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高級感

2010年07月06日(火)

急きょ、休みが延びた夫といっしょに、有馬温泉まで新婚旅行に出かけました。
新婚旅行といっても、これで3回目。
海外旅行に行く気のない私たち。
今年、行く旅はすべて「新婚旅行」と呼ぶことにしているのです。
海外に行くことを考えれば、かなり経済的。

しかし、あなどることなかれ有馬温泉。
日帰り温泉は格安で入湯できますが、泊まりとなるとそうは問屋がおろしません。
ネットで夫が吟味して選んだ宿は老舗中の老舗。
高級旅館が立ち並ぶ有馬温泉でもトップクラスの宿なのでした。

ま、たまにはいっか。
まさに新婚旅行だし。

ということで、車で1時間ほどの距離ですがかなり高級感あふれる旅になりました。
いつもなら山登りの帰りに立ち寄る有馬温泉。
ホントは高級温泉街だったんですね。

おやすみ。


洋食屋の2階で

2010年07月05日(月)

7月3日19時。
司会の人の車にのせてもらい、いつもの洋食屋さんに到着しました。
これからここでたいせつな仲間たちが開いてくれるパーティーが始まります。
これまで、何度となくこの場所でパーティーをしてきました。
そのたびに裏方として働いてきた私。
その私が今日は主役です。
最初は私が前の日にすべて準備していく予定でしたが、ふだんのパーティーでは何もしない洋食屋のオーナーさんが準備をしてくれるとのこと。
お言葉に甘えました。

小さな洋食屋さんですが、約60名もの友人たちが駆けつけてきてくれました。
予想していた質問大会に、披露宴よりも緊張した時間が過ぎていきました。
みんながギターや手品で私たちを祝福してくれます。
沖縄のソーキ蕎麦がおいしくて、みんなの笑顔がたのしくて、マスターが準備をしてくれたことが本当にうれしくて。
パーティーのあいだ、何度も何度も胸が詰まりましたが、じっとこらえます。

最後に私が唄います。
いつものようにいつもの場所で。
ギターをお守り代わりに抱えながら、みんなが聞きたくて聞けなかった私の「気持ち」と「これまでのこと」を唄によみました。

私の唄を期待している人は少なからずいて、長い長い唄を一生懸命に聴いてくれる人たちがここにいて、あぁ、なんて幸せなんだろう。

「結婚=幸せ」とはけっして思わないけれど、これだけたくさんの「あたたかい気持ち」を一心に集めることができるって、私は幸せ者だと思いました。

幸せな幸せな1日。
一生の思い出を、ありがとう。


披露宴のこと

2010年07月04日(日)

7月3日午前11時半。
母が選んでくれた鶴の模様の入った赤い色打ち掛けにお色直しをしました。
これも、親孝行のひとつです。
新郎がこだわりにこだわり抜いて選んだ披露宴会場から、友人の司会者がしゃべっているのが障子越しに聞こえます。
司会者だけでなく、ピアノ奏者もカメラマンもすべて友人に頼みました。
人見知りの激しい私。
できるかぎりリラックスして披露宴のときを過ごしたかったからです。
司会の合図とともに、総勢36名ほどの小さな小さな披露宴会場へ入場しました。
軽く参列者のみなさんに挨拶した後、新郎が梅酒の瓶を手渡され、各テーブルを回って宮崎から送ってもらった梅と氷砂糖を集めていきます。
「おめでとう」「ありがとう」が何度も繰り返されて5つのテーブルをゆっくりゆっくり回りました。
みんなが笑顔でいてくれることがとてもうれしくて、でもちょっと照れくさくて、素直な笑顔をうまく返せなかったかもしれません。
すべてのテーブルをまわって最後に沖縄の泡盛「かりゆし」を注ぎ、結婚記念の梅酒造りが終わりました。
宮崎と沖縄にこだわった理由はあえて言いません。

お世話になったウェディングプランナーさんの誘導でいわゆる「雛壇(ひなだん)」につき、司会の合図で乾杯。
式が始まり次から次へと新郎へビールを注ぎに友人たちがやってきます。
私と違いお酒にあまり強くない新郎。あっという間に顔がまっかっかになっていきました。
友人たちのスピーチがあり、ギターやピアノの演奏があり、式はどんどん進行していきます。
外は雨まだやまず。
それでも、音楽と笑顔にあふれた楽しい楽しい時間でした。

ときどきふと考えます。

去年の今ごろって、何をしていたっけ?
こんな式を挙げるって誰が想像したっけ?
 それよりも何よりも、今、私の隣にいる人と私が結婚するって、誰が奇跡を起こしたんだろう?

披露宴も終わりに近づき、新郎がこの1週間、まさに寝る間も惜しんで練習した三線(さんしん)で弾き語りを披露しました。
練習の甲斐あり、静かに静かに披露宴会場に新郎の歌が響きました。
そして、いよいよ私の番です。

途中から式や披露宴については、もう何も口出しするまい、表に立つまいとしてきました。
最後に予定されていた私からの感謝の言葉を伝えるプログラムも途中でやめにしました。
それでも、式の直前になって思いました。

 この式も披露宴も、ほかの誰のためでもない。
 私の、私と新郎のためのものなんだ。
 
そうして、昨日の夜、書き上げた手紙をひとつ、読み上げました。
私から新郎へ向けて。
これまでの気持ちと今の気持ち、そしてこれからの気持ちと。
伝えておきたいことは、言葉にしないと伝わりません。
それに、私がここで何もしないなんて、私らしくもありません。

不思議と緊張はしていなかったけれど、途中、この会場にいるみんなに、私にかかわるすべての事象への感謝の気持ちで胸が詰まって言葉が出てきませんでした。

あぁ、ありがとう。
ありがとうありがとうありがとう。

今まで以上に、何かに誰かに感謝する気持ちを忘れずに。

ありがとう。


厳かに、神前式

2010年07月03日(土)

朝6時過ぎに叔父に駅まで送ってもらいました。
8時には式場に着いて着付けをしてもらわなければいけません。
とくに緊張することもなく電車に乗り式場のある駅で降りると、雨がしとしと降ってきました。

雨、か……。
ワタシらしいな。

梅雨のまっただ中であるということは、今日、この日に式を挙げると決めたときからわかっていることでした。
それでもこの7月に式を挙げたい。
「彼」がこの世に生を受け、そしてこの世からいなくなったこの月に「誓い」を立てたい。
そんな思いから今日の日を躊躇(ちゅうちょ)することなく選びました。

徒歩20分の道のり。
歩こうかと思いましたが、雨がどんどん強くなってきたためタクシーをつかまえました。
窓の外をぼんやり眺めながら、今日1日のこと、そしてこれまでのことを考えました。
何度も新郎と意見がぶつかり、何がしたいのかもよくわからなくなり、それに疲れて途中から式に関してはほとんど自分の意見を言わないようにしてきた私。

今日も控えめにしておこう。表に出るのは新郎だけで十分。

披露宴会場に着きました。
先日会ったばかりのスタイリストさんたちが私の希望を聞きながら、私を楽しませながら一生懸命にメイク、着付けをしてくれました。
途中から友人のカメラマンにも入ってもらい撮影しながらの着付け。
まさに一生に一回のことでしょう。

白無垢を着て最後に綿帽子をかぶせてもらい、花嫁さんの出来上がり。
あんなにイヤだった白無垢と綿帽子だったけれど鏡の中の私はなんだか喜んでいるみたいに見えました。

そっか。
花嫁さんか……。

隣の部屋でずっと待機していた新郎とその両親、そして私の親と親戚たちも、それはとてもとてもうれしそうに私を眺めていました。

よかったんだな。これで。

母といっしょに徒歩5分の神社に向かうべくタクシーに乗り込みました。
神社の控え室には、式に参列してくれる人たちがところ狭しと座り、私の到着を待っていてくれました。
花嫁さんの化粧をしていることが気恥ずかしくてそわそわ落ち着きませんが、みんなが順番に写真を撮りに来てくれたり、お祝いの言葉を投げかけてくれたりして、最初はこわばっていた笑顔に少し余裕ができたように思いました。

巫女さんの指示を聞きながら、新郎といっしょに式の打ち合わせ。
その後、いよいよ式殿へ向かいます。
神主さんを先頭に新郎と私。
そしてそのうしろに親族、友人たちが続きます。
ゆっくりゆっくり、神主さんの歩調に合わせてゆっくりゆっくり花嫁行列は行進していきます。
途中から雨脚が強くなりまさに豪雨・土砂降り・横殴りの雨。
私にさしかけてくれていた番傘は雨漏りがしてきて、白無垢にポタポタと雨が降りかかりますが、ちょうど綿帽子が雨よけになりました。

世界遺産といわれる式殿に入り、新郎新婦用のイスに座ります。
巫女さんや神主さんの誘導で参列者も次から次へと着席し、全員がそろったところで結婚式のはじまりです。
厳(おごそ)かに、それはそれはとても厳かに式が進行していきます。
少し緊張している新郎の隣で私は、降りしきる雨をずっと眺めていました。
長い間、とある理由から神社仏閣に手を合わせてこなかった私。
今日のこの雨は、神様が怒っているからかな?
そう思うと同時に、タクシーの運転手さんが言った言葉を思い出しました。
「雨の日の結婚式は縁起がいいんですよ。空から幸せがたくさん降ってくるっていってね。今日は空からの祝福を受けているんですよ」

空に向かって「ありがとう」と叫びたい衝動を抑えているうちに、式がどんどん進行していきます。雨音をBGMにしながら三々九度に祝詞、誓詞……。

きょうの私は、いったいどんなふうにみんなの目に映っているんだろう。
この大雨のなか、みんなはどんな気持ちなんだろう。

終始、緊張することなく、式は終わりました。
雨はまだまだ降り続いています。
いくつかの写真を撮り終え、新郎にやっといつもの笑顔が戻ってきたころ、披露宴会場に到着しました。
さぁ、本番は、これからです。

つづく。


とうとうあした

2010年07月02日(金)

朝10時半。
母といっしょに、横浜から来る叔父を迎えに行きました。
駅のロータリーでにこにこ笑いながら叔父が立っていました。

そして14時過ぎ。
岩手から来る従兄弟を迎えに行きました。
ほぼ20年ぶりに会う20歳年上の従兄弟もまたニコニコ笑いながら車に乗り込んできました。

16時くらいにとある病院にお見舞いに行き、きのうできたばっかりの式次第を持って行きました。
声の出にくいその人は、一生懸命にしゃべってくれました。

17時過ぎにとある洋食屋に行き、明日の予定を伝えました。
しばらくしてから夫がやってきて、ふたりで挨拶をして帰りました。
明日、みんなの前で三線と歌を披露する夫に言いました。

「音を聴いてもらうんじゃないんですよ。気持ちで、唄うんですよ」

そう、気持ちで唄うとその気持ちをしっかりと受け止めてくれる人たちが、明日はいます。

もう入籍もしているし、いっしょに住み始めてもいるので、とくに何が変わるというわけではありませんが、私にとって明日は人生の「けじめ」の日。

卒業式とか入学式とかそういった類のものですが、それらと少し違うのは私が主役だということです。
しっかりしないとね。

ひとつの手紙と、ひとつの文章を仕上げました。
明日、披露宴とそのあとの仲間が集まる場所で読み上げます。

気持ちを、こめて。

あしたが、とうとう、やってきます。


おねがい

2010年07月01日(木)

ようやく式次第の印刷に取り掛かりました。
あした、夫が結婚式のプランニング会社まで持っていく予定です。
大量に余るはずの式次第は、計算ミスや途中の印刷ミスでほぼ参加者人数分しかできあがらなかったり。
用紙が厚くてなかなかプリンタが言うことを聞いてくれなかったり。
それでもなんとか夕方には印刷を終えることができました。
われながら、上出来。

もうここまで来たら、あとは私が準備するものはありません。
明日は実家に帰って、母といっしょに親戚が泊まりにくるのを迎えるだけ。

いよいよ。
ホントにいよいよです。
私たちのケンカのタネのひとつである式がもうすぐ終わります。

もう本番まで、何事も起こりませんように。

おやすみ。


はやく

2010年06月30日(水)

最近、毎日、妙に疲労しています。
暑さのせいでしょうか。
帰りの坂道を登るのに、通常の倍ほどの時間をかけてしまいます。
それでも息切れ。

こんなんじゃ、山に行けません。

あぁ、早く式が終わって、どこかにのんびり出かけたいな。

おやすみ。


もうすぐおわり

2010年06月29日(火)

結婚式を挙げることに決めてから、私は心身ともに振り回されてきたように思います。
さすがに疲れましたが、それももうすぐおわり。

早く来週になあれ。

おやすみ。


危惧

2010年06月28日(月)

週末、天気はどうなるかな?

おやすみ。


場所

2010年06月27日(日)

ふるさとに帰ってきたような気持ちでした。
ここは、私のことをよく知る人たちがたくさんいて、私に元気をくれる場所です。
弱りきっている私を笑顔にさせてくれる場所。

私の中の小さくて弱いココロは、きっとこの場所で大きく強くさせてくれるのでしょう。

どうもありがとう。

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celeste [MAIL] [アルバム「紺と碧」]

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