てくてくミーハー道場

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2017年05月20日(土) 宝塚歌劇団月組特別公演『瑠璃色の刻』(赤坂ACTシアター)

美弥“るりか”ちゃんだから“瑠璃”色なんですね原田(諒)せんせー。

おそろしくタカラヅカチック(皮肉?)

いえいえ、こういうの好きですぜぼくは。

さて、月組での立ち位置がいまいちビミョーな気がする(そんなことないよ!がっちり二番手だよ!・・・と君は断言できるか?!←「君」って誰やねん?てか、お前こそ誰やねん?)ミヤ様ですが、こうしてみるとやはりちゃんと路線なんですね、安心しました。ぼくは観そこねたんだけど、こないだの『アーサー王伝説』では女役やったりなんかしてるから、ちょっとドキドキしてる。

見た目明らかに妖精系(でもこれは「正統派」とも言える)なので、このまま王道行ってくれるかな、という期待はある。



さて、ミヤ様主演作を観るのは今回初めてという遅れてきたぼくですが、彼女の顔と名前が一致した最初は、『太王四神記 ver.�供�のスジニ。女の子の役だけど、初演の花組ではみわっち(愛音羽麗)が演っていた役なので、可愛い系の男役が演る役として自然に見てた。

小柄なのに声がふっといなーというのが第一印象。まさにかなめちゃん(涼風真世)系なんだなと思ったものである。

その次の公演『ハプスブルクの宝剣』では全然印象がなくて(おい)『愛と青春の旅だち』でも全くどこにいたか覚えてなくて(おいおい/汗)『メイちゃんの執事』ですごくいい役やってたのにこの公演は観に行く気ゼロだったので見逃してて(ぼくの好みがばれたな)、次の本公演で「おっ!」と思ったことを鮮明に覚えている。

それは『ノバ・ボサ・ノバ』のボールソというまたまた可愛い少年役よりも、併演の『めぐり会いは再び』で演じたアジス王子であった。

罪のないオペレッタ系の作品だったが、登場人物がみんな可愛く、好感が持てて、ぼくが小柳奈穂子びいきになったきっかけの作品でもある。

全員可愛い登場人物の中でも、アジスは群を抜いて可愛かった。見た目だけじゃなく性格が。

続編(『めぐり会いは再び 2nd』)の時には月の世界へ旅立っていて(かぐや姫ではないが)いなくなってたのがさびしかった。

その代わり、月ロミジュリでカルシウム不足()のマーキューシオをガウガウ演じていてそれも一興だったが。

ぼくのミヤ様ストーリーはざっとこんな感じである。



で、今回、ミヤ様主演作を初めて観る気になったのは、二番手をれいこ様(二人ともぼくにとっては“様系”なのよね)こと月城かなとが務めたからである。

月組へようこそ月城さん。

そのしっかりした芸の力で、ぜひとも月組に堅固なお城を築いていただきたく。

人外的妖艶さが持ち味のミヤ様と、スタイリッシュ美丈夫のれいこの組み合わせはばっちしだった。

ヒロインのくらげちゃん(海乃美月)も実力を発揮。

それより今回はやはり、(役得だったとも言えるが)白雪さち花に最高殊勲賞をあげたいんだけどみんな文句ないよね?(て、どうやって回答集めるんだ?)

ここで原田先生にクレームなのだが、あのアントワネットのすばらしいソロの後に、なぜ観客に大拍手をするタイミングを与えないのか(全然拍手が起きなかったのは、良くなかったからではなく、あそこで拍手する“間”を設けてないせいなのだ。さちぴーがかわいそうだったわい/涙)

なのに、もう一人の殊勲賞・としさん(宇月颯)には、フィナーレダンスでセンターポジションを与えるなど、男役びいきも甚だしい。

としさん自身にはまったく文句つけようがなかっただけに、演出家の生徒への偏重ぶりにはちょっと感心しなかったな。



しかしまあタカラヅカってところは、18世紀末のフランスとなぜこうも親和性が高いんでしょうね。

この時代のこの場所の話をやると滑り知らず。

日比谷ではもう一人()のロベスピエールが、かつての己れの理想への爆走を振り返って忸怩たる思いを歌っているが、こちらのロベスピエールは迷い知らず。ぐんぐん爆走中です。

この手の話をタカラヅカがやると必ず出てくるバスティーユ襲撃のシーンでは、センターでバッキバキに踊っておられました。

としさんステキ♪(←おめー、さっきの文句はどうした?)

あと、としさんもだけど、ネッケルを演じた輝月ゆうまちゃんをぼくは今回初めて意識したのですが、歌うまいし(とにかく歌うまに弱いぼく)芝居もできるし、頼りになる生徒さんがここにもいたか、と瞠目。次回公演ではきっと目で追うことでしょう。

頼りになるといえば、アントワネットをいい意味でも悪い意味でも支えていたポリニャックとランバール、この『ベルばら』でもおなじみのお二人を、月組の頼りになるベテラン(あまりそこ強調すんな)お二人、夏月都(なっちゃん)と晴音アキ(はるちゃん)がやっておられて、小技を使って笑わせたり(あのシーン(てどのシーン?)にも拍手ほしかったなー。みんななんで女役さんには冷たいの?)していました。もっと盛り上げてあげたかった。



さて、主役とその親友役の話に全然ならないけれども、二人ともいまさらぼくが評するレベルではなく・・・と言いたいんだけど、歯切れが悪いのは、実は今回別のところにある。

実は、お話のオチにぼくはすごくがっかりしたのである。

ミヤ様が演じたのは、本物のサン・ジェルマン伯爵ではなく、彼にたまたま顔がそっくりだったからと成りすましたしがない役者・シモンである。

そこは別にいいんだが、シモンはサン・ジェルマンよろしく舌先三寸で当時のフランス宮廷に入り込む。そのあたり若干カリオストロとかぶる。

ちなみに、ぼくはサン・ジェルマンとカリオストロの区別がいまいちつかない。(おい)

いや、本人の区別がつかないんじゃなくて、この辺のお話に出てくる両者のキャラクターの区別がつかない。

実際似すぎてるのである。

ミュージカル『マリー・アントワネット』に出てくるのはカリオストロで、雪組がやった『ルパン三世』に出てくるのもカリオストロで、『カサノヴァ・夢のかたみ』に出てくるのはサン・ジェルマンである。

ほら、区別つかないでしょ?(何でや?)

どっちも、ひたすら怪しいおっさん()で、「不老不死」がキーワード。

まあ、そこらへんは良いとして、シモンはルパンみたいに未来から来て、本当の歴史を知ってるわけじゃないのに、しこたましたであろう予言が都合よく当たりまくったのかどうか。あたりはずれがあったのなら、宮廷の人たちにあれだけ取り入れるはずはない。

もし、シモンが参考にしていた(本物の)サン・ジェルマンが遺していた文献に書いてあったことが本当に未来をびしばし当てていたとしたら、その時点でこのものがたりは荒唐無稽になってしまう気がする。

変なところ現実的で申し訳ないが、サン・ジェルマンが本当に伝説のとおりの存在だとしたら、本当は凡人なのに偶然のラッキーで成りすましているシモンに、いささかのバチもあたらないのはおかしい。

だからぼくは、サン・ジェルマンは完全にペテン師だったと仮定したい。

彼は単に名メンタリスト(daigo?)だっただけではないかと。

不老不死も単なる伝説で、実際この時代には、きっと死んでいたんだろうと。

遺した文献は、眉唾ものの魔法の書とかではなく、それこそ、学問的な方向から「人を信じこませる方法」みたいなことが書いてあったものではないかと予想する。

だからこそ、シモンにはサン・ジェルマンのバチはあたらなかった。

ただ、この後がもっと重要。

つまり、シモン自身が、成りすましでもなんでもなく、「二代目サン・ジェルマン」(メンタリスト的な意味で)に相違なかったのではないか。

だとしたら、いくら“本物ではありませんでした”とか言ったって、彼の、サン・ジェルマンとしての人心霍乱の罪は逃れようがない。

ぼくが立腹したのはそこである。

散々人を惑わせといて、「ボク、実はサン・ジェルマンじゃなかったんで」じゃ、済まないだろと。

ジャックが、親友だからとシモンを見逃したい気持ちは分かる。

だけど、フランス市民として、シモンを無罪放免にするのは赦されることではない。

誇り高くマダム・ギロチンの下にかしずいたアントワネットを見習って、お前も自分のしたことの責任をとれよ、とぼくはこのお話の主人公に向かって言いたいのである。

それはそのまま、作者の原田先生への抗議である。

主演男役を殺して終わりにしたくなかったのかもしれないが、そのことのために正義に背くようなエンディングにしていいんですか?

主人公が悲惨に死んじまっても、下りた幕が再び上がってキラキラの衣装を着た主演男役が美しい笑顔を振りまいて踊れば、観客はすっかり納得してくれますよ。いや、タカラヅカってむしろそうじゃなきゃならない。

ぼくはそう思いました。

得意ジャンルだけに役者がみな良かったので、このストーリーへのモヤモヤだけが残念であった。




さて、次回月組はこれまたサン・ジェルマンのごとくギュインと時を遡って太陽王ルイ14世時代のフランス。

ミヤ様は栄光の三銃士のうち、オシャレの化身()アラミスを演じられる。期待しかない。

れいこが演るベルナルドってのがよく分からない。

どうも『三銃士』は『三銃士』でも、小池先生のオリジナル脚本らしく、期待と不安がハーフアンドハーフ()である。

ちゃぴ(愛希れいか)がアンヌ・ドートリッシュじゃなくルイ14世ってところで期待バクハツなので、イケコ作劇が良い方へ転がってくれることをひたすら祈っております。


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