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強くなる

2010年10月24日(日)

今日は私たちの結婚届けの証人になってくれた夫婦のところに、わが子を連れていく予定でした。
その夫婦は出産当日にお見舞いに来てくれたのですが、新生児のためガラス越しの面会になり、わが子を抱っこしてもらっていません。
まだ小さいうちに、その夫婦に抱っこをしてもらいたくて、きょう、行く予定にしてました。

母にそのことを言うと……。

「まだ生まれて10日も経っていない赤ん坊を、そんな遠くまで連れていくなんてやめなさい! 外に出て病気をもらったらどうするの!! 元気そうに見えるのは、家の中にいるからやで!!!」

猛反対を受けました。
そこまで反対する母に逆らうことはできず、今日のお出かけは中止。
確かに、まだ生後9日。
親の勝手な予定に赤ちゃんを振り回してはいけません。

そして午後。
ずっと寝ていた赤ちゃんが目を覚ましました。
授乳をし夫といっしょにおむつを交換し、ふだんならそこでまた寝てくれる赤ちゃんが、泣いてばかりでなかなか寝てくれません。
それどころか、泣きかたはどんどんエスカレートしていき、今までに聞いたことがないくらいの泣きようです。
便も少し柔らかい様子。下痢をしているのでしょうか……。

熱を測ると37度4分。
あとから考えると、赤ちゃんとしては平熱の域に入るのですが、そのときは風邪でもひいたのか、何かばい菌が口から入ったのか、それとももともと何か障害をもっていたのか……などなど、よくないことばかり頭に浮かびます。

私がそんなふうにしているので、夫と母も心配しだして、病院に電話して受診の相談をする寸前までいき、ふと我に返りました。

赤ちゃんの体温は高めで37度5分くらいだと平熱の域に入ること、赤ちゃんが泣くときはおっぱいが足りてないときが多いので、泣き止むまで授乳をするように友人に言われていたこと。

わらをもすがるつもりで、授乳を再開。
2回くらい繰り返すと、すやすや、すやすやと寝息をたてて寝始めました。

あ……、おなかが空いていたんだ。

 生後1カ月。
 新生児の発達・成長は著しく、授乳量もどんどん増えていく。

かつて授業で習いました。
あぁ、私ってホントに医療従事者?

落ち着いたところで、夫が帰りました。

「僕たちの子どもなんだから、体はきっと強いはず。あまり敏感になりすぎず、子育てしていこう」

あとでくれた夫のメールに、涙がぽろぽろとこぼれました。

 ひとりじゃないんだ。

支えてくれる存在がいて、守るべき存在ができて。
これまでも強く生きてきたつもりだったけど、これからはまた別の意味で強くなれそうな、そんな気がした夜でした。

おやすみ。


安心した

2010年10月23日(土)

夕方になってから、夫が私の実家にやってきました。

この家に親戚以外の誰かが泊まるって初めてです。
いえ、夫はもうれっきとした親族なのですが、それでもやはり緊張します。
こういう緊張も、わが子を通してだんだんとなくなっていくのでしょうか。

夫が来る前に、数年前に出産した友に世間の夫の行動パターンを聞いてみました。

「だいたいリビングで子どもと遊んでいて、私はその間に寝させてもらっていた」とのこと。

なるほど。
私の小さな実家にはリビングなどはないため、私の部屋で子どもと遊んでいてもらおう。
そして私はそのあいだに睡眠不足を解消させてもらおう。

夫は、例のふだんはあまり見せない笑顔でしばらくわが子を抱っこしたり、自分に似ていると言われるわが子の顔をじーーっと眺めたりしていましたが、子どもが寝息をたてはじめると、くるりと背を向け、私のパソコンに向かいました。

ずっと壊れていた私のパソコン。
夫がなんだかんだとつぶやきながら、せっせと修理を始めました。

………。
なんか、夫らしい……。

パソコン修理はそれから深夜にわたって続けられ、結局、私は睡眠不足の解消はできなかったけれど、親子がそろった初めての夜というだけで、私は短時間ずつだけど、とてもとても安心した眠りにつくことができました。

家族って、いいね。

おやすみ。


経験

2010年10月22日(金)

きのうは友にお風呂に入れてもらいましたが、きょうは私がわが子を入れないといけません。
夏の間にもらっておいたベビーバスに湯をためて、初めてわが子の沐浴開始です。

とはいえ、実習で赤ちゃんの沐浴は何度か経験している私。
まったくの素人ではありません。
それに、きのう、友人の沐浴方法を見させてもらっているし、なんとかなるでしょう。

………。
なんとかなりませんでした。

生後7日目でありながら、足の力がかなり強く元気なわが子は、どんどん暴れて下手をすると湯のなかに落としそう。
片手で首を持つなんてそんなこと、怖くて怖くてできません。

そばであーだこーだ言いながら見ている母に言いました。

「見てないで、洗ってよ!」

苦笑いしながら、ガーゼハンカチを持って母は赤ちゃんの頭を洗い始めました。

 あ……。

母の手馴れた手つきに脱帽です。

抱っこなんて怖い、沐浴なんてできない、なんて言い張っていた母。
経験に勝るもの、なし、ですね。

おやすみ。


尽きる

2010年10月21日(木)

「まぁ、小さいなぁ。なんて小さいんや……」

出産の翌日、母が私の病室を訪れたときの第一声です。
母にとっては約40年ぶりの新生児。
怖がって抱っこもしてくれませんでした。

そんな母のもとに、小さい新生児とまだ体中のあちこちが痛くて自由に動けない産婦の私がやってきました。
これから1カ月ほどお世話になります。

とはいえ、新しい家族に母もどう接していいのかとまどい気味。
遠くから眺めるだけで、赤ちゃんに触れようとはしません。

それに、きのうの夜から赤ちゃんのしゃっくりが長く続いたり、母乳後のげっぷをしてくれなかったり、呼吸の音が気になったりと、入院中は気づかなかったことがだんだん気になりだし、不安で不安でたまりません。

そんなところに救世主登場!

私の産前のケアをずっとしてきてくれた友人の助産師さんです。
私の不安をすべて解決してくれて、しかも沐浴までしてくれました。
あぁ、やっぱり医療者の存在はすごいな。

そういえば、私もそこにいるだけで安心してもらえるような医療者になりたいと思い今の道に進んだのだけど、残念ながら存在だけで安心感を与えられるほどの知識・技術を習得できていません。

おそらく友人は私がかなり不安がっているのを予測して、きょうの時間を空けておいてくれたのでしょう。
忙しいのに、どうもありがとう。

新しい生活が始まったのは、私だけではありません。
夫然り、私の母然り。
がんばりすぎて力尽きないようにしないと、ね。

おやすみ。


誓い

2010年10月20日(水)

退院にあたって迎えに来てくれるはずの夫は、大事な打ち合わせが入り来れなくなりました。
夫の代わりに夫のおとうさんが迎えに来てくれて、私と子どもは夫が帰ってくるまでの間、夫の実家にお世話になることになりました。
夫のなるべく早く帰ってきてくれるという言葉を信じて。

とはいえ、人見知りはするけれど、それなりに社会経験を積み、いろんなところで生活をしてきた私。
それほど大して緊張はしていません。
持ち前の図太い神経で夫の実家でもゴロゴロと寝かせてもらうつもりです。

そんなこんなで義父の車に乗り込み、夫の実家に到着しました。
初めての車にわが子は車酔いしたのか、少しぐったりしています。
そんな子を抱きしめながらゆっくりと車を降りました。

すぅーーっと秋の風が通り抜けていき、生後間もないわが子の頬をくすぐります。

 ほらほら、風。冷たい風。お外だよ。
 初めてのお外だよ。

うす曇りの空の下、わが子といっしょにつかの間の外に出た喜びを、いっしょに覚えていたい。
これから始まる「初めてシリーズ」のすべてをいっしょに経験していきたい。

 怖くないよ。大丈夫。
 守ってあげる。

生まれたての無防備なわが子に、あらためて誓ったのでした。

おやすみ。


預ける

2010年10月19日(火)

ゆうべは、初めてわが子といっしょの部屋で寝ました。
退院までに1日くらいはいっしょに寝て、真夜中のわが子の様子を知っておかないといけません。
話が違うよ〜、じゃ困ります。

初めての夜の感想としては……。
私が緊張してあまり眠れませんでした。
授乳は真夜中になると1時間おきになり、なかなか眠れる時間がありません。
これが、寝不足になる原因なのでしょう。
同じ姿勢で授乳するので、背中も痛いしお尻も痛い。

ということで、今日の昼はほぼ昼寝。
まだ昼夜逆転している赤ちゃんは、昼は3時間ほどぐっすり眠ってくれるのです。

さて、今晩は入院最後の夜。
もちろん、わが子はナースステーションで預かってもらいます。

体力温存のため。

おやすみ。


退院へ

2010年10月18日(月)

退院後は、実家に1カ月ほどお世話になる予定です。
最初は、一人暮らしの母への親孝行のため……と思っていましたが、実際に生んでからは、ぜひとも助けてください、という気持ちに変わりました。
夫とふたりで住んでいた家にいきなり新生児を連れて帰るなんて、まったく無謀な話だということにこの3日間で気づかされました。
順調に行けばあさって退院です。
たとえ40年ぶりとはいえ、育児経験者の知恵を十分にもらっていこうとおもいます。

それにしても、退院するのがちょっと不安なのでした。

おやすみ。


先のこと

2010年10月17日(日)

私の出産したクリニックは、母児同室を実施していて、母親が希望すればつねに赤ちゃんは母親の部屋に連れてきてくれます。
もちろん、夜もいっしょに寝かせてくれます。

出産前は、夜もずっと母子とのコミュニケーションを図ろう!など思っていましたが、実際はそんなことはまったくできません。
赤ちゃんが側にいるだけでドキドキ・ソワソワして、体どころか気持ちも休まりません。
結局、夜は夜勤の助産師さんに預かってもらうことにしました。
退院すれば、否応なくずっといっしょなのです。
この入院生活で、お産の疲れを十分にとっておかないと。

この土日は、友人たちが生まれたての赤ちゃんの顔を見にやってきてくれました。
けっして近い場所ではないのに、わざわざ来てくれてありがとう。
来てくれた友人たちに夫は決まっていいます。

「かわいいやろ?」

例の今までに見たことのない笑顔で、生まれたときのことを説明します。
さてこの笑顔、いつまで続くのでしょうか。
夜泣きの始まるころには、この笑顔、なくなるのでしょうか。

ま、先のことはこれから考えるとして。

とりあえず体を休めましょう。
おやすみ。


光景

2010年10月16日(土)

まだ全身が興奮状態だったからでしょうか。
ゆうべはあまり眠れませんでした。
目がさめてからも体のあちこちが痛み、自分の体だと認識するのに数秒かかりました。

お昼をうんとまわってから夫がやってきました。
赤ちゃんのいるコットの中を覗き込み、赤ちゃんが小さく力強く動く姿を見て、いつもと違う笑いかたをしました。

 こんな笑いかたもするんだ……。

私の小さな発見をつゆしらず、夫はこわごわと自分の子どもを抱き、その重さをかみしめているかのように腕を少し揺らしています。

「なんか、うにゃうにゃしているね」

まさに目を細めてわが子を見る姿に、ようやく「生まれたんだな」という実感がわいてきて、自然と笑顔がこぼれます。

親子3人の慣れない光景に、どことなくこそばゆい感覚だったけど、これを「シアワセ」と呼ばずになんというのでしょう。

こんなシアワセをくれたふたりに、今日もまた「ありがとう」。


はじめまして。

2010年10月15日(金)

半永久的に続くかと思われた陣痛。
いきむたびに聞こえなくなる胎児心音。
夫が私の手を握りながら励ましの言葉をおくる声。
助産師さんの「いきみ」を促す合図。
それらを何度繰り返したことでしょう。
何度も「もうダメです。限界です」と泣き言をいい、いつ陣痛がきているのかもうまったくわからなくなってきたころ。
大きな、それはそれは大きな産声が聞こえました。
時計の針は朝の5時ちょっと前。

夫が私の手をさらに強く握り、助産師さんが笑顔で私に何か話しかけていますが、今はまったく覚えていません。
ただ、この世に生を受けたばかりの小さな小さな、でもとても力強い「命」が私の胸にのせられました。

はっきり言って想像していたような「感動」はあまりなく、それよりも「長くてしんどかった妊娠生活がやっと終わった」という安堵感と「無事に生まれてきてくれた」という喜びの気持ちが大きかったように思います。
そして、私の分娩中のわがまま放題の言動にいやな顔ひとつせず、ずっと側についていてくれた夫に無限大の感謝の気持ちがふつふつとこみ上げてきて。
目を合わせると泣いてしまいそうで、夫の顔をまともに見ることができませんでした。

私の産後の処置が行われている間に、大泣きしている赤ちゃんの写真を携帯カメラで一生懸命撮っている夫の背に向かってつぶやきました。

「はじめまして『お父さん』。私を『お母さん』にしてくれて、ありがとう」

今日から私たちは、夫婦という一直線のつながりではなく、生まれてきた命を通して三角形を築き上げていくのです。
もちろん不安もたくさんあるけれど、今日は、今だけは、喜びだけをかみしめて。

ありがとう。



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celeste [MAIL] [アルバム「紺と碧」]

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