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2009年06月04日(木)

思い癖

あーまずいことしたなぁ〜と思い出したくない記憶は誰にでもある。(と仮定して話を続ける。)
が、事象の大きさとかやばさと、いやな思いの量が比例するかっつーとそうでもない。

もっと、あくどい事酷い事印象強い事あるだろうに、なぜにこれが引っかかる?という思い出がある。
先日、つらつらと思い出していて、いきなり、数十年の時を経て、ホントにいきなり気づいた!

全て"約束"に絡んだ話じゃん!
大学時代ノートのコピーの約束をすっぽかした・ある集まりを飛ばした・
非公式打ち合わせを飛ばした・待ち合わせを意図的に遅らせた等など。

そんなに頻繁な話ではない。
基本的に時間は守る。
が、5年〜10年に一度ほど、自分でも制御が利かないことをする。で、その後数十年たっても後悔する。

人は誰でも「思い癖」があるという。
小さい頃の心の怪我をかばったこと等が原因とも言われている。前世だと言う人もいる。
家系の因縁とか狐付きとか言う人もいなくはない。
原因はともかく、心がネガティブに傾いた時に、止せばいいのにやってしまう癖が人にはあるらしい。

それだ。
キーワードは"約束だ"。

と、やっと気がついた!
共通項が見つかった。そうだったのか。気がついた瞬間、まじ顔が固まった。


1つ引っ掛かりを抜けると次から次へと思い出す。

子供相手にするちっちゃな約束。
それを自分は随分とないがしろにされてきたなぁーって。

もちろん。どこにでもある話。
「今度の日曜日、遊びに行こうね。」
でも、親にも色々都合があり、毎度きっちり守ってやれるわけは無い。
ましてや毎回すっぽかされてきたわけじゃない。
なんで、そんなささいなことをこんなこじらせてしまったのか。

怒らなかったからだと思う。がっかりしたことを表現しなかったからだと思う。

父親に対して、「約束したのになんで!」と怒ることは出来なかった。
何故かと言うと、ほんとの父親じゃなかったから。捨てられたら困ると思った。
父親に対してむかついた顔をしたら、母親が気を使ってはらはらするのもわかったから。

母親に対しても、この人が居なくなったら、もう自分には誰もいないのだと思うと、
全力で何かを主張することは出来なかった。

ああ、そうか。
自分は怒らなかった。がっかりした顔もしなかった。
何も気にしてないふりをした。もしくは自分も忘れていたというふりをした。
「誰も自分との約束なんて本気で考えちゃいないんだ。どうでもいいことなんだ。」と思った。

過去の事例・自分がしでかした約束ぶっちぎりの際の気持ちを、思い出したくも無いが思い出す。
「どうせ、待ってやしないだろうし。何か他にも色々やることあるだろうし。もう、自分は死んだとでも思ってくれ。」
みたいな感情が、言語化されないほどごちゃごちゃなものをあえて言語化するとこんな感情が心の中にはあった。

トラウマの原因を責める気持ちはさらさらない。
「私は傷ついた!謝れ!」みたいなことはお門違い。彼らは彼らで大変だったのだ。
その時、誰にも強制されないのに勝手に自閉した自分にも原因はある。
だから、これはホント、他の誰かを責めようとは思わん。

ただ、もしも、その思い癖が原因で、今か今後の自分が不愉快な行動をしてしまうのであれば、
また、そのトラウマが原因で表情とか姿勢にゆがみが出て綺麗を阻害しているのであれば、
その原因を理解して、昇華するのは有益かと思う。

そっか。そっか。
自分。怒ってもよかったんだ。精一杯がっかりしてすねて泣いても良かったんだ。
そうすれば、なだめられたり、機嫌取られたり、わがまま言うなっって怒られたり、出来たのに。

と、思いながら、知らないうちに自分が泣いていてびっくりした。
不思議だ。でも、溜まっていた気持ちがあるなら流してしまう方がよかろう。

理解しかつ言語化したから、もう二度とやらないとは言い切れないが、
多分今までよりは馬鹿なことしないと思う。
・・・・・"約束"に関する思い癖については。

絶対ぇ、他にも色々あるんだよな。
綺麗の道は険しいのう・・・。

時々思うんだよなー。
何か、あんまり人の役に立ってもいないし、生きてここにいる価値とか理由とかないよなーとか。

でも、自分の中なり魂なりが溜めた澱を浄化することで、感じのよい存在に、
例えば、道端に咲いてる花見て和むみたいに、気持ちの良い風景の1構成要素であれたら、
それって、それだけで凄く価値があるし☆素敵かな☆とか。(☆は含羞か自虐の表出)

解釈論は何も生まないが、そう思うことで気持ちが楽になるのであればそれもよかろう。


2009年06月03日(水)

「アタシんちの男子」の感想 & 身体の変化・夢のこと

「アタシんちの男子」なんか迷走してねーか。ま、真剣に見るもんでもないけどよ。

話の骨格はおこちゃまドラマっつーより、昼ドラかエロ小説だよな。
深層心理のエロを喚起する一種のサブリミナル戦略かしらんとか思ったり。

・借金の精算をたてに40も若い娘を嫁にする。
・旦那が死んでほっとしたのもつかの間、契約には裏があり、義理の息子のOKが出なければ借金が丸ごと残ること発覚。
・義理の息子達には、お金目当ての結婚だと責められる。
・が、その後、次々と言い寄ってくる。(親父と兄弟かよ?!)

SPEEDの『BODY&SOUL』つまり、"意図的かつ逃げ道のあるチャイルド・ポルノ"と同じ匂いがする。


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身体のことと夢のこと。忘れるのでメモっておく。
身体のあちらこちらがぎしぎししているのは、老化なのか組み換えなのか、寝違えなのか?
まず、膝関節と股関節がむずむずとかゆい。
背骨の両脇、ウェストライン(腎臓の位置)が痛い。
マッサージの時に触られて凝っている事がわかったが、麻痺していたのか日常生活で意識したことはなかった。
が、現在座ってるにも寝るにも、痛くてたまらん。
良いことなのか悪いことなのか、ロルフィングと関係あるのかないのかわからん。

また、精神的なことで言えば、第4回の後に、
「深層の筋肉を動かしたので、毒吐いたり気分がわけわかんなくなる可能性あるので、なったら連絡を下さい。」とロルファーに言われていた。

その時はそんなこと無かったのだが、
今思い起こせば、10回目が終わった後しばらく、
日常生活というよりバーチャルな場で常ならぬ毒を撒き散らしていたような気もする。

続いて、夢の話。
髪の毛が抜ける夢を見た。
なにやら生命力の欠落を暗示するらしい。気をつけよう。

別の日。
広い庭と離れのある広大な一軒屋にあるセラピールームのようなところに行く夢を見る。
3人の男の人がやっている。
セラピー開始前にトイレに行くというと、せっせとトイレを掃除してくれる。
そんな夢。

これは一種の浄化なのかなぁ・・・という感想。



2009年05月31日(日)

陽炎の辻7話 & ロルフィング経過など

陽炎の辻7話を見たー。
痛々しい磐音さまに萌え萌えな感想を各所で見たが・・・(いや、私も例に漏れずなのだがw)
なぜだろうね?

"苦悶に喜ぶ"って変だ。
でも、「加虐心がそそられる、人間はそもそも他人をいたぶるのが好きな悪な存在である。」とも違う気がする。
不細工がもだえてたって、なんも嬉しくないもん。

もちろん、愛おしい存在がリアルに苦しんでいたらつらいが、
リアルと乖離した世界では、痛めつけられてるお姿って、うーん、つぼであることは確か。

母性の一種の変形なのだろうか?
全能感の発露?
でも、繰り返すが、あくまでリアルではなくファンタジーでのことに限る。
目の前で手ずから血まみれやりたいとの欲求はない。

では、やはり自分を安全圏においた上でのサディスティック衝動の昇華?
もしくは無意識野におけるあちら方向への連想ゲーム?
わからん。解釈を求む。

萌えポイントはさておき、構成も相変わらず素晴らしかった。

1話からちくちくと重ねてきた磐音さまへの将来選択へのプレッシャー、
道場にての華麗な立ち回り、うなされもせず静かに寝ているだけなのにどっか熱っぽさを体現する磐音さま
(メイクはあるにしてもそれだけとも思えん)
おこんちゃんの葛藤、笹塚さまの侠気、品川さんの男っぷり
陽炎の辻1・2・3のシリーズものならではの歴史を感じさせる磐音さまを取り巻く皆々の愛情、等々、
それら全てが、まるで、重箱に盛られたおせちのように。
一つ一つが願いがこめられた大切なお菜で、かつ、全体として見た時にそれぞれが
補い合い引き立てあっている極上のおせちのように。

素敵でした。


でも、泣きは入らないんだよなー。磐音さまでは一回も泣いてないや。
自分の泣きのつぼは別にあるみたい。


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シンクロニシティと解釈したければ出来る偶然の連なり、つまりは、現象が受け手に取って絶好のタイミングにて起こることが、ある。
先日のこと。
人待ち中に何気なく取った本、題名も覚えていないが、あさって方向に勢いがついてしまった精神科医が書いた本をぱらぱらとめくったら、こんなことが書いてあった。

・わきの下が固い人は、そこに、人から受けた非難とか自己否定が溜めている。
(何分立ち読みなのではっきり覚えてないが、大筋はあってると思う)

おぅ!?なんだこれ。
あーでもわかるかも。と、ページを続けてめくると。

・そけい部がこりこりと固いのは、今世もしくは前世(精神科医が前世とか書く時代になったのかー)に、
女性性を傷つけられたないしは否定されたことの恐怖感がある。

うーん。これもなぁ。
人に見てもらった前世では、ナイスバディのねーちゃんだったおかげで地元の有力者に愛人になれと迫られるは、
断れば嫌がらせされるわで大変だったそうだし(なので、今はその反動で少年のような外見を選んだんですとか言われて、ほっとけ!と思った)
自分の頭の中には、発言権もなく存在価値認められず、くらーく日々を過ごした人という前世の絵もあるし。

確かに、芳醇な女性性を堪能してこなかった、とも思える。

そけい部は、特に左側、ロルフィングのおかげかなんか、右側は真直ぐ伸びているのだが、
左側は「これ骨?!」っつーくらいの筋肉のしこりがある。


「マッサージをすると、触れられた場所に応じて、脳内に過去体験のイメージ映像が脈絡無にぽつぽつと浮かぶことがある」と言う人もいる。
(私はないが)

身体のあちらこちらに記憶を蓄積しているというのは、ありえない話でもない。
ほぐすことでトラウマとやらを解放することが出来るのだろうか?

それはわからん。
が、こりをほぐして悪いこともなかろう。

かえすがえす、山本さんが出ていたさんま大教授のVを消したのは失点だった。
あれ、最初にそけい部マッサージするじゃない?プラス骨盤揺らしもふんだんに入り、肩甲骨伸ばしもあり、
動きは妙だけど、かなり自分には必要な動きがふんだんで、かつ、あの、
メランコリックだか投げやりなんだか前向きなんだかわからん歌も、好み。

V取って置けば一緒に出来たのにーと思いつつ、記憶を頼りにやってたりする。

あ、身体の動きで思い出したが、スイートJAMでラテンダンスやってましたね。

あれは、表層の筋肉を緩めて、普段の動きであまり意識して使わないコアの筋肉を使わないと難しいんで、
鍛えている人ほど、ぎこちなくなるんだよな・・・と山本さんの動きを見ていて思った。
コア使うのはともかく、表層を緩めるって、案外大変なもの。

私も最初全然出来なくって、鏡見て&筋肉図見て、色々考えたもん。
(↑結局、体感ではなく、理解なんだなぁ私のアプローチって。)



2009年05月30日(土)

歩く!歩く!

皇居のお堀端から甲州街道を布田宿まで歩く意気込みでスタートしたにも関わらず、
途中で挫折したことが、存外心に引っかかっていた。
ちくちくするのでしかたなく、先日リタイアした地点(=笹塚)からリベンジすることにした!
季節的にこれ以上暑くなるときついので、やるのであれば急がなくてはとの思いもあった。

ある日。
ウォーキングシューズっぽい靴を履いて家を出る。。
これがまずかった。

歩きやすい靴を履きなれておらず、結果、オニの靴擦れ(泣く)
そこかしこが痛い痛い。
(夜靴を脱いで確認したところ、左右合計6つの水ぶくれ。破れないですんでまだ良かった)
こんなことなら歩きなれたヒール靴の方がなんぼかましだった。

甲州街道を一路西へ!
高井戸宿近辺で止めようかとも思ったのだけれども、
ここで止めたらまた心に引っかかるなーと思い、残りは意地だけで歩く。

地下鉄の一駅は近いけど、郊外電車の一駅は案外遠い。
そこかしこがひりひりする足をだましだまし、2時間とちょっとで布田宿近辺に到達。

以下、わかったこと。
・皇居周辺からであれば、ゆっくり歩いても、多少迂回しても、一日あれば何とか家に帰れそうな見込みがついた。
距離的には問題なし。翌日に筋肉痛とかもなし。(靴擦れ以外は)
となると災害時の問題は、道路や建物の破壊状況と、どの程度迂回しないとならないか、あと水ね。

・2時間ノンストップ休憩なしで歩いた。
全く喉が渇いているとは思わなかったが、到着後水を一度口にすると、常ならぬ飲みっぷり。
相当水分足りなかったらしい。
5月でこれだから、夏は相当量を持って歩き出さないと途中でやばい状況になりかねない。

・混んでるとか遅れるとか、文句ばっかり言ってすまん。
立っているだけで進む電車って素晴らしい!しかも数百円!しかも時には座っているだけで進むんだよ!
もう、何て素晴らしいんだろう!VIVA電車!

・万が一、地震などで交通機関が遮断された場合、
最初は徒歩でもどこかで路面が無事になったら、途中の家なり道なり店なりから、自転車を奪取しよう。
(↑泥棒です)
自転車なら全然問題ない距離だと思う。

・道場のある試衛館(牛込柳町近辺と言われている)から日野に出稽古って、それ移動で一日かかる。
(いや、もしかして早朝出て、昼頃にはついていたかもしれない・・・。何たってトシの鬼アシだもの。)
っつーか、京都にだって徒歩で行ったんだからな。
江戸時代の人は健脚だ。凄い。
でも、歩く以外の手段。車輪もの。例えば木製の自転車とか考えなかったのだろうか?

マーキングするかのように、あちらこちら踏んであるいている。
今までも機会はあったはずなのに、全くそんなことしようと思わなかった。
自分のやっていることがちょっと不思議である。


2009年05月28日(木)

ロルフィング終了後の経過観察

歯を磨いていて、鏡を見て驚いた。

何この口に開きっぷり!
自分の口はこんなに大きく開くんだ。

舌の力を抜いて口内と喉を緩めることを心がけているので、その成果なのかもしれない。
頬の緊張が抜けてきたようだ。頬ってこんなに伸びることを知った。

頬が活性化して、ほうれい線がなんとかなるといいなぁ。
10代の頃から早くも気になっててさぁー、今最大の憂鬱の種ですよ。
「舌と口内の力抜くと、顔の表層の筋肉は逆に上がるんですよ」との、ロルファーさんコメントをしばらく信じてみるよ。

この間、死体について書いていたくだりを読んでいたら、
「死んだ人が穏やかな顔になっているのを見て、遺族は大抵「仏様になったんだねー。」と言って喜ぶが、
何のことはない、それは単なる筋肉弛緩である。」という話が出てきた。

鎮魂の思いとか成仏とかは話がそれるのでスルーすると、
つまり顔面の筋肉が弛緩すると穏やかないい顔になるってことじゃん。

力抜くと間抜け顔というもんでもないのか。。。
ぼーっとした腑抜け顔はそれはそれで、憤怒と不安の隠匿である場合もあるからな。
どこかにストレスが掛かっているのかもしれない。

ロルファーにも「力を抜け。筋肉への神経回路を切れ。」(現状によるので万人に当てはまるわけじゃないかもしれん)と言われてきたから、行き着く先は"仏相"と思い、顔を緩めることにする。


ロルファーからは色々アドバイス頂いたが、あっちもこっちも全部を一度にやろうとすると混乱する。
覚えられるのは精々5つくらいだろうと、5STEPにして、しばしば繰り返すようにしている。

それに、矢山利彦の"あいうえお"の呪文(?なんていうのかな。言霊修行?)ものをくっつけることにした。
要するにあのジャンルの方です。

・有難うって言ってるといいことがある。
・あんまり食べなくても、瞑想していると元気になる。
・現実は思念の物質化だから、良いことを考えていると身の回りに良いことばかり起きる。

素晴らしい。
じゃぁ、ルワンダとか北朝鮮に食料のかわりに、セミナーマニュアル送ってやれよとか思ったりするのですが。
カカオ農園とかネパールで債務奴隷している子供に、楽しいことだけ考えてれば、現実化しますよっって、
言ってやれよとかね。

毎日毎日「ご主人様が[君達の借金は今日限りで全部チャラです。学校にも行くといい。学費も全部出してあげるし、食事も毎回家族と一緒に食べにおいでよ。あ、家ね。あの離れに済みなよ!]って言ってくれました。ありがとう。」
って考えてるとちゃんと現実化するんだよって、言ってやれよとか。

結局、衣食住全て満たされて、「でもなぁんかこれでいいのかなぁーって思うのよねぇ。」
みたいな満ち足りた貴族の娯楽という気もするのですが、これらの"幸せ思想"って。

でも、地球上で日本人ってある意味、一部特権階級貴族だから、いいの。
役立つのであれば何でもやろ。お金も掛からんし。上手いこといったら儲けもの、何も変わらなくても実害はない。

ということで。
(↑相変わらずイチイチ理屈が煩い)

あいうえおの呪文に合わせて身体の力を抜くことにした
(呪文の言葉は微妙に色々違うので、MYバージョン)

あ(ありがとう)で、舌と口内と喉の力をすぅーっと
い(いとおしく)で、鳩尾から腹の力をでれっと
う(うれしい)で、後頭部から仙骨をとろりんっと
え(えんじょい)で、恥骨と骨盤全体をとろとろっと
お(おおらか)で、頭から脚まで全身をざーっと

天然で良い人は日常過ごしているだけで充分なんだろうが、
自分は自在にしていると絶対負に走るから、呪文の1つでも唱えて悪いことはなかろう。

ひと夏目安にやってみる。忘れなければ。


alain

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