2010年03月20日(土) |
カラーひよことコーヒー豆 |
「カラーひよことコーヒー豆」 著者 小川 洋子 小学館 敬虔な気持ちになってしまう。いつも 小川洋子さんの文章を読むと透明なものに包まれたような敬虔な気持ちにさせてもらえる。 1962年生まれの著者はわたしと同年。狂ったバブルの時代を同じに通過してきたのに彼女の慎ましい心のありようは、きっと進行されている宗教も少なからず影響していることと思う。 ほんの一言の言葉や、ちょっとした仕草や、ふと漏らされる吐息など人の微かな心の揺らぎを小川さんは見つめている。これは、そんな静謐でありながらきらきら輝くエッセイが編まれたもの。 <<これでもかと立ちはだかる障害を乗り越え、皮肉、嫌み、小言、のたぐいを上手にやり過ごしくたびれた肉体に鞭打ってどうにかひとつ重大な仕事をやり遂げる。しかし、褒めてくれる人はだれもいない。…>> 著者はそんな時には好きなあんてぃーくの品をひとつ手に入れる。ご褒美として。 けれども思いがけないところから本当のご褒美はやって来る。 「博士の愛した数式」が映画化されて小川さんは映画館へおもむく。 その途中の電車で偶然隣に座った同年代の女性が大きなバッグの上に開いていた本は「博士の愛した数式」だった。 熱心に読んでいた女性は、降りるべき駅をうっかり乗り過ごしてしまうくらいに小説に集中していた。慌てて降りていく女性の背中に小川さんは静かに頭を下げた。 <<本物のご褒美は生涯にひとつあれば充分だ。何度思い起こしても新たな喜びに浸れるのだから…>> 好きな小説を書いて暮らせるだけでも幸福であるのに、その書いた小説が誰かの心に確実に届いている… そういうことこそが本当のご褒美なのだと。そして、そんなご褒美はひとつあれば足りるのだと… もっともっと…と期待するわたしは反省し、真摯な心になるのでした。
前にもこの日記に書いたけれど、わたしはカラスが好きだ。 わたしが彼らを好きなのがカラスにも伝わるのか、わたしはカラスのわたしに対する好意を感じて暮らしている。どんな風に好意を感じるのかと言うと、 まず鳴き方 カラスは電柱から下方のわたしに身を乗り出して、「くわあ…」と優しく鳴くのだ。ほんとだもん。 それから誘導… 視覚障害者であるわたしが通勤で通る道には、もちろんたくさんの障害物があるのだけれど、調子が狂うときは、いつもは難なくクリアする障害物にぶちあたり方向感覚をなくしてしまう時がある。 焦って杖で探っていると、そういえば先程来聞こえているバサバサという羽音にふと気付く… カラスがわたしの左先方へと緩やかに旋回を繰り返している。ああ…そうか…そっちなのね… わたしは進むべき道を探り当てる。カラスのおかげ。 先日も曲がるべき脇道を通り過ぎてしまい後戻りをしていると、いつも曲がる角の上で子ガラスが「カア…」と鳴いていた。それまでは気配がなかったのに… 偶然と言われればそれまでなのだけれど、わたしはカラスの好意を確信しているのだ。 カラスがわたしによくしてくれるのは、わたしがカラスを好きだからだ。 たとえ餌をやらなくともカラスはわたしがカラスを好きだからわたしに好意を持ってくれる。 わたしはカラスが好きなのだ。そしてわたしの好意を彼らは感じられるのだ。 生き物たちは敵意に関して何より敏感だ。 彼らの生存に関わる問題だから。
三月は満月から始まった。 ルナティックなわたしはいつも満月には充分注意している。 かなり抑制しなくては、ウルフなみのワイルドな匂いを発散しそうだから。 フォクシーレディはなまめかしく魅力的だけど、狼女ってのはねえ… でも満月に充ち満ちるこの荒ぶる気持ちは何なんだろうねえ…
どの小説を読もうか、海外の小説を選ぶとき、ひとつの目安になるのは翻訳者なのだけれど エッジが効いていてへんてこな小説を読みたい時は岸本佐知子さんの翻訳本を選ぶ。 ジュディ・バドニッツだとか、トム・ジョーンズ(歌手ではありません)なんていう作家も翻訳が岸本さんだから読んでみたのだった。で、面白かった。 大体、この岸本佐知子というお人自身がへんてこらしい…てか、変だ。 それは彼女のエッセイに詳しいのでそちらを参照希望。 気になる部分 著者 岸本 佐知子 白水uブックス ねにもつタイプ 著者 岸本 佐知子 筑摩書房 そのエッセイの中で、通勤電車で出会う不思議な人々について書かれているんですけど 毎朝新聞を読んでいる真面目なおじさんサラリーマンが、ある日気がつくとアイシャドウと口紅を塗っていつものように新聞を読んでいただとか、掌のオニヤンマに向かって大声で話しかけているおばさんだとか、終点まで声を張り上げて「わたしの青い鳥」を歌い続けたサラリーマンだとか、 そんな車内の妙な人々を彼女は「きてれつさん」と呼んでいるのです。 彼女の乗っていた通勤電車、それはすなわちわたしの乗っている通勤電車なのであります。 そしてわたしもそんなきてれつな人たちに毎朝のように出会うのです。 実況中継中のおじさん-「それではスタジオの○○さんにお返ししまーす…」というセリフと共に何やら隣のわたしに差し向けられた気配…それはおじさんの右手のげんこつに握られた架空のマイクだと容易に想像されるわけですが、わたしを含めた車両の人々は彫像のようにかたくなに押し黙り呼吸すら次の駅でドアが開くまで我慢するほどのの堅固な決意…。まるで車両は真空状態のようです。 そうかと思うと、突然♪オーソォレェ〜 ィ〜ミィィィィィィィオォォォォォォ… と肺活量の限り歌うサラリーマンだとか、 セーラー服にブルマー姿ではにかんで車両から車両へと歩く四十代のおじさんだとか、 きてれつさんたちの生態については枚挙にいとまがないわけです。 さて、H駅に着きました。ドアが開きます。ホームから明るい声が聞こえて来ますよ… 「○○駅でえーすっ!気をつけておおりくださあいっ!」 ああ…いますいます…またきてれつさん… 「あれっ?降りないわけっ?えーっ!なんだよっ!降りないわけっ?」 おや?なんだか、デンジャラスな空気ですよ。 で、そのデンジャラスなセリフは、ドアの端に立っているわたしに向けられているような… 「なんだっ!ったく紛らわしい…まっ・ぎっ・らっ・わっ・しっ・いっ! いとへんに ふんと書いて まっ・ぎっ・らっ・わっ・しっ・いっ!」 そうでした…「まぎらわしい」って「紛らわしい」って書くんでしたね… 明るいおじさんはなおも大声で明るく文句を続けていますよ。 「ああっ!あっついっ!なんだかサウナみたいだっ!あっついっ!」 まことに滑舌よろしく妙にうれしそうに怒っていますよ。 「あっ!次は△△駅か!よしっ!降りてみるかっ!よしっ!降りてみるかっ!」 ええーっ? 降りなくていいよ…おじさん… △△駅はわたしの降りる駅です… こうして毎朝楽しくきてれつさんたちと通勤をするわたしです…
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