2009年05月27日(水)
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ラーメン屋『第二旭』・中島梓・陽炎の辻3打上げ
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ずーっと前にぐっさんの番組に山本耕史さんが出ていた時に2人で訪れてたお店である。 昔懐かしいしょうゆ味ラーメンのお店とも聞いており、 「とんこつじゃなくて、普通のラーメンのお店って最近めっきり少ないなー」と思っていたので、 いつか行きたいお店であった。
最近ちょっと忘れかけていたのだが、中居さま・鶴見辰吾さんのBLOGを見て意欲復活!
クライアント都合でぶっちゃけ非っ常に暇な現在。 行くしかないでしょう!と曙橋へ。『第二旭』へ。
駅からのおおよその方角と住所を把握して、あとはカン。 行ったり来たりはしたが、駅から探し探しでも10分弱で到着。
店は緑に埋もれている。 空いている扉から店を除くと、テレビで見たご主人がテーブルに新聞広げてまったりとしている。
しばし、ためらったが、ここまで来たからには! 「やってる?」 「やってるよぉ。やってますよぉ。」とのりのよいご主人。
カウンターに地元のなじみっぽいおっちゃんが一名。 上ラーメンを頼む。
昭和40年代のセットに紛れ込んだような、時のハザマに落ち込んだような空間。 落ち着く。 下手に芸能人のサインとか写真とかテレビや雑誌の記事の切り抜きとか飾らないところも素敵。
聞けばご主人はここでお店を初めて33年お歳は70代だそうだ。 笑顔があたたかく、ぼやきつっこみが可愛い。 テレビで見たまんま。そのまんまのテンション。誰が相手でも変わらないっていいな。
もてはやされてるところって、顔知れた人しか大切にしなかったりするとこあるじゃない? あと、この間は誰が来たとか彼が来たとか、こっちが聞いてもいないのにべらべら話すご主人とか。
テレビに出ている人が来たことがそんなに嬉しいか?! 社長・会長がご贔屓っつーのがそんなにありがたいか?! (嬉しいのかもしれない・・・。でも、それは表現しないのが店主の矜持かと)
このお店のご主人はそういうの一切なかった。 鶴見辰吾さんのBLOGなんて、ここ最近なはずなのに、ひとことも語らず。 これが真っ当なお店のご主人ってもんですよ。
「よく入ってきてくれたねぇ。あんた良い人だよぉ」と再三褒められる。照れる。 どうやってこの店見つけたの?みたいな話になりー、 で、山本さんが出ていたテレビを見てーとか、言えない所が、自分がイマ1つ突き抜けられないところだよな・・・。
上ラーメン520円。安い。 味はさっぱりしたしょうゆ味。ガツンとしたパンチ力ではとんこつより弱いが、いまや希少な存在だ。懐かしい。 家庭料理みたいな雰囲気かな?派手じゃないけど毎日食べられるというか。
唐辛子とにんにくを入れると美味しいとの事前リサーチを踏まえ、両者を入れるが・・・。 「うちは唐辛子もにんにくもいいの使ってんのよ。」と自慢するだけのことはあった。
唐辛子。予想外の効き。 入れすぎてめちゃくちゃ辛くしてしまった。スプーンに一杯くらいしか入れてないのにー。 そこらの激辛坦々麺よりよっぽど辛かった。 お店の唐辛子って見掛け倒しのこと多いからさー。勢いつけすぎた。
にんにく。香りが立ってました。卓上のにんにくがこれだけ芳しい(にんにく好きなもので)のも珍しい。 麺は細めん。固め。そばっぽい。
ラーメンは嫌いじゃないが、その時は美味しく頂いても数時間経つと、気持ち悪くなる確率がおよそ8割。 体質的に注意が必要みたいで、飲んだ後に食べるなんて絶対無理。不可能。 後の地獄を覚悟して、一時の快楽を求める・・・とのご大層な葛藤になる時もある。 でも、ここのは気持ち悪くならなった。そこもありがたい。
「また、来てね。麦茶だけでもいいから飲みにおいでよぉ。」と送られる。 近くにあったら通いたいねー。 また機会作って行こ。
せっかくここまで来たから、職安通りまわってキムチ買ってこうと、曙橋駅に戻らず適当に歩く。すると!
「まねき通り」商店街
こ、ここかぁー! あの、山本さんがぐっさんと歩いていたあの! 子供の頃からの通学路というあの!
当然。歩くw
隣近所があって、地元のお付き合いがあって、お客さんとお店の人が井戸端話してて、 ちゃんと人が身の丈で生きて暮らしている街だった。
江戸の長屋のシーンが落ち着くって言ってるのは、和むーとか楽しいーという一般的な感覚もあるだろうけれど、 この街に似てるところもあるからかも知れない。
始めて来たけど、ここの空気は新宿の中でも好き。 (職安通りから歌舞伎町のざったなとこも好き。嫌なところは書くのは控えとく、住宅街だから。)
神社があった。一角が公園にもなっている。小学校も近い。 遊んだだろうな〜。お参りもしただろうな〜。とか空想(妄想w)を膨らませつつ、何かのご縁と拝んでまいりました。
その後は、とっことっこと歩いていたら(with 11センチの厚底サンダル。愛称ぽっくり靴) 迷いもせず東新宿に着いたので、キムチとケジャンを買って帰宅。 幸せな出会いのあった日でした。
=================================================== 話は変わる。 中島梓・栗本薫が亡くなった。 自分の中では中島梓の存在が大きい。 杉浦日向子が亡くなった時と同じ寂しさを感じる。
亡くなるというより、pass away。 さぁーっと駆け抜けて、次のどこかにいると思いたい。
=================================================== 話は変わる。最後はめでたい話で。
陽炎の辻の打ち上げのことを各所で読んだ。 200名を超す出席者の分全て、佐伯先生持ちで、しかも、直筆サインつき焼き菓子のお土産も配られたとか。 金なきゃ出来ないが、金があれば皆やるかというとそういうものでもない。 さすが苦労人というか。お金の使い方が綺麗だ。
"映像と活字の楽しい出会い"と言っていただけて嬉しい。 全然役者の非はないけれど、原作者が映像見てショックでノイローゼになってしまう展開は、寝覚めが悪い。
HAPPYなENDINGで何より。嬉しい。
2009年05月26日(火)
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時計無くした!?&アタ男7話のこと
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「あの時計が無い!なくしたかも?!」 時計を無くしたと思ったのは2回目。
1回目はカルティエ。 カルティエの中では最低価格ラインのお品ではあるが、私にとっては唯一の質草候補。 まじ血の気が引いた。 が、エレベーターホールで拾われて、ビルの管理室に届けられていたため、無事帰還。
今回も何とか帰ってきて欲しい。 最近の動線を思い出す。 心当たりを探す。 立ち寄った所のビルの事務所・昼食どころ・ジム・図書館、片っ端からTEL。 でも、ない・・・。
その時計はムーブメントはなんてことないんだけど、ベルトは腕の太さにあわせた特注で、 ムーブメントもベルトの革も文字盤の両脇につけたターコイズのパーツも、 あれこれお店の人と話したり、並べ換えたりして、決めたんだ。。 (サンク・カロで作った) (KOI-MENという恥ずかしい名前の雑誌がアタ男の特集していたが、 そこでキャナメがしていた時計がちょっと似てた。 彼のはパーツがシルバーでベルトの一部がダイヤモンドパイソン。)
時計としたら多分全然高くないんだけど、3万ちょっと出して自分としては凄く高い。 気に入ってもいたから、一日超うつうつ。
でも! あったー!あったのよー! しかも家の引き出しの中にちんまりと居た。
そこ絶対!ぜえったい!探したという場所。 しばし呆然の態ですよ。
気に入ってはいたけれど、あんまり愛情を持って扱っていなかったかもしれない。 あることが普通と思っちゃいかん。 失って見ないとありがたみってわからないね。ほんとバカだ。
帰ってきたジル(見た目ウェスタンなのに何故かフランス風。戻ってきたのを見たときにふっと浮かんだので命名) を大切に愛していきたいと思う。
============================================================================================================ さて、話は変わって『アタシんちの男子』7話。 今回は楽しみようがなかった。作りが下手だなぁとの感想。
不満は大きく3つ。
・長男の父親憎悪が弁護士の話を聞いただけで解けるって、年齢30設定にして幼すぎないか? 実年齢以上に大人な雰囲気のキャナメが演じていることもあり、展開に全く説得力ない。 15年の恩讐ですよ。 それを一分で解く弁護士は京極堂以上の拝み屋だ。 三男の時くらいちゃんと過程を見せて欲しかった。
時間がないのであれば、せめて物証を出すとか、数回にわけて段階踏んで憎しみを緩めてくとかさー。 (例えば、陽炎の辻で言うと、お佐紀さまがおそめちゃんをすっごく可愛がっているって、 話のメインに出るのは4話だったけれど、1話〜3話でちらちらとそれを感じさせるエピを入れてるから流れが凄く自然。これが脚本家の技量だと思う。)
悪いのは全て母親という論旨もどーかと。 じゃあ父親は良い人だぁー大好きだぁーとして、今度は母親憎悪に心固めるんですかね。
・4男の幼い頃の消えた記憶の話ってあれでおしまいかー。 自分をかばって2名死んだ話をまぁあっさりと。 確かに長引かせて場を持たせる演技力を今の彼に期待するのは酷だが、だったらもう少し軽めのエピにしてやれば良かったのに。 話し重いのに扱い軽すぎて、後味悪い。 女性恐怖症くらいなら笑えるけど、人死をちょっとイイ話のネタフリにするな。
・6男は良く見れば美形だが、いかにせん棒過ぎ。 棒にメインはきつい。 その上、シーン引っ張りすぎ。 もうちょっとちゃちゃっとやれんかね。 筋自体は嫌いじゃないんだけど、ここで泣けぇー!ってなシーンをだらだらやられると、かえって冷める。
収穫は。 三男がこなれてきて、キュート全開なこと。 時田さんのショッキングピンクの似合いっぷりw
2009年05月25日(月)
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陽炎の辻3のおこんちゃんは好きだなぁ。
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1と2では、元気のいいという以上にきゃんきゃん煩いし、相手の気持ち見ずにずかずか踏み込むし、実は好感持って無かったですよ。 いっつも、ぶんむくれてる感じもあったし。
そのあおりで、実は中の人にもあんまり良い印象が無かったんだけど、 トーク番組での彼女を見て認識を改めさせられた。 小さな屈託を抱えつつ、独立独歩でしゃん!としてるのに、案外とっちらかして生きてる感じが素敵で、 あーこのままでおこんちゃんやってくれればそれで良いのにーって思ってた。
はちきんで後先考えるより思ったまま真直ぐというところが、何ていうか中の人にはなくて、(むしろ考えるタイプかと) それが勢い余ってあんな感じになったのかなーって勝手な推測。
でも、陽炎の辻3のおこんちゃんは好き。 元気の良さと可愛げも残しつつ、あれこれ乗り越えた大人になっていて、そんなおこんちゃんに中の人がしっくりはまっていて、作ってるとかムリヤリ感が全然ない。 実際に中の人がその年月をきっちり生きてきたというのもあるかもしれない。
5話の磐音様の髪をとかすおこんちゃん。 おそめちゃんを姉さまのごとく見守るおこんちゃん。 プチかげのガールズトークでがんがん攻めてくおこんちゃん。 どれもそれぞれに魅力的で、3にきて、心の底から、あー中越さんがおこんちゃんで良かったと思えた。
ま、おこんちゃんのキャラについては、彼女個人の役解釈というより、脚本家と演出が男性なのも一因という気もしている。 そもそも原作も男性だし。 うざく感じてもしょうがないとこもあるかなーとか。
6話でも、磐音様の留守に家に引き入れて、奈緒様とあれこれ話すとこは、ちょっといけづうづうしいつーか。 勝者の余裕っつーか。 最終話ということで、けりをつけるために奈緒を出したことは理解できるんだけど、 女目線で見ると、底流の勝ち負けとか意地の張り合いとか、おそらく男性スタッフが全然考えていないことを ムダに喚起させるシーンではあったと思う。
でも、実はそんなに私はイヤな感じはしてなくて。 あのシーン違和感ありありな感想を読んで、実はかなり驚いた。
で、思い出したのが。 「水瓶座は男切れ(あるいは女切れ)が悪い」という某占星術家のコメント。 さっぱりしているという流布している水瓶座キャラとは真逆だが、実は・・・と話は続く。
要するに水瓶座は別れた男なり女なりと、よりを戻したいなーとぐだぐだな未練で繋がっているわけでなく、 恋愛はともかく、この人いい感じの人で一緒にいると楽しいしーと、恋愛が終わっても人付き合いを切らない、ということらしい。
異性関係が性愛とイコールマークで繋がらない場合、水瓶座の影響が強い(太陽・月もしくは年齢と室区分によっては金星)と見て良いのではないかと、書いていた。
わかる。
そんな水瓶座の影響が強い自分から見ると、奈緒様に対して残酷なシーンとか言われても、理解出来なくはないが、自分はあまりそうは思わない。 ある人がかなり前に言った言葉で、気に入って度々思い返すのがある。
「読み捨てた雑誌を誰が拾って読もうと気にならない」
奈緒様の状況として、読む前(笑)に無理くり取り上げられちゃったことは不幸ではあったけれども、 今現在、新しい雑誌を手に入れてひとまず満足しているわけでしょう。 ならば、「あの雑誌も読んでみたかったなー。ちと悔しいけど。ま、手元に読むものあるしこれはこれで楽しいから、そんな運命かと。まいっか。」 てな感じ?と思ってしまうんだよな。
捨てた雑誌についても、誰にも目もくれられず、すげなく路上で踏みつけられてたら、それを一時とは言え選んだ自分としてこれまたちと悔しいくないか? また、誰かに拾われて楽しまれてるなら、愛というより情として、ちと安堵するっつーか。
ちくちく棘を出しながらの女同士の語らいも、それがまぁ人間というものだし、ちっちゃな棘でもないと日常のスパイス足りないからね。 陽炎1から繋がる話に綺麗にオチもついて、この流れ自体は悪かぁないと思ってる。
恋愛観・死生観・家族観。 イメージはそれぞれなのだなと再認識したことでした。
2009年05月24日(日)
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陽炎の辻3の第6回!
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並行する話が綺麗に絡み合って、30分とは思えない充実ぶり! 脚本がGJなのはもちろんとして、演出の貢献がどのくらいあるのか?素人にはさっぱり。 でも、4話以降の演出は好きだ。
清水大先生でもw、まぁいいじゃんと思っていたけれど、比べるとやっぱり見劣りがーとか思ってしまう。 痛快娯楽時代劇の激闘編だから、漫画チックなのは受け入れてるんだけど、 大先生のは何かテンポとつなぎが悪いのと、映像加工が見えすぎる。 加工していることに気付かないというのが、加工の技量じゃないかと思うんだけど、 大先生のは、「ぼくはこういうこともできます。」との主張が見えすぎて、そりゃ違うだろうと。
哀しいかな、感性とかセンスって、能力が努力を凌駕するものだから、批難に値するとは思わんが、 自覚くらいは持てるだろうという気はする。
来週の予告はもう!わーとかきゃーとか。 7回の演出も本木さんなので嬉しい限り。わくわくで待ってる。 (待ちきれずにHi先行見るためにスケジュール調整しちゃうかも)
土スタもばっちし録画して見ましたよ! 山本さんは目元にお疲れが見えたけれど、ホントそつなく生のトーク番組をこなす様になったなー。 昔はちょっと見ているほうがどきどきするところもあったもの。
中村隼人くんのフォローも優しく、大人の雰囲気満点でした。 さすがだ・・・。
同日に打ち上げもあったご様子。 クランクアップもしていたんですね。 撮影も終盤にきて、茨城ロケあり、大分ロケあり、おまけにかけもち。 そりゃ疲れるわな。 山本さんも陽炎キャスト&スタッフの皆様、お疲れ様でした。 おかげさまで楽しませてもらってます。幸せだ〜。幸せな春だ〜。
陽炎本編以外でも、プチかげのビビる猫も可愛いし、時田さんはいちいち凝ってるし。
JAMもいい感じ。 最近音楽番組として方向軸を定めたのか、音楽好き垂涎のゲストが続いている。 千住真理子さんの回がきっかけで、『千住家にストラディバリウスが来た日』まで買って読んでしまったよ。 JAMではさらっと流していたが、まさにヴァイオリンに命があって、吸い寄せられるように彼女の元に来る過程を知り、ぞくぞくしてしまった。
コンサート。行ってみようか。 だってテレビで聞いても、あれだけ他のヴァイオリンと音色が違うものを、生で聞いたらどんなもんか。 聞いてみたい。
現在のBGMはモーツァルト。交響曲40番と41番。 『毎日モーツァルト』で毎日聞いているうちに、モーツァルト愛になってしまった。 自分の地平が広がると楽しみも増えるね。嬉しいね。
散歩が好き。 ちょこちょこと歩いたおかげで、都内の各箇所の位置関係とか繋がりとか、 それぞれの街の雰囲気とかが少しずつ分わかるようになってきた。
・浜松町〜三田〜赤羽橋〜神谷町 ・三田〜麻布十番〜六本木〜青山 (青山〜渋谷はOKなので、そこまで道は繋がる) ・九段下〜有楽町 (有楽町〜内幸町もOK。有楽町〜大手町。有楽町〜築地〜晴海〜月島もOK。三田〜内幸町も大丈夫) ・飯田橋〜神楽坂〜新宿 (江戸川橋とも繋がる) ・上野〜御徒町〜湯島 とか。
一番最近では、有楽町〜麹町〜四谷〜新宿。 歩き始めた時は甲州街道を布田宿あたりまで行ってみようかとも思ったのだが、 折悪しくサンダルwith8センチヒールのため、結構疲れてしまい、新宿で挫折してしまった。 だって全然歩くつもりで家出てなかったのだもの。
でも、こうして何をするということでもないけれど、ぶらぶら歩くと、 マーキングとでも言うか、踏んで歩いたことでテリトリ広げたみたいな満足感と安心感はある。 万が一歩いて移動しなきゃいけないときにも、土地鑑あると助かるしね。
歩いていると、一口に都内とは言え、景色は様々だ。 辿ってきた歴史やその土地の匂いや雰囲気が感じられて面白い。 インドレストランが多い道・中華が点在している街・瀬戸物小物類のお店が多い道、 お惣菜屋さんが多い一角、新宿繁華街のお膝元に位置しながらも老人が老人相手に商売している店ばかりが並んでいて、陸の孤島の過疎の島のようなところ、色々。
この前は怖かった。 名前は何とか緑道とあって、大通りの裏の公園+遊歩道みたいな通りだったんだけど、 歩き始めた途端。
「やばい。この通りはちょっとやだ。なんか変だ!」 暴力系の変じゃなくて、オカルト系の変。 早足で歩く。歩きつつ、えっとお経でもと「南無〜」と言い始めるも、中途半端な気持ちでお経を口に出すと、かえって霊を呼びかねないとの話を思い出し、途中で止める。 で、何だか邪気退散に効き目あるものと記憶を穿り返し、「六根清浄六根清浄」と口には出さずに唱えながら早足。
両側には家があったけど、あんなとこ住めん。
ま、オチ言うと、しばらく歩いた先の立て看板に「なんとか斎場こちら」と書いてあって、ああこれか、と。 通り道、なんでしょうね。
空気の違いが判るようになってきたねー。やっぱり場数だな。と思ったものでした。
alain
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