ささやかな日々

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2021年11月21日(日) 
「そもそも許されると思っていない、許されないことをしたんだから」
「許されないのが当然、と思うことで、考えることから逃げているところがあるかもしれない」

加害者プログラムでそういった声を聴いた。聴きながら、前に聴いたのと少しずつ違ってきてるなと感じた。昔私が参加したての頃、彼らは「どうやったら被害者に赦されるのか」とよく訊ねてきた、そういう記憶がある。それともそれは私の記憶違いなのだろうか。
「そもそも許されると思っていない、許されないことをした」と言う。でもだから「許されないのが当然」だからそれ以上のことを「考えない」のは違うと思う。
許されるか許されないか、は問題ではなく、自分の問題行動を自覚したその瞬間から、どうここから自分は生き直すのか、それを自分に問い続けながらゆくのが筋なのではないのか。考えることから逃げるのは、それこそ許されないことなのではないのか。
被害者である私は、そう感じてしまった。

確かに、自分と向き合い続けるのはしんどいに違いない。
でも、被害者は、被害に遭ったことによって、自分と向き合わざるを得なくなってしまうのだ。あの時「自分が」こうしていれば被害は起きなかったのではないだろうか、あの時「自分が」こうしていればこんなことにはならなかったんじゃなかろうか等々。ひたすら自分を責めながら、生き延びる間中ずっと、自分を責めながら、「あの時の自分」と向き合いながら、在る。
それに対して、彼らはするりするり、と、「問題行動を起こした時の自分」から逃げ続ける。

私は知らなかったのだが。服役したことのある友人に聴くところによると、服役中彼らが言われるのは「更正」という言葉なのだという。更正とは間違いを正すという意味。
しかし、仮釈放する者や執行猶予で保護観察に付されると、その時点で「更生保護法」という言葉、今度は「更正」ではなく「更生」という言葉が使われるのだという。更生とは生き返ること・よみがえること・精神的、社会的に、また物質的に立ち直ることの意味。そんなふうに時に「更正」時に「更生」を使われるのだが、この違いを意識している者は少ないという。
更正と更生ではまったく意味が異なるのに。自分にそれらがそれぞれに使われていることを彼らは意識できない環境にあるのかと思ったら、或る意味愕然とした。
また、満期出所者にはこの更生保護法という言葉にさえ掠らないというから、それでは一体どこで「更生する」ことを彼らは意識すればいいのだろうと私は呆然とせずにはいられなかった。

罪を償うとは、どういうことなのか。
自分と向き合い続けるとはどういうことなのか。
そもそも自分にとって被害者とは何なのか。自分の加害行為によって生み出してしまった被害者とは自分にとって何なのか。
更生するとは。

彼らは、そういったことからするりするりと逃げてゆく。逃げ続ける。しんどいのは分かる。つらいのも分かる。考え続ける、向き合い続けることが、自分が生きてる間中必要なのだというその現実に耐えられない気持ちになるのも百歩譲って分からないわけではない。
が。

性犯罪の場合、命を奪ったわけではない。確かにそうだ。性犯罪の中でもたとえば盗撮や下着窃盗だったら「直接被害者に触ったわけでも何でもない」。確かにそうだ。
が、しかし。
たとえ直接被害者の身体を犯していなかったとしても。君たちは、被害者のテリトリーを、心というテリトリーを犯したことに変わりはない。それは重罪ではないのか。
命を奪ったわけでなくとも、心を破壊した、それは重罪ではないのか。
命と心(精神)との重さの比較をしてみろ、命の方が重いじゃないか、というひともいることは知っている。でも私は敢えて言いたい、そこに比較は無意味だと。人間はこの心というものを持っているからこそ、精神というものがあるからこそ、人間足り得ているのではないのか。それを破壊されてもなお、生き続けなければならない地獄について、命より軽いと何故言える?
命も心も、等しく重い。私はそう思う。

罪を償うとは。
被害者とは。
更生するとは。
自分がここから生き直す意味とは。
問い始めたらきりがない。延々と続く問いだ。確かにしんどいだろう。
が。
君らだけがしんどいのでは、ない。君らが産んでしまった被害者はそれ以上に、しんどさを背負って生き続けていかなければならないところに居る。
そのことには、どう君たちは言い訳するんだろう。

「許されると思っていない」「許されないことをしたと思っている」。彼らの言葉を聞いて以降、ずっとそれらの言葉が頭の中をぐるぐる廻っている。
許されると思っていない、許されないことをしたと思っている。
その言葉は、聴きようによっては、ただただ「開き直り」のように聴こえてしまう。それが私には、つらい。
許されることじゃないから、許されないから、だから仕方ないんだ、と、そこで終わりにされてしまったかのように感じられて、それが、つらい。
仕方のないことだったから諦めろ、と放られたかのようで。許されないからしょうがないよ、と、そこで断たれたようで、それがつらい。
私は。
自分に起こったことを、仕方のないこと、にしたくない。私の友人たちに起こったことを、仕方なかったよねなんてことで片付けたくない。仕方なかったことなんてひとつも、ない。そう思っている。
だから、諦めるわけにはいかないのだ。ここで。
私は。
君たちに問う。問い続ける。
君たちはここから、どう生き直すのか。今どう生きているのか。を。


浅岡忍 HOMEMAIL

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