今日は私のお正月。今年はノーベル賞の晩餐会で飲まれたという日本酒を買ってあったので、元旦の日はちょびっとなめる程度に抑えていたのだが、今日はしっかり残してあった数の子でグビグビ…と、言ってもちっちゃい杯に5杯程度飲んだ。おいしかった。それから布団に潜り込んでちょっと寝た。これで「朝から酒をかっくらってぐうたらする」という私のお正月その1をやった。
それから、その2「着物を着て初詣に行く」をやろうと思って、喪中である事を思い出し、「着物を着てお買い物に行く」というのをやった。
毎年、なんだかんだであっという間に過ぎるお正月。文句を言っていても仕方ないので、今年はとりあえず「やってやる!」と思って実行した。気分がよかった。出来ないで文句をいうより、なんだかバタバタしていてもやるだけやったら気が済んだような気がする。
今年はこんな感じでやろうと密かに思うのだ。
今日は実家に新年のご挨拶…というか、めでたくない新年のお参りというところ。それでも何やかやとご馳走をならべ、それなりに楽しく食事をすることになったのだが、心にちくりと小さなとげがささるので、なんだか早く帰りたいとずっと思っていた。
母ちゃんが、なんでも父ちゃんに供える。から揚げも数の子もなんでもかんでも。そりゃ、好きなモノを供えたらいいんだろうけど、一年前のことを考えて素直に生暖かく見守るような気分にはなれなかった。
介護に超疲れていた母ちゃんは父ちゃんにヒドイ言葉をたくさんたくさん言っていた。介護疲れってむごい。「だけど、だけど…」と思っても何も出来ない私に母ちゃんをとがめることはできなかったんだ。
今、骨と写真に向かって優しくすることで、たぶん父ちゃんに投げた言葉で傷ついた自分の心も癒やしているんだろうな…と、冷静な私は分析する。
あけましておめでたい…のだろう。いつだってどんな時だって、誰が死んでも何があっても新しい年はやってくる。昨日と同じ24時間でも今日はおめでたい一年で最初の日。
「親が死に子が死に孫が死に」という言葉があって、これは意外や意外、おめでたい言葉らしく、この世で一番の不幸は逆縁(親より子が先に死ぬこと)であって、順序よく死んでいけたら十分幸せということらしい。
確かに、たとえ不慮の事故に遭わなくても、自分も年を取って予想外の病気になるかもしれず、そうこうするうちに親より先にあの世を見るかもしれず、そうなると親の嘆きは想像を絶するわけで、父ちゃんとのさようならはドラ(娘)の嫁入りと同じくらいの「肩の荷を下ろす」感じがあったことは否定できない。
年を取るってなんだかたいへんだ。
想像を超えた速さで時は過ぎ、あっという間に大晦日がやってきた。なんやかんや、あれやこれやなんとか都合をつけ、いつもと同じことやってる私がいる。今日は一日台所の囚われ人だ。
そして戸棚を開けた拍子にポットを見つけると、これで父ちゃんにコーヒーを運んだことを思い出し、緑と白のプラスチックのコップは二人でそのコーヒーを飲んだ記憶が刻まれている。
季節を違えず花を咲かせる鉢植えを見て義姉さまを思い出すように、コーヒーを飲む度、あんこたっぷりの和菓子の見る度、私は父ちゃんを思い出す。そして、たねやの最中を見る度に、自分の分なのに私にくれた最年長の、父ちゃんと同じ年の友人を思い出す。
私は優しい人に囲まれて生きてきた。
昨夜突然の電話で、友人が亡くなったことを知った。友人というのはちょっと失礼かもしれない。父ちゃんと同じ年で私の友人の中では最年長だ。とてもいい人。和裁教室で入口に一番近い席にいる私が何気なくいう「おはようございます。」をとても気に入って下さった。
お茶の時間に出たたねやのモナカを、私が「うちのドラ(娘)が好きだから持って帰ろうっと」…と言ったら、自分のを下さった。その時のいたずらっ子のような笑顔。優しい人だった。
私は何もしてあげられなかった。これからしてあげられることなんて何も無い。たまに思い出すことだけ。無力だよね。
せめて忘れないでいようと心から思う。
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