ささやかな日々

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2021年09月27日(月) 
家人と息子が返ってきた。それだけで部屋が賑やかになる。ついさっきまでがらんとしていた空間に、幾重にも声が重なり色が重なり、まるでお祭りのようだ。
だからかもしれない、今夜はいつもより長く眠ることができた。すとん、と寝入ってしまった。息子を寝かしつけていたはずなんだけどな、と首を傾げ乍ら起き上がった。午前0時。
贅沢なんだと思う。それでも、私はひとりに還る時間がないと息切れしてしまう。だから今夜も、ひとりこっそり、夜を食む。

依存症施設でアートセラピーの講師の日。自転車で片道30分弱。最初道が分からなくて、家人に教えられた車通りの多い道を走ったのだけれど、どうにもこうにも落ち着かない。だから先日から裏通りを適当に走ることに決めた。
もう閉店して長く時間が経つのだろう小間物屋の脇の細道を入り、少し行くと、もくもくと湯気を出している建物が見えてくる。クリーニング屋の下請けさんのようだ。その猫がたむろする辺りを過ぎると今度は小さな公園。今日はその公園の、百日紅の樹が花盛りだった。うちの近所のお寺の百日紅はもう散ってしまったのに、と思いながら見上げる。濃いピンクの花弁が幾つも幾つも。その足元で揺れる黄色い小さな花々とのコントラストが鮮やかで、ちょっと眩しい。さらに走ると障害を持った子たちによって営まれる小さなパン屋さんが見えてくる。その店を見やりながらさらに私は走る。別の、さっきより小さな公園がぽつん。誰もいない。午後の陽光が燦々と降り注いでいる。

今日はとあるテーマでのコラージュを為してもらう。何人かは、事前にテーマを伝えていたからか自ら使いたい画像を用意してきていたり家で描いたのだろうイラストを写メに撮っていてそれを見ながら私が配った用紙に描きうつしたりしている。手を留めてぼんやりしている人に話しかける。テーマをどう捉えたらいいのか悩んでいるらしく、だからそっと後押しをする。
最後、全員でシェアするのだが、思っていた以上にみな、自分の内奥に潜むテーマを具現化してくれていて惚れ惚れしてしまう。そうか、このひとは今このテーマが、あの人は今あのテーマが、それぞれに心にあるのだな、と、教えられる。中には、できあがったコラージュに自身でびっくりしているひともいたりする。「こんなのができるんだあ!」と自分で自分の画に見入っているのを私は後ろからそっと見守る。

色がきらきらしている。秋はいつもそうだ。少し寂れた感触を伴って、光がきらきら輝く。ころころと光が転がる。私はだから、ちょっと眩しくて、目を細める。かつてはこの、きらきらの光を当たり前に享受していたんだろうなと思う。私にも、色があるのが当たり前だった時代があったのだから。それが、当たり前でなくなった時はじめて、知るのだ、知らされるのだ、色がどれほど心を豊かにしてくれていたのか、ということ。世界から一切の色が失われてはじめて、愕然とするのだ。ついさっきまでいたはずの世界がどれほど、やさしく美しく満ち満ちていたのか、を。
かなしいかな、ひとは。失ってみないと気づけない生き物。喪失を経験してはじめて、欠落を経験してはじめて、気づかされるのだ。世界はもう十分に美しいのだ、ということ。


浅岡忍 HOMEMAIL

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