まだ青くなってこないけど、痛い。そんな事に関係なく、今日はとってもいい天気。どこかへ行きたい気分だけど、物言えば唇寒く、動けば財布が寒くなるんだね。さっき、家計簿を付けていて、お天気に反して私の心はどんよりしちまっているぜ。
3月は締めの月。クレジット払いとかもあるし、財布の中身が一円まできっちり合ってるなんてことはない。なるだけ領収書があるお買い物をこころがけているけれど、レシートがどこかに、例えばコートのポッケとかに入ったままだったり、100円200円・・・わからなくなってる自信はたっぷりだ。だけど、何万円も違うことはないと思う。
家計簿をきっちりつける・・・なんてよくできた主婦なんだ、私は。けれど、ちょっとした余裕がないと息苦しいのはどんな時でも言える。「あ、これであれをしよう、あれを買おう」なんて発見はまったくなかった。むしろ、もうすぐ始まる新年度の予算をどうしたものかと、気が重くなるばかりだ。
余計な物が多すぎるんだな・・・と思う。
むこうずねって、弁慶の泣き所だよね? そのど真ん中を、久しぶりにぶつけた。腫れているなう・・・だ。痛い。スーパーでカートを勢いよく押しすぎて、何かに引っかかってぶつけた。青あざ・・・できるかな?
いつの頃からか、青あざがあまりできなくなったような気がしてる。どこかにぶつけたことをすぐ忘れるので、アザができるまで気にしてないのだと思うのだけど、違うかな?
逆に、ごくまれに青あざかできた時、その原因が全く、きれいさっぱり思い出せなくて、アザができるぐらい痛かったはずなのに不思議だ。
今回は忘れないように、毎日観察してみようと思っているのだ。
親孝行のまねごとでおかーちゃんを連れて温泉に行ってきた。この3ヶ月の間にため込んでいたネタを互いに披露し合って、しゃべりにしゃべった。温泉にもつかりにつかって、ご馳走も食べに食べた。いつも割り勘なんだけど、今年米寿になるからといって、宿泊費は私持ち。これはまぁ、親孝行と言っていいのかもしれない。でも、親孝行って自分で言うのはこっぱずかしい。
子どもはそのかわいさで五歳までで親孝行は済ませている・・・という話を聞いたことがあるのだが、それはほんとだなと、孫太郎をみていると心底思う。そして、かわいい孫太郎を見せてくれたということで、うちのドラ(娘)はものすごい親孝行をしているな・・・と、これまた心底思うのだ。
ドラ(娘)は孫太郎を連れて、ひーばあちゃん(私のおかーちゃん)に会いに行ってくれる。ご馳走やらお土産やらで年金暮らしを圧迫しそうなのだが、ひーばあちゃんは、これまたまた心底喜んでいる。それを見て私も喜んでいる。親孝行の順送りとでも呼べばいいのかな。
こんなに佳くていいのか・・・と不安になるときがある。
暖かい・・・私の本当のところでは「ぬくい」。春やなぁ〜と思った一日。そういえば、この冬は寒かったんだ。忙しくて、確かに「寒い、寒い」とくり返していたことは覚えているけど、どこか人ごとで、どこか遠くて、なんだか夢の中だったみたいな感じ。寒さをじっくり楽しむことができなかったんだな・・・と思う。
ヒマをもてあましていたら、めっちゃ寒い冬も楽しめたのか?・・・と、聞かれたら、「どうかな?」。でも、ほっぺがキリキリ痛いとか、風が骨身にしみる感じとか、熱い飲み物がとても美味しかったり、外から帰ってきてこたつに入った時のあの感じとか、もう少し覚えているように思う。思い込みかな。
枯れ草の下の新しい緑の気配、誰もいない道すがらの生き物の気配。呼び止められたような気がして見上げた空の色、クルクルとはしゃぐように過ぎる風。冬は味わえなかったけど、春はこれから。
春はしっかり堪能しようと思った今日でした。
3ヶ月ほどとても忙しく過ごし、自分のやりたいことはちょっと横に置いて、一生懸命に、何が一生懸命かわからないけど、私は一生懸命やったのだ。そして判ったことがある。日頃の私はとても幸せな奴だ。とても自由だ。それを封印していた3ヶ月の間によくわかった。
私は下手の横好きで針仕事が好きだ。あれやこれや広げたい気持ちを抑えていて、「ヒマになったらやるんだ」と思い続けていた。他にも本を読みたいときに読むこと、お稽古事のあと好きなだけ街をウロウロすること、時々はグダグダとテレビを見ながら過ごすこと。
で、今私は「自由だぁ〜」と叫びたいほど嬉しいのだが、こんな時に限って仕事が来た。「・・・」そして「これは喜ばしいことなんだ」と自分の中で再確認して、一生懸命キーボードをたたくのだ。
自由を楽しむためには多少のお金は必要だもんね。
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