不用品 買取 家庭教師 celeste blue

celeste blue



「からし君」

2013年02月14日(木)

バイクを引き取ってくれる業者がやってきて、いろいろと説明をしてくれました。
今の状態を説明し、バイクといっしょに写真を撮ってもらいました。
必要書類に名前を書いたり判子を押したりしているときに、バイクがトラックに積まれていきました。

きれいなからし色のバイクが太陽の光に照らされてキラキラ、キラキラと輝いてみえました。

 とうとう、いなくなっちゃうんだな。

「寂しいですね、やっぱり。手元に置いておきたかったんですけどね」

バイク屋さんと当たり障りのない会話をしながら、トラックに積まれたバイクを見つめていると、頬に一筋のあたたかいものが伝わっていくことに気付きました。

バイク屋さんに気付かれないように、忘れ物を取りに行くふりをしてその場を離れました。

 ありがとうありがとうありがとう。

ポロポロ、ポロポロとこぼれる涙はもう止まることを知らず。
少し落ち着いてから再びトラックに積まれたバイクのもとに行きました。

もうすっかり出発の準備はできていて、私が戻ってくるのを待っていてくれました。

「お世話になります。よろしくお願いします」

ゆっくりゆっくりと、ホントにゆっくりとトラックを走らせてくれたバイク屋さんにも感謝の気持ちでいっぱいになりながら、「からし君」に心の中でめいいっぱい叫びました。

「私の夢を、たくさんの夢をかなえてくれて、ありがとう」


旅に出します

2013年02月13日(水)

学生時代にバイクの免許を取りました。
関東甲信越はだいたいバイクでツーリングに出かけることができたのですが、本来の目的だった北海道へのツーリングは果たせないまま社会人になり、休みの日にバイクを乗ることがほとんどなくなり、そうこうするうちに私自身が交通事故に遭い、それがきっかけでバイクを売りました。

バイクの事故ではなかったけれど、危険なことは少しでも避けようという気持ちが大きくなったからです。

もう二度とバイクは乗るまい。

そう思っていたけれど、その約10年後。
ふたたびバイクを買っていました。
そしてその勢いで限定解除もしました(教習所で、ですが)。

昔、果たせなかった北海道ツーリングに行き、大人数でのツーリング大会にも参加でき、学生時代はお金がなくて買えなかったタンクバックやツーリング用のジャケットも手に入り、女性だけのツーリングチームにも入れてもらい……。

もうバイクでやりたいことはすべてしつくしたように思います。

それでも、また乗る日まで手元においておきたい。

そんなことを考えていたある日。
ふたたびバイクを買うきっかけを与えてくれた店のマスターが言いました。

「誰かほかの人に乗ってもらえたほうが、バイクもうれしいんじゃないか?」

今のままバイクを保管しておいても、サビてくるばかりでもう二度と乗れなくなるでしょう。
それに、子どもたちがある程度大きくなるまではバイクに乗っている時間はありません。
このまま手元に置いておいても廃車になるのが関の山。
それならば誰かに乗ってもらいたい。

………思い切ってバイクを売ることにしました。

できればもう一度、バイクの風に触れたかったけど、エンジンなんてかかるわけありません。
私にできることは、できるだけきれいにして「ありがとう」という気持ちを精いっぱい「からし君」に伝えることだけ。

さ、あした。
バイクとさよなら、です。

晴れますように。

おやすみ。





きぼう

2013年02月09日(土)

長い長い育児休暇がもうすぐ終わります。
保育園の入園の関係で4月からの復帰にしてもらいました。
おそらく元の配属に戻れるかと思っています。
戻ったら2年目からやりなおし。
1年目以下になっているでしょう。
仕事のことは開き直ってがんばろうと思っていますが、私の不安はそれではありません。
今でもてんてこまいしている育児がどうなるか、私の精神状態がどのくらい平穏を保っていられるかどうか……です。

とりあえず、始まってみないことにはまったくわかりません。
でも、始まってからのほうが手遅れなのかもしれません。

とにかく、がんばるしかないのです。
だって、わが子たちが成人するまではしっかり稼がないと老後のお金も貯められません。

資格をとっておいてよかったな〜とあらためて思っている今日このごろ。

とりあえずあと1カ月と少し。
なるべくイライラせずにわが子たちと接していきたいな。

おやすみ。


心ぽかぽか

2012年12月08日(土)

いつもの場所で毎年恒例の忘年会でした。

今年はあまり気乗りがせず、正直言って恒例だからとりあえず行っておこうか、という気分での参加でした。
数年前までは参加者は一芸披露付きという一風変わった忘年会。
そのため、全員参加型でみんなが緊張していて、みんなが一生懸命だったけど、最近は一芸というくくりがなくなり、できるだけ傍観者になろう、という意識がちらほら見え始め、一芸を披露するほうが浮いているような感じに見えてきていました。
だから、きっと今年はさらに傍観者が増え、私が唄っても「また何かつぶやいているわ、あの人」みたいな雰囲気になるのかな、と思っていました。

今年は唄うのをやめようと一度は思ったけれど、やっぱりそんな傍観者の立場になるのはイヤだったこと、毎年のことを変わらず続けていくことのたいせつさを自分がよく知っていること、そして伝えたい言葉や気持ちの行方をなおざりにしたくなかったから。

そして、今は、唄ってよかったと思っています。
私のことをよく知っていて、一生懸命にきいてくれる人たちがここにいて、唄を聴いてほしい人たちがそこにいて。

来年もまた、くよくよと悩みながら、きっと私は唄うのでしょう。

このあたたかい場所が続いていくかぎり。

久々に心がポカポカしたなかで。
おやすみ。


時間

2012年11月10日(土)

気がついたら、8月から日記を書いていませんでした。
いろいろと書くことはたくさんあったのですが、私の携帯もスマートフォンにしてから、パソコンの前にあまり座ることがなくなり、その結果、日記を書くのが億劫になっていました。

とりあえず、元気です。
が、頭の中は疲れきっています。

年子育児はホントに難しい。
それでも、だんだんと落ち着いてきています。

長男は10月で2歳になりました。
あっという間……ではなく、長い長い2年間でした。
子どもの時間とおとなの時間、経過スピードがまったく違いますね。
今、私は子どもの時間に合わせて生きているので、1日がとてもとても長く感じます。
働きだしたら、またあっと言う間の1日になるのでしょうか。
それまで、楽しめることは楽しんでみようっと。

おやすみ。


機種変更

2012年08月29日(水)

母の携帯をスマホにしました。
スマホといっても「らくらくスマートホン」。
使いこなせるか心配ですが、うれしそうです。

「メガネをかけなくても、文字が見えるっていいわ〜」
「指先だけでタッチしてできるってわかりやすい」

ただ、ガラケーのときよりも料金がほぼ倍に上がることがネックかな。
母の携帯代は、私が支払っています。
もちろん母には料金アップのことは内緒です。
喜んでくれている笑顔を見るだけで、いいんです。

せっかくだから、しっかりと使いこなしてもらおっと。

おやすみ。


誤差の範囲

2012年08月08日(水)

まず長男が39度の熱を出しました。
長男の熱が回復したあとすぐに次男坊が予防接種の副反応でこれまた39度の熱。
次男坊の熱もそこそこにひいてひと安心した直後、気がついたら私が39度の熱。
熱は2日ほどでひいたのですが、喉の痛み……というより激痛が残り、食事もろくに食べられません。
最初は食欲がなかったのですが、だんだん回復してくるとともにおなかもすくようになりました。
母乳も出さないといけないし、力もたくわえておかないといけないと思うのですが、喉の激痛のため食事がのみこめない日々が続きました。

2日ほど前に耳鼻科に行き、授乳中でも飲める内服薬をもらい、今日になってようやく喉の痛みがやわらいできました。
といっても、まだ刺激物はかなりしみて痛いので、醤油のかかっていない豆腐とかしか食べていませんが。

今年は病気続きです。
もしかして、厄年?
誤差か?

おやすみ。


寝返り

2012年07月27日(金)

ふたり育児がスタートして4カ月半。
ホントに日々あわただしくて、毎日、書き残しておきたいことは出てくるのに、なかなかパソコンに向かえません。

携帯からさささっと書けるブログやフェイスブックなど便利なものはたくさん出てきているけれど、やっぱりこのエンピツ日記から離れられないのは単に頑固なだけ?

そんなことを考えているなか、今週の火曜日に次男坊が寝返りをうちました。
長男より2週間ほど早いかな。
長男のときは、まだかなまだかな……と寝返りやお座りなどの成長発達過程を待ち望んでいたけれど、次男坊になると「わ、もう指吸い?」「え!もう寝返り?」と追われている感じ。
それだけ余裕のない日々を過ごしているということでしょう。

それでもやっぱり発達はうれしいもので、夫にさっそくメールをしました。

「寝返りしたよ」と写真つきで。

それに対する夫の返事。

「なに?寝返ったか!越後屋め!!」

………。
もちろん、無視しておきました。

なにはともあれ、これからもゆっくりあせらず、成長しておくれ。

おやすみ。


まいとしのこと

2012年07月01日(日)

今月の3日は「結婚式記念日」です。
入籍した日と結婚式を挙げた日が離れているので、両方を記念日にしています。
とはいっても、これまでは家でお寿司とかお刺身とかを私が安売りスーパーから買ってきて、帰りの遅い夫を待たずに食べて、夫が帰ってきたら一人分を冷蔵庫から出すパターンだったような気がします。

今年もそのパターンで……と思っていましたが、数日前から夫が「今週末、どこに行く?」と聞いてきていました。
どこかに外食でもしに行くつもりのようです。

なんだか珍しいこともあるもんだなぁ……と思いながら、でも乳飲み子をふたり連れて外食は大変です。
次男坊はまだ座れないのでお座敷でごろりとさせてあげられるところがいいし、長男はまだ赤ちゃん返りでごはんを食べてくれません。
お座敷に座らせても、あっちこっちと歩き回って、結局疲れるのがオチです。

どうしよう……と思っていたら夫が言いました。

「『竹内』にしよう」

竹内、というと長男のお宮参りの帰りに夫の両親と私たちと5人で食事をしたおいしい割烹です。
窓から電車が見えてきっと長男も飽きずにいてくれるでしょう。

前日にランチの予約をし、今日、竹内に行きました。

「2年前にお宮参りで使わせていただいたんですよ」

と声をかけると、たいそう喜んでくれました。
長男も電車が通るたびに「カンカンカンカン」といってうれしそう。

おかげで久々にのんびりと外食することができました。

結婚式記念日、毎年ここでもいいな。
こうして年に一度、子どもたちの成長を見せにくる店があってもいいですね。

おやすみ。


ぴょん

2012年06月24日(日)

次男坊の100日目のお祝い「お食い初め」でした。
長男のとき同様、夫の実家に親戚が集まりました。
親戚といっても夫の父母と夫の兄家族です。

ほぼ月に一度、こうして親戚が集まります。
ときどき面倒くさいなぁと思うこともありますが、それでもわが子たちには数少ない血縁。
たいせつな存在に違いありません。

わが子たちと遊んでくれる親戚たちを見て、ふと懐かしい感覚にとらわれました。

そう、私も幼いころはこうして親戚にかわいがってもらっていました。
思い出すだけで切なくなる特別な時代です。

かつて私がなくしたと思っていた宝物は、ホントはなくしたわけではなくて「見ないように」していただけなのかも。
特別なものに触れることで消えてなくならないように、宝箱の奥底に片付けてしまっていただけなのかも。
私のたいせつにしている「思い出の宝箱」は、現実から逃げるための道具になってしまっているのかも。

………。
……………。
でも、それでいいのです。
「思い出の宝箱」があるからこそ、私は前を向いて歩いてこれたのですから。

わが子たちの思い出は、まだ宝箱には入りません。
だって、生き生きとしていて宝箱に入れてもぴょんぴょんと飛び出してきてしまうからです。

おやすみ。

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celeste [MAIL] [アルバム「紺と碧」]

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