てくてくミーハー道場
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2019年08月05日(月) |
ミュージカル『エリザベート』(帝国劇場) |
もうそろそろ飽きろよ日本人。何度目の再演だよ(いきなり毒吐くなよ。てかお前も飽きてないだろ)
いやあ、こんだけチケットとれないと、毒も吐きたくなりますよ(なるほど)
まず、6月7月全滅。とうとうたぁたん(香寿たつき)ゾフィーと京本(大我)ルドルフを見逃し。
最後のダンスチャンスである8月のチケットを命がけ(大袈裟)でとったんですがやはり土日祝日は全敗。
なので、第一幕捨てるつもりで(そんなら最初から観るな!/怒)平日をとりました。
そしたら、神様は見てくれているのか()今日に限ってすごく仕事がヒマでした。
終業時刻を待たずに「失礼しまぁす〜♪」と職場を後にし、ギリギリ開演時刻にセーフ。
多分、フリークの人はぼくなんかとは比べ物にならない回数ご覧になってるとは思うんですが、ぼくだってもう何十回観たかわからん作品なので(それでも観るたびに同じところでツッコミが入るという)、注目するのは内容よりも演者について、そして演出についてになりますが。
演出は前回上演から大きくは変わってなくて、舞台面の重厚さは数ある各国バージョンの中でもおそらく世界一なんじゃないかと(他国のバージョンは実はぼくウィーン版しか知らないんですが)
この、目から入ってくる贅沢さ加減がたまらんなあと毎回思いますね。そもそも役者の顔が日本版は世界的にも類を見ない薄さ(おいこら)じゃないですか。その分やっぱ他のところで濃くしないと(さっきから失礼千万ですな・・・)
というわけで、本日は世界でも類を見ない顔の薄いトートとシシィの組み合わせ、芳雄トート×花總シシィでお贈りされました。
芳雄くんに関しては、前回初めて観た時に強烈に思ったのは(なのに感想を書いてないという・・・)、悪くとってほしくないんだけど、他のトート役者が無心で「トートっていう特殊な役を何とかモノにしよう」と頑張ってる(約1名様除く)のが見えるのに対して、芳雄トートは、あまりにも自信たっぷりに「みんないい?これが、このボクが今やってるのが『トートの正解』だよ?分かった?」みたいな感じ。
その自信満々さに「ははーっ、おっしゃる通りでございますっ!閣下!!」みたいに平伏しちゃう心地よさがあった。
それを今回も期待して行ったんですが、ぼくの思い込みが激しかったのか、今回はさほどその(良い意味での)傲慢さは薄れていた。
非常に丁寧にトートらしさを醸し出されておりました。
あと、やっぱ「闇が広がる」がねぇ・・・。これもこっちの勝手な先入観のせいなんだけど、ルドルフ役者に対して「オリジナルはオレだから」みたいな雰囲気が(思い込み思い込み!)
時間がないから順不同で書いて行っちゃうけど、本日は今回初ルドの三浦涼介クン。彼の舞台は何作か観てますけれども、つい最近知ったんだけど、彼って二世俳優だったんですね!
お父さんが三浦浩一さん、お母さんが純アリスさん。つまり、知ったきっかけは、純アリスさんがこないだ(7月12日)亡くなったというニュースに家族構成が載っていたから。
役者の常で、つらいつらい時期であるにもかかわらず、それをおくびにも出さず頑張って舞台を務める姿に胸を打たれます。
しかし、言われてみるとほんとお母さんそっくりやな。なぜ気づかずにいたんだろうか。ぼく鈍いからなそういうとこ。
それはともかく、やっぱり歌は今一つ。決して「下手だ金返せ」てほどではないんだけど、やっぱルドルフって役はハードルがスカイツリー並みに高いんで(高すぎだろ!)
で、今日観てたら、ダンスも今一つ芝居も今一つだった(全部かよ?!)
人一倍良いのは顔とスタイルだけじゃん!(ほんとに毒だなあ・・・)
親の十四光をふっとばして本人の輝きでキラキラする日がきますように。ぜひ頑張ってください。
さて、あんまり詳しく感想書く体力がもう残ってないので、花總の話で終わらせます。
つくづく、やっぱ歌下手やね(ど、毒がすぎますぞ、ておどるさん・・・/哀)
今回特にそう感じた。スコアところどころ変えちゃってるし。
高音が出ないから?と思ったりもする。ぼく自身そんなに音感良くないので自信はないのだが、エリザベートのナンバー、原キーより下げてなかったか?気のせいか?
Hi Gだったか?シシィの一番高いキーって。それが半音まではいかない、四分の一音ぐらいフラットして聞こえるのだ。そういうなんか微妙なピッチだった。
でも花總って人は、そういう基本的な技術はともかく()、とにかく“立ってるだけで”シシィの人だし、少なくとも感情の出し方があまりにも的確なので、歌は壊滅的だけど(そ、そんなには酷くなかったと思う・・・)見てて不愉快にはならなかった。
あ、今回ぼくが「へぇー」と思った箇所が一つあって、それはシシィがフランツから豪華なネックレスを贈られるシーンなんだけど、あそこで「つけてごらん♪」「とても重い」――この「重い」を、ぼくはずっと、シシィが皇后になることへの畏怖を表現してるんだと思ってたんだけど(確実にかつて花總もそのように演じていた)、今回は、単純に幼いシシィが「わぁ、重いわ。すごーい」と喜んでる風に演じていた。
ここに限らず、今回の少女時代のシシィは思いっきり幼く演じており、それは、そんぐらいしないと花總自身が少女に見えないお歳になっ(黙れ)
・・・いや、あながちそうでないとは言い切れないのではないか。とにかく前回とは諸所違った役づくりでありました。
花總の話で終わるなんて言っといて、最後にこれだけは付け加えたくなった。
成河ルキーニ。
前回初見のときは「いろんな部分が物足りない」と感じたのだが、今回は、歴代のルキーニにはなかった一番“狂気”を感じさせるルキーニで、なんともいえぬ魅力がありました。ぼくが思う大正解というわけではないのだけど、「なるほどー、ルキーニにはそういう感情があったのか」みたいなことを教えてもらえた気が。
そして、ほんとにこれが最後に一言。
田代フランツ。
貫禄の大正解。
つくづくうまいっす。
この作品のフランツ=ヨーゼフって、エリザベートを一生愚直に愛し抜いたように描かれてるけど、実は(やめなさい今そういうことを言うのは)
なんか、そういうところがそこはかとなく見え隠れするフランツで(まさか狙ってなかったとしたら逆にまずい感想だぞ?)どことなーく冷たいんだよね。
それはシシィを愛し足りないってことではなくて、自分でその“冷たさ”を分かってない、生まれた時から皇帝だからしょうがない、みたいな、いかにもやんごとなきお方らしいフランツでした(ほらあ、結局ほめてないみたいになっちゃった)
名曲「夜のボート」は、実は「あなたが側にいれば」のリプライズなのであり、この、いかにも若い高貴なカップルの愛の歌であるかのようなナンバーは、ちゃんと聴くと、二人、まったく平行線なことを歌ってるのである。
最初から全然お互いを理解しようとしてなかったんだ、っていう、クンツェ先生の深くも意地悪な歌詞である。
何十回観ても飽きないのはこういうところがあるからなんだろうな。
さて、もうチケットは持ってないのであとは当日券に賭けるしかないのだが、果たしてゲットなるでしょうか。
答えは〇日後(←アホなテレビ番組みたいなこと書くな!)
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