ささやかな日々

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2022年04月28日(木) 
昨夜私は眠れたのだろうか。横になったのだろうか。今思い出せなくて戸惑っている。家人の弁当を作る必要があったことは覚えている。夜遅く一本の電話があったことも覚えている。でも、自分がその前後どうしていたのかが思い出せない。
正直昨日は精神的な負荷が大きかった。現実感消失気味だったことも自覚がある。離人感が強くあった。仕方がないと言えばそうなのだろうけれども、ほとほとこういう自分の心の仕組みに、呆れる。

生温い風が吹く。曇天から始まる朝。朝焼けを数日見ていない。少し寂しい。シャッターを切ってみるけれど、朝日を浴びることができないことがとても寂しい。
先日の強風で荒れに荒れたベランダのプランター、クリサンセマムは無事と思っていたが、枝葉が絡まり合ってしまいぐったりしてきた。薔薇のプランターの中で育っていた子。しばらく腕を組んで考え込む。思い切って引き抜くことに決める。薔薇の樹の具合がどうも弱ってると感じられるようになってきたことがその理由。クリサンセマムはベランダのプランターのあちこちに種が飛んで育っている。花が終わればきっとまた種があちこちに飛び、新しく芽吹いてくれるはず。
ごめんね、ありがとうね、と声をかけ、引き抜く。隣同士で絡まり合ってしまった子は、もう疲れたよぉと言っているかのようで。ありがとうね、ともう一度声をかける。
たかが植物に本気で声を掛けるの?と思うひともいるだろうが、私は声を掛ける。声を掛け、想いをかけた分、彼らは必ずいつか応えてくれる。たとえ今回のように引き抜くのであっても、彼らが安心していなくなれるよう、私は声を掛ける。

息子と一緒に家を出る。今日はクリニックで次回加害者プログラムの打ち合わせだ。自転車に乗って駅へ。電車に乗り半時間程揺られる。窓の外見慣れた街景が流れる。この路線は実家の近く、つまり私が育った町を横切るから、どこもかしこも、見覚えがある。あああそこは山を切り崩してマンションが建ったのだな、とか、あの建物は建て替えられたのだな、とか。そんなことをあれこれ思っているうちに目的の駅に到着。
S先生を待っている間にもう一度書き出したメモをチェックする。前回為したテーマに対して参加者が書いたレポートをもとに書き出したメモ。今回はこれらから発展させる予定だ。
S先生と向き合っているのだけれど、何か変だ。途中で気づく。ああ、離人が入ってるな、と自分の脳に届く映像から気づく。こういう時、私の眼は私の背後に離れる。だから私の背中までもが視界に捉えられる。分かるだろうか、ひとの眼は顔についているはずで、だから自分の姿が視界に入ることはない。でも。
離人が強く現れていると、たとえば今みたいに、自分の姿までもが視界に入って来る。酷い時は天井に眼がはりついて俯瞰図になる。そんなことを思っている間にも、現実感消失が強くなる。それでも、何とか自分を奮い立たせ、打ち合わせを終える。
すべてが他人事のようだ。辛うじてメモをとったのだけれど、そのすべてが他人事。
たぶん。
疲れているのだ。ひと疲れかもしれない。
おかしな譬えだけれど。ナウシカの、あれだ、瘴気を少し吸ってしまったような。ナウシカで出て来る腐海はこの場合“人海”で、つまり、ひとびとの出す様々な瘴気を吸い過ぎた、というような、そんな具合。ひとの邪気に当てられ過ぎた、というような。
ひとの出すネガティブなエネルギーは、時にとてつもなく強力だったりする。ネガティブなエネルギーを発散しているひとたちの間に、佇むだけでも、くらくらする時というのが、ある。
ひとの世界に生きてもう何十年。それでもひとに慣れることは、ない。そんな自分に正直、呆れる。


浅岡忍 HOMEMAIL

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