| 2021年03月02日(火) |
月曜日、どきどきしながら都内に向かう。今日は会いたいと思っている人たちと会う日。ちゃんと話ができるだろうか、伝わるだろうか、様々な思いが胸の中ざわざわと蠢く。でも。何だろう、伝わらなかったら、とは一度たりとも考えなかった。不思議。 一時間遅れでやってきたAKさんをAMさんと一緒に待つ。年齢にしたら私よりずっとずっとお若いAKさんなのに、経験値はきっと私なんかよりずっと高くあるに違いない、そう思わせるものが彼女にあった。 気づいたら、自分から喋り出していた。どうしてAMさんに頼んで保護司というお仕事を知りたいと言い出したのか、加害者との対話、被害体験もろもろ、一気に話した。AKさんもAMさんも、じっと耳を傾けてくださって、私はだから、話してる途中からもう、涙がこみあげてきて、こらえるのに必死だった。 どうしてこんなに話したくなってしまうんだろう、はじめましての相手に、こんな無遠慮に、どうしてこんなに。途中で何度もそう思った。でも。止められなかった。 加害者と被害者の相似と隔たりについてだったり、加害者との対話を通じて感じた諸々のことなど。思いつくまま喋った。話しながら、何のためらいも感じない自分が、いた。 ふたりのそういう姿勢は、いつも接しているS先生と似ているな、と、ふと思った。どこまでも被害当事者を受け止めようとしてくれる、深い懐というか、何というか。だから、私は大丈夫、と思えた。
ふたりと会ってお話しし、たくさんのアドバイスをいただいた。自分一人では思いつきもしなかったことたち。たくさんいただいた。ああ、だから、ひととこうして「会う」「会って語り合う」ことを私はやめられないんだと思った。 確かに今、オンラインでいつでもどこででも繋がることができるようになって、それはとても便利になったと思う。その便利さは、すごいなと思う。でも。 直接会うからこそその場で感じられる、体温や匂い、目線、目の奥の深さ、指先の有様、こちらに向けられる身体の角度、そういったいろんな、その場に実際いるからこそ得られる諸々のことが、私にはやっぱり必要で。そうしたものが在ってはじめて、納得できること、腑に落ちること、たくさんあって。 私はアナログの人間なんだな、と心の中ちょこっと笑う。でも、そういう自分が私は、嫌いではない。
手を振って別れた後、電車に乗って帰宅しようとするのに、何故か一度目は大船まで、二度目慌てて戻ろうとするのに今度は品川まで、要するに横浜を二度も越えてしまって、もう私はこのまま電車の中迷子になるんじゃなかろうか、と、かなり焦った。とりあえず家人にLINEで「あと10分で横浜に着くからその前に電話して!」とお願いする。結局息子をダンス教室に連れて行くのも何も、家人に代わりにやってもらうしかなく。情けないな自分、と唇を噛む。 解離しながら階段落ちして以来、どうもこう、何かがおかしい。まだ自分の中噛み合っていない何かがある気がする。あの時何かを落とした、もしくは何かが欠けてしまった、そんな感じ。 「頼むから予定をセーブしてください。迷惑です」と家人に言い渡され、しょげかえる夜。でも。
今日はいい日なんだ。とっても。いい日なんだよ。 |
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