2010年06月20日(日) |
スペシャルブレンドコーヒー |
Harry Connick, Jr. ◆ When Harry Met Sally ◆コーヒーのない四つ星レストラン(コクと深みの名推理 6) 著者 クレオ・コイル著 小川 敏子訳 <<ミディアムローストのケニアのストレート 粗くひいた豆は既にお湯と共にフレンチプレスの中に入っている。 4分間が経過したところでフランジャーを押し下げ、カップについだ… 「このコーヒーは素晴らしくフルーティーだ。 ラズベリーとレモンを感じる、素晴らしい… しかし、一番強く感じるのはクロフサスグリ…」 「他には?」 「そうだ!これはうまみ成分だ-中略 天日で干したドライフルーツの味も感じる… それからステーキの懐かしい風味も最後に来る。 -驚いたよミズ コージー。びっくり仰天ですよ。このコーヒーはグランクリを感じさせます。」>> 主人公クレア・コージーはある理由から四つ星レストランソランジュに潜入すべく作戦をたてます。 コーヒーとデザートのメニューを考えてレストランに売り込みバリスタとして内部へ入り込もうとするのです。 バリスタとはイタリア語でエスプレッソをサービスする職人です。豆の挽き加減、マシンへ投入するタイミング、お湯の温度…無駄のない動き、すべてをその日の湿度や天候などで微妙に調整しなければ高品質のエスプレッソを提供することはできません。 クレア・コージーはプロ中のプロです。 このシーンは、そのクレアが四つ星レストランの給仕長でありソムリエのドルニエの前でエスプレッソのプレゼンテーションを行なっているシーンです。 ドルニエがグランクリのようだ…」と例えたグランクリとはワインの原料となる葡萄の品種。イタリアでもいくつかの村で作られたものしか正式なグランクリとしか認められない希少な品種。三つ星以上のレストランのメニューに載るようなワインに使われる品種だそうです。 品質の高いコーヒー豆は、高級ワインの葡萄と同じように、大プランテーションで作られる大量生産の品種ではなく、アフリカや南米の奥地で数部落の人々が長年かけて育てたコーヒーの木から生まれるそうです。 グリニッジブレンドのオーナー・マテオ・アレグロは崖をよじ登り、ジャングルに分け入るように世界の秘境へ豆を求めて旅に出かけます。 クレアとマテオは元夫婦なのですが、マテオの自由気ままな恋愛体質が原因で離婚しています。現在はグリニッジブレンドのオーナーとしてパートナー協定を結んでいます。喧嘩しがちなふたりだけれど、事件を解決するためには協力し合います。 ふたりのロマンスも物語に絡んできます。 クレアの目下の恋人はニューヨーク市警の刑事 そして、マテオのお相手はファッション誌の女性編集長。元夫婦はまだ魅かれ合っているようですが、それぞれの恋の行方はいかに… 名探偵のコーヒーのいれ方(コクと深みの名推理 1) 著者 クレオ・コイル著 小川 敏子訳 事件の後はカプチーノ(コクと深みの名推理 2) 著者 クレオ・コイル著 小川 敏子訳 秋のカフェ・ラテ事件(コクと深みの名推理 3) 著者 クレオ・コイル著 小川 敏子訳 危ない夏のコーヒー・カクテル(コクと深みの名推理 4) 著者 クレオ・コイル著 小川 敏子訳 秘密の多いコーヒー豆(コクと深みの名推理 5) 著者 クレオ・コイル著 小川 敏子訳 コーヒーのない四つ星レストラン(コクと深みの名推理 6) 著者 クレオ・コイル著 小川 敏子訳
BGMはハリー コリックJrあたりでどうでしょ?
「朽ち葉色のショール」小堀杏奴 著 春秋社 冬枯れの美」 小堀杏奴 著 女史パウロ会 森鴎外の次女小堀杏奴さんの昭和30年代後半から50年代初め頃までに書かれた随筆集。 長女・茉莉さんと末っ子の類さんはどちらかというと浮世離れしたゆめみがちなボヘミアンという印象だったけれど 杏奴さんは堅実で現状をしっかり見据えて生活されていたようだ。 かと言って、やはり鴎外の影響濃く、かなり芸術的な感性も備わっていた女性。 ヒステリーで継子を愛さなかったとして悪妻のレッテルを貼られ、晩年は親戚付き合いもなくしてしまった母、一般常識とはかけ離れた感性の姉、箸にも棒にもひっかからない弟。鴎外亡き後、この家族を社会とつなぎ止めていたのは杏奴さん。 かなりの重圧があっただろうに、いつも笑顔で明るい雰囲気を醸し出していた杏奴さんに随分救われたと累さんもエッセイに書かれていた。 鴎外の遺産と印税でしばらくの間はある程度の生活を維持できていた。それでも杏奴さんは買ってまで欲しいものがなかったと書いている。ただ、母が丹念に長い時間をかけて編み上げた朽ち葉色のショール--あのショールにくるまれて暖かい思いをしたかったと書いている。 買ったものにはない暖かさがそのショールにはあったのだそうだ。 いつも一家を支えるべく緊張していた杏奴さんの気持ちが伝わってきて胸がキュンとなった。 甘えれば、すぐにこどもに向き直り膝に抱き愛情を示した父の暖かさ 杏奴さんはそんな暖かさを心から欲していたのではないかと、ほっと安心したかったのではないかと感じたのだった。
「とかとんとん」太宰治 著 小堀杏奴さんは太宰治のファンだったようで、エッセイの中に太宰の作品の話題がいくつか出てくる。 「とかとんとん」もそのひとつで、 わたしは読んだことがなかったので早速青空文庫で読んでみた。 終戦から戦後にかけてのある男の話。 玉音放送を聴くシーンから物語は始まる。 戦争に負けてしまったお詫びに自分は陛下のために玉砕するつもりである-という上官の言葉に感激し自分もそうあろうと熱く決意するのだが、その時、まるで何もなかったようににどこからか大工仕事の音が「とかとんとん」と聞こえてきた。 すると男の決意は瞬間的に雲散霧消し、その日のうちに荷物をまとめてさっさと田舎に帰ってしまう。 そんなことがあってから、男は人生の岐路に立ち、熱い決意をするたびに、どこからか「とかとんとん」という音が聞こえて来てしらけた気分になり、どうでもいいやと投げ出してしまうのだ。 その投げ出し方が笑ってしまう。 面白かったので、この一週間いくつかの太宰の短編を読んだ。 人としてのだめさ加減と情けなさ加減がわたしと似ていて、共感して読んだ。 故郷に対する卑屈さと憧憬もよくわかる。 太宰って面白かったんだなと再認識した数日間、ふと気付くと今日は桜桃忌だとラジオが告げている。
<<物憂さと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、立派な名をつけようか、わたしは迷う。 その感情はあまりにも自分のことだけにかまけ、利己主義な感情であり、わたしはそれをほとんど恥じている。ところが、悲しみはいつも高尚なもののように思われていたのだから。わたしは今まで悲しみというものを知らなかった、けれども、物憂さ、悔恨、そして希には良心の呵責も知っていた。今は、絹のように苛立たしく、柔らかい何かがわたしに被さって、他の人たちから離れさせる。>> 「悲しみよ今日は」フランソワーズ・サガン 朝吹登美子訳 再読してみたサガンはやはり天才だった。 少女の頃はただストーリーを追っていたに過ぎなかったのだと思う。 スキャンダラスなストーリーの印象しか残らなかった。深く読む能力がなかったのだと思う。 その文章には硬質でありながら、薄いクリスタルが微細に振動するようなフラジャイルな危うさが終始漂っていた。 先日、名前を忘れてしまったのだけれど、北海道出身の少女のアルトサックスプレイヤーがラジオイベントで演奏していた。…天才!夫も驚いていた。天才というふれ込みは聞いていたけれどこれほど…? まだ高校生だという。どうしてその若さで…? で、その天才の名前を忘れてしまうわたしって… 我が家に居ながらにして天才を読み、天才を聴く… この時代って幸福だ。
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