HOSHI・HARU
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2001年09月16日(日) カナダ旅行記7

プリンスエドワード州の州都シャーロットタウンに着いた。あまり大きくなくコンパクトな街だ。
メインストリートからちょっと横道に入ると住宅街になる。その中に薄ピンク色の、日本で言ったら、かわいらしいペンションのような建物の前でマイクロバスが止まった。ここが今日から泊まるB&B(ベット&ブレックファースト)だ。

庭は、きれいに刈り込まれた芝生で覆われており、いかにもカナダらしい。建物はイギリス ビクトリア調といったらいいのか、凝った作りのテラスが付いている。そのテラスにテーブルと椅子を置いて、アフタヌーンティーを楽しんだら非常にさまになるような建物である。

我々は、ご主人と対面した。すらっと長身のおじさんだ。話してみると親切そうな人だ。早速部屋に案内された、そこは地下だった!エー地下? アフタヌーンティーはどこで楽しむのだ?! 窓は小さいのが天井すれすれのところに付いている。そこから見えるのは木の付け根と、裏庭に敷いてある小石だ。
こんな感じでスタートした。


2001年09月10日(月) カナダ旅行記6

いよいよ、世界一美しい島と言われているプリンスエドワード島へ向かった。
島の空港に着いた。小さな空港である。北海道の旭川空港に着いた時のことを思い出した。クルマで走りだすと、周りが広々としているのも北海道に似ている。人に説明するときは、まさに北海道だ。と言えばいいかなと思っていると、だんだん北海道とは違う面が見えてきた。
郊外には、いかにもアメリカにありそうなスーパーマーケットがある(1階建てで、駐車場がやたらと広い)。住宅街に入ると、イギリス調の芝生と花に囲まれたかわいらしい家がならんでいる。だんだん楽しみになってきた。


2001年09月08日(土) カナダ旅行記5

ケベックシティの近くにあるオルレアン島というセントローレンス川に浮かぶ島にいった。ここは、フランス系の人が開拓したが、島だったため外界と遮断され、現在でもフランス系の古い文化がそのまま残っているそうだ。

この島のある店で島の伝統料理を食べていたところ、フランス系と思われる団体客が入ってきた。この店には昔ながらの音楽をかなでる4人構成の楽隊がいた。フランス系の団体客は、すぐさまその楽隊の音楽になじみ、歌い踊りだした。日本で言ったらドンチャン騒ぎだ。驚いたのは、その立ち上がりの早さだ。ビールを一口飲むか飲まないタイミングでもうエンジン全開になっている。
さらに、ターボがかかってきて全員で手をつないで、店の入り口、店の中、店の出口、店の外につらなる輪を作ってぐるぐる回っている。

これが、ラテン民族なのか! 

私なりの言い方をさせてもらうと、彼らは楽しむための燃費が非常によい。
クルマ関係で言い換えると、彼らはスクーターのように40km/Lレベルの燃費で、かつ信号待ちからの出足が非常によい。

それに対して日本人は、2000ccのクルマのよいに8km/Lレベルの燃費で、かつ信号待ちからの出足が悪い。
楽しみを感じるまでには、大量の酒、食べ物、家電品、クルマ、ゴージャスな旅行が必要になる。

これが、良いことなのか悪いことなのかは、よく分からない。


2001年09月02日(日) カナダ旅行記4

ケベック州の州都ケベックシティに行った。ここの旧市街は、石畳と石作りの古い建物でできた、まさにフランスのようであった。ここはフランス植民地の拠点であったことを考えると、自然なことなのかもしれないが、フランス人のパワーを感じる。
ホテルのスタッフからもフランス語で話かけられた。実際街を歩くと、フランス人らしき人が沢山いて、フランス文化が街にあふれている。

フランス人は思ったより気取りはなく、くだけていた。若いフランス娘は非常にラフが服装をしていて、地べたにも平気で座っていた。思ったより身近な人達と感じた。

この街に来て、個人的に思ったことがある。私は中国に3回行ったことがあるが、
中国人とフランス人はどこか似ている。その共通点は、
・グルメである。両国とも世界トップクラスの料理を持っている。
・自己主張が非常に強い。自分の考え、感覚、生活を大事にする。
・ラフである。あまり細かいことは気にしない。
・芸術的に優れる。美術館、博物館に置けるような作品を多く持つ。
・カナダに多くの人が住む。

と、こんな見方をするのは私だけかもしれなが、こういう角度で見るのもおもしろい。
上記のように箇条書きにして整理してみると、日本人は漢字、米食など中国から深い影響を多く受けてはいるが、民族自体の特性としては、中国人とはだいぶ違うことが頭の中で整理できた。


2001年08月29日(水) カナダ旅行記3

ナイアガラ滝を見た。ホテルの部屋から見た。滝の下流側から見た。滝の上流側から見た。滝の真横から見た。滝の真下から見た。
どこから見ても絵になる滝だ。見ていて飽きない。

特に印象的なのは、滝の真横から見た光景だ。水が落ちていく際をずっと見ていると本当に吸いこまれそうになる。パニック映画に自分が出演している錯覚に陥る。

滝の真下から見た時、大滝泳一らの作ったアルバム「ナイアガラトライアングル」を思い出した。確かに僕も作曲家だったら、夏のアルバムにはナイアガラという言葉を使うだろうなと思った。「ナイアガラトライアングル」がむしょうに聴きたくなった。

ナイアガラ付近の人たちは、ある時から、工業の町をやめて滝の観光の町として生きていこうと決心したらしい。確かにその時そう決心させただけのパワーをこの滝は持っていると思った。

ナイアガラはまさに非日常である。その非日常を手軽に安心して味あわせてくれるのがこの街である。
確かにここはアメリカ資本等が沢山入り、シェラトン、ヒルトン、ハードロックカフェ、プラネットハリウッド等、大自然とは違う俗っぽいものが多くある。でも街に活気があれば、それでいいではないか。難しいこというな。と思った。


ほし・はる |MAIL

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