友人が仕事を辞めて広島へ旅立っていった。 いつ戻るかわからない。 どう暮らして行くのかまだ目処がつかない。 わたしとひとつ違い もう若くはない。 けれど旅立ちは始まり。 電話で旅立ちの日を告げる彼女の声はちょっと暗かったのに さよならを言う頃にはちょっと明るくなって 旅の前のわくわくが血管の中を巡り始めていた。 最後に、 約束して。 と、彼女は言った。
笑ってて。何があっても笑うの。下向いちゃだめ。 前向くの。
わかった。と、わたしは約束して、 でもずるいよ。Sはそもそもの顔のデザインが笑顔なんだもん。 と言った。 Sは笑って、 そうなんだよね。丸顔でねえ… ふたりで笑った。 遠くなってもさびしくはない。 つながっているという実感がある。 この人とはつながっているという実感がある。
2011年04月07日(木) |
ダンボールに入っていたもの |
荷物からどどどどっと重いが溢れて来た。 キャベツとトマトと大根とパンと海苔と梅干しと… 野菜はそれぞれ洗って新聞にきれいに包んであった。 地震の後、自宅待機となったわたしにMが送ってくれた荷物。 停電で電車も止まりスーパーなどの店舗も閉じて 食料が手に入りにくかった時に Mが食料を送ってくれた。 食料が送られてきたことは勿論嬉しい。 けれど荷物の中にはMの 「飢えさせてなるものか」 という気持ちが詰まっていた。 春めいた陽射しの中、ダンボールを開けると光の粒子が飛び出すようにその気持ちはわたしにぶつかってきた。 Mに何かでお礼はできない。 物では返せない。 言葉でも返しきれない。 ありがとうありがとう… あなたの気持ちを、今度はだれかにわたしが届けて行きます。
YouTube - Jeff Buckley-Hallelujah
地震の翌日、 わたしはやっと家へ帰り着いた。 自宅のある地域は地震の後すぐに停電して、翌朝やっと通電した。 家にいた夫は一日経てやっと事態の深刻さを報道で知り、あまりの悲惨さに蒼白になっていた。 わたしたちはふたりでソファにぐったりと座り 原発事故の深刻なニュースを上の空で聞いていた。 どこか遠くの国の事みたいに。 昔見た夢を思いだしているみたいに。 窓外は青い空で ラジオからは「ハレルヤ…」の歌詞が流れていた。 すっかり終わっちゃったな…そんな感じで。 が! しかあーしっ! わが同僚は、帰宅難民と化しやっと翌朝自宅へ帰り着いたというのに、 その足で中伊豆の温泉へ出かけたという。 持っていた割引券が三月いっぱいで使えなくなってしまうので予め予約を入れておいたのだそうだ。 ガッツだぜ… なんだか尊敬してしまった。 どんどん行け行け がんがん生きろ… それが鎮魂になる それが復興の礎だ! わたしってへなちょこだ…見習わなくっちゃ…
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