寒波のサホロは寒い! 氷点下15度。
「このままでは指が死ぬー!」と指をぱたぱた叩き合わせつつ滑る。 リフトの係員に「顔真っ赤ですよ。大丈夫ですか?」と心配される。 ・・・ちょっとした凍傷です。大丈夫ではありませんw しかも、粉雪で顔をピーリング。 顔は赤く荒れているのに手触りは妙につるつるなのでした。
色々ありつつも無事帰京。 今年の冬休みもお終い。 毎年同じホテルに泊まるもんで、どんどん従業員に知り合いが増る。 こうなると中々に場所が変えにくい。(上手い戦略だ。っつーか客商売の基本を抑えてる。) まぁ食事美味しいから良いんだけど、ClubMedにも興味はあるのよねー。
帰りに一泊した札幌も雪の中。外気温はおよそー5度。 札幌で見たTVでは「東京でも1.2度と寒いそうです。」とお仕事声で話した後、 「我々に言わせれば大して寒くないんですけどね」と付け加えていた。 でも、湿気がないと体感温度ってかなり違って、今日の東京の5度は札幌の−5度と同じくらい骨身に染みた。
札幌での夕食は雪のためホテル内で。 そうお腹も空いていなかったので軽食程度と思ってホテルのバーを選択したのがうっかりさん。 カクテルが予想以上に美味しく・・・えっと順に ギムレット⇒マルガリータ⇒ホーセズネック(ここで終えようと思ったが)⇒マティーニ⇒マンハッタン と空け、飲み代だけで8000円を超えるという。 むしろ大人しくレストランでセットメニュー頼んでいた方が安上がりでした。間抜けだ。
さて、来年の冬休み用にどんなに寒くても大丈夫なインナーとスキージャケット&手袋(だって破れてきてるんだもん)を買お! モンベルかパタゴニアあたりでどうだろう?
今年のSALEは大して何かを買いに行く気もないし。 あ、でもブーツ買った。 10月頃だっけ?SALEで2万買ったブーツが安っぽく、しかも人にまで「安っぽっ!」とけなされ、 おまけに履き心地も悪いという最悪な展開で・・・。
もうあんまり辛かったので、多分20回は履いたから一回千円ということでと理屈をつけて廃棄決定。 短い命でした。合掌。 新宿伊勢丹のSALE(でもSALE)で、また、ロングブーツ買いました!! あぁ馬鹿だ馬鹿だ。
でも可愛いからいい。 今度は履き心地も念入りにチェック。底もチェック。縫い目もシルエットもチェック。 大丈夫と思って購入。色は黒。折り返しを伸ばすとニーハイにもなる。ヒールは多分9センチくらい。 価格はSALEで4万。
っつーか先の2万だって結構な値段なのに、どーしてあんなに安っぽかったのか。 どう見ても5千円の品に見える。 が、まぁ過ぎたことはいいや。
明日はさっそく新作ブーツで出立。
冬休み中の脳内リピは"半兵衛さま&半兵衛さまLOVE同盟"の物語。もとい『二人の軍師』 あー半兵衛さまはホント美しかった。 そして悪の華、魔王信長様。歌舞いたいでたちが浮世離れした艶やかさ。
1か月は脳内再生で楽しめそう。 (もちろん録画もしておりますが)
舞台の山本さんは無敵なのだけど、映像のもリピできるからいいなぁ。 鮭のルイベも良いが、パックのスモークサーモンも美味しい、みたいなものか?違うか。
2011年01月03日(月)
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主に『二人の軍師』感想
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ぼーっとしている内に歳が明け。
日々は地続きとは思いつつも、どっか風が吹くようなすっきりした気がしたのは、 30日に水星の逆行が抜けたからか?
色々日々の移ろいはあったのだが、『二人の軍師』で全てすっ飛んだ! 案外(失礼)に見ごたえがあり、邪な想いは別としても、番組としてかなり楽しく見た。 見終えての感想。まず第一に
高橋克典さんの事象把握力と表現力すげぇ。
彼については実はちゃんと演じているところは碌に見たことがなく、そのくせBSのわんにゃん番組は毎週見ていたという偏ったINPUT。 それらでの印象は、"心の躾の良い人"。 欲を表に出す役(物欲にしても色欲にしても)をやってぎらぎらしても、ざっぱくでもいやらしくても、卑しくない というか。
番組見ての、その印象に基本的に変化はなし。 『野心家でぼんぼん』な黒田官兵衛は適役だったのではないだろうか。
そして前述の通り『事象把握力と表現力すげぇ』の印象が追加された。
まず、一つ目は竹中半兵衛さまを評して"美人薄命"。 30代半ばの男捕まえて、いくらなんでも美人はなかろう。ヲタでも恥ずかしくてそうそう言えん・・・・と思っていたら・・・ 放送見るとまさに"美人薄命"そのもの!!
もう一つ。"この物語は二人の軍師だけど主役は竹中半兵衛" 竹中半兵衛は早くに死んでしまうし、W主役とは言え、クレ順は官兵衛のが先だし、京都ロケの話でも高橋克典さんは一度も飲みに行かなかったというに、もう一方の主役の山本さんには飲みに行く時間があったようだし、出番少ないのか?(彼の体力は侮れずと思いつつも)とも思っていた。
確かに出番は時間で測ったら黒田官兵衛さまの方が多かったのかもしれない。 が、確かに話の主役は竹中半兵衛さまであったように思う。 『組!!』の主役が1シーンしか出てない"かっちゃん"であったのと同じく。
一目散にターゲットの真ん中を射抜く人だ。と感じた。
後は箇条書きで ・最後の官兵衛の横倒しいるかぁ? あのまま立ったままでも良かったのでは? あの倒れ方何かに似ていると思い、それが江頭2:50だと思いいたってしまったおかげで、笑いなしでは見ることが出来なくなってしまった。
・秀吉さまの半兵衛LOVEっぷりが凄過ぎて笑える。 ・官兵衛さまも口を開けば「半兵衛さま、半兵衛さま」と、皆さまに愛されまくりです半兵衛さま。
・斜め横顔ショットが多いのは監督の好みでしょうか? 『彼岸島』でも『磐音様』でも美人さんに撮ってもらっていたが、ここでもか。 ・でも、ライティングはNHK撮影部の方が好きだなぁ。柔らかいし影があるし ・涙が似合う似合う。しかも瞬きせずに涙をぽろぽろとこぼすから。女優泣き。 ・総合すると、今回もヒロインということでOK? (前回は土方) っつーか姫に見えた。 ・相変わらず、演技が細かい。順撮りでもあるまいに、どんどん声が細くなってく。 秀吉さまとのシーンで座っているだけなのに、肩で息していて、見ているだけで肺が痒くなりました。
・監督&脚本家からの印象でお仕事評価が最初に来たのがかなり嬉しい。 自分も多々評価をするからわかるんだけど、お仕事仲間からの評価で、人格が最初に来るのは必ずしも名誉なことではない。キム・テギュンの時も同じことを言ったっけ?
・かけ足ではあったが7時間でも十分に疲れた。。。図解を使って上手く纏めていたと思う。 ・予算のことは語るまい。『坂の上の雲』の何分の一なのだろうか。 時には手に入るものだけでやらなきゃいけない時もある。
・二兵衛と秀吉。そしてその家族&家臣。+信長&YAMADA電気店長以外の扱いが軽いこと。 あの人がこれだけ?もしくはエンディングで名前見てあの人どっか出てたっけ?な状態。 案外に大きなお仕事なのだなぁと再認識。 そして、大手事務所は売り出す時には力づくでPUSHするが、一度Major外れると切ないなぁとも思った。 まぁ一度は良い思いをしたのだから、「あとは自分の力でやれ、青年。」っつーことだ。 が、台詞回しが今一つなのが惜しい。
・なぁんか制作部と営業部の統率が上手くいってないのか?と思うこと多々。Pの力不足? 制作発表での官兵衛さま押しと、エンディングの二兵衛の並列表記が平仄合ってない。 しかも番組の内容が半兵衛さまLOVELOVEだ。 夕陽を背負った土偶のような宣伝映像と、ポスターや番宣映像のINDEX画面とかも統一が取れていないし。
・そんな色々な卑しさもほのかに感じつつも、制作者の誠意ある取り組みは感じられました。 ・多分、座長の高橋克典さんの真摯な姿勢が一本背骨としてあったように思う。
さて、正月は終え、明日から仕事を・・・・ 休んで北海道にスキーなのでした。
2010年12月27日(月)
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GODSPELL関連で書き遺したことを。
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まず22日の件。観客席で知障がずっと歌うは叫ぶはうなるはしていた件。 「自分なら絶対、係員に文句言いにいくな〜」と言われた。
その気持ちはわかる。 が、全く大人しい方ではない私がNoReactionで終えた。
その思考過程を書く。
「観劇マナーを守りましょう。人の邪魔にならないようにしましょう。知障であろうとなかろうと。」 わかります。その意見も。
が、もろ手を挙げて賛同することが出来ないのだ。
観劇マナーって誰が決めたの? 手拍子だって音は出る。それはOK? ROCK Concertとかだと逆に、じっと固まって座っていると雰囲気壊れると言われかねない。
その場をの空気を読んで、世間にあわす。 自分の好きに楽しむより、空気読むことを上に置く、「常識でしょ」「普通そうでしょ」 反抗しようにも実態のない束縛に縛られることを窮屈に感じ、悉く逆らってあえて無視して生きてきたのに、 人にはそれを強制するのか?!
それが第一。
そして第二が、『高いお金を出して行った元を取りたい』という根性って貧乏くさくないか?との思い。 江戸時代の歌舞伎や相撲の興行は、言うなれば、生演奏レストランのようなもので、 食事したり、知り合い見つけて話したりしつつも、「あ、この曲好きなのよ」と時折見る という程度であったらしい。 そもそも電気の無い時代、そうクリアに舞台が見られたとも思えない。
何か楽しかったよね。
ってその程度で良いのではないか? 一ミリも漏らさずに食い入るようにって、そんなケチくさい (とか一々書いているのもケチくさい)という気持ちもある。
なので、もう、正直どうにもリアクションが取れなかった。 どうすれば良かったのかね?
その他、書き落していたこと。 ・耕平くんが、外人のかつらをかぶった剛くん(SMAP)に見えると思って以来、もうそうにしか見えない。 ・『フラニーとゾーイー』に出てくる"太っちょのおばさん"のことを思い出した。 「太っちょのおばさんのためにちゃんとやるんだよ」って。 太っちょのおばさんは誰でもあり、それがキリストなのだ、と。 ・明恵上人の「あるべきようは」とか。 どんなものにも、それにふさわしい有るべき様を持っている。と。それは有るがままでではなく、意思を持って作られたもの。 "正解があるような気がする"というのと通じる。
そして。何と言っても無事終われたことが素晴らしい。 終わった今だから言語化するが最悪の可能性をどこまで考えていたのだろうか?
出演者が集まらない。 数は集まったが使えない。 仲が悪い。 意思統一が出来ず舞台が出来上がらない。 チケットが売れない。 急病人が出た。 観客席が盛り上がらない。
うーん。こう並べると、現在火消し役で関わっている現プロジェクトの問題点とかぶるな。 ジャンルは違えど人が集まって何かをなす場合の問題点ってある程度共通するものなのね。
それやこれやの芽が全く無かったとは思えないが、(人が集まる以上当然)、 それらを芽のうちに対処し、見事人の心を動かす作品を作ったことは、本当に尊敬する。
さて、明日も年内最後の火消しだ。 『GODSPELL』で貰った愛を種火に働け!
2010年12月26日(日)
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MY大楽(12/25 ソワレ GODSPELL)
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いや、22日ですっきり終えるつもりだったんですよ。w あんなことさえなければ。 それに関する気持ちのあれこれは別途書く(かも知れない)が、気持ちは別として、思い出を上書きしないと、どうにもきつい。
22日の公演は確かに巡り合わせであり、運命であった。 が!植物は種が落ちた土地で育つしかないが、動物は移動が出来る。 運命を変えることが出来る、というのもまた、人間ならではではないか?! と、例のごとく「つまりもう一回行きたいって言えよ!」という前にあれこれの回路を通り。
結局25日の午前中にTELかけ続けることとなった。当然のごとく26日千秋楽のチケットは撃沈。 「あーどうしよう。今日の券買おうかどうしようか。どうしよう。どうしよう。」 リビングを冬眠前のクマのごとく歩きまわり、やれやれ・・・とあきれ顔で目をそらされる。
そして、端から結果は見えていたが、勢い余って25日ソワレの立ち見席を取ってしまう。 「22日はMY楽。25日はMY大楽。ということでw」
25日の午後。 FITNESSでLESSONその1とその2の間に、帰宅し風呂に入り、髪を常以上に念入りにブロウ(ぼさぼさ髪では失礼だもの)するという綱渡りなスケジュールを、クッキーとほし芋を咥えて走り終え(結局、起床〜観劇終了までの食事はこれのみであった。)何とか到着。
いやぁ。良かった。行ってよかった。がち良かった。 上書き完了!
全体の印象は22日分に書いたのと変わらないから置いておいて、細かいところを。
・9日の感想で音の粒が立ってないなぁ・・・前嶋さんならもうちょっとみたいなことを書いたけど、 前嶋さん大変失礼いたしました。あれは会場の音響ですね。
22日のE列で音聴いた瞬間、えーっマイク変えた?って驚きのあまり口が開いてしまうくらい音が際立っていて、 で今回の立ち見(ようするに端っこ)はまた同じく音がなぁんかとろみがついている、というのはつまり、 会場の反響の問題なのでしょう。きっとZONEというか、はまるPOINTが狭いのかもしれない。 今後トラムで席を選べる場合は、中央列の後方にしようと思う。
・『We Beseech Thee』。 山本さんがアフロくん・Teppennくん・耕平くんの後ろに立ち、それぞれソロを歌う番になると彼らの後姿をじっと見ていた。 その眼差しに、温かさはむろん、どこか誇らしげなものも感じて、心が満ちる想いがした。 『All Good Gift』の曲の終わりでオカリナを吹くみやちゃんも斜め上から見守る目線にも同じものがあったように思う。
・会場の熱量が物凄いことになっていた。 9日⇒16日⇒22日と30%増しくらいに上がっていたが、25日はその倍くらい。二次曲線的な上がり方だった。
・アンコールで暗転から、いきなりクリスマスツリー。綺麗でした。 ・John LennonのHappy Chiritmas のSuprise。 思い出に残るクリスマスになりました。 ・山本さんの挨拶は細かい言葉は忘れてしまったのだけれども、表現のどこかが"過去形"で、あぁ本当に終わってしまうのだなぁという哀しさを感じました。
・26日の千秋楽を無事に終えたと聞く。おめでとう ありがとう。
・現在関わっているプロジェクトが、体調不良からストレスからスキルアンマッチ等々から、あちこちで火の手が上がっている状況。 人は誰もが別々のレールを走っていて、それを尊重しつつTeamとして何かをする大変さは嫌と言うほどわかる。 "凄い"と言えるほど軽いものではないが、でも凄い。
・9日の感想に、今回の公演には宇宙もマグマも神降臨も感じないと書いたが、4回見てもその感想は変わらず。 25日の最後に感じたのは緑の苗。 木々が切り倒された森で、汚染された廃墟で、緑鮮やかに地面から芽を出した、手のひらで包みこめそうに小さい小さい苗。 パンドラの箱の最後に残ったもの にも通じる。
心に植えようと大切に持ち帰る。
2010年12月23日(木)
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12/22(水) GODSPELL ソワレの感想
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前日に満月。しかも月食。さらに太陽が山羊座に移動(つまり冬至)。 中々に派手っちい日だ。 見に行くならこの日か?!と見に行きました。
22日 GODSPELL ソワレ。
確かに派手なだけあった。 聞いた話ではマチネでは電車事故。 ソワレでは一部からマイクの雑音が一度二度あり、結局アフロくんのマイク故障。 さらには精薄っぽい人が終始うなっている客席。
MY楽にして、何と言うか。。。 GODSPELLを見て「おんどりゃ死ねや!」とか思っては行かんと思いつつ、あーもう。 彼女も彼女なりに楽しんでいるのであり、人の楽しみ方をあれこれ縛ってはいかん。と思いつつも。あーもう!
溜息ばかり。 舞台に浸る度60%減。
が、これは3回目だから言えることだろうが、集中力が殺がれた分、見えたものがある。 (初にして最後という人も居ただろうし、もう気の毒としか言えない)
それらこれらを脈略なく思いつくままに終着点も決めずに書き出す。 細かいことは前2回に書いたから、3回目通しての思いをつらつらと。
======================================================== キリスト教について、なぁんか嫌だなぁと思う時にまず頭をよぎる言葉が出てくる。
「神とは裁くものなのか」
なんだっけ?これ。 とずっと考えていて、ようやくわかった。 『百億の昼と千億の夜』でのユダの言葉だ。
小学生の頃、親戚の家で、萩尾望都のマンガ版で読んだ。 ずっと心に残っていた。本を買って自分のモノにしたのは成人後。
キリスト教に何に眉をひそめるかというと、 「悪いことをすると地獄に落ちるよ」ではなく、「神を信じない」ことをも罪悪とすること。 ノアの箱舟にしても、ああ、これはまた『はみだしっ子』なのだが(子供の頃見たものが全てってホントね)
「邪魔ものを全てぶち殺せ!」「皆殺しにして新しく築く!ノアの箱舟の話だよ!」
それを体現したのがアメリカか。 キリスト教における神は人を分別する。基準は神の言葉を聞くか否か。 そんな風に自分の言うことを聞くか聞かないかで人を裁き、貶める人のが神なのだろうか? というとこが、キリスト教に親和出来ない最大の理由。
なので、正直GODSPELLの各寓話については、表現力(脚本と役者と演出について)は評価しつつも 内容は受け入れ難い(ものもある)
では神ってなんだろう?
今思うのは『神とは感謝する』もの。 裁くものでもなく、お願いするものでもなく、あらゆる生命を作り生かして下さっている大きな力に感謝する、 今ここにいることをただ感謝する そんなもの。
あぁこれって、耕平くんが歌う『ALL GOOD GIFTS』の歌詞と同じだね。 だからこれは染みるのか。
Jesus=山本さんについて。 ここ一カ月で、西田敏行さんには月と評され、高橋克典さんに太陽と呼ばれ、明星さんには海を感じられる。 アマテラスとツキヨミとスサノオのスリーセブンだ。
何故か大自然に例えられる。 そういえば、Jesusは人々を教え導く存在なのに何故か父性を感じない。
では父性って何?
思うに父性や母性は自分より弱いものに対する心性であり、母性は能動的(具体的にはあれこれ世話を焼くこと)であり、生物として身体として今日を生き抜くことをサポートすること。父性とは静的であり(要するに教え見守る)か弱き個人が社会に対峙した時に生き抜くことが出来る力をつけさせること。 それは規範であり、統制であり、知識であり、財力であり、権力、総じて言えば、義務と責任と力 である。
として思うと。 Jesusは身近で今日の栄養を口に運んでくれる母性ではなく、さらに、外界と接して生き抜く「力」を鍛える父性でもない。
じゃぁなんだろう?
思いついたのが、ユングのアーキタイプで言うところの"老賢人"。 現実の社会的な権威とはるかに超える仙人。 仙人はしばしば"童子"に姿を替えて現れる。
大人のような、子供のような。(Byとみい) 純粋無垢なのに純潔でなさそう(ByTeppen)
あぁこの評と同じだ。そうかー。 老賢人=枠を、身体とか社会とかいう枠を、超えた存在なんだ。 だから母性でも父性でもない。それより大きい。じゃあなんだ?
思うに場なんじゃなかろうか。 あらゆるものがその可能性を枠に縛られずにのびのびを己の命を伸ばせる場。
それは要するに自然。山であり海であり光であり地球であり宇宙である。 なるほど、だから、自然物に例えられてるのか。
繰り返しになるが、GODSPELLのキリスト教の寓話には頷けないところもある。 が、場は感じた。
あらゆる生命をそのままの形で許容する愛の場。 先に書いたが、舞台に浸る度60%減だった所為(おかげ?)で、個々人のスキルについてしっかりと味わうことが出来なかった。 なので、よりはっきりと感じたものは、愛の磁場だった。 "ただならぬ包容力"(by 明星さん)との表現と重なるね。
精薄っぽい人が発する雑音には溜息ばかりであったけれども、これもまた巡り合わせであり、 出会いだったのだろう。と今思う。(3回目の余裕が大きい)
GODSPELLの幕が開き、回を重ねるごとに客席は盛り上がりを増し、あと数公演のところまで来た今、 山本さんがどんな気持ちでいるか、は理解することが出来ない。 この舞台に立つまでにどれだけの紆余曲折を労力をかけてきたか、も理解することは出来ない。 今後、情報として知ったとしても、永久に理解することは出来ないだろう。それは当人しかわからない。
が、この場所の楽しさをわけあうことは出来る。 舞台の熱量を、演者の情熱を、愛情を、その場を一緒に感じ、共に味わうことは出来る。
それは他の人についても同じ。 ある人が朗らかに笑える今に至るまでに、どんな日々を経てきたか。 それを理解することは出来ない。
ただ、今の笑顔をいつくしむことは出来る。 過去もなく、未来もなく、いまここの自分を愛す。関わった人を物を愛す。 それが私にとっての、No Day But Today。 もしくは「例えばここに生きていること。それ以上確かなことなどなく」
この舞台の感想のGOALはこれでした。 指にまかせて書いていたら何かまとまったね。(って思うの私だけ?)
最後に。 細かい感想を。
・山本さんの年齢域のサビアンで見ると、『いきなり笑いだす少女の顔』 受容性を意味しており、拒否しないことで自分に必要なものを引き寄せる姿勢。 そして、これにアスペクトととるのが土星でサビアンが『ベストを着ていない聖歌隊』 特別に煌びやかな衣装を着なくても、集え歌えばそこに崇高な気持ちはある、と。 日常服の聖歌隊w。もうばっちり。素敵過ぎる。 ・演出がどこがとは指摘できないけれど変わっていたところがちょこちょこあった気がする。 ・なつきの声が大分落ち着いていて良かった。 ・上手い人でも微妙に声がぶれる。Teppenくんとかも。 が、全くぶれないで音を取るのが、まみさん。みやちゃん。明星さん。美紀ちゃん。 山本さんは言わずもがな。 ・「あぁエルサレム」と突然嘆かれても気持ちが醒める。 ・美紀ちゃん好きだ。 ・まみさん絶唱。絶好調。 ・山本さんの声も伸びやかで絶好調でした。 ・「寂しさのあまり死んでしまいそうだ。」胸が締め付けられるほどに切ない。
ここまで来たら、最後まで皆笑顔で全公演を終えることを願うのみ。 こんな時はやっぱり、神様にお祈りしたくなる。願いたくなる。 神様って何だろう?
あ、戻ってしまった。 明星さんのソロに戻るように。 LOOPがつまり生きてくことか。
alain
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