2009年09月08日(火)
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『RENT』の感想 再び書こうとするも・・・
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去る8月20日に見に行った『RENT』について、舞い上がった気持ちがようやく落ちてきたので少し書いて見る。
夢のような時間だった。 との基本軸には変化なし。
アンソニーとアダムが出てきて、『RENT』が始まって。 あぁ本当にこの時が来たんだ、そして今自分は観客席にちゃんと居るんだ。 現実に彼らが視界に入て、『RENT』の舞台を作っているということが、感動だった。
その後は結構泣いてた。ずっとじゃないけど。間歇的に。しかも表情はゆるがず。 表情を素通りして心と涙の直接繋がって、意味不明の涙がつらつらと出ていた。
ストーリーで泣くとか、 アンソニー&アダムだ。きゃー!というのでもなく。
感情ではなく、表現が難しいのだが、 心が揺れて、揺れたことで心から零れた水が目から溢れる状態。
あ、やっぱだめだ。 これ以上は書けん。 ただただ、見ることが出来てよかった。
子供の頃から土方が好きで、大河で山本耕史さんを知り、彼のRENTへの思いを知り、 彼がそれだけ思い入れるものはどんなもんだろう?と映画を見、作品自体に惹かれた。 その後、映画版のサントラ、初演BW版CDを買い、2007年の来日公演を見、TTBを見・・・。
縁としか表現する言葉が見つからない。 1つでも途切れていたら、ここまでこれなかった。
どこの誰に何を言ってよいものやら、だが、とにかく全てに感謝する。 中でも山本さんとジョナサンには最大限のThankYouを。
『Will I』の時は流石に気持ちから泣けた。 あぁこの曲を好きだった人がいたね、と。 自分が明日目覚めるか?という状況になった時、この歌は脳内でどう鳴るのだろうか?と。
2009年09月07日(月)
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終わりの始まりか 始まりの終わりか
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ペニンシュラホテルにXO醤を取りにいく。 8月中旬に無くなったので買いに行ったら、新聞で紹介されて人気沸騰とかで、お取り置き予約になってしまっていたのだ。
うーむ。人のことはいえんが一瓶5800円のみそが品切れかぁ。 新聞のコラムだけで58だすかぁ。ホントに不景気か?
噂は聞いていたけど、中々踏み出せなかったもの。 結局某所から貰ったんだが。 使い出すと、実はコスパは悪くない。(あれ?これ前にも同じことを書いたような) 普通のもやし炒めにちびっと入れるだけでプロの味になる。 冷奴にトッピングするだけで、どこぞの付き出しになる。
話は変わる。 資生堂のメンズキャラ4人のCFを見た。 確かに今若手イケメンっつたらこのメンツかもと思った。 春馬・小栗・妻夫木・瑛太 足すなら、たけるっちとか松ケンとか? むかいり・しろたんはまだ弱いか? それか水嶋ヒロか、松田弟とか?
○ャニーズが混じっていないことに違和感がない。 SMA/TOKIO/kinkiの全盛期はこうじゃなかった。 趨勢に翳りが出てきているのは確か。 (混ぜるなら誰だろう?まつじゅんなら不自然さはない。山Pはうーん何か色が違う感じ。 かつーんは誰が来てもランクが違う印象。嵐のまつじゅん以外ではニノは方向性が違うし、他のメンツを並び入れるのもなんか変)
はかばかしくない新規開発への焦りなのか、○ャニーさんの後顧の憂いを消したいのか、 最近の○ャニーズむりくりと抱き合わせは露骨だ。
SMAは今まで抱き合わせ販売はしていなかったのに。 今回はいずれのドラマにも後輩を押し込んでいる。
それはまだしも、夏の火10のむりくりはあまりにも無理やり過ぎないか。 タマは何だったんだろうとか思ってしまう。 実弾(つまりお金)、見返り(他のタレントのBOOKING)、それとも?(想像力が貧困なんで出てこない)と 邪推の余地がありすぎてつまらん。
でも、セット販売なぞ、どこの事務所でもやっている。 ○ャニーズだと目立つだけだ。
○ャニがはびこってると無意識につぶやきつつ、 でも、○ャニという人はいないのだ。どこにマネージメントを委託しているかの話であって、その人じゃない。 先入観や色眼鏡で見るのはどうかと省みて反省するとことはある。 一属性だけで人を見て、その人本人を全然見てないねって。
イノッチが前にエッセイで、○ャニでいることで確かに仕事で恵まれていることは否定しないと書いていた。 でも、だからと行って待ってればなんでも与えられるわけではない、ということも(ここらへん記憶が曖昧)
努力家だな。真面目で真剣で凄い人だな、とは思う。イノッチも好きだ。 けれど、同じ努力をしていても何にもふってこない人がほとんどなのだよとも思う。
可虐心の捌け口にしたいだけなのだろうが ○ャニーズ帝国の終焉。見たいねぇ。
人の不幸せを見たいとか 虫の手足を引きちぎる行為とか、 それは人間の本質なのか、生育の過程で生じた歪みの発露であり、本来的に備わるものではないのか?
そこが未だに判断できない。
善は急げ。 とは違う気もするが、髪切りに青山へ。
こざっぱりしていい感じ。となるとお洋服も欲しいですねぇ・・・。 9月の連休に買い出しに出るか。
『覇権の、いや違う、変換の最初にこの漢字がでるのもどうかと思うが、もとい。 派遣のオスカル』見ました。
REN様。 渋くて素敵でございました。
が、ファッションと言い、台詞といい、REN様だけでなく、ドラマ全体の作りとして、 あえて笑いを狙っているのか、真顔なのかわからないところが微妙。
ビジネスの席で身内をおじいちゃんと呼ぶ3代目は、それだけでだめでしょう。 「いっちょうやるか」って時代劇ですか。 あの千鳥格子はどんなもんでしょう。 随分お手軽な説得で転ぶなぁ・・・などなど。
来週も出るそうですね。 ザッピング視聴はするつもり。
全体を見られないのは、田中れなの外見(内面知らないから当たり前)が好みじゃないから。 まず、顔が場末のキャバクラくさくていや。おでこの皺も貧乏くさい。 あの喉を絞った発声に肌がざわつく。 などなど。
文字にすると、改めてひどい事いいやがると思う。 でも、芸能人に限らず、脚本家でも監督でも、音楽家でも画家でも作家でも、人前に出るって事は、 好き勝手にあれこれ言われるって事とも思う。
けれど、それは普通の生活だって同じだ。 こいつ太ったなとか 歩き方がブサイク〜とか 気はいいんだけど、ものの食べ方がだらしないとか
街で視界に入った人、友人知人、親戚、家族。 人が人を見たら何かは思う。 「ネガティブな感想は一度も持ったことありません。」 そんなやついねーよ。
って、気にしだすと、ひきこもりとか視線恐怖症って極めて真っ当な反応だ。
とはいえ、そうも言ってられない場合、どうするか。 1.鈍感でそもそも自分があれこれ評定されていることに気付いてすらいない 2.気がついてそれをエネルギー(取り込むにしてもはじくにしても)にする 3.一挙手一投足を評価されているのを知りつつ、気にしない
今のところ、私は3を選択。 誰に何を思われても、それは私を傷つけない。 物理的な力でないもの、視線や言葉は私を傷つけない。心が傷つく?それは幻想だ。
という解釈を選択中のため。
このまま秋。なのかなぁ。 朝起きて朝から全開に暑いと、命をカンナでけずられてる気がするのだが、 涼しいとそれはそれで寂しい。
夏も終わったし。 そろそろ髪の毛も切ろうか。(夏は襟足出したいのでまとめてる) 秋服も欲しいなぁ。
一つ買うと弾みがつくのか、あーやっぱりおもちゃじゃなくてちゃんとしたバッグ欲しいなぁ・・・。 いやいやいやいや。いかんいかんいかんいかん。 秋のバカンスにつぎ込んで、まじ、ど貧民なのに。 1月には冬のバカンス(=北海道でSKI)もあるのに。(って自分で決めてるだけ)
今の悩みは1月の休みをどう切り出すか・・・。だ。 10月は夏のバカンスであって、冬のバカンスとは別だ!と何とか上手く話を持っていくしかない。
あ、バッグって言えば、Cherのキャンパスバッグの氾濫。あれ何? 以前付録であったとき一瞬買おうかと思ったが、買わなくて良かった。 今更恥ずかしくて持てねーよ。 この展開は一体何なんだ?急に現金でも必要になったんだろうか?
Cath Kidstonも多いね〜。 珍しい頃はカントリーで可愛いとも思ったが、インテリアなら大丈夫だが、最早バッグは無理。
2009年09月02日(水)
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高機能自閉症のプレゼン巧者
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ここ数日。気持ちが大波に洗われた小船のように揺れまくっていた。
突端は。 とある文庫本だった。 『アスペルガー症候群』=高機能自閉症の妻との暮らしを書いたノンフィクションエッセイ。 (題名は『僕の妻はエイリアン −高機能自閉症との不思議な結婚生活−』)
購入して、読んで、呆然とし、読んで、ほっとし、読んで、気持ちが抜け、読んで、 もう気持ちの整理が混乱しすぎて何を考えているのだかわからなくなってしまった。
私は自分のことを、 "人嫌いで理屈屋、他愛ない世間話が苦手で、 空気が読むのも不得手なので、人といるとそれだけで神経が疲れる人"と思ってはいたが・・・、
自分『アスペルガー症候群』なのか?そうなのか?
空気読めない 非言語的表現がわからない というコミュニケーション障害という点以外に当てはまるところが多すぎる。
・聞いた音を言語化し、さらにそれを理解するという回路が弱い。 (学生の頃ほぼ授業を聞いたことがない。聞いても、というより聞いたらわからないから、授業中は話を聞かずに専ら教科書を読んでいた) ・言葉が良く聞き取れないのに加え、いきなり会話モードに入れないため電話が苦手。基本的に出ない。 ・痛みに対する鈍感さ(たしかに靴擦れ出来ても平気な顔しているため、ありえないとは言われる) ・癒し専用のタオルケットを持ってる ・幼児期の記憶が鮮明で映像的 ・基本、布団を頭までかぶる ・熱があってもわからない ・食べることを忘れる ・人の顔が覚えることが致命的にだめ。(そのくせTVに出る芸能人の顔は覚えられる) ・視線を感じることが出来ない。 ・五感過敏。 ・視覚情報が多すぎると疲れるのでサングラスで制限。(中学生の頃ほぼ前が見えないほど目深に帽子を被っていた) ・人と視線を合わせられない(日頃は努力しているがかなり苦手)
本の主人公である『アスペルガー症候群』の妻の振る舞いが資質が好みが悉く自分であった。
一応、数字も多少扱えて、複数のこともある程度こなせる(正確には同時でなくシングルタスクを短く切り替えてるだけ)ため、辛うじて社会生活を送ってはいるが、もう半歩踏み出せば立派な障害保有者だったのだなぁ・・、今更気付いてもなぁ・・・。
母。お宅の娘は自閉症の一種だったよ。 脳の作りやはたらきが普通とちと違うそうだよ。そして、それは治るものではないのだとさ。 ま、多く見積もると6%程度の比率ではいるそうだけどから、そう珍しくもないんだけどね。
と、脱力した気持ちで週末を過ごしていた。 週末にはもう一つ気が重くなる要因もあった。
週明けに必須研修があったのだ。それも「プレゼンテーション技法」 人前で話すことが苦手です、という人はいる。 が、それは数人から数十人の前で何かを発表することが苦手という意味だ。 私の場合、文字通りの人前、一対一だろうが仕事の話じゃなかろうが、とにかく人が前にいるだけで苦手。 話をする以前に、すると思うだけで緊張する。
そもそも人とさしでコミュニケーションが取れない人間に「プレゼン」教えてどーすんねん! それに私『アスペルガー症候群』(高機能自閉症)だしぃ、と思いつつ出ないわけにはいかない。
プレゼン演習。ビデオ録画つき、講評付き。
気が進まないながらも研修に参加し、さらなる大波が気持ちを揺らされることになる。
第一回目のプレゼン講評。 手は震えるし視線は泳ぐ。内容は支離滅裂。デリバリはで早口でぐだぐだ・・・と どーせそう書いてあるんだろと、他受講者の講評を見て腰を抜かすほど驚いた。
声のトーンが良い。 落ち着いている。
えぇっ!誰それ。
さらに講習は進む。演習を繰り返す。 何だかわからんが、どんどん上手くなっていってしまっているようだ。 周囲のコメントが褒め言葉だらけになっていく。
・アナウンサーのように流麗で、かえって心地よく聞き流されてしまいそう ・笑顔がほっとする ・アイコンタクトで訴えかけてくる力がある(だから人と目を合わせるのだめなんだってば!) ・声が通る(うそ・・・)
そして最後。再びビデオ録画。
研修担当には言われる。 「たまに居るんですよね。プロのアナウンサーレベルの人が。もしくはかつてナレーターをやったことがあるという人。」 その他講評 ・素晴らしい ・アイコンタクトがきちっと取れている ・伝わりやすい ・抑揚やジェスチャーが効果的 ・最早、指摘点はない
何が起こっているのか事態が把握できない。 魂を抜かれたように呆然として帰宅。
自分。何なんだ? コミュニケーション力ないんだよね? 自閉症、かつ、プレゼン上手、わけがわからない。 自閉症って考えすぎ?。いや、偶然にしては症状が一致しすぎてる。
数時間考えて、気持ちが落ち着いて、何となく判ってきた。 矛盾はしていない。
多分。 多分なんだけど、ある種の『アスペルガー型』の人はプレゼンが上手くなる可能性は高い。 それも人の数倍の早さで。
発達障害とは、脳の構造が人と異なるために子供時代に無自覚に身につけられる、相手の気持ちを察する、場を読む、場に合わせるなどの社会的能力が身につけられないことであるらしい。 それ故に、後年意識的に一つ一つ身に着けて能力の不備を補っている。 だから、人との何気ない世間話の声の高さ、音質、言葉の早さ、笑顔一つ、間一つ、無意識じゃない。 全て学んだこと。 心理学の本、演出家の書いた表現の本、ロルフィング、周りの人の観察、テレビドラマなどなどから、腕を上げるときはこう、哀しい共感はこの表情でと、全て意識的に理解して実践している。 私の場合、全ての振る舞いが自覚的。いわば演技。
なので、かえってプレゼン講習などで、お手本見せられて「こうです!」と言われると、 すぐ真似られるのだろう。
うん。わかった。 と、何らかの論理展開がオチないと気が治まらないところも『アスペルガー型』の人であるらしい。
alain
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