わたしの生まれた町は 青森の太平洋側にある 波の腹が夕陽を巻き込んで漁り火の灯る夜がやって来る 浜辺には明治の頃の津波の記念碑が立っている けれど その記念碑の海側にも家は建っている 危険なのは承知の上だが 先祖代々ここに住んでいる 今さら動けない それが田舎の人の暮らしだ この地震で その浜辺は津波に呑み込まれた 会ったことのない遠い親戚が 津波で亡くなった 苗字を聞いて ああ あの筋の人だな…と 見当がつけられる それが田舎の暮らしだ その人は漁業で暮らしを営んでいた 地震の後 船が気になったのか 何かの仕掛けが気になったのか 彼は港へ出て行って そのまま生きては帰らなかった 命あってのことなのに…と 人は思うかもしれない わたしもそう思う けれど 船を守り 仕掛けを確かめ 家族を養う それが彼の暮らしだと それが田舎の暮らしだと そんな暮らしのおかげで うまい魚が食える 今、わたしは都会と言える町の中にいて まったくこの暮らしが 幾万の田舎の人のおかげなのだと ただ呆然と なんの甲斐性もなく 阿呆のように 悲しんでいる
福島原発では黙々と事態と闘ってくれている人たちがいる 命を省みずに 自分たちの職務を遂行している その志に報いるような言葉を その勇気に感謝する言葉を 捜しても捜してもわたしは見つけることができない どの言葉も軽々しくて あなたがたの行動には値しない ただただ 祈る
今日、初めてあの地震以来外へ出た。 食事も簡素に。 冷蔵庫の中のもの 乾物 などと知恵を使って 結構食べられるのだ、買い物しなくても。 大根の煮物の残りの煮汁に玄米ごはんとねぎで雑炊にしたりとかさ。 仕事は現在自宅待機中。 電車が動かない。 シビアなニュースが流れる。 それでもみんなこの事態を乗りきろうとしている。 買い占めに走る人々がいる。 法律を作って取り締まろうと言う人もいる。 知人が言った。 ホームセンターで電池を買い占めている老人を見た彼は、いったいいくつまで生きるつもりだ…自分だけ生き延びればいいのか…と思ったと。 いやな傾向だ…買い占めはもちろんだけれど、戦時中の陸軍塀みたいにすぐ人をがめついやつだとか、非常時になんてやつだとか…そんな風に決めつけるのはよくない傾向だ。 人の行動にはその行動に至る文脈がある。 その老人は被災地に送ろうとしていたのかもしれない。 病人が家にいるのかもしれない。 せっかく生きながらえたのに憎み合ったら何もならない。 簡単に評価したり 決めつけてほしくない。 福島の方がこんなことをおっしゃっていた。 恐いのは放射能より「人の差別」だと。 あまたの命を犠牲にして 差別とか憎悪とか それは悲しいことだ。 だからと言って 買い占めはやめてほしい。 いわき市まで避難してきた老人七人が 停電し断水し、 食料もガソリンもなく 店舗はすべて閉まり 、孤立して 凍死している。報道してほしいとツイッターのつぶやきがあった。
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