舌の色はピンク
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2022年04月26日(火) |
レンジラック設置、百鬼夜行、物語の精読 |
曇り。すずしめ。 目を覚ましてみると隣に妻がいなかった。 珍しく早めに起きていたらしいが 間もなく戻ってきて布団にくるまると、 暖かい、絶対に出て行かないでとねだる。 でもお腹すいたとも請う。 妻の手足をひっぺがして起床したが かなりの恨みを買った。
弁当は鶏ももの…と思ったら またしてもやっちまった、これは豚コマだ! でももう知るかってつもりでそのままキャベツと炒めて ポン酢と胡椒で味付け。 まあ…べつに美味いだろ…
実際美味かった。
なんか仕事がヒマヒマでいろいろ読んだ。
伊藤潤二、ブラックパラドックス。 はじめの一話目が面白かった。 あと二話目冒頭。 全体としては、ネタや描写は抜群なのだけれど お話にはなってない印象で、批判するというよりは、 ウワーこれわかるって思った。
安部窪教授の理不尽な講義。 これもそうだな…ネタもキャラもある、 資料もよくできてる…でも話としては魅力なくて、 ちょっと経ったら多分すっかり忘れてしまう。
恋は女の命の花よ。 ナナナンキリコ臭がきつかった。 漫画家が悪霊対策にブスな女の絵を描いて オリジナルの御札とするっていうのは面白かった。
じゃあまたね。 清原なつのというベテラン少女漫画作家の自伝漫画。 幼少期の1967年から始まり、大学卒業までを懐古する。 幼い頃から本好きの絵本好き、漫画好きでお話し好き、 ちょっと長じてくると映画趣味が加わって、 さらにスポーツも大いにこなす。 大学受験に失敗した浪人時点でりぼんの新人賞佳作、 デビューに至ったがプロとして活動する覚悟が決まらず そのまま進学して薬学部のハードスケジュールをこなしながら 漫画を描き実験や論文を書き映画を見て本読んで漫画読んで人付き合いして… と超人的な学生生活にしか見えないのだが 漫画内の当人はのほほんとしている。 面白かった。
夕飯は揚げればいいだけの冷凍春巻き。二本ずつ。 それに冷奴。 これは先日の天ぷら屋で美味しかったのを真似たもの。 きゅうりを細かく刻んで、 水溶き片栗粉に火を通して砂糖と醤油をちょっとずつ混ぜたものに合わせ、 豆腐に乗っけて醤油を垂らす。 うんウマイウマイ。 でも豆腐がやっぱ違うんだな…全然あんな味にはならない。 春巻きは美味しすぎた。
イングリッシュベイカーだっけ、録画してあるのを観た。 お題がビスケット。 クッキーとの違いがよくわからない…タマゴを入れるか入れないか? そもそもビスケット好きじゃない。 でもイギリスだとモノスゴイ量食べられてるらしい。 紅茶のお茶うけってわけね。ハイハイ。 できあがったものはやはりあまり美味しそうではなかった。 次回はスコーン。 あいつらスコーンだきゃあ本気だからな。ちょっと楽しみ。
食後、レンジラックの配置をした。 古い方をどけて、オーブントースター、 オーブンレンジ、炊飯器はそれぞれ妻に拭いてもらった。 空いたスペースは掃除機がけしてキレイに。 大物家具だけど中身が空なら移動は一人でもできた。 設置はすんなり。うん、うまくはまった。 なかなか機能性も良い気がする。 これまで玉ねぎやニンニクなどの常温保存野菜を木箱に入れたままにしていたが 今回からは引き出しケースに入った。 最低限の通気性だけ確保されてて、これなら虫もこないんじゃないか。
来週に向けて 麻雀マットを外に干しておいたのだが 今日の昼に急に降った雨にやられてしまった。 妻に取り込んでもらったもののその時点でかなり吸水していたらしい。 これが全然乾かない。 マットに深く染みている。 幸か不幸かシワはのばせたけど。全然乾かない。すごい。
電気消してホーリー・モーターズを鑑賞。 もう何度も観てるけど本当なら数ヶ月にイッペンは観たい。 今夜のところまではインターミッションまでにした。 アコーディオンの隊列奏曲。 これ僕の中にある””イメージ”のひとつなんだよな。 百鬼夜行、と呼び習わしてる。なんていっていいかわからないから。 薄暗い中を何人ともしれない人間たちが、 名前も顔も認知されないまま、ぞろぞろと突き進んでいく画。 すごく好きだ。
レオス・カラックスの新作を見に行こうか悩んでる。 コロナ禍以来、映画館は一度も行っていない。 そろそろ…この一本くらいはいいのでは…。 渋谷なら明後日木曜日、19時半からの上映がある。 140分の上映だから映画館を出るのか22時、 帰宅は22時半を過ぎる。 ウーン…。 いやでも行きたいなあ…いやでも… 明日いっぱい悩んでみよう。
トキノは結局3名が反応してくれて、 そのうち感想をくれたのは1名だけだった。 で、次の創作について考えている。 割拠を終わらせてからか、また中断して…となるが、 今回はもっとずっとシンプルに、 ただ自分の書きたいものを形にしてみたい。 読者のことを考えず。説明無しで。 書きたいのは百鬼夜行だ。
読み手にどこまで伝わんのかなー問題といえば のだめカンタービレの一場面を思い出す。 のだめは普段、楽譜通りにピアノを弾こうとしない。 独自解釈で好き勝手に弾く。 そんなのだめが、先生の指導のもと作曲に乗り出す。 ところどころで先生と意見が割れる。 この曲はこういう意図で作っているのだから、 こう弾いてほしいのだと。 そこで先生は諭す。 お前が普段好き勝手に弾いている曲の作成者だって、 お前みたいに弾き手に言いたいことたくさんあるんだと。
そうなんすよねえ。 僕はトキノの一文一文に物語意味を込めていったから、 ちょっとでも読みはぐれられちゃうと、 もう全体の意味が成り立たなくなる…と思ってる。 しかし普段自分は小説をそんなに誠実に読んでるかっていうと、まぁ読めてない。 というか一文一文をしっかり追って それぞれの文を接続していって読みながら物語の意味世界を再構築できる人間が どれだけいるのだろう。 能力はあってもするかしないかでいったら毎回はしないだろうし。
風が強くて楽しい。 お外がドゥルドゥル鳴っている。 風向きの問題で、窓を開けてもあまり入ってこないが ちょっと手を伸ばしたりすると強風を感じられる。
読み聞かせ民話はサウジアラビア。 やっぱ王様はカンタンに これを解決した者に娘をやるとかいい出す。 女は贈与の対象なんだなあというのと 身分の問題とかないんかいというのと いろいろ馴染みのない考えが面白い。
2022年04月25日(月) |
トキノ感想もろた、読書停滞、民話ランプの精 |
晴れ。あったかい。ていうか日差しは暑い。
くるったようなハンドルネームの人からトキノの感想が届いた。 言葉が綺麗で…とかやさしく…とか とても好意的な感想で く…うれしい。 おそらくは女子大生と思われる方なので 世代差を越えて年若い人に届いたっていうのもうれしい。
いっぽうで、成熟した大人に対しても ちゃんと読み応えあるものになってるかどうかについてはギモンだ。 僕が読んできたものって圧倒的に、 十代から二十代をターゲットにしてきてる。 映画だけだな。映画については成熟しきった層相手のものしか好んで見ない。
夕飯はマグロ。 昨晩ヅケておいたものを ご飯にのせて海苔とわさびと醤油でたいらげる。 味噌汁とともに。 美味ーい。 でもわさびを雑にのっけたせいで、 妻が咀嚼中にむせかえってしまった。 よく噛んで食べずに呑み込んでしまったのも一因と考えられるが わさびは目立つ縁に付着させておくべきだった…反省した。
テレビはグレーテルのかまど。 ツーガーキルシュトルテ。 スポンジにキルシュ酒のシロップをこれでもかと染み込ませ、 赤色素少量混ぜたクリームシャンティイーを塗りたくり、 上下をメレンゲ生地で挟む。 クリームシャンティイーでナッペ。小粒のアーモンドを散らす。 色素は本来ちゃんとチェリーでやるべきところを 番組では横着していた。 でもまあ…美味しそうではある、見た目も可愛らしい。 近いうちにやってみようかしらん。
今日は妻が掃除機をかけてくれたり 洗濯をしてくれたりと助かった。 まぁアタリマエのことなんだけれど それでも身重の体でよくやってくれた。 と褒めちぎった。
あんまり読書がはかどらない。 息抜きのつもりで読み直してる京極シリーズ5作目、 ずっと昔の春に一気読みして楽しんだ覚えがあるんだけど 今はこれがもう退屈で退屈で…。 フーコー入門も思弁的に過ぎて味気ないし、 内田樹先生にもちょっと飽きてきちゃったしな。 今は民話が一番楽しい。
今日の読み聞かせはイラク。 魔法のランプのお話…だったのだけど 少女がランプから出した精霊(イフリート)は 開口一番「おまえを私の妻にしてやろう」とか言いだして 強姦、妊娠、出産……。 まじかよと思った。 で産まれてきた娘は美しく育って、いろいろあって王子にめとられる。 しかし娘は、父であるイフリートから、 あの王子がお前に対し、 イフリートに命をかけてうんぬん…といった 誓いの言葉を吐かない限り、 お前は彼と口を利いてはいけない、と厳命される。 そんな事情をまるで知らない王子は、 せっかくめとった妻が会話もしてくれないから辟易してしまい、 次の妻を探してみた。 イフリートの娘は嫉妬して、新しく来た花嫁の前で、 高所から軽やかに飛び降りてみせた。 「あなたにもできて?」 挑発に乗った花嫁は自らも同じところから飛び降りてみせた。 地面に激突して花嫁は死んだ。 王子は次の妻を探した。 また新たにやってきた花嫁の前で、 イフリートの娘は祝宴を前にして、 調理台にぐつぐつ煮立つ油に手を入れて 肉や魚を揚げてみせた。 「あなたにもできて?」 真似した花嫁は死んだ。 三番目の花嫁は、いろいろ偶然に助けられて、 王子に例の誓いの呪文を知らせることができ、 晴れて王子とイフリートの娘は口利きがかない、 その後はいつまでも仲良く幸せに暮らしましたとさ。 ハッピーエンドにいたるまでに無為な死を置くなよ。
…それでもモロッコに比べるとかなり穏便なんだよな。
2022年04月24日(日) |
両親学級パートナー、陽キャの人間関係、反ポリコレ |
曇り。午後からは雨が降るらしい。 布団の洗濯は断念した。 衣類は洗濯。まだ降ってはいなかったが部屋干しにした。
8時に休日トースト、 雑多な家事を済ませていって、 両親学級のため9時15分に家を出た。
丸ノ内線の荻窪駅へ。 車両内には車椅子およびベビーカーを置くスペースがある。 そういえば車椅子って昔ほど見なくなったなあとぼんやり思った。 見るは見るけど、十数年前はもっと見かけたような。 自分の行動範囲とか時間帯の問題なんかな。
南阿佐ヶ谷駅から杉並区役所はほぼ直結。 コンビニで水だけ買って、区役所の裏側にまわりこんで入所。 休日受付というわけだ。 会場は6Fの会議室。 僕らはやや早めに着いたようで、 最前列の席をあてがわれた。 壁に掲示された子育て情報を眺めつつ、 間もなく講習が始まった。 参加している夫婦の数は10組ちょっと? わりとどの夫婦も仲良さそうで雰囲気良かった。 妻が言うには、前回の母親学級で当然みなさん一人で来ているから静かで、 比べると今回はずいぶん賑やか、和やからしかった。
まず面白かったのが、妊婦さんという呼びかけのある一方で、 夫側がパートナーの方と呼び習わされていたことだ。 パートナーとは、どちらか一方に固定される呼び名でなく、 互いが互いのパートナーであるはずなのだが、 この場においてはパートナーは夫とイコールで、 すなわちあくまで妊婦が主格であって、 夫はその添えものといった扱いがこの呼びかけで表現されていた。 で、なるほどと。 ちょっと女性らの気持ちがわかった気がした。 女性は日常的に、これを体験させられているのだ。 男が主格で、女はその副次物、添えもの、追従者という。 AとB,という同格ではなく、AがあってA’がある。そういう扱い。 今回A’という扱いを受けてみてよくわかった。 いやべつになんも不快感とかはなくて、 ただたんに、これが毎回のようにあらゆる場面で 当たり前みたいに起こってたらそりゃあやるせなくなるよな、 と痛感した。
講習は面白かった。 沐浴やオムツ替えは全然うまくできなかった。 しかし要は 「あたう限り細心の注意を払って、優しく扱え」 ということだった。 まぁ、うまくできなかったって実感を得ただけでも収穫だな。 手順なんてどうせ忘れてしまうし。2,3ヶ月後のことだものな。 なにより感動できたのは助産師の方。 あまりにも、望まれる助産師像の理想の体現者で驚いた。 恰幅が良い。愛想が朗らか。声がはきはきして聞き取りやすい。 どっしり構えた風格。 おそらく50代。安心感が半端じゃない。 「みんなのお母ちゃん」というかんじ。 なにもかも預けてしまいたくなる。 イヤハヤ惚れ惚れしてしまった。
12時前に講習終了。 アンケートにはいかに助産師さんが素晴らしかったかを書いた。 区役所を出て昼飯どころを探す。 途中、前に僕が目をつけたベビー用品店に入った。 新生児のためのものはなかったし、 なによりその頃はマールマールを知らなかったから見る目も甘かったけど、 マールマールを知った今となっては見劣りするデザインと思えてしまう…。
米ものが食べたいという妻の要望にかなう店がなく、 阿佐ヶ谷を見限って荻窪に移動した。 商店街を歩いてもまだちょうどいい店が見つからない。 ランチ難民となって、いよいよ引き返すか…という最後の曲がり角で、 天ぷら屋に目をつけた。 入ってみるとカウンターのみならず奥にテーブル席がある。 そちらに案内されて、あぁ助かったと人心地ついた。 とくに身重の妻には望ましかったようだ。 冷たい緑茶を飲み、ほんのり甘い口当たりにほっとした。 妻は桜えびのかき揚げ丼を、僕は野菜中心の定食を頼んだ。 どちらにも冷奴と漬物のお通しがつく。 この冷奴が絶品だった。 細かく刻んだキュウリがのっかってて、ちょっぴり餡がけになってて、 鰹節と醤油は最低限で…豆腐自体もいい豆腐なのか、 こんなに美味しく冷奴を食べた記憶はない。 漬物も、生姜をほんのり甘めに漬け込んだものが実に美味しかった。 この時点で大当たりだ。天ぷらへの期待も高まる。 実際、天ぷら自体も美味しかった。 まず色がいい。濃い目のきつね色。カラッと揚がっている。 噛んでみれば、サクッとした食感と同時に、ジュワッとした柔らかさを感じる。 全然油っこくない。美味しい…。 海老、さわら、小アジ、レンコン、茄子、カボチャと、 具も充実している。 これを塩でいただく。ご飯をかきこむ。味噌汁をすする。 タクアンをポリッとかじってお茶を一のみ。 次の天ぷらへ…としているうち、 おおこれは全然ご飯が足りないぞと悩ましい心境に陥った。 ごはんのおかわりは自由といっていたが… 糖質とか炭水化物とかな… ある程度控えなくちゃいけないのにけっこうなモン食ってるし、 このうえおかわりというのは… と泣く泣く自制した。
店を出ると雨。 傘を差してやり、のんびり家へと歩いた。 帰宅後、ちょっと横になった。 妻は寝室で、僕は居間で。 居間で寝転がれる季節になってうれしい。 ものすごい気持ちいい。 雨音を聞きながら昼寝を二時間ほどした。 ずいぶん久しぶりのことだ。
16時半になってからようやくレンジラックの組み立てに取り掛かった。 BGMにはプリチャンのミックスリストをかけておいた。 永遠に応援してもらえる感じ。 ミュークルドリーミーはちあふるタイムでやる気を立ててくる。 プリチャンはとにかくなんでもやりがたりのポジティブモンスター桃山が やってみようやってみようとけしかけてくる。
レンジラックはなかなかの大もので、 スムーズにいっても2時間、 今回は片割れが妊婦だから3時間かかる見込みで作業に入ってみた。 手順は多いが難しくはない。 せっせせっせと続けて、2時間続けたところで終わりが見えてきた。 このまま終わらせてしまおうと、今日はダーウィンの生視聴を諦めることにした。
僕と妻とは脳の得意な部分が違う。 だから協同作業においては認識理解度の差や、 効率的と思える手順が互いに食い違ったりもするが、 分業がうまくハマるととても相性がよい。 今回は気持ちよく作業が進んだ。
レンジラックは明日またネジを締め直す必要があるから、 今日のところは設置まではしなかった。 明日締め直して、明後日古いラックを撤去しつつ ものを整理し直して配置して完了となる。
雨がやんだので図書館で本を返すだけ返して、 OKストアに寄って野菜を買った。 夕飯はお茶漬け。 アチャールの残りと、妻用にいぶりがっこを出してやった。 録画したダーウィンを再生。今日はミツバチ。 ちょう面白かった。こいつらカシコすぎる。 なんでも巣を移すにあたっては、遠出したミツバチが 候補地を他のミツバチに、動きで知らせるらしい。 仲間の上でくるくると回る。ちょっと止まって体を震わせる。 この運動の仕方と速度によって、 候補地の方角と、そこまでの距離を知らせるのだという。 すごすぎる。 これ、仲間に知らせるといっても、 敵が来るぞ! といった「現在」のことではなくて、 今しがた見てきた場所の座標を記憶してその「過去」を、 次の候補という「未来」に向けて知らしめているのだ。すごすぎる。 昆虫にこんなことができるのか。 わけわからん。 感動しちまった。
夫婦間でガンダムのくだらない替え歌が流行ってる。 燃え上がれー 万物。 まだ怒りにー燃ーえるー 万物。 正義のー怒りをーぶつけろー 万物。 地獄ですら万物は怒ってないだろうにと笑ってる。
夜、10年くらい前に描いた制服漫画13Pを Twitter上で公開してみた。 「自分にとって大事なヨスガになりかけているAがいて、 でもAは自分よりBの方が特別な存在で、 でもBにとってはAなんか大した存在じゃない…」 という構造の。この3行目がキモなんだよな。 作中では、主人公が友人である弓との電話中に、 ユンくんの名前を挙げる。 弓ちゃんはユンくんを認識していない。 でも終盤で、ユンくんは弓と縁があることがわかる。 弓には他に友達連中がいて、世界を広くもっている…。
陽キャって、 友達とか人付き合いの縁を大事にしていると見せかけて、 縁が多いぶん一つ一つが薄らいでると思うんですよね。 というか陰キャにとっての縁がコすぎるのか。 そこんとこのギャップってあると思う。 子どもは子どもで世界が狭いからそうなるし。 でも中学生にもなって子どもと同程度かっていう…そういうとこ。
この漫画、絵は本当にへたくそで、 それ以上にコマ割りとか構図とかの漫画力がへったくそなんだけど、 一点、表現したいことに関してだけはちゃんと落とし込めたと満足してる。 ただちゃんと伝わってんのかな。 あんま具体的な感想もらってきてないしようわからん。
アップしてみたら、いいねはポコポコ入っていった。 小説のほうが読んでもらいたいんだけどな… あとべつに誰も感想くれるわけじゃないし… とちょっと複雑な気持ちにはなった。
入浴後、キッチン掃除を済ませ、0時に寝室へ。 アラブの民話、ほんといいな。 ポリコレ真反対。 差別意識とかナチュラルにガンガン出てくるし。 ナチュラルなのがいい。 こういうの読んでると、アメリカ主導のポリコレが、 それが常識(語義的にも“政治的に正しい”だもんな)であると 根付かせることによって、 中東のような「アメリカ的価値観からかけ離れた見方」でやってきた 国々を、その歴史とか伝統とか宗教観とか無視して、 「なんて遅れた見方なんだろう」と印象づけてしまう、 そういう策略的なものまで感じ取れてしまうよな。 ポリコレが力を強めるほど中東が「世界の敵」扱いされやすくなるという。 ばかげてる。
2022年04月23日(土) |
アカデミックな集まり、夜自転車漫遊、NTR百男合 |
7時半起床。 晴れ。 起きたときには曇りがちだったが みるみる晴れ間がさしてきてきもちのいい天気。
8時に休日トースト。 洗濯機まわして9時にOKストアへ。 洗濯物を干す。 ベビーカーを買いに行く妻を見送って、 僕はまず風呂に入った。 のんびりと本を読み、風呂掃除して、 あがってからもややのんびりとした。
そっからはノンストップ。 ミヤタクラジオを聞きながら作業に入った。 まずはシュー生地作り。 計量して熱して混ぜ込んで… というさなかに妻から連絡が入る。 お義母とともにベビーカーの幌の色に悩んでいるというから、 みんな素敵だよという旨の返事で済ませて、作業の手は止めない。 シュー生地を焼成しながらカスタードを用意、 さらに掃除機をかけたり細々とした掃除をした。 茄子と人参、半熟卵のアチャール。 シンガポールライスの準備。 チヂミの用意。タレを用意。チヂミを焼く。 妻は遅れるらしい。13時を過ぎるとの連絡が入った。 ミヤタクラジオは中断。 ミヤの話の、チェーンの蕎麦屋で 有線でTWO-MIXがかかっている悲壮感というのがものすごい面白かった。 悲壮感という単語じゃ全然いいきれない味わい深さ。
客のやってくる予定の12時半になって、最低限の準備は済ませた… というところで妻からさらに連絡。みなさん遅れるそうだ。 となると都合がいい。 最低限でなく、あれこれと整えていった。 13時前になってまずお二人やってきた。男性二名。 一人は人口論の研究者で、もうひと方は介護職に就きながら 福祉社会科学かなにかに通じているとの触れ込みだ。 部屋に案内し、くつろいでもらう。 やはりというか、部屋についてはもりだくさんの讃辞を頂戴した。 とくに庭がお気に入りの様子だ。 手土産をもらった。スイーツと紅茶。後で出すことにした。
13時過ぎ、妻帰宅。ベビーカーは問題なく買えたとの由。 腹が減ったと喚く。 まだ一人来ていないが、食べ物を並べていくことにした。 まずはアチャール。 インド料理でスパイスの漬物ですと伝える。 一緒にチヂミも。 今日は多国籍につまみを振る舞うのだ。 つまんでもらっているうちに最後のお客が来訪。 小さい出版社の社長格にあって、 ライター業と編集業を兼ねつつ学術研究もしている… 僕の知る限り最大の知の巨人。 存在は10年前から知っていたが会うのは初めてだった。 手土産にはピスタチオのケークを頂戴した。 とりあえず部屋に通して、僕は引き続き料理を出していった。 鴨肉のスモークはいつもどおり。 りんごをくたくたにしたものにバルサミコソース足して煮つめて わさび少量を溶かしてかける。 シンガポールライスはパクチーたっぷりめ。 途中途中でジンジャーエールや差し水の手配、 洗いものなども片付けながら、 とどめはホワイトアスパラガスのリゾット。 食べきるにはかなりの量を出してるけど 今回は4人相手だしあまったら僕が食べるし、 というつもりで強気に出してみた。 いずれの飯も好評いただけた。 一通り食べ終わった頃を見計らって、 妻にコーヒーを淹れてもらいつつ、 僕はシュークリームを仕上げ、 さらにもらったケークとスイーツを並べた。 コーヒーは3人分までしか淹れられないから、 僕と妻はいただいた紅茶を飲んだ。 フレーバーティーもたまにはいい。
ノンストップで動き続けて3時間半。 14時半過ぎ、ようやく一息ついた。 みなさんは居間で卓を囲み、 僕は廊下に陣取って、茶を飲んだ。 こっちきて一緒に…ともちかけられたものの、 身の上話、世間話に興じているうちは話に加わる隙間がなかった。 が少女漫画について話をふられ、 イヨイヨ逃れられんとなってチョイと語ってみた。 あまり上手には語れなかった。
今日はおおよそ話を聞く側に回っていた。 ライターの方はたくさんの本のゴーストライターを勤めている。 もろもろ裏話を聞けて楽しかった。 人口論についての話は、 おおよそ本で読み知っている通りで取りててて新鮮さはなかったが、 自分の危機意識が補強されたような気はした。
夕方になってようやく学術的な話が始まった。 彼らは毎年一回文学フリマで文芸誌を発刊している 文芸サークルで、今回はテーマをアジールとしている。 これについては僕も語れるから、そこそこ突っ込んだりもした。 マルキスト、構造主義だとかいった言葉は 本でもネットでも文章ならありふれてて何にも特別じゃないけれど、 こうして話し合いながら自然に口に出されるのは新鮮だ。 彼らにとっては当たり前でも、僕にはほとんど初めての経験となる。 様々な問題が内部化、外部化という言葉でまとめられるのは辟易したし、 問題提起ばかりでその先をなかなか語ってしまえない撞着にものれなかったが、 それでも有意義な時間だった。 東南アジアのモン族という山賊の部族の話が興味深かった。 自給自足な生活手段で国からの統治を免れてたけど 結局目をつけられて国家への帰属を求められる、 しかし結局彼らはそれに背いてその地を離れ、 フランス領ギアナだとかで新たに村を生成している… これは行為のアジールなのではないか、というアプローチだった。 あとこぼれ話として出た、ラオスのある部族の例。 先進国家からすれば、あきらかに不効率な生産手段をとっている彼らに、 企業家がこれこれこうこうこうしなさいと理路整然としたアドバイスをしたそうだ。 それを聞いた彼らは、反論するでもなく、うなずくでもなく、 …ッヘヘ と小粒の笑いで受け流したという……。 なんだかすごい面白い話だと思った。
あとはなんだっけ…。 資本主義社会のどん詰まりについて、 希望と絶望についてはどうでもいいけど…という流れで、 では理想についてはどうか、と訊いてみたかったけど機会を逸してしまった。
18時過ぎに解散。 最低限の片付けだけ済ませて寝室でちょっと休んだ。 参加者の一人から 今日出してもらった料理の名前を教えて欲しいと 妻へメッセージが来ていたのが嬉しかった。 そういえば先週もてなした妻の同僚男性からも、 あのときかけていたBGMを教えてくれとのメッセージがあったそうで、 しみじみうれしい。
最近は客が来たらもっぱらBGMにLo-fiかけてる。 Youtube動画で3時間くらいかけっぱなしにできるし 曲には盛り上がりどころがなく耳馴染みよくって さらにはミニマルなアニメーションがなんとなくおしゃれだから。
19時過ぎ、シンガポールライスとアチャールの余りを妻に出して、 僕は自転車旅に出た。 2、3時間のつもりでとろとろと行き先も決めずに漕いでいく。 春の夜気がちょうちょうきもちよかった。 久我山駅付近に八百屋があり 20時を過ぎて開店してる八百屋はめずらしいなと近寄ってみると マイブラがかかってた。異様。 女店主はマスクもしてないし。 なんか買ってひと声かけてみようか悩んだけど 買いたいものがなかったからやめた。 しかし外で聞くマイブラは格別に良かった。 家に帰ればいくらでも聞けるのになんだろうなこれ、 偶発性が生っぽい歓喜を呼んで…ああこれ題材にできるな。
久我山から烏山方面へ。 最短距離ではなく住宅街をぐるぐるまわる。 烏山でブックオフにだけ入った。 本二冊と湯神くんを10巻まで買った。 方角もわからないまま三鷹台を目指して、 再び住宅街をぐるぐる。 自由な連想がはかどっていく。 今日の会話を思い返したりしつつ、 住宅のつまらない景色に感じ入ったりもした。 狭い路地を車が通り抜ける。 その車からの視界を想像する。 いい景色だ。 暗くて、前面だけがヘッドライトに照らされて、 寂しいし、虚無的で、疲弊感を誘う視界。 なにしろ車は屋内だ。前へ前へ動く部屋。 徒歩や自転車では味わえない体感がある… その視界のギャップに浸った。 いくつもの団地も見かけた。 それに古いアパート。 これらも格別にいい。 どうして今あのアパートの階段をトントン上がって ドアを開けてしまえないのか。 中に入って飯を食べられないのか。 そっからわらわらと人を集めてしまえないのか。 何も考えず住み着けないのか。
実際にそのアパートに住みたいといえば違う。 達成したい目的ではなく浸りたい欲望。 今日からこの家に住む、と現地感で決めること。 誰がいようが関係ない。 名前を失いのけること。 誰が誰でもよくなること。
三鷹台に着いた。 ラーメン食べたかったけど諦めた。 駅前に一件だけあったラーメン屋に入ってみればよかっただろうけど 麦麹がどうの、という謳い文句に冷めてしまった。 なんか900円だしたくないと思った。
家帰ってからサッポロ一番塩ラーメンに卵とネギ入れて食べた。 うっま…
トキノ読みたい人をTwitter上でも募集してみた。 ビックリするような名前の人からDMがきた。 いつもツイート拝見させております…という文面だけれど もうずっとまともなツイートなんかしてないし… といろいろ不気味で なんか裏のあるアカウントかー? と思われたからツイート追ってみたら どうやら早稲田生でデリダがどうとかいってる。 うろたえながらDM返してみた。 読んでくれるんだろうか。 プロフィールにNTR百男合好きみたいな表現があって はじめはハテナだったけど これ多分百合の女女の間に男が入ることによる寝取られってことだよな… 面白い表現だと思った。
民話読み聞かせて寝た。
2022年04月22日(金) |
金曜日の習慣、金の価値、トキノ限定公開 |
晴れ。 でも昨晩は雨が降っていたから外に出しておいたダンボールはズブ濡れ。 ゴミ捨て場に運ぶのが重いし、破けそうになる…。 ペットボトルが一緒じゃなければ別に苦でもないのに、 どうしてお前らは同じ日に…そしてねらったように雨が降る…
弁当は筑前煮あっためて詰めただけ。 冷えても美味いんだなこれが。
ブルーピリオド読んでみた。おっもろ。 お母さんを絵で説得するシーンと 天才が主人公の絵の意図を読み取ってくれたところで泣きそうになった。 日々日常の視線目線のレベルが変わるって大事だよなあ。 ちょっと意識的に心がけよう。 なにげない散歩でも観察するとこ山ほどある。
そういえば仕事上で心がけていること。 いや無数にあるのだけど、 金曜日はとりわけ優しくするというのがある。 どんなに部下が…先輩後輩上司問わず、 同僚がありえないようなミスをしても、 サボり気味でも、不徹底でも、厳しい指摘はしない。 指摘自体はする。 普段なら敢えて厳しい言い方を採ることもあるけれど、 金曜日の午後には、極力オダヤカーーー…にしておく。 あがっていく彼ら彼女らへの「お疲れ様です」の一声も、 ほんのりと和やかに、親しげに、機嫌のいい感じにする。 絶対に仕事のことなんかで落ち込んだ週末過ごさせたくないので。 これは自分のためにもなる。 相手がちゃんと週末リフレッシュしてくれたほうが職場環境整うし、 必要だとはいえ誰かを責めるような調子は自分も気分悪くなるし。 土日は聖域なのだ。
お金について。 世間一般と比べて、僕はかなり、お金というものに価値を置いてないほうだと思う。 金…というか貨幣というのは代替と補いに特化している。 僕はたまたまそれなりに健康体で、 さらにモノに頼らずとも満足感を得やすい質で、 そして金を使わなければ自身の欠如を埋めるのが達成しにくいという人性を送っていない。 健康でない、障害がある、心が弱い、勉強できない、 自信がない、異常性癖がある、愛への飢えがある、 見栄を張りたい、人よりよく思われたい、モテたい、 安心感を得たい、気晴らしばかりしていたい、 いい暮らしがしたい、労を割きたい、所有したいものが多い、…… いずれも「欠如を埋める」ための金遣いであって、 こうした性質をもっているほどその人にとって金の価値は高まる。 そうした欠如がなければ金は必要とされない。 だから、ものすごい性格の悪い言い方をすれば、 金の価値を高く置いている人を見下している。 その人が世間並みより資産保有していようがいなかろうが、 あぁ欠如のある人なんだね、と思う。 いやそれ自体は全く構わない、その人自身の価値…というか存在する意味には まったく影響しないのだが、 そうやって金の価値を信仰しておいて、 「金の価値をわかってないやつは困る」という思想をもっている人間は、 いい悪い以前に道理が破綻していると思う。
で単純な話、今僕が大病に冒されたなら、 途方もない金が入用になったりするわけです。 あるいは悪人から騙されたり、近しい人から裏切られたり、 近しい人を助けたい、 あるいはどうしても宇宙にいきたいといった境遇に置かれたとき、 金の価値がグンと高まるわけです。 それは 「それだけの生命力がなかった」 「生活習慣を整える能力、努力が欠けていた」 「騙される程度の人間力しかなかった」 「人を助けるための権力や体力や能力が足りなかった」 「体内にロケットエンジンを生成、稼働させるだけの機能を持ち合わせなかった」 というだけの話で、 やはりそれも欠如によるもの。 やっぱり金は大事だった、とはなりません。 自分が、金を要する立場に成り下がったというだけ。
一見するとドライというかニヒルなようだけれども かなり前向きなものの見方だと思う…といっても そうそう人には伝わらないだろうな。 途中を省いて結論だけいうと、みんな金なんかに振り回されるなよって話です。
トキノは限定公開とした。星空文庫で。 Twitter上と読書メーターで呼びかけて、 読みたいとリクエストしてくれた人にだけURLをさらす。 でも1週間くらいだけにしておこう。 とりあえず即座に一人からだけ反応が来た。 Twitter上で「傷つけられた記憶」という企画で文を募集した人で、 僕はヘテロトピアを書き上げたのだがそんとき無反応だったんだよな。 金原ひとみを信奉している、 身体感覚と性意識みたいなところを基点としたその人には ぜってーわかんねーだろーと思われるのだけど それでも読もうとしてくれるのはうれしい。
今夜中に明日の準備ちょっとはしておくべきだったのだけれど なんか疲れちゃって 民話読み聞かせだけして寝た。
2022年04月21日(木) |
ワイドショーの文字隠し、もったいない天ぷら屋、トキノ振り返り |
まあまあ晴れ。 朝のワイドショーでオヤーと思ったこと。 ニッポンのワイドショーでありがちな、 でかでかとしたフリップにあらましの図示と 人物の発言などがまとめられてあって 部分部分に貼られているシールを 司会者が剥がしていく、というアレ、 今はそれをフリップじゃなくて 大きめのモニターで映し出しているのに、 擬似的にシールのようなマスキングで文字列を隠しておいて 司会者の進行に従ってパッとそれが消えて文字列が見えるようにする、という…。 多分しばらく前からやってるんだろうけど。 なんかびっくりしてしまった。 アホくさっ1
弁当は昨日の残りをあっためて サラダと鶏むね肉詰めておしまい。
僕は昼を、会社近所の天ぷら屋で食べた。 客はひしめきあっているが会話はない。 男ばかりが集まっている。 店内はカウンター席のみ8席ほど。 カウンター内でせわしく動き回るのは三人。 店主と思しき壮年男性と中年女性二名。 店主が天ぷらをあげ、ご飯をよそい、もりつけ、 配膳までしている。 女性がたは皿洗いと皿出し、会計、注文聞き取りなどをしていた。 僕は700円の天丼を注文。 ここでは天ぷら丼のことで、エビ天丼は1000円の別ものとなる。 果たして天丼は…ちょっと天ぷらが物足りなかった。 小ぶりの海老、小ぶりのキス、小ぶりのイカ、 あとはカボチャと海苔一枚の天ぷら。 この立地で700円なのだから、時勢柄まったく、 これでけちくさいとは言えない。味もいい。 でも海苔一枚の部分にスゴくがっかりしてしまった。 これが750円で、海苔一枚が薄めでもさつまいもやししとう、 いやなんらかの野菜であったなら…と なんだか失望というよりはもったいないような感じがした。 経営上のコストは原材料だけじゃない。 海苔一枚が野菜になれば、 仕入れに付随する諸事情から別のコストがもろもろ上乗せされるし、 なにより下処理にかかる労力的なコストが加わる。 そこに職人の精神が表れると信じたいからこそ、もったいないと思った。
西荻から帰り、八百屋と肉屋に寄ったが タケノコの水煮を買い損ねた。 帰り道の途中にある慣れない八百屋に入ってみると ありのままのタケノコが売っている。 今は旬だ。 だがタケノコをそのものから調理したことはない。 その旨を伝えて店主に調理法を尋ねてみた。 両端を切り落として、皮を剥いて茹でればいいという。 なるほどそれはカンタンだ。 なにもびびることはなかったのだ。 旬だと美味しいですものねえとかるい会話を交わして店を出た。
夕飯は筑前煮。 どんこ椎茸をレンチンして戻し、 鶏肉を炒めて…としているのと並行して、 店主に言われたとおりタケノコを調理しようとしたところで、 剥けども剥けども皮が続く。 はてな、これでは可食部がほとんどないではないか…。 改めてネット上から検索かけてみると、 なるほどなかなかタケノコの下処理は面倒だ。 皮は剥かずに、赤唐辛子を入れたお湯で 1時間以上は煮込んで、それからさらに水に浸して 8時間は置かないと、なかなかえぐみが取れないという。 店主、全然教えてくれてないじゃん! でも今更なのでハンパに皮むかれた状態で煮込んだ。 今夜の筑前煮にはタケノコ無し。 いやヒトカケだけ最後に入れてみた。 なるほどまだ味こそ染みてないが食感は抜群にいい。 筑前煮自体も美味しくできていた。 どんこ椎茸が汁気を吸ってくれて美味しいこと。
食後、妻からトキノの感想を頂戴した。 まず、面白かったの一言を得て安心した。 テンポもよく、なかだるみせず、 またこれまでと比べて読者のことを考えてくれていると、 読みやすさに感心してくれたようだ。 一方で、やはりところどころわかりにくいと。 安和野家の実像がイマイチつかめない。イメージがわかない。 また新興住宅地のイメージが、自分の経験と乖離している。 伊東は安和野とどんな関係にあるのか。 時系列。 スカートの山の意味が浮いている。 あとは、安和野が男たちみんなを標的にしているのに対して、 主人公は「誰がトキノを救うのか」としている。 そこんとこのつながりが弱いんじゃないか、とも。
おおよそ、悩んで悩んで削っていった部分がほとんどだけれど、 その最低限で伝わらなかったならばこちらの力量不足なのだろう。 今更へたに書き足したくもないしな…。 でもちゃんと読み込んでくれてて嬉しかった。
書き足すとしたら大幅に、この本編の15年前にあたる過去編と、 13年後にあたる後日談を形にしてみたくはある。 前者はアジールの楽しかった頃とそれに伴う問題、 あと安和野父の事件の真相。 後者は、トキノがどれだけ男たちから愛され、また大変な目に会いながら育ったか。 この町をどう見ているのか…の話になる。 けど、書かないかな。もうそんな時間がない。
ネット上に投稿して終わりはもったいないから どっかの賞に応募してみたら、と妻はそそのかす。 僕がそれをためらうのは、この作品は小説としての強度が低いと自覚しているからだ。 小説としての体裁を整えるとなると、 もっと人物の変化はあるべきだし、 場面が変わって話をしているだけではストーリーがないし、 描写だって少ない。 いろいろ不都合がある。 賞は「小説」という枠組みから加点減点するから、そぐわない。 そんなようなことを言ってみたが、口にしてみると瑣末だなとも思う。 ちょっと悩ましい。 とりあえず公開は控えることにした。
入浴前、冷やされたタケノコを単品で口にしてみた。 うん、食感は抜群だ…が… これが、えぐみか! 辛いとも苦いともちがう、 口の中にへばりつく不快感… 頬張ってそのまま風呂に入ったから入浴中ずっと味が残っていた。 なるほどこれは侮っちゃならんな。えぐみ恐るべし。
時間あったら求肥のリベンジしようと思ってたけどできなかった。 週末やるか…? 民話読み聞かせて寝た。
2022年04月20日(水) |
和の精神、日米仏の論理、寄り添い |
雨。なんか寒い。
弁当は豚肉茄子バルサミコソテー。 醤油はきもち少なめ。
ネット上で見かけた話。 過去、村を作り上げるゲームで 外国人プレイヤーの隣に領地を設けてしまったと。 そのプレイヤーとは同盟関係になく、 すると限られた資源の奪い合いという事情から、 いろいろとリスクが発生してしまうと。 で、同地にある資源を、じゃあ2分割するのが 両者がうまくやっていく公平な折り合い方であろうと 投稿者は思ったらしいのだが、 外国人プレイヤーは2あるうちの2つともをよこせという。 不本意ではあるものの、これがきっかけで 各々が所属しているチーム同士の戦争が起こりうる恐れを見越して、 要求を呑んだと。 そしたら今度は、やっぱお前出て行けと。邪魔だと。 せっかくこの前は折れてやったというのに、 これでは全面的に取られ損で理不尽だ、 これは呑めないと撥ねつけたと。 で、 仲間のみんなもそりゃあフザけた話だと共感してくれたと。 でも仲間の外国人がいうには、 向こうは向こうで当然の振る舞いをしているだけだと。 取られたくないならはじめからそういう態度で臨めばいいのに、 一度言いなりになったくせしていきなり反抗してきたら、逆に なんだコイツわけわかんねえ、となると。 だから、はじめから撥ねつけるべきだったんだと。
日本人の考え方を当たり前にしていると あたかもそれが正常で それ以外を異常にとらえてしまいがちだけれど なるべく多角的視点をもっていきたいですね、 という話にまとまっていて、 まぁそれはそうなんだけれども、 “和の精神”をあんまり対外的にさげすまんでもいいと思う。 「グローバル社会を勝ち抜くためには」とかいうアホなお題目の上では、 たしかに和の精神は非合理で非発展的で、数々の問題をはらんでいる。 でもそれは 「グローバル社会を勝ち抜くためには」とかいうアホなお題目の上で通じるだけで、 別にこれはこれで、普遍的ではない。
あと別のちょっと面白かった記事をメモ。 出版された本の著者のインタビューらしかったけど、 主題が論理について。 論理といえばさも普遍的で、扱い主を問わず、 恣意的な揺らぎが除外された画一の原理があるようだけれど、 実際には全然そんなこと無いよねっていう。 その具体例として、アメリカにおける論理と フランスにおける論理の違いを挙げていた。 アメリカの大学では、ことさらにエビデンスが重視される。 主張があり、証拠となる材料を3つ上げて結論に至る。 この定式をより実現している論法こそが強い論理だと。 比べてフランスでは弁証法を重視する。 主張があり、それに反する論を自ら挙げ、 両者の矛盾点を調停させた新たなる主張を叩き上げる。 アメリカの方はスピーディーで主格が明確で、 とかくビジネスに最適の論理とされる一方、 フランスの方は反証に過去の哲学者の弁を引用するのが常であったりして 政治的な意見を構築するのに最適であるらしい。 うーん面白い。 この本買って読みたいな。
トキノを書き終わり、 いよいよ割拠の方を再開させようと初めから読み直してみた。 読めたもんじゃないだろうと思われたが 案外面白かったしヘタでもなかった。 というか書きたいこと書いてるだけあって 心境の文章はかなりキレてる。 同じ文を今書けってなっても書けんだろうな。 なのに続きを書かなければならんのだ…。 なんて楽しみなんだ…。
で ちょっとだけ書き進めてみたら、書ける。 ああ、最後までたどり着くの楽しみだな。 産みの苦しみ絶対きついけど、楽しみありあまってるな。 これまで書いたことのない、激情の嵐を文にしたためてみたい。
夕飯は牛肉キノコ野菜の中華風あんかけ。 ちょっとだけ塩分控えめ。 正直、もっと醤油を足した方が美味しいのは明らかだったけど、 このくらいの塩分濃度に慣れていきたい。
寄り添いについて。 Twitter上で相互フォロー関係にある、 僕の敬愛している氏が、 「”寄り添い”が具体的に何を指しているかわからない」 と問題提起していた。 ここしばらくで見聞きするようになった、 主だってフェミ関連…もうちょっと広くいって、 女性を主格とする文脈で用いられやすい言葉だ。 氏は、「共感する」との違いが不分明だと指摘する。 どんな具体的な行動をもってして、「寄り添う」となるのか。 それは、いうなれば「忖度する」に置き換えられてしまえないか。 といった問題提起…というか他意を含まない 単純な”疑問”として提示されていて、 なるほどこれは一考の余地あると僕も思考を働かせてみたのだった。
その糸口は思わぬところから。 数年前に拡散されたギャルのツイート、 天皇の誕生日をものすごく軽く、しかし親しげに、 ハートマーク付きで「おめでと」と祝い、 「あんま絡みないけどこれからもよろしくね」 という一文を添えた……あの画像。 たぶん彼女からは遠い界隈にこそウケたあのツイート。 に対する言及で、 「これこそが我が国における天皇陛下の在り方を、 ほとんど理想的なまでに表しているんじゃないだろうか」 というものがある。 「”あんま絡みないけど”という言い方からは、 まるでたまには絡みがあったかのような印象を受けるが、 実際に”絡み”がなかったとしても、 ここにはどこか、天皇陛下が我々に 寄り添ってくれているような体感が表れている…」 と続く(うろ覚えだけど)。
なるほど、ここでいう「寄り添う」は、 語法として昨今の文脈に導入されている「寄り添う」と合致するものだ。 しかし、「優しくする」とも「共感する」とも 「忖度する」とも言いかえができない。 天皇陛下が我々に向かって、直接的に何をしてくれたわけでもない。 ただ、我々の方 「寄り添ってくれている」 と(勝手に)感じられるかどうかが核心となっている。
これだ。 「優しくする」も「共感を示す」も「忖度する」も、 これらはいずれも能動者の行動および主観だけで成立しうる。 ところが「寄り添う」を判定するのは受動者の方だ。 具体的な行動がなんであれ、 あるいは行動がとられずとも、 この語は独立的な意味合いを確保できる。
「もっと被害者に寄り添った考え方をしてほしい」 という命題に対して、 「じゃあ具体的に何をすればいいっていうのか。 そうだね、大変だったね、と優しい言葉を向けたり 共感を示せばいいのか。 問題点を解消、解決する案を差し出せばいいのか。 多少おかしなところがあっても目をつむって、 被害者を全肯定するような忖度を計ればいいのか」 という考え方では、働きかけは能動者に閉じられている。 受動者(ここでは被害者)が 「優しくしてもらえた」 「共感してもらえた」 「肯定してもらえた」 と実感できて初めて「寄り添う」は実現する。 そういうことだと思います。
で ここで問題提起が円環して、 「そうだったとして、じゃあ具体的に何をしたらいいの?」 となると話はこんがらがってくる。 僕が思うに「寄り添って」には、 (あなたの良識や誠意や動員して) (何が寄り添うことになるのかを自分で考えて) (能う限り実践してみてくれ) といった含意がある。 つまり「何をしたらいいか」に対しては、 「自分で考えろ」が答えになるんじゃないか。 それができない、しようと思えない人物は、 すでに「寄り添い枠」から落選しているという。
昨日から引き続き、モロッコの民話。 ストーリーが説明不能だった。 面白かったけど。 タイトルの時点で面白いもんな。 「七人の兄を砂漠に追い出した娘」。 まあ実際には追い出したのは叔母だったんだけど…。
2022年04月19日(火) |
トキノ冊子苦戦、徒歩動画鑑賞、ガワ |
晴れ。暖かい。 8時過ぎに地震があった。 東京は震度2。 震源地である福島では震度5弱だったようで、 NHKは朝イチを中断して現地の模様を報道していた。
弁当はなし。 妻は今日は蕎麦屋に食べに行きたいらしい。 弁当作りはすっかり慣れたもんだけれど 作らなくていい朝は本当に楽だ。時間がだだ余る。
昼、ラーメン食べに行った。 脳から快感物質がビュルビュル出た。
縦書きにしたトキノを印刷し、折っていく。 79ページ分。 8面付けで両面16Pを5枚分。 切って折って貼って冊子の体裁へ。 で全部終わってから乱丁に気づくという…。 帰宅してからやり直すことにした。
荻窪のOKストアで買い物を終えたあたりのタイミングで妻から電話。 スマホの買い替えをしに行ったが手続きが遅れているとのことだった。 のんびり帰った。
夕飯、春巻き。 肉屋で買った、揚げれば済む冷凍のもの。 べらぼうに美味い。 椎茸によく味が染み込んでいる…。 あと皮がパリッパリに揚げられて最高。
妻の検診、順調のようだ。 現時点で逆子ではあるがこっから正される可能性は十分ある。 血液検査問題なし。 ただし高血圧気味。 妊娠期間中は血圧が高まりやすいそうで、要注意らしい。 塩分と糖分を控えてもらうこととなる。 まあ明日からか。 今日はオペラを食べた。信じられないくらい美味しい。
ソーイングビーの後番組のベイクなんとか見た。 第二回。ケーキ作りの後半戦。 同じレシピで技術を競うという企画はめちゃんこつまんなかった。 できあがり似通ってるし、スポンジ二枚にジャム挟んだだけだから 寸評もかなり味気ないし。 最後の、参加者それぞれがチョコレートを使い 自由にデコレーションケーキをつくるという、これは面白かった。 個人差がだいぶ表れてて、見た目を取るか味をとるか、 限られた時間内であたふたして……わかるーってなった。 一部市販品に頼ってしまったり、うまくいかんかったところ糊塗しようとしたり… 見た目的には森のケーキが気に入った。 木の葉や木の実、キノコまでが表現されててたいへん可愛らしかった。 でも見た目に同じく味も乾いてたって。 ……っつっても視聴者には見た目しかわかんねえからよお。 やっぱソーイングビーと比べて見応えねえっつうかよお。 でまぁ2名が脱落した。 初っ端の泣いてたおっちゃん、落とされたときは泣かんかったな…
トキノの冊子のリカバリ。 一度貼り合わせた部分を戻そうとしたらバリッとやっちまった。 諦めて、PDFをスマホで読ませるか…と思い 試してみたところかなり見た目が悪い。 なんか嫌だ。 文が表面的に読み流されていく感じがする。 一般書ならまだしも小説はダメだ。
ガワ、媒体って大事だと思った。 印象がまるで変わってくる。 どうしても本形式がいいと思い直し、 テープ貼りだらけで汚いが冊子状に整え直して妻に渡した。 明日読んでくれる予定。
入浴後、Youtube動画を垂れ流し。 雨の中をひた歩くだけの動画。 画質がいいしほとんど音声もなく、 基本的には環境音だけでたまに雑踏のノイズ。 歩きかたが上手いので画面酔いもしない。 いつまででも見れてしまうやつ。
今夜も民話はモロッコのを読んだ。 長かったので中断。明日へ続く。
2022年04月18日(月) |
性暴力被害者の弁、外国人との触れ合い、烏と亀の民話 |
曇り。肌寒い。 カーテンの具合はいい感じ。 明るすぎず暗すぎず。 ピーカンの晴れ模様でどれだけ日差しを通すかはまだわからない。
弁当はハンバーグ。 先週冷凍しておいたもの。 解凍の手間がなく焼けるから楽だな。 でもケチャップをかけ忘れてもうた。
電車内で、 性暴力に遭った女性の法廷における15分間の陳述の記録、 という記事を読んで涙が出てしまった。
で 全面的に味方したい一方で、 だからこそ冷静にものを見る必要があるとして、 やっぱり噛み合ってないな、とは思う。 男性の性欲についての言及がない、 内実としてはあるのだろうけれどもそれは 「魂の殺人、という表現でわかった気にならないでもらいたい」 という主張と同じ論法で、 加害者側と言論的な信頼関係が気づけない以上、 生きた話になりにくいだろうと思われる。 認知的な歪みを指摘するのであれば、そこには正常と異常の線引がある。 線引がある以上は基準が置かれるわけだけれども、 男性、女性という二項が同社会を形成している以上は、定点化されるものじゃない。 わかりやすい話、男性だけで構成された社会であれば問題にならないことが、 現実では女性も対等に社会を構成してるんだからそうはならないよね、となる。 男性にとって”それ”を歪みと認めさせるには、事実的な根拠はないということだ。
女性は厭わしいことだけれど、 こうして女性が苦しさを訴えるほど、 どれだけ傷ついたかを打ち明けるほど、 いかに理不尽な横暴で人生が狂わされたかを叫ぶほど、 それ自体が「性的な興奮を呼び起こす」こととなる、 そういう男側の性癖がある。 これを、認知の歪みだ、犯罪者の社会的逸脱因子だ、 と言い習わして一掃しようとしてはならない。
…でもこういう話、よっぽど長文じゃないと無理だな。 女性が人格ある一個人として扱われるために 男性が生の女性と接して傷ついてという経験をするためには 男性が人格ある一個人として扱われなかったという経験を しないで済むようにするためには…… とか延々続けられてしまう。
とりあえず今回思ったのは、 トキノを書き上げて 「祝福」について自分なりの答えを出せたと満足していたのに、 この作品書き上げたところでまったく 性暴力に苦しむ女性を救えなんかできないってところで ものすごい無力感に苛まれた。 うぬぼれるなって話だけど それはそれとして実感してしまった。
帰路、 荻窪駅着いて改札出て階段降ろうかってところで 中東系?の若い女性から話しかけられた。 日本語は覚束ないようだが手の上のカードを示している。 留学生なのだがお金がなく、お菓子を売っている…とのことだ。 このテのおねだりを久しぶりに見かけた。 会釈だけして階段を降りた。 …のだが、 引き返した。 あれに何か裏があったとしても、 組織的な運営としては費用対効果悪すぎるし、 これを入り口としてなんらかの続きを目論んでいるなら無視すればいいし、 といった数々の判断を働かすのもなんだか馬鹿馬鹿しいと思った。 聞けば、一つ500円で売っているという。 チョコレートの詰め合わせのような菓子袋。 正直いらない。 お菓子はいらないのでこれだけどうぞ、と 1000円だけ手渡した。 礼の言葉を聞くのもためらわれて逃げるように去った。
21時半、ちょっと肌寒い雨の中女性一人で、 マッチ売りの少女よろしく500円を得ようと頑張っている。 1000円渡したからってなんだっていうのか、 暖かい言葉の一つでもかけてやれたんじゃないか、 とぐるぐる考え込んでしまい、 いいことしたなあなんて全然浸れはしなかった。
どうして 「じゃあウチにおいでなさい、飯ぐらい出すから」 と声をかけてやれないのか。 そりゃあ、 家にいる妻は身重で今はなんらのリスクや不安をかけさせたくもないし、 コロナ禍でもあるし、 その誘い自体に問題がありもするだろう。 それらがなくったって、なんだかんだで”理由”が発生して、 結局手を差し伸べたりはしないのだ。 金はたいていのことを肩代わりしてくれる。 でも本当は、肩代わりでない方の本質を、自らまかなってやりたいのに。 やりきれない。 せめてこの無力感、焦燥感を糧にして、先々につないでいきましょう。
夕飯は豚しゃぶ。 玉ねぎのスライスは レンチン40秒後空気に10分さらして時短の辛味抜き。 ポン酢をかけて万能ねぎ散らして食べる。美味しい。
妻からいくらか報告を受けた。 来客の予定がちょこちょこ入る。 コロナと妊娠の反動で近年稀にみるリア充ぶり。 まぁ子どもできる前に会っておきたい人は多いしな。
文章作品をアップするため、星空文庫に登録した。 小説投稿サイトで検索すると、 浮わついたバカみたいなプラットフォームがたくさん出てくる。 比べるとこの星空文庫というのは、 ランキング機能もないしレビュー機能もない、 ユーザー同士の馴れ合いというかコミュニケーション自体もないし ただ小説を投稿公開するだけ、というシンプルさで、 利用者数は少ないようだけれど 自分にはいちばん適していると思った。 しかし自己紹介で参ってしまった。 とりあえず、感想もらえると嬉しいですの一言は入れておいた。 この利用者数の少ないサイトで、 僕のなんら人を惹きつけはしない作品をたまたま読み通した人が、 わざわざTwitterでDMしてくれる…なんて思えないけど、 まぁ望むだけ望んでもいいだろう。
洗濯物干して寝室へ。 モロッコの民話がキレていた。 天使の結婚式があるから招待するよ、 と烏が亀に呼びかける素敵な導入。 烏の背に乗った亀は 空からの景色はどうだいと聞かれる度に、 美しい比喩で景色を讃える。 でもある高さまで達したとき、亀は背から落ちてしまい、岩場に激突。 烏はその亀の飛び散った死骸をついばむ…。 「天使の結婚式に招待されようなんて輩は、 こんな末路をたどる宿命にあるのです」 という唐突なナレーションで終わり。 マジかよ……。 烏と亀が仲良さそうに思えてたからかなりつらかった。
2022年04月17日(日) |
コンサルもてなし、オーシャンゼリゼ、トキノ完成 |
日曜にしては早い8時に休日トーストを食べ、 妻は身支度を、僕は家事を済ませた。 オペラの様子は…かんばしくないが、 それでも、ちょっとでもマシになるようにと グラサージュを繰り返した。
妻は区役所へ。母親学級。 その間に、トキノの最後の場面を書き足した。 すごくいいのが書けた…。 昨日の南新宿からの散歩が生きた。 実体験を文章に落とし込むの、ちょっとどうかなとも思うのだけど、 今回はあんまりずっぽしはまって気持ちよかった。
11時過ぎに荷物が届く。レンジラック。大物。重い。 とりあえず玄関に放置した。 風呂に入って本を読み、再び執筆。あとほんのすこし。
13時ごろに妻帰宅、昼飯はぶっかけにした。美味い。 OKストアで買い物して、掃除機。掃除の仕上げ。 居間に行燈が導入された。見事に部屋にハマった。
予定よりちょっと遅れて、16時半ごろにお客さんが来た。 妻の同僚で中国の方。 毛並みのいい外資コンサルタントだからと身構えていたが、 とても愛嬌のある娘さんだった。 座布団に寝そべり膝を曲げ、おもいっきり寛いでくれて嬉しかった。 その20分ほど後に、今度は関西弁の方。 図体がでかく声もでかい。ノリがよい。 二人からは贈り物を頂戴した。 赤ん坊用の肌着と熊のぬいぐるみ。 箱から何から可愛らしい。ありがたいことだ。
僕は次から次ヘチ料理を出していった。 ホットケーキにランプフィッシュキャビア、 スモークサーモン、マスカルポーネ、フムス。 サラダは真鯛、バジルとベビーリーフ、カラートマト、ピンクペッパー散らして ドレッシングがオリーブオイル、バルサミコ酢、ブラックペッパー。 鴨肉のスモーク、リンゴソース。ワサビをちょっとだけ効かせてある。 マッシュルームのアヒージョ。 バゲットをかるく焼いて、バターちょっとだけ塗って出した。 これらをスローペースに、2時間弱くらいかけてぽつぽつ出していった。 代官山で買った和紅茶も好評。 やはり甘さが珍しいとみえて、 どこで買ったかを男性の方は強く知りたがった。 妻にコーヒーを入れてもらい、最後にオペラを出した。 好評だった。 なんとか側面も最低限は隠せたし… クルミの風味が抜群に良い。 コーヒーとも合うしな。 皆さんにも満足いただけたようで嬉しかった。 コンサルってえとホームパーティーやらギャザリングやら おうちでのモテナシされまくってんでしょってかなり怖かったけど 全体的にかなりいい反応もらえてたと思う。
19時45分にお客さんは退散。 まずは換気をした。 日が暮れてから一度、窓を開けたらと水を向けてみたのだけれど、 男性の方が暗い庭を怖がったらしく、笑った。 日が暮れる前には庭スバラシイ縁側スバラシイとテンション高めていたのに。 洗いものはぎょうさん。 リアルタイムでも洗ってたけど たかだか三四人もてなすのでも大した量だ。 カトラリーデビュー戦だったから、 水垢つかないように丁寧に洗って拭いた。
疲れたようである妻はに付き合い寝室で一緒に風光るを読んだ。 それからカーテン取り付けに着手した。 長年世話になったカーテンとはさよなら。 丈あってなくて用をなしてなかったからね… 新しい方は、壁色と同色でまるでつながってすら見える。 東南を15分程で設置した。 さらにドレープを足して完成となるが、 必要な生地がまだ届いていないのでそれ待ち。
入浴は早めに済ませた。 何を思い出したのか、 妻が オー シャンゼリゼー と口ずさんでいた。 シャンゼリゼー、の部分は聞こえるか聞こえないかのささやき声で歌う。 これは思い出の曲で、パリ旅行でシャンゼリゼ通りを二人で歩いていたときに、 実際のシャンゼリゼ通りでこの歌を歌うのは浮かれ過ぎで恥ずかしいから、 ということで、 オー と揚々声をあげてから (シャンゼリゼー) と小声で歌っていたのだった。 あのとき、なにかこう幸せの絶頂を感じた。 過去の一つ一つのがれきがうず高く積まれて、 その頂点に達したような気分が湧いたのを覚えている。
トキノ書けあがった! 嬉しすぎる。 村上龍が、限りなく…を書き上げたときに 道行く人に ねえ僕小説書いちゃったんですよ。 と吹聴したくなったって思い出を 文庫のあとがきかなんかで述懐してたけどよくわかる。 自分の書くものは、小説に寄せてこようとはしなかった。 表現したいものが第一にあって、 それがたまたま小説に近い体裁になっているかもしれないが、 小説という枠に収めるための成形をしたくなかった。 でも今回のこれは、小説なんだろうなと思う。 自分の表現したいもの…文学的な要素と、 自分の言いたいこと…社会的な要素とがうまく噛み合ったと思う。
すこぶる上機嫌。 今夜はもう夜に追われず、 ゆうゆう寝室に向かって 民話を読み聞かせて寝た。
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