HOSHI・HARU
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↑この図鑑内です
私は、会社の英会話クラブに入っている。先生はカナダ人だ。 今日、その忘年会だった。一次会はイタリア料理店に行った。 二次会はカラオケに行った。カナダ人はどんな歌が好きなんだろう。 そのカラオケ屋には、英語歌のメニュー本があった。 みんな、カナダ人先生の好きそうな歌を入れながら、会は進んだ。 それで分ったことがある。共通なのは、 ビートルズだ。例えば、イエスタデイ、オールマイラビング、レットイットビー オブラディオブラダ等だ。この辺なら大丈夫だ。 あと、新たな発見だったのは、君の瞳に恋してる。だ。これは盛り上がった。 また、この男性のカナダ人はクイーンが好きだった。ユー・アー・ザ・チャンピオン等で盛り上がっていた。 皆様、何かの参考に。
その後、中華街に行った。(お決まりのコースなのかもしれないが) 四五六菜館という店が予約されていた。料理長が料理の鉄人に出たらしい。店の前に看板があった。そのため、かなり混んでいた。上海料理の店だ。上海なら行ったことがあるので、親しみを感じる。 やはり、当然席は円卓だ。今回は結婚式で集まった親戚10人が2つの円卓を囲んだ。このようにある程度の人数で集まる時は、円卓は非常に合理的だ。みんなの顔がよく見えて、話がし易い。さすが中国人よく考えたものだ。 料理もとてもおいしかった。私は中国と台湾で食べたことがあるが、ほぼ同じ味であった。特に前菜のチャーシューにあの独特の香辛料の香りをかぐと、あー中華料理だなーと思った。 中華街の通りを歩くとすごい人だかりである。不景気不景気といいながら何故こんなに人が集まるのであろう。
<追記・2008年9月> 某テレビ番組を見ていたら、円卓は日本の雅叙園が最初に使ったそうです。
外人墓地から、元町へ降りてきた。昔、若い頃、何度かこの辺に来たが、その時は何故みんなが元町元町と騒ぐのか理由がわからなかった。退屈な町だな。と思っていた。しかし今回十年ぶりに来てゆっくり歩いてみると、並んでいる店は洗練されていて、商品も魅力的なものが沢山あった。 この変化は何だろう。これは私自信が変化したのだろう。もしかしたら大人になってきたということなのかもしれない。十年の間に、仕事、プライベートを通じていろいろなものを見て、感じて(といってもたいした過ごし方をしてきたわけではないが)。いいものの良さが少しずつ分るようになってきたのかもしれない。 うれしいような、おやじになったと悲しいような気分だ。 でも、せっかく世の中にはいいものが沢山あるのだから、それをいいと感じられなかったらもったいないので、これでいいのだ。
次の日は、関内駅で降りて、歩き回った。 まず山下公園へ行った。ここはいかにも幸せの象徴のような場所だ。家族連れが海を見ながら、うみねことハトに囲まれている。子供が恐がっていながらも、親はうみねこにエサをあげたり、写真を撮るのに忙しい。
外人墓地も行った。初めは、どうしてこのような一等地を外人にお墓として占領されてしまっているのだろうと不思議だったが、外人墓地の入り口の記念館に展示してある資料を読んで理由がわかった。 横浜が開港するかしないかの頃、母国からはるばる横浜に来ていた外国人で、日本人に殺された人、横浜の発展に貢献しながら病死した人、天寿をまっとうした人他が眠っているようだ。それならば納得できるなと思った。
前に台湾へ出張した時、巨大な港町・高雄で、駐在している日本人にあった。台湾人の奥さんをもらった人、独身の中年の人らと飲みながら話をした。彼らは技術者で台湾人に技術指導している。一生懸命仕事に打ち込んでいる。彼らは身を捧げていいと思う程台湾が好きだ。と言っていた。 今、外人墓地の前に立ち、台湾で会った彼らを思い出した。
先日、横浜へちょっとした旅行をした。新横浜、山下公園、港の見える丘公園、外人墓地、中華街を周った。
ラーメン博物館へ行った。私はガチンコ・ラーメン道の佐野の「シナそばや」で食べたかったが、やはり人気が高いのか売り切れで閉店していた。8軒ぐらいのラーメン屋が並んでいる。店の前に並ぶ客の数で、どこの店が人気がありどこの店が人気がないか誰がみても一目瞭然なので、店にとってはこれほど厳しい戦いの場はないなと思った。 私は、ショップで、ラーメンどんぶり(いかにも昔ながらのラーメンどんぶり)、れんげ、ラーメン道Tシャツを買ってしまった。
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