日々の泡

2008年07月09日(水) 草の風景

職場の窓は立ち入り禁止の広いベランダに面している。
人の立ち入らないそこには様々な雑草が繁茂して
さながら小さな草原のように風に揺れているらしい。
山が近いせいか、四階であるのに草の種は飛んでくる。
伸びた草に虫が住みつき
鳥が憩っている。
カラスが会合を開き
イソヒヨが獲物を咥えてきてゆったりと食事を摂っている。
冷房の室外機から漏れ出すわずかな水を小鳥が飲みにやって来る。
同僚の話から小さな草原の常連たちが生き生きと脳裏に浮かんでくる。
水と風と太陽
それらが揃うと小さな宇宙が作られて
一所懸命伸びる草と
無心に日々を歌う鳥
仕事をしているわたしの横で
豊かとは言えない小さな草原
それっぽっち…と思っているわたしの横で
これで充分…と鳥が歌っている。
ヒュンヒュンと鶺鴒が鳴いている。
周囲の建物にこだましながら遠離って行く。
遠離っていく音って
どんどん寂しさを纏っていくような気がする…
さびしいのはわたしで
鶺鴒じゃない。



2008年07月08日(火) シャボンのように

わたしの手のひらには直径5センチほどの球がのっていて
それはずっしりと重く
その重さはまるで何かを伝えようとしているよう
たくさんの光の粒子を内包していて
ほのかな薄紫に柔らかく光っていることだろう…
「ことだろう…」なんて、曖昧なことしか言えないのは
わたしがこのアメジストの球を見ることができないから。
それは目隠しされているとか
見ることを禁止されているとか
そういうことではなく
わたしにその光を感じるだけの視力がないから。
そのプリズムも
球の中に溶け込んだ紫のひとすじも
わたしには見えないけれど
その重さが伝えようとしている何かに
心を傾けることはできる。
それは
わたしの心の中に浮かぶ
儚い泡のようなものでしかないかもしれないけれど
シャボンの玉を楽しんだあの頃のように
ひとつひとつ
色を
形を
楽しみながら
心に浮かぶ泡のひとつひとつを
この日記に書き付けることにしよう…

茉莉夏という名前は
恐れ多くも、敬愛するトーベ・マリカ・ヤンソン氏と
森 茉莉氏からいただきました。
どうか、両女史、お許しください。
亡きおふたりの作品が
わたしの泡の彩りを手伝ってくれています。
ありがとう。


   INDEX  未来 >


茉莉夏 [MAIL]