歌だって中音域はしっかり腹で支えていたので、後半はかなりいけていた。

ただ、大楽なだけに。
やりきった。見切った。見尽くした!という舞台にしたかった。
見ている自分ももちろん悔しいが、一番悔しく思っているが誰かと言えばそれは・・・という、
妙な不完全燃焼感のようなものが会場には満ちていたように思う。

そんな中、何も言わずに天然なカーテンコール挨拶をした山本さんが、
おそらく非常に空気には非常に敏感であろう彼が、それはそれで辛かった。

何度も言ってなんだけど。
悪い舞台ではなかったんですよ。
井手さんはとてもCUTEだったし。声も出ていたし。
ただ途中、山本さんの不調に気持ちが引きづられたのか音がぐらぐらした曲もあった。
最後はきっちり持ち直したけど。

という舞台運びもあって、とてもジェイミーの弱さが目立つ舞台演出になっていたように思う。
特に後半の打ちひしがれた姿は、まるでいたいけな幼い子供のようだった。

という舞台を気を張ってみていた所為か・・・。
見事に喉が腫れております。痛いです。
朝から若干微妙ではあったのですが、帰宅後はかなりハスキーボイス。
これもまた病は気からというののであろうか。


2007年10月18日(木)

ピアノの森

「その時歴史が動いた」を録画しておいて見た。
なんかねー会津は琴線に触れるのですわ。
人の良い無能だったつーことだけだろーよと思いつつ、何かしみじみしてしまう。
いつかは局長の墓参りも行かないと、ね。

話は変わるが。
今週は評価の最終会議が2つあって、参加しろというから参加したが、
どちらにおいても議論の対象の人になった人に全くかかわりなかったため、一言も発せず。
単なる時間の無駄でした。
おまけに、毎度感じることだけど、非常に疲れる。
何ていうのかな。何を問題として何をしたいのか、全く理解が出来ない。
イヤとか良いとか以前に、わからない。

というのもあって、ここまでいれば良いだろうという時間で抜けて、
まだ夕方だったので、一仕事しようかと思ったが事務所にいるのも気持ちしんどい。
じゃあ家の近くの漫画喫茶にでも行こうかと帰宅の途に。

帰りがてらにプランタン銀座に寄って、ミエルでドーナツ買っちゃった!!
この間、スウィートJAMで出ていて、山本さんも美味しいって言っていたあのドーナツ。
(だからって買いに行くって、我ながらこの乙女ヤローだわ。)

まだ勤務時間中だからそんなに並んでいないだろうと思ったら、
まぁ10〜20人程度。新宿南口の2時間待ちに比べたら行けそうだったので並ぶことに。
10分くらいの待ちで購入。
まだプレーンしか食べていないけど、ふわふわしていて素朴な卵の味がして美味しい。
マドレーヌとかあのあたりの焼き菓子に近いような気がする。

その後は漫画喫茶に。
うっかり『ピアノの森』に手を出してしまい・・・・どはまり。
なぜか10巻までしかなく、結果的には助かったとも言えるのだが、10巻一気読み。
その後あわててメール対応だけはしたが仕事は何一つせず。やばいっす。うーむ。

でも気持ちはすごくすっきりした。
この漫画はいいよ!
密度は粗いし、モチーフは使い古された感は否めないのだが、
構成に躍動感があるし、形として残らずその場の空気を震わせて消えてしまう音の重なりに、
心を包まれて、追い詰められて、追い求めて、突き放して。
そのどれもがまさに人の心そのもので、どれもがわかる。
気持ちの良い物語だった。

というわけで、本日のBGMはグレン・グールドなのです。



alain

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