てくてくミーハー道場
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2007年09月08日(土) |
『ロマンス』(世田谷パブリックシアター) |
「ロマンス」と聞いて、
「アナタおーねがーいよ〜♪」と歌ってしまう人
は、30年前に青春真っ盛りだった人。
「ローマーンースーッ! ゥヲイッ(←かけ声)」右、左、右、右、左、右、左、左と体が動いてしまう人
は、ヲタ芸人。
今回の正解者は、
チェーホフの主だった作品と、チャイコフスキーの歌曲『ロマンス』を知っている、教養人。
でなくてはならないわけだが、
もちろんぼくは知らないのに、無謀にも行ってしまった。
知らなくても、大丈夫だった。
御大井上ひさし先生と、実力派の俳優陣のおかげです。
何といっても、台本が初日に間に合ったてのが快挙!(こ、こら/汗)
えと、基本的情報を記しておくと、内容はチェーホフ版「知ってるつもり?」。ロシアの偉大なる劇作家にして小説家、アントン・チェーホフの一生を、ほのかにおかしく、物悲しく、チャイコフスキーの『ロマンス』のメロディに乗せて、描いている(歌に関しては、やはり(井上)芳雄くんとお松(たか子)の若手二人が安心して聴けた。他のベテラン4名様の歌は・・・味があった(^^ゞ←ごまかすな!)
ステキだったのは、出演した男優4人が全員、チェーホフ役を演じるという仕組み。その変り目もナイスだった(特に、段田(安則)さんから木場(勝己)さんに変わるところがロマンティックだった)
演出の栗山民也先生には、実はつい去年の『MA(マリー・アントワネット)』で少々がっかりさせられたこともあって、あまり期待してなかったのだが、こういう、“派手禁物”の作品だと良いなーと思った。
ところで、この無教養なぼくがチェーホフで思い出すのは、YMOの散開アルバム『サーヴィス』の中でS.E.T(スーパー・エキセントリック・シアター)がやってたコントの一つ。
どっかの劇団の人気役者がテレビドラマに出ることになって、「それ、しらんかっとってんチントンシャン」というくだらないセリフを言わされるのだが、全然ウケない(当たり前)。なのに、ADが代わりにそのセリフを言うと、周囲が爆笑・・・という不条理コントなのだが、監督が繰り返し、「お前、劇団ではなんていうあだ名だって?」とその役者に訊く。すると役者がその度に「“チェーホフ”です」と答える、というギャグがあった。
つまり、「つまんないエンゲキ人」=「チェーホフをリスペクト」みたいな皮肉がぼくの脳裏にその時植え付けられたわけである。
チェーホフって小難しい、観念的で退屈な芝居なんじゃない? という先入観を持っている人にこそ、『ロマンス』の創り手の方たちは観てほしかったのじゃないかと思うので、そういった意味では正解だった。
だが、ぼくがチェーホフ作品を一本も観たことがないかというと、実はそうじゃなくて、8年も前になるが、岩松了氏演出による『かもめ』を観たことがある。
岩松氏に対しては、先日『シェイクスピア・ソナタ』の感想でかなり失礼なことを書いてしまったのだが、この『かもめ』は実のところすこぶる面白かった(そのくせ、岩松さんの演出だってことを、今日まで忘れていた(_ _ )スマン)
「チェーホフ作品は、難しくてセンチメンタルな悲劇などではなくて、本当は喜劇なのだよ」という、まさに『ロマンス』で井上ひさし先生が伝えたかったであろう要点を見事に体現した、実に面白い『かもめ』だったのだ(なのになぜ演出家を忘れたのかね?)
要するに、「人間て、身勝手でアホやよなぁ?」という、きっとチェーホフ先生もそういうのを伝えたくてこの戯曲を書いたのであろうなぁ、とよく分かる内容だった。
伊佐山ひろ子さんの、「湿気が出てきたわ」というセリフ回しの面白さが、未だに耳に残っているくらいだ。
つまり、ぼくはチェーホフの作品を、“意外に笑える”『かもめ』しか観てなく、S.E.Tが揶揄していたような“正統派(でも実は、こっちの方がチェーホフ先生の本質に添ってない)チェーホフ”を知らない。
だから、劇中のチェーホフが、モスクワ芸術座の(あの、20世紀的演技メソッドで超有名な)スタニスラフスキー(舌咬みそう)に「君はぼくの『三人姉妹』を台なしにしてしまった!」と怒る場面を、実感として理解することができなかった。
この、ぼく自身の勉強不足が、このせっかくの傑作を弱くしてしまった。そこが残念である。
だからと言って、『ロマンス』の良さを実感するためだけに、わざわざ“観念的”で“退屈”なチェーホフの上演を観に行くことはしたくない(金もヒマももったいない)
となれば、文字でチェーホフにふれるしかないだろう。
読んでみるしかないだろう。
本当に読むか否かは、ご想像にまかせます←ご想像どおりになるだろう、多分。
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