| 2022年04月09日(土) |
横になるタイミングを逸してしまった。月曜日のアートセラピー授業のための準備や、来週末のアディクションリカバリープログラムの準備をしながら朝を迎える。それにしても闇が消えてゆくのが本当に早くなった。そして五時過ぎには日が昇る。昇る位置も、真冬の位置からずいぶん遠く東に移った。季節が変わるというのはそういうことなんだよな、と、窓を開けぬるい外気を浴びながら思う。 アメリカンブルーがやっぱりおかしい。悉く葉の先が茶色くなっていってしまう。水の与えすぎだろうか、それとも液肥の与えすぎだろうか、それとも。正解が分からなくて、途方に暮れる。あまりにひどいところは枝を切り詰めたりもしてみる。枝自体はちゃんと生きてる。どういうことなんだろう。耐えかねて母にLINEする。母は一言「カビでなければ心配いらないから、じっと待ちなさい」。待つ。もうずいぶん待った気がするのだが、それでもまだ待つのか? 「遅れて咲くか持ち直すか様子を見ていて。カビじゃなければ大丈夫だから」。こんな時、心底母の緑の手が欲しいと思う。アメリカンブルーの前でじっと座り込み、見つめながら言ってみる。信じて待つよ。ガンバレ。 ビオラは種を蒔くのが遅かったから、ほとんどの子たちがまだ咲かない。唯一咲いている子はちょうど葡萄の芽のところに陣取っていて、私は気が気じゃない。頼むから葡萄の芽を凌駕しないでくれ、といつも思う。いやそれ以上に、薔薇のプランターの中にこぼれ種で育ってしまったクリサンセマムの勢いが凄くて、それもそれで気になっている。いっそ抜いてしまおうか、と迷うのだが、せっかくここまで這いつくばって育った子らを引き抜くというのはできそうになくて。この子らの花が終わり種になるまでは、何とかもってくれよ薔薇の樹たちよ、と、祈るように思う。
映画「GUNDA」のDVDが欲しいと思っていたのだけれど。Blu-rayしか販売しないようで。残念で仕方がない。手元に欲しい作品の一つだった。あと「さがす」と「名も無い日」も。チェックしているのだけれどまだまだ先なのかもしれない。
書かないと翌日には私の記憶はしゅるしゅると消えていってしまうから、書き留めておこうと思うのだけれど、書き留めようと思うそばから逃げてゆく記憶たち。ああもう私は追いつかない、といつも思い知らされる。追いつかない、追いつけない。悲しいかな。どうしようもない。 過日、Aちゃんがこんなことを言ってきたことがあった。「私記憶が飛んじゃったみたいで。友達に「覚えてないの?」って言われてもまったく思い出せなくて。解離で飛んじゃったみたいで。こわいですね、これ。もうなりたくないって思いました」。彼女からのこの言葉に、私はぐっと思いを呑み込んだ。飛び出しかけた言葉を、ぐっと、呑み込んだ。 本当は。 いや、私は毎度毎度その解離性健忘にとりつかれて生きていかなあかんところにいるのやけど。その人間にそういうこと言うか?と。 言ってしまいたかった。だって傷ついたから。 でも。今、彼女は、正常な状態じゃない。それが分かっているから、言葉を、想いを、呑み込んだ。 解離を、とりわけ解離性健忘を、あまり甘く見ない方がいい。本当に、日常が送れなくなるから。私は呑み込んだ言葉の代わりに彼女に言う。「主治医にちゃんと話した方がいいよ。話して、対策を教えてもらっておくといい」。そう言うのが精いっぱいで、それ以上は口を閉じた。 私って、まだまだだな、とつくづく思う。まだまだ自分の許容量狭すぎて、人間なってないな、と思う。自己嫌悪に陥らない程度に自分に舌打ちする。 せめてあともうちょっとだけでもいい。自分の許容量を拡げたい。もっといろんなこと、受け止められるようになりたい。笑んだまま、すっと。受け流せるくらい。
窓を開けると、動物園から動物の鳴き声が低く小さく響いてきた。彼らも夢を見るのかもしれない。 |
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