また、青山行きてーっ!病が暴れてる。 何だか妙に行きたくなるんだよな。
明治神宮から表参道を気が流れていて、左側と右側で空気が違うとかなんとか そんな話があるらしいよって聞いたことあって、それを改めて思うと。
明治神宮を背にして左手側のブロックに、MY美容院とMY皮膚科(脱毛のため)がある。 右手側には必ず行く服屋、眼鏡屋、下着屋と。 確かに自分の中で使い方が分かれてる。
今月中にはぜってー行く!
話は変わるが。 物価が高くなったというが、今のところ実感はなし。 ガソリンも直接には買わないし。 カップめんもカレールーも買わないからなぁ。
でもガソリン上がれば流通経費が嵩むんだから、そのうち、色々関わってくるんだろう。 まずは捨て好きなんだから、捨て物は買わない!ようにすること。 とも思うんだが、それよりも。 置くと部屋の場を整える"すこやかなんちゃら"とか、 ブレーカーに貼ると電磁波を良い電磁波に変えてくれるアポロなんとか(これはまだ買ってない。 今にも買いそう)とか、そういうものに金つっこまないことが、肝要かと。 額もでかいし。
でも、楽しいからなぁー。 そういう怪しいもの買うのって。 実験も出来るし。自分を笑えるし。
今日はここまで。今日は眠い。とにかく眠い。
2007年11月12日(月)
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感じの良いオタクになるぞ
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先週はどっかで一日休もうとかなり本気で考えていたのに、 微熱も続いていたし、何となくタイミングが合わずに休めず仕舞。
でも、まぁコンスタントに仕事こなしていたほうが、リズムがあって良かったようで、 週末まで持ちました。 週末にはベッドで読書三昧。うっ。幸せすぎて泣くかも。
っつー思考回路がまず、実はマイノリティだということを認識した一冊がこちら。 よしながふみの対談集。 何箇所もつぼがあったんだけど、特に笑ったのが、以下の2箇所。
・「でも、何人かつきあったけど、"彼氏"ってつまんなくねぇ?」 (中略)ちょっと待て、と。その一言を言わないように、みんな普通の女の子のフリして がんぱって会話してたのに!
・私はその言葉を聞いて、どうしてオタクがクラブも合コンも何にもいかないのかがわかったと思ったんです。 そんな楽しいか楽しくないかわからないようなところに使う時間なんかないんですよ。 はじめから、行ったら楽しいとわかっている場所に行けるんだから。
やっぱり、自分はオタクなんだなーって改めて念押しされた気分。 だって、色々世間の風潮に乗ってるふりしてみたけれど、基本、自分で自分を楽しませる、 救えるツールを外に求めず、自己完結する、っていう行動パターンは絶対譲れないもの。 それは、雑駁な世の中で正気を保つための能力でもある一面、排他や独善にも一直線に繋がる道を持つ。
でも、オタク性は持ちつつも、その長所を伸ばすことも出来るよね。 例えば、自己慰撫のスキルと不完全への優しさを保ちつつ、他人に対する間口の広さを併せ持てば、 これは素敵な大人だと思う。 違うジャンルの人にならんでも、つまり、爬虫類が鳥類に憧れるみたいなことしなくても、 綺麗にはなれるんじゃないだろうか。
なんてね。 疲れたのもあるし。 だから、もう広範囲な社交とか前向きな発展性とか求めるのやめた。 種がそもそも違うところで競ったり卑下したりするのはいいや。
どー考えても、自分はオタクというカテゴリーにしか入らないもの。 だったら、そのジャンルの生き物として、いかに感じの良い人になれるか、 もうそっちに向かおうと。
そんなことを考えた週末でありました。
2007年11月04日(日)
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予想以上に痛んでいたようだ。
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土日、正確には金曜日の夜から、月曜日の朝まで。 何をする気力も起きず。具合が悪いというのではなく、"心が折れた"。
金曜日にちょっと嫌なことがあって、それが最後の一押しだったみたい。 まず休まない太極拳のレッスンすら、出る気力がなく、 ピアノを弾く気も、お掃除をする気も、ベッドから出る気力もなし。 日記を更新する気力ももちろんなし。 (ただ、日曜日のスウィートJAMの再放送の録画はきっちりやるあたりが、欝にすら走りきれない甘さをかもし出す)
先週の生まれの父の死、そして、何か書いたら本当のことになってしまいそうで書かなかったのだが、 戸籍上は全く関係はないのだが、育ての父以上に、父らしいことを、一時であったけれども、してくれた人が私にはいて、さる8月だったか9月だったかに、私はその人を失っていた。
彼はレストランでのお酒の飲み方頼み方を教えてくれたり、歴史について解説してくれたり、と。 一番私の中でイメージする父親に近しい人だった。
ここ数年は余り接触はなかった人だったが、居るということ、会える場所に行けばいつでも会える、 何かあれば話にいける、頼りに出来るということが、どこか安心に繋がっていたように思う。 その人はお店をやっていた。8月9月のある日、別経路から連絡が入った。倒産したと。
自宅がどーなったのかは知らないけど。 小さい商店が倒産だったら、まずそのままという可能性は考えにくいし、そもそも自宅に尋ねていく繋がりじゃない。 つまり私の世界から、彼は忽然と消えてしまったのだ。
2名ともに、別に支柱にしていたわけでもないが。 それだけにショーック!!という反応もしにくく、何でもないことのようにやり過ごしていることが、 自分で思う以上に無理があったのかもしれない。
そういえば。 父的存在というのでもないが、小中学生の時の私を我が子と一緒くたに可愛がってくれた人が死んだもの 今年だったな。 まぁ、これは今回のぐだぐだには関わりのないことだが、今年は重なるね。共通項は父の喪失。
占星術的に言うと、ICが父とかMCが父とか見解は分かれているようだけれども、 何か私としてはこのラインにというより、p太陽がサウスノード/ノースノードのラインにかかりつつあり、 生まれなおしているというほうがしっくりくる。 ないしは、父性を外に委ねるな。自分の中に内包しろという太陽フェーズの総まとめかもしれない。
まだ全然、気持ちは欝のままだけど、多分しばらくこうだけれども、 だからといって飛び降り自殺をするほどの思い切りもないので、多少は気持ちの持って行き方を何とかしたい。
ちょっと話は飛ぶが、スウィートJAMで佐野元春さんが語っていたことで、凄く響いた言葉がある。 (以下はあくまで主旨であってそのままというわけでなないけれど) 【世の中、くだらないことがいっぱいあるけれど、創作活動はそんな中で気持ちを折らずにやっていくための"スキル"だ。】と。
MUSIGの頃から味のある人だなぁと思ってはいたけれど(ぶっちゃけそれまでは過去の遺産で食ってる人かと・・・すまん。) この発言ですっかり惚れました。
まず、創作活動について、芸術家の私の"業"とか"繊細すぎる感性"がという表現をせずに、"スキル"としてフラットに把握している俯瞰な客観性が大人。 それから、生きていくための、より楽しくより楽に過ごすための"スキル"を後進に伝えていこうという姿勢。 導師というか、ホント山本さんの言うとおり、仙人っぽいかもしれない。
"スキル"。生きていくための技術。やり過ごすための方法。 もう、いい加減自分で自分をケアしなければ、大人なんだから。
創作活動ではないけれど、こうやってたらたらを気持ちを字に落とし込むこと。 それが今の私の生きてく方法なんだと思う。
2007年11月01日(木)
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蠍の月!一人で勝手なことすんじゃねーぞ!
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スケジュールの空き区間がちょうど1月期の連ドラっぽい・・・とは 思っていたのだが、やっぱりきたかー。
TBSの日9。山本さんの出演決定。
2008年1月のTBSの日9が吾郎ちゃんらしいとは聞いてはいた。 ただ、何となく山本さんが出るにしても、この枠じゃないよなーとか、何の根拠も無いけど思っていた。 びっくり。
キャストにも脚本にもがっつりしたのをそろえてきているから、今回は結構見れるドラマになっているかも。 (だって今クールの(さんま&まさみ)ひどくない?企画が何狙っているんだかわからない。 何ゆえに50男の妄想にサービスしなきゃいかんのだ?設定だけで見る気がおきん)
山本さんの出番は多くなさそうだけど、それにしても、ドラマっつーのは時間が掛かるみたいだし。 何かをやるってことは他をやれないってことだから、 作品として面白いものに仕上がっている、やった甲斐があったねってものになってるにこしたことはない。
それにしても設定が。主人公が元アマレス部。そして山本さんは主人公の大学時代の友人。 あのレスリングコスチューム着ちゃうのか〜!!!!着そうだな〜!本人もノリノリっぽいなー。とか。 そんなんも含め楽しみだね。
後。 忘れると同じことをしかねないから、反省も込めて書いておく。 父親が死んだとの連絡を受けて、翌日。 親戚だという人に連絡を入れて、「なんつーか、この人ずれてんなぁ。。。」とか思いつつ、 電話を無事終えて、そして、泣きました。 トイレで15分くらいかな。
前日から、悲しめば良いのか、でも、これと言った思い出はおろか、これと言わない思い出すら、ない。 寂しいというほど欠落感もない。かと言って喜ぶほどの恩讐もない。 そんなかんなで気持ちがぐらぐらしていて、そんな時に 「父親の一番の親友だという人は、彼はいつも娘のことを気にかけていた。と言っていた」 「お財布にずっと娘の写真を入れていた。」 とか聞いて、感情のメーターが変なところに飛んでしまった。 で、びーびーと泣く。
要するにですね。 ホロスコープ(星が自分に与える影響の正否はさておき。自分の感情の要素を分析するにはよいツールだと思う)で、みると私の中で、感情をあらわす月は蠍にある。 秘密主義でめったに表に発散しないが、実は非常に情が深い。 常日頃合理主義の水瓶の太陽に押さえられていることもあり、かつ、エネルギッシュな火星と合なので、 振り切れると暴発する。
今回はかなり暴れたね。で、びーびー泣くと。 トイレで泣くくらいなら良いのだけれど。 訪問販売の人とかに思い入れとか深情けとか一方的な愛情をぶちまけて、変なものとか買わないように。 泣き落としに思いっきりだまされない様に。注意しないと。
自分には、突然めーいっぱい情緒的になり、制御効かなくなる瞬間が確かにあるのだ。
ただし。 通常30分以内にさめる。
びーびー泣きながら、小さい頃の私の写真を見ながら、彼はどんなことを思っていたのだろう?とか、 死ぬ前にちょっとは私のことを思い出しただろうか?とか、 少なくとも私の誕生を喜んだ人がこの世から一人消えてしまったのだなぁ・・・とか、あれこれ思いつつ。 自分の心の中で徐々に、眇めで観察批評する水瓶の太陽が勢いを盛り返してくるのも感じていた。
"良いインディアンは死んだインディアンだけ"っつーのと同じでさ、 写真の中の幼い女の子は毒吐かないし、金も掛からないし、やっかいごとも持ち込まないし、まぁ一番都合の良い娘だわな。 男の"ろまんち"って手に負えない。 気にかけてるんなら、行動の一つも起こせよ。学費出すとかさ。 とか。その類のこと。
で、一時間も経つと、すっかりどーでも良くなっているのだが。 さて一応泣いてやったし、それが供養と言う事でまぁいいかみたいな。 瞬間とは言え発散したので蠍の月もすっきりしているし。
改めて良い教訓を得た。 情にほだされて行動を起こす前に、最低一時間、出来れば一日考えろ。 蠍の月くんと水瓶の太陽くんは、それぞれの持ち味をいかしつつ、よく話し合って、結論を出しましょうということ。 特に、蠍の月!一人で勝手なことすんじゃねーぞ! まじ危ないから君は。
2007年10月31日(水)
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Happy Halloween
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実は10月の頭からずっと、Happy Halloweenのカード(開く絵本みたいなやる)を部屋に飾っていた。 70円と安かったので、かぼちゃも買っちゃいました。
「コマーシャリズムに煽られて、何で毛唐の祭りに乗ってやらなきゃいかんのだ!?」と。 はい。言った記憶はあります。 自分が言いました。
うーん。人生予想もしない方向に転がるなぁ。 あんまり否定方向のコメントはやめよう。我が身を刺す可能性がある。
もちろん。 Happyの後は、つまり、Halloweenではなく、Birthdayなわけだが。 ったく、乙女だよなぁ。やることが。 楽しいからいいんですけど。
っつーことで(自分に照れてる) 山本さん お誕生日おめでとう。
この先ファンでいるかどーかはわからないが、 有る一時の時間をこれだけ豊かに彩ってくれたことに対する感謝はずっと忘れない。 というより、忘れないようにする。それは仁義だから。
でも、熱が冷めていたとしても、 やっぱり彼が36歳の誕生日をどう超えるかは、気に掛かるんじゃないかなとは思う。
alain
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