| 2022年03月05日(土) |
春一番が吹いた今日は加害者プログラムに出席する日だった。都内まで電車に揺られる。車窓を流れゆく景色に、冬とは違う色合いが混じっていてちょっと賑やかに私の眼には映る。そうだ、啓蟄。どうりで世界が明るく賑やかに見えるわけだ。妙に納得してしまう。 それにしてもなんて強い風。最寄り駅に降りたらあちこちで自転車が倒れている。恐らくすべて風のせい。自転車を倒して回りながらきゃっきゃとはしゃぎ笑う風の精の姿がくっきりと心に浮かぶ。きっとよほど楽しいに違いない。
プログラム。「あなたはなぜその被害者を選んだのか?」。今日のテーマはそれだった。被害者にとっては永遠の問いだ。人間が巷に溢れているにもかかわらずよりによって何故自分が被害者にならなければならなかったのか、その理由を知りたいと思うのは当然と言えば当然のこと、だ。 これまでの対話の中で彼らは「ゲームだった」「人として見ていなかった、だから繰り返し出来た」「たまたまターゲットになっただけ」と繰り返し話してくれた。でも、それでは私は納得できなかった。だから今回、S先生とも話をしてこのことを改めてテーマに据えた。 彼らひとりひとりが自分の問題行動と対峙し、そして「自分自身の言葉でもって」自分の問題行動を語ってほしい。テンプレートに沿った決まりきった言葉などではなく、そのひとにしか言えない言葉でもって、説明をする。それは、彼らが為した罪に対して引き受けなければならない責任のひとつに私には思えた。だから、問うた。
最初は性的欲求を満たす為だった。それがやがて「コレクション」を増やす為になっていった。 何故その被害者を選んだのかについてこれまでできるだけ考えることを避けて来た。何故なら考えるだけでマスターベーションに繋がってしまうから。性的な思い出し方以外まだ思い出す術が自分にはないから。 子どもの頃は母親に甘えたりスキンシップをとったりできた。それが年頃になってできなくなり、寂しくて、それを埋める為に問題行動を繰り返した。 等々。
拙い言葉であっても、彼らが必死に問題と対峙して紡ぎ出した言葉であれば、それは間違いなくこちらに届くものだ。でも残念ながら、これからというところで時間切れ。とてもじゃないが、今日のプログラムの時間だけでは足りなかった。時間を軽くオーバーしてしまった。それでも終わらなかった。 プログラム終了後、S先生と、また日を改めて同じテーマを扱いましょうと話す。とても必要なことに思えた。S先生は、母親との関係に何かがある気がするんですよねぇと指摘する。それを聴いて私は胸に突き刺さるものがあった。私と息子との関係はどうだろう? 大丈夫なんだろうか? 赤子を産んでそれが男児だと知った瞬間のことを思い出す。加害者にも被害者にも容易になり得るのだな、と、そのことを思い、茫漠たる思いを味わったのだ、その時。そのことがありありと思い出される。 女性が怖い、と思っているひと、結構多いと思うんです、怖いからこそ暴力を振るって自分の意のままにコントロールしようとしてみたりする。性暴力という圧倒的な暴力にうって出る。それもこれも、女性に対する怖さが底にあるからと思うんですよね。S先生の言葉、これには私も頷かずにはおれなかった。 じゃあその怖さはどこで植え付けられたのか? これについても、いずれテーマに据えて、考えていかなければならない。
何故私が? この問いに加害者が、たとえ拙い言葉だったとしても己の言葉で語り応えた時、はじめて、被害者と加害者との真の対話が始まる気がする。この問いを無視しては、何も始まらないんじゃなかろうか。 私には、そう思える。 |
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