| 2021年12月24日(金) |
瞬く間に時が飛び去ってゆく。それに全く追いついていけていない。いや、何とかやり過ごしているが、記憶が全く残らない。 私はどっぷりこの時期解離性健忘に憑りつかれるようで。それは、そこから逃げることはもはやできないんじゃなかろうかと思う程だ。今日もカウンセリングで、あなたに憑りついているのは過去の亡霊だから、とカウンセラーが繰り返し言ってくれた。ありがたいことだ。何度も何度も何度も。もう言い飽きただろうに。そんな素振りは全く見せず、淡々と繰り返し私に唱えてくれる。それなのに、私はそれを受け止めかねている。 たとえば風呂場。私はこの時期風呂場に近づくことが非常に困難になる。記念日反応のひとつ、だ。それは分かっている。私は何度も凌辱された、そのたび、加害者の後の風呂に無理矢理入れさせられた。その時のあの、水面にびっしり浮かぶ塵。あの塵に私は、もう一度レイプされるような感覚を味わったのだ。ぞっとした、恐怖だった、絶叫したかった、喉が締まって声が出なかった、出せる声ももはや残っていなかった。そうして私はただただ、塵に犯されたのだ。 あの感覚が、どうしても蘇ってきてしまう。この時期どうしても、あの衝撃が、蘇って来てしまう。それゆえに風呂場自体に近寄ることが困難になる。浴槽に浸かるなんて、湯船に浸かるなんて、とてもじゃないができない。 友人が言う、お風呂にゆっくり浸かって一日の疲れを取るのが私の唯一の楽しみだ、と。羨ましいと思う。私もゆっくり熱い湯に浸かって強張った体を解したいと心底思う。だのに。できないのだ。 加害者からレイプされるだけでなく、人間以外からもレイプされるあの屈辱、無力感。たまらないものがあったのだ。私にとっては。私にはもう、何処にも逃げ場がない、そう思えた。人間からも、人間以外からも、こんなふうにレイプされ続ける運命なのか、と、そう思ったら、もう絶望以外何も、残らなかった。
日々の記憶があまりに飛び飛びになるから、私は常に「今ここ」に必死になる。今の私にはまさに、「今ここ」しかないからだ。「今ここ」を呼吸し生きるので精いっぱいだからだ。私の脳は誤作動を起こしていて、この時期は特に、連続した記憶を残すことが非常に難しくなる。まるで行動するそのすぐそばから、誰かに消しゴムでそれらを丸ごと消されていくかのように。きれいさっぱり私の記憶は飛び去ってゆく。瞬時に消滅する。何処にも何も残らない。 私に過去は持てないのだろうか。ひとの言うところの、ごくごくふつうの過去。こんなことしてあんなことして、あんなこと思ってこんなこと感じて。そんな「営み」が、何処を探しても私の裡には残ってくれない。 私自身のことはそれで仕方がないとしても、困るのは家族のことについて、だ。特に息子の、あれやこれやの連絡事項、そういったものに対しての対処が全然できなくなる。これが困りものなのだ。私が困るのではなく、息子やその先にいる人々に迷惑がかかる。これが辛い。いくら頭を下げても足りない。どうしたらいいんだろう、本当に。
電車に乗っていても、よく途方に暮れるのがこの時期だ。自分が何処に向かっていたのか思い出せなくなるからだ。この電車は一体何処へ行こうとしているのか、そもそも私は今何処に向かっていたのか、思い出せなくて慌てて電車から飛び降りること多々。そうして携帯電話のメモ帳機能を確認したり、予定表を確認して、必死に思い出そうと努力する。思い出せればいいのだけれど、どうしても思い出せないままの時は、とりあえず誰かに電話してみたりする。この歳になって電車に乗っていて迷子になるなんて、多分自分くらいなものだろうな、と、いつも落ち込む。落ち込むのにももう正直、ちょっと疲れた。
こんなことをこうして書いてしまうと、よほど私は凹んでいると思われるかもしれないが。それは違っていて、もう凹むことにも疲れてしまったというのが本音だ。いや、凹んで立ち止まっている暇がないのだ。「今」は常に、瞬時に飛び去っていってしまうから、私は「今ここ」に食らいつくのに必死で、それより他に考える/感じる隙がもはやないのだ。だから私は、記念日反応でもう、へたり込むようなことは、ない。
ただ、時折、ぽかんとしてしまう。 空の天辺にぽっかり穴が開いていて、私はそれに呑み込まれるのかしらと思いながらただ茫然と、淡々と、見上げている構図が、そこにはあるだけ。それ以上でも以下でもない。ただ、それだけ。 |
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