| 2022年02月02日(水) |
朝一番に整骨院へ行き、その足で茅ヶ崎市美術館まで浜田知明展を観にゆく。久しぶりにMと会い、一緒に美術館へ。 展示を観ながら、じくじくと古傷が痛み始めるのに気づいた。大好きな作家のひとりであり、作品集も持っている作家だのに、私の脳味噌はいつの間にか、被害体験とその後のあれこれに結び付け、いわゆるフラッシュバックという奴に襲われる。途中あまりのフラッシュバックの激しさに身体が揺れてしまう。もし一緒に来ているのがMじゃなかったらと思うとぞっとする。Mはそういうことも含めての友人だから、最悪私がしゃがみこんでもきっと、よしよし、なんて言いながらそばについていてくれるに違いない。そう思ったら、余計に身体がぐらぐらした。 フラッシュバックしてきたことのあれこれは、もう見飽きるくらい見飽きてるはずなのだ。繰り返された被害の場面だったり、悪意なきひとたちからの二次被害だったり、最初の被害のまさにその場面だったり。どれもこれも、もう何度も何度も何度も、再生されてきたもののはずなのだ。 なのに私はそのたび、「今ここ」で再体験しているような錯覚を覚える。何度でも「今ここ」で被害にまつわるあれこれを再体験してしまうのだ。それはもうこれでもかってほど生々しく。 そういう時はしばらく私は空白になってしまう。あらゆる感情が凍り付いて停止してしまう。自分が何を感じ何を考えているのかなんて、まったくもって分からなくなる。その代わりに、身体はぐわんと熱を帯びる。気づけば汗だくになるほど発熱する。喉は乾き、視界はぎらぎらとした白光が交錯し、そして全身が強張る。握りしめた掌に短く切ってあるはずの爪が突き刺さる。 もしかしたらそれはほんの一瞬なのかもしれない。でも、私には永遠に思える。いや、それよりもこう、時が停止してしまったかのように思えて仕方がない。もう二度と廻らない、壊れた時計が目の前に見える。 帰り道、電車の中でぐったりしてしまった。しばらく、過去に関わった作家や作品の展示は、遠ざかっていよう、と自分に言い聞かす。今日たまたま特に具合が悪かったのかもしれないけれど、でも、こんなヴィジョンは繰り返したくない。
夕飯後、またジャムづくりを始める。林檎ジャムがもうなくなりかけているので林檎ジャムを。手元にあった林檎がちょっとボケているようなので、いつもよりさらに多くレモンを絞って作る。もちろんシナモンもたっぷり使う。 小瓶4つ分ができあがったので、ひとつをMに。今日心配をかけたお詫びに。もうひとつはパン好きな友人に。そして残り2つは我が家の分。
回復。前回土曜日の加害者プログラムに出て以来、回復という言葉がひっかかっていたが、小松原織香著「当事者は嘘をつく」を読んでなおさら、回復って何だろう、と悶々と考え続けている。 回復のテンプレート、という言葉がふっと浮かぶ。世間が一方的に被害者や加害者に対して抱いているイメージのテンプレート。でも実際はどうか? 少なくとも私があの場所で出会ってきた加害者らは、世間の加害者というテンプレートからはかけ離れたひとたちばかりだった。そしてまた、加害側と被害側とでは回復に必要な事柄も必要な情報も何も、対岸にあるかのようで。そうでありながら一方で、重なり合うものも確かにあるな、と。そう、思うのだ。 |
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