不用品 買取 家庭教師 celeste blue

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心強い

2009年11月12日(木)

夜勤に行く前。
更衣室で着替えていると、仲良しの同期に会いました。
なんだか久しぶり。

「これから?」

「そう、夜勤」

「がんばろうね」

今年の3月までは、この同期たちといっしょにお金を払って勉強する立場だったけれど、今はお金をもらって働いています。

フシギ。
なんだかんだと出費が重なり、生活は一向に楽にならないし、勉強することはかなり増えたけれど、かぎりなく素人に近いプロなんだな、私たちって。

同期が夜勤だと聞き、ちょっと安心しました。
いっしょに働くわけではないし、夜勤中に顔を合わせることもありません。
でも、心強い。

さ、がんばってきますか。

おやすみ。


向上心

2009年11月11日(水)

もっともっと勉強したい。
がんばるんだもん。

おやすみ。


成長

2009年11月10日(火)

ひとの腕に、針を刺す。
最初は怖くて腕が、指先が震えました。
今もまだ緊張はしますが、それでもなんとか……、なんとかなっています。

よく聞かれます。

「もう、注射してるの?」

「してますよ」

そう答えます。
看護イコール注射につながるのでしょう。
だって、現に私だってそう思っていました。

とりあえず、今のところ、採血はそんなに難しいことではありません、私には。

これから、どうやって成長していくのでしょう。
落ちこぼれだって、成長はしていくのです。

おやすみ。


ごめん

2009年11月09日(月)

土曜日に、リトル比良に行ってから、また私の「登りたい」熱が復活してきました。

 山は、もういいかな……。

今年4月以降からときどきそんなふうに考えていた私。
「山」をやめても、バイクもあるし旅もできる。
日帰り温泉遊びをまた復活させてもいいし、裏山グルメの旅だってあります。
そう、趣味にできるものはたくさんあります。
新たにやりたいことだってあります。

 だから、山、をやめても……。

………。

リトル比良の約6時間の行程は、そんな私の考えを払拭(ふっしょく)させてくれました。
いえ、リトル比良だけではなく、いっしょに登った人たちの影響かもしれません。

山をやめようなんて、私にはとうてい無理だったのです。
山をやめようなんて、かなり私は疲れていたのでしょう。

もっともっと、登りたい。
もっともっと、いろんな景色を見てみたい。

あぁ、ありがとう。
それから、やめよう、なんて考えて、ごめんなさい。
すべてに、自分に、ごめんなさい。

おやすみ。


ラクチン

2009年11月08日(日)

リトル比良に登りました。
滋賀県の琵琶湖の西、比良山地北部の山並みです。
久々にまったくもって人任せの山登り。
幹事さんには申し訳ないですが、ラクチンです。

もちろん、自分の荷物は自分でかつぎます。
でも、企画をしないってホントにラクチンです。

好きな読図も今日はキャンセル。
純粋(?)に歩くことを楽しみました。
だって、地図は前日に穴があくほど眺めてきましたから。
だいたいのことは、頭に入っています。

アップダウンは激しかったけれど、楽しい楽しい山行になりました。
コースはけっしてラクチンではないけれど、精神的にラクチン登山。
いいですね。

けっこう、はまりそう。

おやすみ。


自分で褒める

2009年11月06日(金)

夜勤明け。
仮眠室でぐっすり。
これは仮眠ではないだろう、と思いながら、仮眠。
夕方からは勉強会。

私って、すばらしい。

おやすみ。


おと

2009年11月05日(木)

びぃー、びぃー。
ちゅいちゅいちゅい。

びぃびぃ。ちゅい。

鳥のさえずりで、目が覚めました。
彼らは、明らかに鳴き声は違うのに、何か会話をしているような感じ。
人間でいえば、日本人と中国人の関係でしょうか。
言葉は違うけれど、人種はいっしょ。同じ、アジア。

そんな鳥たちの異様な会話を聞いていたら、目がさえてきました。
私、今日は、夜勤なのに。

夜勤の日は、たっぷり寝ます。
でも、今日はそんな鳥たちの声で眠れませんでした。

「音」じゃありません。

どうしたのかな?
いったい、何かあったのかな?

そんな心配事でいっぱいで。

私の住む山は、いろんな「声(おと)」でいっぱいです。

おやすみ。


うれしかった。

2009年11月04日(水)

突然に「お呼ばれ」がありました。
でも、私は今日は21時まで定時の仕事があり、そこからお邪魔すると22時をまわってしまいます。
丁重にお断りしましたが、とっても残念です。

私はよく友たちを誘っていろいろと企画しますが、その逆はあんまりありません。
それは、私のスケジュールが詰まりすぎているから……という理由がいちばん大きな理由であると信じていますが、もしかしたら、私を誘いたくないのかも?

なーーーんて後ろ向きに考えていたこの数年(数年もかっ?!)。

私を呼んでくれた人たちがいました。
あぁ、ありがとう。

私のことを思い出してくれて、ありがとう。
今日は残念ながらお邪魔できませんが、いつかまた呼んでください。

彼らは私の日記を読んではいないだろうけれど、ありがとう。
ありがとう。
忘れないでくれて、ありがとう。

おやすみ。


こよみ

2009年11月03日(火)

今日は「ゴジラ」の日。
かつて(今もか?)ゴジラ……、いえ、ミニラに似ていると言われてきた私。
なんだか、うれしい♪


家族ごっこ

2009年11月02日(月)

「あのとき、独立すれば?ってすすめてん」

母がおもむろに話し出しました。
とはいえ、この話はよく聞きます。
何度も話したくなるほど、母は気にしているのでしょうか。

当時、宮大工だった父は、仕事仲間のすすめで一般の大工の棟梁として独立することをすすめられていました。
そのほうが儲けがいいから。
そして、母の一言で、工務店を経営する決意をしたそうです。

「あのまま、宮大工でいたら……ねぇ……」

しんみりモードで母が言います。
人生に「もしも」はありません。
でも、「もしも」を想像することは、楽しいことでもあります。

「あのまま、宮大工だったら、国宝だったかもね」

母が言いました。
まさに、そのとおりです。

父が屋根を張った清水寺の舞台は、もうほかの大工さんに張り替えられたようですが、それでも、そこは私たちには「父の遺産」。

国宝にはなりそこねたけど、私たちには「家宝」でした。
家族って、お互いがお互いを「家宝」に思うことなのでしょうか?

「家族」を途中でなくした私には、どうもよく思い出せません。

おやすみ。

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celeste [MAIL] [アルバム「紺と碧」]

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