自分の子供を育てたのは私なので、不肖の子供だとしても文句を言っていく先がない。小さい頃はもっとよい成績は取れないのかと思ったり、もう少し美形にならんのかと思ったりもしたが、自分の頭や顔をみればそれは高望みというもので、成人してしまえばあとは警察沙汰を起こさず、結婚して孫の顔を見せてくれたら十分よと思っていたのだが。
ここに来て息子はとても常識を知らん奴疑惑が浮上していて頭が痛い。これが10代なら頭の一つもはたいてやるところだけど、もう不惑のマジでおっさんである。ため息しかでない。常識というのは一から十まで親が手取足取り教えなくてはいけなかったものなのか?
家族にバレるぐらいはしょうがないけれど、その調子で他の分野でも常識のないところを無意識に広めてはいないかと心配になってきている今日この頃である。
嫁に謝るしかなかった秋の夜。
親類と会うと「なんでそんな事知ってるの?」という話題を振られる事がある。親切な気持から言われるので、仕方なくこちらも笑顔で対応するのだけど、心の中では誰がいいふらしたんだ?という謎解きに懸命である。そしてすぐ答えにたどり着く。うちの母君ではないか。そうかうちの母君の口は羽根より軽いのだな。なんでも話してかまわないが、娘の家の事までぺらぺらしゃべっては欲しくない。
お葬式にいくと何年もあってない人達から色々話題を振られる。まことにしんどい。昔話もしんどい。今にしか興味がない私はヘラヘラとやり過ごすことにしているが、あまり話が長くなったりすると顔に出そうでハラハラする。何年もあってないのに親しく出来るって一つの才能なんだろうなと思う。
そしてその才能は私にはないと思う。
大仕事を終えた気分だ。帰りの電車の中で色々腹立つなぁ〜ということを思い浮かべながら、イライラしていたのだけど、私の凄いところに気が付いた。イライラしながら、それでもこれを上手く誤解のないように相手に言うのは中々難しいなと思いながら、それでもこのもやもやをどうやって解消するんだ?と余計また腹立たしく思いながら、「けど、このイヤな気分持ち続けるのもしんどいな、帰ってロウン様のお顔みよっと」と考えたらなんとなく、腹立たしいこともどうせ言っても気まずいだけだし、いいことなんもないと気づいた
それでイヤなことはみんな忘れて、今日出来なかったこと、失敗したこともどうせやり直せないことだし、出来ることはやって出来ないことはやらなかっただけで、それで文句いう奴はみんな3回ぐらい死んでこい。
・・・と、思ったら気が済んだ。だいたいいつも言ってるよね、「出来ることは出来るけど、出来ないことは出来ない」ってね。
当たり前の事は意外と忘れがち。
愚痴でしかない。でもそんな愚痴をかなり薄めているとはいえはき出すところがあってよかった。もうすぐ始まる一大イベント。始まる前から終わる日のことを考えている偽善者の私なんだが、そのイベント中に、お客事をするという。私も一回はあるだろうと思っていたし、それはやってあげたいと思っていたのだけど、なんと、3回もある。
まぁ、なんというか、乗りかかった船というのか、今更偽善者の仮面を脱ぎ捨てることも出来ず、しゃーなし、能面の顔のようになりそうな予感がするのである。そんなわけで、年末でいいと思っていたテーブルクロスの交換やあれやこれや、お金かかる。
そして1回のお客事はお昼時だよ?昼前に帰るって、帰せると思う?なんかとるのか?寿司でも?ピザか?そして、作るのか?
もう吐き気さえしてきた。
怒濤の10月から11月にかけての一大イベント、まだ始まってもないのに、親戚の葬式とか予定にないものがぐいぐい来て、そんなら喪服買っちゃえってこんな時でないと買えないよね?的なのりで買い、そういえば黒い靴ももうダメになってるじゃん?てなことで、靴も買い、なんでこんなに出費してるんだ?
そうしてイベントの最中の行事が色々決まっていき、私はもう息ができないぐらいの気分でいる。あと、1ヶ月後にはきっとほぼほぼ終わっているかもしれないので、それだけが私の羅針盤だ。
あぁ、でも根性無しの私は、偽善者の私は、偽善者の仮面をかぶり続けることができるだろうか?うまくやれるだろうか?疲れてやけくそになって叫んだりしないだろうか。
ボロは出したくないんだよ。
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