| 2020年10月24日(土) |
家人に「今朝早く起きてたよね?」と訊かれ、何も思い出せないことに気づく。ごめん覚えてない、と応えると、もうそういう答えに慣れっこになっている家人が淡々と「うん、僕より早く起きてた。四時頃には起きてたよ」と応えてくれる。そうなのか、そうだったっけ、そうだったかなあ。首を傾げながら、それでもうまく思い出せない自分に、少し狼狽える。相変わらず記憶が飛び飛びで我ながら嫌になる。
アメリカンブルーはまだ枯れてはいない。枯れてはいないが瀕死の状態だ。だから今朝もたっぷり水をやる。コンボルブルスの枯れた枝を切り落としながらアメリカンブルーに水やりをしていたら息子が「僕もやる!」と嬉々としてやってくる。だから如雨露を渡し水やりを頼む。 コンボルブルスの隣のプランター、長いこと放置していたプランターから芽が出ていることにはたと気づく。慌てて凝視すれば、去年から植えっぱなしにしてある球根が律義に芽を出しているところで。息子に声をかけ、大きな如雨露にたっぷり水を汲んできてもらう。私が勢いよくそのプランターに水をやっていると、息子がこれまた「僕もやる!」と言って私の手から大きな如雨露を奪う。しかしその如雨露は彼の体格には大きすぎて、ちゃんと持ち上げられない。私は再びそれを受け取り、三杯たっぷりそのプランターだけに水をやる。 薔薇たちが今、たくさん蕾を湛えており。重たそうに枝を撓らせるほどに大きな蕾を。去年はどうだったか、もちろん私は思い出せないのだけれど、たぶんとても寂しい状態だったはずだ。印象としてそう残っている。 ノースポールも零れ種が次々芽を出し、黄緑色の可愛らしい葉をぱっと拡げている。太陽の光を精一杯浴びたいという気持ちがその葉全身に現れていて、いつ見ても微笑んでしまう。三色スミレの芽も順調に育っている。そろそろ挿し木ばかりを集めたプランターを、整理しないといけないと思いつく。いつやろうか。
家人が今、SEP養成トレーニングを受けている。コロナ禍ゆえに今年はオンラインでの受講。今日は実習もあったようで。息子を寝かしつけ終えて部屋に戻ると、ぐったりした顔の家人が座椅子に座っていた。久しぶりにゆっくり話す。もちろん彼のその養成トレーニングの様子のことが話題のほとんど。
過去と他人は変えられない。変えられるのは今と自分のみ。と言ったのは誰だったか。エリック・バーンだったか。確かこのほかにも、今この時を認識すればよい、過去や未来を生きる必要はない、といった言葉も残されていたっけ。正直、エリック・バーンのすべてを肯定する気持ちにはなれないけれど、先の言葉たちは心に置いておきたい言葉だ。 そう、過去と他人は変えられない。変えられるのは今と自分。今ここを、生きよ。 |
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