ささやかな日々

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2020年10月20日(火) 
息子が嬉々として捕まえてきたアゲハチョウの幼虫。しばらくして息子が言う。「母ちゃん、なんか元気なくない?この子」「んー、新しい蜜柑の葉っぱ探してきてあげたら?」「ん、そうするー」と話していた翌朝、見たら蛹になっており。参った、今日逃がしてあげようと話していたのに、蛹になってしまったら動かしようがない。「どうする?母ちゃん」「どうしようもないよね、こればっかりは…」ふたりして籠を前に腕組み。しかも蛹はころんと横たわっており、これは無事羽化できるんだろうか?と私は口にこそ出さなかったが首を傾げていた。私の記憶では、この状態できれいに羽化できた蝶は見たことがなく。この蛹もその可能性は高くて。息子、その時どうするんだろう。私は息子の、寝ぐせのついた後頭部を見つめながら思った。結局、そのまま籠に入れてそっと置いておくことにする。それ以外に方法が思いつかない。
そんな息子と共に、映画館へ。息子が観たい観たいと言っていた鬼滅の刃を観る。最初のうちちょっとうとうとしてしまい気づいたら後半にさしかかったところで。慌てて座り直して観る。気づけば隣の息子は声を上げて泣いており。私はそんな息子の様子に半ば圧倒されながら、映画を見守った。
なるほど、今の時代から失われつつあるものたちのあれやこれやが映画の中に詰め込まれており。たとえば、ひとの縁の篤さやどんな状況であろうと諦めずに前へ前へと歩を進めることの意味、どんな状況でも自分の信じるところを曲げず、信じぬくことの強さなどなど、本来ひとが大切にしたいところのものたちが散りばめられた映画であった。「母ちゃん、僕泣いちゃった、母ちゃん泣いた?」「うんうん、泣いたよ」「よかったよねー、すごかったよねー」「そうだねぇ」。そんなことを何度も言う息子の、その未来では、これらのことたちはどんなふうに様相を変えているのだろう、と、私はふと、考える。どうか、どんな状況にあろうと、ひとがひとを想うことの強さ、大切さが、見失われていませんように、と、心の中祈るように思う。

アメリカンブルーの様子がやっぱりおかしい。一度プランターをひっくり返して根の状態をみてやらないといけない。薔薇たちは新しい蕾を次々こさえており、膨らんできた蕾は重たそうだけれど、でもその、くいっと首をもたげて立つ姿は、いつ見ても、いい。こちらも背筋を伸ばしたくなる。
洗濯物がきれいに乾く。たったそれだけのことににんまりしたり。今の私ができることを見つけてこれまたにんまりしたり。ちょっと嬉しい、そんな日。
ひんやりした風が、流れている。


浅岡忍 HOMEMAIL

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