昨夜突然の電話で、友人が亡くなったことを知った。友人というのはちょっと失礼かもしれない。父ちゃんと同じ年で私の友人の中では最年長だ。とてもいい人。和裁教室で入口に一番近い席にいる私が何気なくいう「おはようございます。」をとても気に入って下さった。
お茶の時間に出たたねやのモナカを、私が「うちのドラ(娘)が好きだから持って帰ろうっと」…と言ったら、自分のを下さった。その時のいたずらっ子のような笑顔。優しい人だった。
私は何もしてあげられなかった。これからしてあげられることなんて何も無い。たまに思い出すことだけ。無力だよね。
せめて忘れないでいようと心から思う。
父ちゃんはどこか遠くで自由にやっていると思うことにした私なんだけど、1つさみしいことがある。父ちゃんが私を呼ぶ時、時々「○○ちゃん」と呼ぶ時があって、それは名前とは何のつながりもなく、たぶんまだ幼子だった私をふざけて呼ぶための名前だったと思うのだが、私はこの呼ばれ方が大好きだった。
世界で一人だけこの名前で呼んでくれた父ちゃん。私の作るケーキが世界で一番美味しいと言ってくれた父ちゃん。たぶん、どの孫よりこんなおばさんになってしまった私を一番可愛いと思ってくれていた父ちゃん。
ほんの一月前に私の手を握って、「やさしい手」と言ってくれた父ちゃん。「○○は父ちゃんに似てるから」と言った父ちゃん。きっと似ているね、親子だものね。「ありがとう」何万回言っても足りない。
もう一度呼んで欲しい。
私の父ちゃんが静かに眠りについて色々分かったことがある。そのひとつに人って一方向からみただけではわからないってこと。故人を偲んで…というほどでもないにせよ、父ちゃんが亡くなって「そういえば…」的な展開で弟嫁なんかと話をすると、色々新しい父ちゃんの一面が見えておもしろかった。
私に見せる面と、嫁に見せる面は違う。当然妻であるかーちゃんに見せる面も違うんだろうな。話をしていて「え?」っと思うことや、「へぇ〜」と思うこともあった。ちょっとだけ「それは違うやろ、私の見た父ちゃんが正しい」と思いかけて、やめた。
たぶん、どの父ちゃんも正しい父ちゃんなんだね。ここで大切なのは誰かの見た父ちゃんが私の父ちゃんと違っていても、「私の見た父ちゃんが本家だ!」と言い張ることは正しいことではないってこと。
またほんの少し大人になった。
昨日、お骨揚げの時、父ちゃんの足の骨、それも膝の関節の骨がとても白くてとても大きくて立派で、それが哀しかった。私はけっこう何度もお骨揚げに立ち会っていて、人によってはとても少なかったり華奢だったりを見ているのだけど、父ちゃんの骨は立派だった。
父ちゃんはパーキンソン病で、薬が切れると糸の切れたマリオネットみたく、身体が不自由になった。施設に入ってからはずっと車椅子だったし、手もだんだん動かなくって、とても器用だった父ちゃんの手はとても可哀想だった。
そんな父ちゃんの骨は、病気じゃなかったらきっとまだまだしっかり動いていたんだろうな…と思うとほんとうに哀しかった。病気がとても憎い。
天国というところが本当にあるなら、父ちゃんは大好きなコーヒーを片手にタンゴを聴きながら、もう一方のてはトントンとリズムを取っているだろうな。
そして…、告別式となったわけで。「長いお経はいらない」という父ちゃんの言葉に反して長かったお経の間、私が考えていたのは「あれもこれもしてあげればよかった」ってことで、長いお経は退屈だけどこのお経が終わると…と思うと苦しかった。
「墓に布団はかけられぬ」という言葉があるけれど、まさしくこの通りのことをずっと考えていて、そして思った。私も一応親だけど、自分の子どもに何かして欲しいと思っているかな?…ってこと。「否」。たぶん、うちのドラ(息子&娘)が私の為のお経を聞きながら、私と同じ事を考えたなら、きっと私は言いたいだろうと思う。
「いてくれた…それだけで十分だ」と。きっと父ちゃんも言うのに違いないと確信を持って言える。
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