てくてくミーハー道場
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| 2012年09月30日(日) |
『デュエット−They're Playing Our Song−』(シアタークリエ) |
台風17号が大接近してきているので、出かけるかどうか非常に迷ったのですが、クリエに電話したら(行ったものの上演中止になっていたらいやだったので)「予定通り上演いたします」とのことだったので、こわごわ(笑)出向いたのであります。
ウチきゅん(内博貴)、相変わらず安定のイケメンっぷり。うっとり。
そして、相変わらず不安定な歌いっぷり。がっかり(←韻は踏まなくて結構!/怒)
こんなにも美貌がもったいない俳優を、ぼくは他に知らん(今日も暴言上等だね)
この作品、ぼくはマヨマヨ(川��麻世)バージョンで観たことがあります。
上演記録を調べたらマヨマヨは2回このヴァーノン役をやってて、相手役は最初がヤンさん(安寿ミラ)、2回目が鈴木ほのかちゃん。ぼくはヤンさんの方を観た。
今回の上演とは関係ない話なんだが、この作品を今まで1回しか観たことがないのに、ぼくは「RIGHT」というナンバーをすっごく覚えてて、何でだろ? と思っていたんだが、この曲、タカラヅカの某作品(これは伏せてるんじゃなく、今どうしても思い出せないのだ)で使われていたことがあって、それが耳に残っていたらしい。
しかもヤンさんの声ですっごく残っているので、花組作品だったと思うのだが、前回のソニアがヤンさんだったので、それも何か怪しい。
※一日中頭の中ぐるぐるしててやっと思い出した。
花組どころか、1992年に月組で上演された『PUCK』だった!
ヤンさん出てないじゃん!
確かに小池先生が怪しい(コラ)と思ってはいたんだよな。
タカラヅカ全体がそうなのかもしれないが、中でも小池先生は、自分のオリジナル作品で既成ミュージカルのナンバーを使うことがやたらと多い。この『PUCK』でも、他にもたくさん(略)
かなめちゃん(涼風真世)の代表作『ロストエンジェル』では『エリザベート』の曲を使いまくってたのは有名な話だが、1997年の花組公演『ブルースワン』では『big』のナンバーをぞろぞろ使ってたことを後に知った。
その『ブルースワン』で主演したミキちゃん(真矢みき)の退団後第一作が『big』だったのには、因縁を感じて面白かった。
閑話休題。
マヨマヨもそうだったが、このヴァーノン役はキーがけっこう低くてレンジはバリトンなので、ウチきゅんにとっては新基軸となったと思う。マヨマヨの時も、アイドル時代しか記憶になかったぼくは、急に艶っぽいバリトンで歌い出したマヨマヨに「おっv」と思ったものだ。
ウチきゅんも低音はなかなか良かったが、ミドルから高音になると途端に声量がなくなり不安定になるので残念だったなあ。
あと、ジャニーズのくせに(偏見)ダンス下手すぎるわ。
今回ウチきゅんファンの子と一緒だったんですが、彼女はウチきゅんが事務所入りした当初からずっとファンなんだそうで、「Jr.時代からダンスは○○でした・・・」と悲しそうに(嘘)教えてくれた(^^;)
どうすんだ。(?)
いつまでもあると思うな若さと美貌(←大きなお世話だ)
今からしっかりレッスンしないと。(←大きな老婆心)
またはスイカの一気食いなどの特技を身につけるとか(←なんで?!)
いや、イケメンなだけじゃ、長続きしないよ。プラスアルファって、大事よ?(誰かを想定してるな?)
第一あの人はバク転だってできるんだぞ!ジャニーズでもないくせに(笑)(“その人”は今関係ないだろ!!)
あはは、彼らのLive DVD観ながら書いてるもんで(とめろ!/怒)
・・・すみません集中します。
残ったスキル=演技ですが、これもまたどうもこう・・・素人くさいというか。
ウチきゅん、いつまでもJr.っぽいんですが、もう26歳だし、どうやらこっち方面(とはミュージカル方面のこと)に進むみたいだし、ほんとにがんばった方がいいよ(本当に余計なお世話ですね)
今作はニール・サイモン作品でありまして、性格が全く対照的な二人がぶつかりあう、という彼の作品の黄金的展開。主役の二人はお互い立て板に水状態で喋りまくり観客を笑わせる。
この笑わせ方がこれまたニール・サイモンらしく、一筋縄ではいかない難しさ。
ウチきゅんもがんばってましたが、ところどころ観客にスルーされてた(ある種の客しか笑ってない)ところも少なくなかった。
このあたりの言い回しは、どうも演出のニシキ(錦織一清)が口立てで教えたんじゃないか? と思しき感じがした。
ぶっちゃけ、ニシキのヴァーノンで観たかったなあ。
でも、ニシキも声がもう全然(略)
ごめんなさいね、悪口ばっかりで。
でも、ウチきゅんもこっち(って、お前はイチ観客に過ぎないだろうが)ジャンルにくる覚悟を決めたからには、スポイルしたくないんでね。
俳優としての基礎体力をつけてほしいです。これからでも全然遅くないので。
マヨマヨを観ていて(マヨマヨは成功したから)そう思いますので。
さぁて、対するソニア役のたっちん(和音美桜)
歌もダンスもほんと安心して観ていられる(もう・・・許してあげて/泣)
ただ、たっちんは演技がいつもぶっきらぼうで、情緒が足りないと(ぼくに)言われているので、そこがちょっと心配だったのだが、このソニアというゴーイングマイウエイな女には、それがぴったりだった。
いやー、このソニアという女。
どこがいいのかぼくにはさっぱりわからん(えっ?!)
異常に潔癖症かつきっちり屋のヴァーノンじゃなくても、こんな女願い下げだと思うのだが。
だからぼくは恋愛ができないのか?(今その自問自答はするな!)
ただこの辺は、ニール・サイモン自身があんまり「男と女が惹かれ合う要素をちゃんと書こう」とはしてないフシがある、はずだ。
ヴァーノンがソニアの強力な身勝手さにもかかわらず降参してしまうのは、彼女の人間性に惹かれてというよりも、“脚を見て”みたいなシーンがあるし。
だが、これまでソニアを演じてきた日本人女優たちは、男が“脚を見て”イカレてしまうようなエロっぽい人たちじゃなかったので、そこがどうもわかりにくい(暴言尽きず)
いやしかし、「恋は異な物」なのでそこはよしとしても、こんな、約束破ってばっかのヤツ、仕事相手としてもダメだと思うが。
彼女が書く歌詞にヴァーノンがほれ込んだからだという筋立てなんだが、現実には「才能さえ立ってれば社会人として圧倒的でもヒキがある」というのは幻想ですからね! 皆さん(だ、誰を想定してるんだ? 再び)
まぁ、没後に伝説の人になれるかも知れないが、とりあえず生前はムリだろ(はいはいはい、この話はもうこれで)
と、ニール・サイモンの作劇に文句をつけたところで感想が尽きました。
なんかねー、今回はミュージシャンの皆さんの腕前もいまいちだったし、たっちんがひたすら可哀相だったな。
いろいろ残念だった。
名作(ヒロインの性格に文句つけてたクセに)なのに。
とりあえず帰り大雨にぶち当たらなかったのがラッキーだった。少し濡れたけど。
明日は早めに出ないと遅刻かしら・・・。早く寝よう。
| 2012年09月28日(金) |
『理系ヲタが船上で恋する確率』(新国立劇場 小劇場) |
メガネをはずせばそこにいるのは普通にイケメンだろうと容易に予想される小澤亮太くん(ゴーカイレッド!/笑)が写っている昔の少女漫画ノリのチラシを見て、観劇を決めました・・・というのは嘘で(嘘か!)、単純にあらすじが面白そうだったのと、(植本)潤ちゃんが出演者に名前を連ねていたから。
それと、「理系ヲタ」に若干の親近感があるから(といっても、ぼく自身の高校時代の理系学科の成績はホント悪かった)
話は、女の子と普通に接するスキルをてんで持ち合わせていない高三男子3人組を中心に、普通にヲタを揶揄するかたちで進むのかと思いきや、後半、断然社会的に硬派な内容になる。
・・・と思ったのだが、実はそれは安田という男を演じた潤ちゃんの半端ない迫力(ネタバレるので、具体的に書けません)がそう思わせているのではないかと、観劇後数日経った今(このエントリ書いてるのは30日です)は感じている。
結局、謎の美少女・正恵(大沢ひかるちゃん)は、それこそ昔の少女漫画的な、「平凡な庶民である主人公とは決して結ばれることのない事情があるんだけど、運命的に出会ってしまった非凡な立場の人」という記号の人物として登場したに過ぎないのではないか。
この話って、『ローマの休日』の(夢々しくない)現代日本バージョンだったんじゃないか、と。
でなければ、リーマン(これが主人公の男の子)が正恵をいきなり好きになるのは、「女性に免疫のないヲタクの男の子が、可愛い女の子とちょっとした異常事態の中で出会ったので(吊橋効果)即ホレた」ということだと理解できるんだが、正恵の方が、何でヘナチョコな、おどおどした男の子を短時間で好きになるのかが解らない。
うん・・・こういうことを解らないから、ぼくは失格なんだろうなあ色々と。
登場人物たちはみんな魅力的に個性的で、ストーリーも上記のように展開が派手で、当初の予想よりもずっとクオリティの高い作品でした。
ぼくはヲタク3人衆を演じた俳優くんたちの“本来の姿”をほとんど知らないので、彼らが普通にヲタらしく見えたし(へっぴり腰の歩き方はちょっとやりすぎだったかな)、大人チームの方たちはみな実力派だったし、満足です。
ただね、大沢ひかるちゃんが、プログラムで顔を確認したら普通の美少女だったのに、舞台上の立ち姿が、(衣裳のせいもあるのか)どうしてもハリセンボンの箕輪はるかに見えて・・・(×_×;)
それはともかく、現在の日本人にとっては笑い事じゃすまない要素が組み込まれた内容ではありますが、登場人物たちは超常的な活躍も見せますし、そこが“エンゲキ”らしくて、後味は悪くありませんでした。
一応自慢していいのかどうかわかりませんが、劇中に登場する「科学ネタ」も「ヲタク用語」も、正恵の出生にかかわる社会問題もほぼ全部知っていた自分をほめてやりたいです。これもネット中毒のおかげでしょうか(←ダメだろ)
ただ、「That's 地理音痴」なので、「軍艦島」「五島列島」「対馬」の位置関係すらよくわからず(ええ〜っ!!! by 長崎県民)、その辺のことの重大さが当日はピンと来なかった。
帰宅して地図を見てから「なるほど!」と思いました。(←ひどすぎる)
で、〆の一言。
超活性水素水(笑)←「タカシ」こと池本輝基(なんで名前に全然かすってない呼び名なのかは、観ればわかります)が売ってる怪しい商品の名前です。
| 2012年09月24日(月) |
「えっ!? マジで!? HEY! HEY! HEY! お台場から3時間生放送スペシャル!!」前編 |
やっと現実の日付に追いついた(笑)。とはいえ、実はこの記事、26日水曜日に書きました。先週てくてくしすぎて疲れました(^^;)
長すぎて(当然)全部視る気がしない。
どうします?(例によって誰に訊いてるんだ?)
しかし気になる。
気になってしかたがない(何が?)
あの人が(^^ゞ
正確には、
あの人の髪型が(≧∇≦)
何があった。(←いや・・・単純に、新曲のイメージでしょ?)
とうとう色気づいたか。(いや・・・33にもなって、色気づくも何も・・・)
最初の小一時間だけ“ながら視”をしてたんですが、いい位置にいるのに一言も発さないもんだから、逆に気になって気になってしょうがなかったれすよ(苦笑)
そうこうしてるうちに、金爆くんたちの出番終わり。
彼らもなぜかいい位置にいるので、ダウンタウン兄さんたちとの面白いやりとりがこの後もまだ視られるのかもしれないが、なにせ本日はとっても激務だったので、ここで力尽きてしまいそうです。(だったら、後日ちゃんと視てから書けよ←ごもっとも)
それはそうと今回ゴールデンボンバーは、久々に「女々しくて」以外の、テレビでは3回目ぐらい? のレア(?)曲「また君に番号を聞けなかった」をご披露。
「HEY! HEY! HEY!」に初出演した際の「深夜のHEY! HEY! HEY!」で、Perfumeのあーちゃんに、ギターの裏に張り付けた携帯番号(モザイクつき)を見せながら「携帯出して! 早く携帯出して!」とキモく迫る喜矢武さんに腹の底から大笑いさせていただいたものですが、今回のギターソロは、なんか、ぼく的にはいまひとつでした。
これが「深夜」と「ゴールデンタイム」の壁なのかもしれない。
ゴールデンタイムでは、小学生向けのギャグマンガ(例『おぼっちゃまくん』)みたいなパフォーマンスが限界なのだろう。
今回は、ゴールデンボンバーに対しては、もしぼくが初めて見る人だったら、
「なんだ、噂に聞くほど面白くねえな。レベル低!」
みたいな感想を抱いた気がする。
そしてむしろ、協力してくれたSKE48メンバーたちの心根のかわいらしさをいとしく思っただろう。
なんか、『ハイスクール!奇面組』の河川唯ちゃんを見てるような気分になった(←通じるジェネレーションが限られる感想だなあ・・・)
この、イモを食って巨大な放屁をするというギターソロは、今回初披露のものではなく、2010年秋冬ツアーの『全力バカ』でやったものだそうだ。
まぁ、実のところゴールデンボンバーのギャグ(特にギターソロ)は、今ドキの若者のシュールな笑いというよりも、全盛期のドリフや上述の“小学生男子が大好きな”ギャグマンガ系列の「散らかしネタ」が主だ。
いわゆる「PTAが嫌う」ネタだ。
そしてもう一方に、「陽の高いうちは絶対にやれない」エロなネタがある(ダッチワイフを振り回したり、コンドームを客に向かってばらまいたり)
こっちはPTAどころか、「(深夜を除く)テレビに出られなくなる」ネタだ。
このどちらも、実はぼくが好きなタイプのギャグではない。
なのになぜ今ぼくは金爆にはまっているのか。(あれ? 今から語りが入るの?)
・・・あ、疲れてきた。寝よう。☆\(――;)おいっ(怒)
コンディションが良い時に再度視て、金爆くんの他の出番部分やあの方の斬新なヘアスタイル(笑)もたっぷり堪能しようと思いまする。
グッナイ。(←誰だお前)
| 2012年09月23日(日) |
『阿呆の鼻毛で蜻蛉をつなぐ』(本多劇場) |
(数日前より、都合により日付けがずれてきております。この公演も実際に感激したのは22日です)
一日ごとに涼しくなるのが人間(と生物全般)の希望なのだが、地球の水蒸気はそういうことをあんまり斟酌してくれない。
いきなり肌寒く雨を降らせ、前日よりも気温は10度近く乱降下。
そうかと思ったら、昼過ぎにまたカンカン照り。
でももうあの酷暑はさすがに去ったようだ。
あとは、朝晩の油断で風邪をひかぬよう気を付けましょうね。
お彼岸なので、家族そろって墓参りに行きまして、昼過ぎに解散。夕方からぼくは芝居に出かけました。
赤堀雅秋脚本を観るのは、2回目か。
奥歯に物が挟まったような物言いをするのがメンドくさいお年頃になってきたので一言で言いますが、
「あんまり理解できなかった」
最近、新作を理解する回路が失われてきたのかなぁ。
いわゆる、昔ぼくが「なんで年寄りって、予定調和が好きなんだろう?(例:水戸黄門)」と思っていた、その年寄りに、自分が成り果てているのかもしれん。
決して、退屈だった、とか、観てて不愉快だった、という芝居ではないんだけど、とにかくなんか、
「だから、どうしたの?」
と思ってしまったのだ。
基本的に赤堀氏のホンってそういうものらしいのだが(『ウドンゲ』を観ただけの判断だが)
特に大事件は起こらない、っていうのが特徴らしいし(←今回の話では、大事件(連続殺人事件)、起こりまくってるんだけどね。でも、その事件すらも、このお話の世界では、「それがどうかしたの?」みたいな扱いになっていて、それが不気味で物悲しい赤堀ワールドになってる・・・感じだ)
出演者たちは、ぼくのトシがトシなので、年長者チームの(市川)しんぺーちゃんとか、伊藤正之さんとか、吉本菜穂子さんとかは知ってた。
あ、あと、『レシピエント』で初見だった橋本淳くんは、今回実質“主役”っぽかった。
その他若い役者さんたちは、多分みなさん初めて見る人たちだった。
それがね、みんな達者なのよ。
なんか悪いことみたいな書き方してしまったけれども、もちろんいいことです。
ただ、達者であるがゆえに、特にひっかかりがないという感じ。
矛盾してるよね。
とらえどころのない感想で申し訳ありません。
要するに、ぼくにとってこの作品は、妙にとらえどころのない話だったということなんです。
世界の終末をするっと信じてしまっている若者数人と、そんなこと当然頭っから相手にしてない大人たち。
その世代間のどうしようもない軋轢と、田舎町の閉塞感。
やんなるな。
止まない雨と同じくらい、やんなるな。(←話の途中から、ずっと雨が降り続けるんです)
そういう話でした。
総代(河原雅彦)の演出ですが、彼の演出作品は、『時計仕掛けのオレンジ』と『飛び加藤』ぐらいしか観てないんです。
『時計仕掛け〜』はまぁ、映画版がやりつくしたっちゅう強力なハンデがあったにせよ、舞台版としても面白かったと思う。
『飛び加藤』がね・・・正直(はい、以下書いても良いことないのでカット)
で、今回のは・・・どうだろ? 批評できるほどちゃんと観てないんだよなー。
あ、最近のエンゲキは、最初の方にカッコよくタイトルを文字で見せる、っていう演出が多いですね。
昔はそういうの、ほとんどなかった気がする。
舞台上でカッコ良く文字を出す技術や発想がなかったんだろうな。
もちろん、今でも別にそういうことはわざわざしないよ、っていう意思を感じる演出もあります。
タイトルを出すのは、映画好きな演出家に多いような気がするな。
で、今回もそういう演出がありましたんですが、その出し方が、これまたなかなかカッコ良かった。
話の中でクロスワードパズルがちょっとしたキーアイテムになってるんだけど、それを活かしたタイトルの出し方だった。
んで、全然どうでもいい話なんだけど、そのクロスワードパズルの話。劇中、(ほぼ主役の)春彦の親友である稔がクロスワードパズルをやってて、「海と陸が接するところ。2文字」が解らなくて悩むシーンがあり、結局それは「いそ(磯)」で納得してたんだけど、そうかぁ? と思った。
ぼくは「きし(岸)」だと思うんだがなあ?・・・「岸」は別に海に限らないのか。でもなんか、「解った!磯だ!」って言われても、「そうか!」って共感できなかったんです。
ホントにどうでもいい話だな。
こういうのが若者と年寄りのギャップなのかな?(え? そこまで考える?)
町の人間たちが、連続殺人犯を「人間じゃない」「化け物だ」と表現するんだけど、ぼくらからすると、母親を殺された頭悪すぎる兄妹も、万引き癖の治らない浮き輪デブも、化け物っつうか、宇宙人にしか思えない。
逆に、皆から「化け物」だと思われている殺人犯の青年の孤独は、意外にちょっと理解できる。
彼は祖父から継いだ金物店を若くして経営しているのだが(といったって、田舎町の金物店だから、「どうやって経営が成り立ってるの?」って感じの店だ)、毎日その暗い店の奥から光の当たっている外の通りをじっと見ながら一年を過ごす彼にとって、「外の世界」とは、その四角い額縁の中にだけあるものなのだ。
いわゆる、「自宅警備員」(2ちゃんねる用語で、無職のひきこもりのこと)にとって、目の前の四角いモニタだけが「外の世界」であるかのように。
・・・また得意の深読みをしてしまった。
だからって、人を殺していいわけないし、彼自身、見るからに孤独な異常者ではない。普通に友達もいるし(むしろ、担当医の方が明らかに異常人ぽい描き方をされてる)
やっぱなんとなくもどかしい話だった。
これ以上書いても何にもまとまらなそうなので、終わります(本日絶不調!!)
| 2012年09月22日(土) |
「『ウエスト・サイド物語』シネマティック・フルオーケストラ・コンサート」(東京国際フォーラム ホールA) |
(行ったのは21日なのですが、同じ日に2本以上の日記をアップできないため、翌日の日付でアップいたします)
最近こういうのが流行ってるのか?(この日のエントリをご参照)
しかも今回の公演は、「一本の映画をそのまま流して、その“音楽”の部分だけを目の前のオーケストラが“生”演奏」という、ムダに(こら)贅沢なコンサートです。
なんか、その贅沢さがあさって向いてるような気がしてならない(←そんなお前にこの贅沢は豚に真珠だな)
なんだろ・・・例えが見つからない(いや別に無理に例えなくても)
カラオケでその歌手本人に歌ってもらうみたいな?
たまにあるか、業界の人なら。
・・・特にうらやましくはないな(←強がり?)
いや、カラオケ(店)で聴いたってそんなにうらやましくはないよ。
んーでも、今日のコンサートは総体的にはステキだったな。
自分一人だけのためにワーグナーのオペラを上演させたルートヴィヒ二世の気分だ(←それもちょっと違うだろ)
いや、マルちゃん生麺を大勝軒の大将に作ってもらうような?(良い例えを模索中)
とにかく、いかにスペックの高いオーディオ装置であろうと、映画館で再生したのでは、この迫力は出ない。
映画なのに。
しかし、歌(ともちろんセリフ)はnot生という選択肢がまた面白い。
まぁ確かに、歌まで生にするとなると、その歌手(か、ミュージカル俳優か)が生で演じたらええやん、てことになっちゃうしな。
そしたら、普通に舞台で上演したらええやん、てことになっちゃうわな。
そんなわけで(?)今回、久しぶりに映画版を最初から最後までちゃんと観ました(コラ)
やっぱリタ・モレノ可愛い!
・・・いつもの感想ですいません。
でも今回初めてぐらいに気がついたのが(これまでぼんやり観すぎだったんだよ)、ラス・タンブリンの超絶運動神経。
特に、「JETS SONG」の前に「決闘の打ち合わせにトニーを呼ぼう」って言ってるシーンで、鉄柵にくるくるって上ってまた降りる一連の動きの軽やかなこと。
過去、ジョージ・チャキリスのイケメンっぷりにばっか目が行ってたので(だって、目行きますよ、こんな絶品イケメン)、やっと気づけました。すんませんでした。
舞台版と映画版の違いに関しては、今さらどうこう言うつもりはありません。曲順なんかに関しては(特に「COOL」と「GEE, OFFICER KRUPKE」が入れ替わってるところ)、ストーリー上も映画版の方が正しい気がするし。
ただほんというとぼく的には、本編が終わった後にエンディングロールが出る映画版は、ラストシーンの余韻が変に優しくクールダウンされちゃうので、好きじゃないんです。
映画のエンドクレジットって、最後まで観ないで席を立つ人が多いじゃないですか。
でも、ぼくはどんな映画でもこれ、音が消えるまで見ます。そういう習慣なんです。
しかも今回はコンサートですから、聴衆(つうか観客)全員が、エンドクレジットが完全に終わるまで立たないというルールだったので、それに従ったのですが、本音を言えば、このお話だけはラストシーンの悲しい余韻に浸っていたかったな。
一番大事なこと書くの忘れてた。
本日の演奏は東京フィルハーモニー交響楽団、指揮は佐渡裕氏でした。
佐渡さん、最後泣き顔だったな。
バーンスタインの名作をフルで振ったのだから、そりゃあ感無量だったでありましょう。
実は一番心配していたのが、「映像と音がズレる」ということだったのだが、そこは当然最初に配慮されていたことらしく、佐渡さんはスコア(これがまた映画版オリジナルは残ってなくて、耳コピで改めて書き起こしたらしい)と映像モニタを同時に視ながら指揮してました。
とはいえ、生演奏というものは多分にエモーショナルなもの。
自分の感性で「ここは伸ばす」とか「ここはテンポアップ」とかってことをできない(映像の“中の人”は合わせてくれないからね)演奏は、けっこうなストレスだったことでありましょう。
それが成功したことの安心感もあっての泣き顔だったのかもしれない。
しかし、技術の進歩ってすごいな。
サウンドトラックからオーケストラ部分だけを抜き出すとかとんでもないこともできるし。
何よりも、ぼくが生まれた年に封切られた映画を、こんなくっきりと美しい画質で観られるなんて。
「色あせない」って言葉が、比喩じゃなく、現実に起きてるんだもんな。
長生きって、ステキ(←何だその変な感想)
| 2012年09月21日(金) |
『100歳の少年と12通の手紙』(東京グローブ座) |
(20日に観劇した公演なのですが、同じ日付けで2本以上の日記をアップできないため、翌日の日付でアップいたします)
『ラブレター』に代表されるような“二人朗読劇”というジャンルがあるのかしら。
ぼくは『ラブレター』、直に観たことがないんだよね(テレビ放映されたものなら、ある。キャストは忘れてしまったが)
・・・関係ない話をしてしまった。
この作品は、基本的にはその“二人朗読劇”形式でありますが、舞台上にはもう一人、ダンサーが重要な位置にいて無言の存在感を示し、そしてピアノ一台と二人のヴォーカリストが“音”を添えるというものでした。
ストーリーをモロにネタばれしますと、ガンで死期が近い10歳の少年が、一日に一通「神様」に手紙を書き、13日目に亡くなるという、ぶっちゃけぼくが普段は避けている「泣・け・る」話。
もー、この「泣ける」って形容詞がぼくは大嫌いで。(←今日もとばしてるねー?)
泣くかどうかはぼくが決めるんだから、ほっといて! って思うわけよ。
そうじゃありません?
なのに今回行ってしまったのは、ひとえに出演者の一人がたぁたん(香寿たつき)だったから。
もう一人は川平慈英。
10歳の少年と、年齢不詳(でもおそらく、50代ぐらいではないだろうか)のおばさんが登場人物。
少年オスカーは、実際は子供に過ぎないのだが、毎日10歳ずつ年を重ねていく。精神的に。
外国の子供によくあるように、実際“大人”びた口をきく少年なので、オスカー役のカビラ君は、ことさら子供っぽい演技はしない。これは正解。
だけど、そんなオスカーも、やはり本当はイトケナイ少年なのだ、ということが判るクリスマスイブ(この日のオスカーは、精神的には60代のはず)がたまらんかった。
カビラ君本人もつい感極まってか、演じながら本当に泣いてしまっていたのだが、「それは俳優としてはいかんぞ」と思いながらも、彼を責める気持ちにはならなかった。
たぁたんはさすがで、もう言うことなしの演技力。
たぁたん自身は特にそういう扮装をしているわけじゃない(普通のお化粧+ピンクのパジャマみたいな衣裳)のに、前身が怪しすぎる保健婦ローズさんの、太り肉で、ぼさぼさの金髪を束ねたソバカスだらけの化粧っ気のないおばはんであろう姿かたちが見えてくるようだった。
この作品、『ラブレター』と同じように、毎回別キャストのカップルで演じられてて、他の日のキャストの中にも興味を惹かれる組み合わせがあったのだが、やっぱりたぁたんのローズさんの日に行って良かった。ぼくにとっては。
音楽にしても、中島周くんのダンス(振り付けは平山素子氏)にしても、極力感傷を排除したスズカツ(鈴木勝秀)さんの演出もけっこうだった。
だけど何より、フランスで書かれたという原作がことさらに「泣かせよう」としてないところが良かったんだよな。
これはキリスト教という土台のおかげかもしれないが、オスカーの手紙がアラウンドクリスマス(12月19日から31日にかけて)に書かれてることと、「死」に対する日本とのメンタルの違いが、作品に成熟した印象を与えていたように思う。
作品中のオスカーは10歳なのだが、実はこのお話は、
「例えあなたが死ぬのが何歳のときであっても、それまでの生き方次第で、余命は全然不満足にもなるし、満足にもなる」
というメッセージなのじゃないかと思いました。
| 2012年09月20日(木) |
宝塚歌劇団星組全国ツアー『琥珀色の雨にぬれて』『Celebrity』(大宮ソニックシティ大ホール) |
本日もがっつり真夏日となりましたが、おかげでどこもかしこも強冷房。
すっかり油断して真夏の装束で出かけたら、寒くて寒くて散々な目に遭いました(×_×;)もちろん外はムシムシ暑々(大汗)
時候の挨拶(?)はここまでにして、今回は久しぶりに大宮へ。
ここんとこ、歌舞伎とタカラヅカに関しては一時ほど全公演マストではないのですが、今の星組は観ておけるうちに観といた方が良さそうなので(縁起の悪いことを言うな!)、平日マチネですが、ちょいと遠出しました。
つっても、大宮なんて完全に都内通勤範囲内なんだよね。昔ちょっと書いたことがあるが、ぼくはかつて南浦和に住んで六本木に通っていたことがある。なので大宮にもなじみがあります。あんまり変わってなくて(それって良いこと?)懐かしかったです。
公演の話をしよう。
ミュージカル・ロマン『琥珀色の雨にぬれて』
柴田侑宏先生の王道ラブストーリーを、ラブストーリーの名手・正塚晴彦先生が演出。
えっ? タカラヅカって、全部がラブストーリーなんじゃないの? と思われる方も多いかもしれない。
ま、厳密に言えばそのとおりである。
だけど、タカラヅカって、全編惚れたハレたで、お菓子の国みたいな夢々しいワールドで好きだ好きだ言ってるもんだと思って食わず嫌いの人も多いかと思う(実は、昔のぼくがまさにそうでした)のだが、本当はそうじゃない。
実は、タカラヅカファンの主流である女性客って、「この愛に命を懸ける!」みたいな男なんて、本当は全然好きじゃないのだ。
むしろ、「俺の人生のエネルギーを、色恋になぞ費やしてられるか」みたいなツンツン君が、「でも、君だけは別だ」みたいにデレるのがどんな時代でも女たちの大好物なのである。
だから、演出家の中には、「お話の大部分は、トップを始めとする男役たちがいかにカッコいいかを見せるために構築すべきであって、最終的に主人公とヒロインが好き合ってれば良かんべ」ぐらいに考えて、艶事シーンはないがしろにしている先生もいらっさる。誰とは言わないが(←また棘!)
ところが、そんな中でも、一見めちゃめちゃハードボイルドな主人公が、女なんか見向きもせずに生きているように見えて、その実大変に綿密に「主人公同士がどうやって出会ってどうやって愛し合うようになるか」をとても丁寧に描くのが、正塚先生なのだ。
その正塚先生が、男の主人公をカッコよく描くことにかけては定評のある柴田先生の作品を演出(元々正塚先生は柴田先生の弟子だったはずなので別にびっくりするようなことではないのだが)
これは安心できる。
ところがどっこい、今作のクロードは、それこそまったく恋愛至上主義の典型のような男で、正直、ぼくにはとても魅力的には思えない、やぼったいおぼっちゃまなのである。
軍隊上がりのお貴族様なんだけど、お育ちが良すぎて、全然ハードボイルドじゃないのだ。
ワルの魅力0%なのだ。
ぼくは、ペイ(高汐巴)さんの初演は、テレビの『花の指定席』でダイジェスト版を視たことしかない。
再演のちゃり坊(匠ひびき)版も、確か彼女がサヨナラ公演だというのに東京公演をほぼ全休演しちゃったので、WOWOWかスカイステージで視たっきり。
実際に観たのはおさ(春野寿美礼)版を、東京公演と地方公演で各1回ずつだった。
で、甘美メロディの宝庫である寺田瀧雄先生の主題歌があまりにも名作なので、その印象しかない。
ストーリーを、あんまりちゃんと覚えていなかったのだ。
で、今回も途中まで観て、
「なんか、こういう主人公って、現代の客にはウケないよなぁ」
と思っていた。
何より、主人公クロードが、ヒロインのシャロンに一目ぼれするくだりが、観客置いてけぼりというか、
「え? 何でそんな急にホレるの?」
って感じなのである。
まあ、一目ぼれってそういうものなのかもしれないが、いくら貴族のボンボンとはいえ、軍隊上がりで修羅場をくぐってきたはずのいい大人が、ちょっと美人を目にしたぐらいで「森の妖精を見た」とか「彼女とぼくは、(周囲のやつらとは)違う星の人間なんだ」とか舞い上がるって、お前は童○(す、すみれコードッ!/慌)か!って感じなのだ。
で、中盤ぐらいまで「ダルい話だ(←お、おいっ/慌)」と思いながら観ていたのだが、いっぺんは別れたシャロンとクロードが一年後にばったり遇うシーンの、フランス映画はだしの名演出に、思わずうなってしまった。
ここは、セリフが一切なく、音楽も、もし某先生だったら(コラ)、いかにも「ジャジャーン!」みたいな判りやすい効果音を出すところだろうに、いわゆる“他所事浄瑠璃”的な、タンゴをその店の歌手が歌っている何気ないシーンになっている。
さすがだ。憎い。(←正塚贔屓、出ました)
このシーンあたりから、興味回復。
・・・のだが(おや?)、終わりまで観て、結局は「この主人公、やっぱダメ男だわ」という結論になりました。
ここまでだらしない(「女にだらしない男」というのは、あちこちの女に手を出す男のことではなく、むしろ、器用にあっちとこっちを両立させられず、結果ダメな方に一所懸命になってしまって、大事な方を守りきれない、情けない男のことを言うのだ)男主人公って、珍しいよな。
女(シャロン)の方が、よっぽど度胸が据わってて男らしいもんな。シャロンて確か、タカラヅカ作品の中でも一、二を争う「オトコマエ」キャラとして歴史に残ってるんだったよな。
そういう意味では、興味深い名作ではありました。
粋なチョイ悪兄さんを持ち役とするちえちゃん(柚希礼音)が、こういう主人公を演じることが、まず面白かった。
プロローグのコート姿(暑いのにご苦労様です)は普通に「男役トップ!」て感じだったのだが、森でシャロンと初めて出会うシーンでのやぼったいダブルの背広(まさしく「スーツ」じゃなくて、「せびろ!」って感じ)姿が秀逸。
よくまあこんだけダサくなれるもんだ(←感心してるのです)
トップさんてすげェ、と改めて思いましたです。
他の生徒さんに関して言うと、ねね姫はひたすら貫禄。
今回の座組から星組へ転入してきて今公演で実質二番手を担当していたまさこ様(十輝いりす)
デカい!(←今さら、そこ?)
ちえちゃんを見下ろすなんて!(いえ、決してけしからんと言ってるわけでは)
えとね、このルネという役は、なーちゃん(初演でルネを演じた大浦みずきさん)信者のぼくは、どうしても厳しい目で見てしまいますのよ。
セリフの端々に、なーちゃんだからこそだなーと思わせるような(ダンスの名手で云々)言葉があるので、しなくて良い苦労をしてしまう役だと思う。まさこ、がんばってた。
あとの子は・・・うん。(←あまり印象に残らなかったみたいです)
ショー・グルーヴ『Celebrity-セレブリティ-』
前回の本公演でやったショーの別キャストバージョン。
眠くなってきたから先を急ぐわけではないのですが、素直に申し上げまして、特に「おっ!」「次回の本公演で注目しよう!」と思わせるような生徒さんは発見できなかった(そういうのが全国ツアー公演の醍醐味なのに/寂)
もう、生徒覚えるの、限界だよぉ(T-T)
ま、ちえ&ねねが安定のスケールだったから、満足はしたんだけどさ。
特に、ラスト近くのデュエット「男と女」の、ねね姫のスカート裁きは迫力あったなぁ。カッコよかった。
で、本日は無謀にもダブルヘッダーだったので、大宮を満喫することもなく、即座に新大久保へと移動したのであった。アンニョン。(←いや新大久保と言っても、そっちに行ったわけではない)
| 2012年09月19日(水) |
『ダディ・ロング・レッグズ〜足ながおじさん より〜』(シアタークリエ) |
気を抜いているうちに、予定が空いた休日には休演で、その週の平日に千穐楽というひどい仕打ち。
だが、無理して行って本当に良かった。
名作です。
そして名演です。
私事ですが、このお話の原作にはとても胸キュンな思い出があります。
小学5年生から6年生にかけてこの小説を学校の図書館で読みまして、翻訳は誰だったのかなー? とにかく、主人公ジルーシャの怜悧かつ生意気な性格を端的に表現したステキな文体にすっぽりはまりまして、今考えれば恥ずかしさ500%なんですが、この文体そのままに大好きだった担任の先生に手紙を書いたりしてました。
くそ生意気な小学校高学年の顔から火の出るような背伸びに、真面目に返事をくれた先生に、今でも感謝している。
本当に素敵な先生だった。ぼくは、金八っつあんとか、北野広大先生とか、徳川龍之介とか、テレビの中の理想の先生じゃなく、彼らに匹敵・・・いや、彼ら以上に素晴らしい教師に現実に出会うことができたことが、未だに自慢だ。
ああ、今思えば、小学校6年の時がぼくのピークだったなあ。←
人生で一番頭が良かったのが12歳の時っていう。
あとは下る一方ですわ。(←たそがれるな!)
それはそうと、当時そんだけませてたにもかかわらず、やっぱしというか恋愛事には全く疎かったのが分かるエピソードとして、この原作小説『あしながおじさん』の結末が、ジルーシャと“あしながおじさん”との幸せな恋愛の成就だったことを、今回作品を観るまですっかり忘れていた。
個性的で時代の先進的な女の子の“自立”物語として強烈に記憶に残っていたんだよね。
もちろん、“王子様と結婚”したからと言ってジルーシャの“自立”が阻害されるものではないということは、今だったら理解できるんだが、幸せには二者択一しかないと思っていた幼い日のぼくには、記憶から消したいほど納得できないものだったのかもしれない。
今回ミュージカルとして上演されたこの作品も、あまたのハートウォーミングミュージカルのご多分にもれず(皮肉るな!)、二人が結ばれてめでたしめでたしのエンディングだった。
こういう話、いつものぼくだったら、若干「ケッ」っつって終わるのだが(非リア充すぎるよっ!ておどるさん!/号泣)、今回は「良かった、本当に良かったよぉ〜!(涙)」と幸せに見終えることができた。
さすがのぼくも、丸くなったのか?
いや、残念ながらちょっと違う。
今回、こんだけ歳とって改めてこのお話に触れてみて、この小説は、ジルーシャの成長物語であると同時に、“お金しか持っていなかった貧しい青年(こういうレトリックをしてしまうところが、ぼくが12歳時から成長してない証拠かな?)”ジャーヴィス・ペンドルトンの“自立物語”でもあるってことに気づくことができたのだ。
生まれつきの金持ちで、そのお金をどうすれば有意義に使えるのかを考え込みながら生きてきたジャーヴィスという青年が、
「金持ちであることに何の疑問も抱かずに、先祖代々の“優雅な”浪費っぷりを発揮している親戚たちとは、自分は違っていたい」
と、貧しい子どもたちを助けることが理想的な金の使い方だ、と思って行動してきたけれども、結局自分は「お金」と「屈辱」を同時に与えていたんじゃないか? と思い至り、「施し」って、ただの「傲慢」なんじゃないか? と悩み、全く何の見返りもほしがらずに人のために何かをすることの難しさを知っていく過程が、ここには描かれている。
人のために何かをする時には、絶対に、自分に何か返ってくるみたいなことを期待しちゃいけないんだ。
物質的なお礼とかだけじゃなく、それこそ、相手が自分に感謝してくれることすら、期待した時点で、それはもう「無償」じゃないんだ。
ジャーヴィスがそういうことに気づくシーンは、どっちかというと辛い場面だった。幸せな“気づき”じゃなかった。
だけど、だからこそ、ぼくはそのジャーヴィスの気づきに「良かったね」と涙した。
この気づきがあったからこそ、対等な男女としてジャーヴィスとジルーシャは結ばれることができたんだから。
と、いつものように理屈っぽい感想でしたが、作品自体はとてもキュートで、脚本はほこほこと面白く、音楽も温かく美しく、主演のお二人(そうそうこれ、「二人芝居」ってところも効果的だったんだと思うよ)は歌唱力・演技力・ルックス三拍子文句なし、という、皮肉屋のぼくをもってしても満点を差し上げたい良作でありました。
その証拠に、来年アタマに短期間だが再演が決まったそうです。良かった\(^v^)/今回観逃した方、ぜひ!
いつまで暑いんだ・・・(´д `;)低気圧が北上してるせいで今日は朝から天気が良くなかったのだが、結局気温と湿度がめっちゃ高い
もう今日ぐらいは大人しく家ん中にいよう、と、だらだら過ごしました。
本当は片づけものとかするべきだったのだろうが、なんか、じっとしてても汗だくになったので、一切稼働せず(←ダメ人間め)
台風のせいでだらだらどころじゃなかった地域の方々、すみません。
あっ! 本多劇場(『阿呆浪士』)に行けばよかったか・・・もう遅い(涙)
まぁ、加納(幸和)さんは演出だけで出演はしてないしな(←薄情者)
次回の花組は必ず行きます。それで勘弁(誰に許しを乞うているのだ?)
さて、何しよう? 次の中から選べ。
1.買ってきたまままだ封を切っていない(←オイ)DVDとかを視る
2.HDDの中の録画を編集してディスクにダビングする
3.買いためた(芝居の)パンフレットの整理をする
4.書いてない日のブログを書く
5.団子を作る(何故?!)
・・・「5」は、食べたかったからだ!(それがどうした)
結局、「2」と「3」を中途半端にやりました。
ところで、「9日と10日は同じてくてくをしてきました」と先日書きました。
そしたら「東京ドーム連チャンしたの? 相変わらずだね(嘲笑)」と言われたので、ちと罪悪感(←何故よ?)
ジャニオタ仲間の皆様、お許しください。
行ったのはZepp Tokyoです。
というわけで、完全ネタばれ禁止というこちらのアーティストさんの規則を忠実に守りたいと思いますので、ファイナル(たしか10月14日だと思ったが)過ぎるまで感想書きません。
まぁ、正直、めっちゃ疲れた(^^;)
スタンディング自体はジャニ紺もそうですから平気だったんだが、周囲の“圧”にヤられた(疲)
若いエネルギーを吸い取ってやろうと意気込んだのだが、やはり逆に気圧されてしまった。(さもありなん)
あと、オールスタンディングだったから「後ろの方でヘドバンの海原を見物する」という念願がかなうはずだったのだが、初日は体調がすぐれなかったのもあって開演直前に入った(すぐ出られるように)のに、入口の関係で中間地点の下手端っこに位置してしまい、見物できるようなポジションとれなかった(悲)
でも、前の方で荒ぶってる人たち越しに超ハイスペック歌広場ヘドバンが近距離で見られたので(笑)よしとしよう。
二日目はこれまた中間地点の上手端っこに入ってしまったので、喜矢武ギャ集団のドまん中にイキウメ状態になり、楽しかったです(?)
あと・・・念願の「アレ」が見られたのが、もうホントに嬉しかった。○○フェチで良かった(^^ゞ←このネタばれは本当に嬉しかったので、後日必ず書きます
てな感じで。(フェスとか行く人、尊敬する。もう体力が保たんぜ熟年は)
| 2012年09月16日(日) |
『ESCOLTA Singing Drama 2012 愛のうた』(東京国際フォーラム ホールC) |
半年ごとにコンサートがあるなんて、何てうらやま(略)
ホント、歌手はLiveやってナンボですよね(←かわいくねぇんですけど/怒)
そんなわけで半年ぶりのESCOLTAへ行ってまいりました。
今回は4thアルバムが出たばっかりなんですって(ぼくは買ってないけどね←)
いいなぁ、グループ活動が盛んで(←もう黙れよ/怒2)
せっかく格調高い涼やかなお声に浸れた素晴らしいコンサートだったのに、おのれの事情でぐちぐち言うのはやめましょう。
今回は、その新譜を中心にオリジナル曲だけで構成したコンサートだったので、正直ぼくは知らない曲ばっかりだったんですが、特に何も考えずにただひたすらうっとりと美声に酔う二時間ってのも、なかなか良かったな。
でも、全編なんにも考えてなかったわけではなく、「生まれかわれるなら」の歌詞に今回グッと来まして。
や、決して『ゴースト』のパク(←オイ!)
シチュエーションは違いますけど、やっぱ去年の震災のことになぞらえてしまったのかな?
「今も君はひとりきり(中略)嬉しいけど悲しくなるんだ」っていうところが特に好きですね。
生きてる人間は、前に向かって生き続けることが、“その人”のためになるんだもんね。
1stアルバムに入ってるのか。
すると、育三郎の声も入っているのだね?
・・・か、買おうかな?(((^-^)))(←なにそのゲンキンな態度)
い、いやまずは“よう○べ”で聴けないか、探してみよう。
・・・お、ニコ動にあった。
(聴いてみた)
うん。(←?)
なぜ『コーヒープリンス1号店』を観に行かなかったのか? オレ。(話が逸れてるぞ?)
正直な話、ストーリーに興味が持てなかったからなんですが。
音楽担当がマッキー(槇原敬之)だったなんて、知らなかったし(T-T)
育三郎が歌う「恋する心達のために」が聴きたかったよ(T-T)←それこそ“よう○べ”で見られますよ、ておどるさん
わあぁあ〜っ!!「イエノミ!!」のタイムシフト忘れてた〜〜〜!←気が多いとこういうことに。
(最終的にESCOLTAどこ行ったんじゃ?)
| 2012年09月15日(土) |
『華麗なるミュージカル音楽の世界 ガラコンサート2012』(新国立劇場 中劇場) |
これは勝てない(;´ △`)
何にって?
愚問だ(←今日も問題発言)
去年の(今年の、ではないあたりがむにゃむにゃ・・・あ、日程的な理由ね?)トニー賞の主演女優賞を獲ったサットン・フォスター嬢が来日した記念らしい今回のガラコンサート。
はい、ニホンの片隅で偏った観客やってるぼくは、もちろん彼女を初めて見ました。(←自慢してはいけないよ!ておどるくん)
出演者が「サットンさん」「サットンさん」言うので、「佐藤さん?」と思ったくらい無知な観客なのですが、彼女の歌を一節聴いたとたんに、
「ああ、こりゃあ勝てねぇわ」
と、観念しました。
ニホンジン、カテナイ。
悔しいが。
なんだべ、本日出演した日本人キャスト(シルビア・グラブもいたんだけど(^^ゞ)たちだって、全員国内ではひとかどの人たちで、この人らで一作品ぶち上げたら大変な評判になること請け合いの方々ばっかだったのに、“佐藤さん”一人に束になってかかってもかなわないこの感じ。
上手い下手、じゃなくて、細胞のサイズが違うみたいな感じ。
あのー、ピッチが正確だとか、声量がすごいとか、そういう単純なもんじゃないのよ。
確かにサットン嬢、声量はんぱない。
正直、本日出演していた人たちの中には、オーケストラに声が押されてる人がいないでもなかった。
でも、単に声がでかけりゃいいんだったら、大声コンテストやってりゃいいんで。
そういうんじゃないんだよね。「声の大きさ」じゃなくて、声が前に向かって飛んでくるかどうかなんだと思う。
特に如実に感じてしまったのが、Act1ラストの『レ・ミゼラブル』リレー。
日本人出演者側も、全員が“ご本人”たちであるにもかかわらず、(もちろん、サットンさんもエポニーヌは持ち役だそうなんだけど)英語で歌われて、歌詞が解らんというのに(いえ、そりゃあ、日本公演を何回も観てますから、歌詞の意味は知ってますよ? ただ、聴いてて直で伝わってくるのは日本語だからね?)、ぼくは「On My Own」で次第に号泣(>_<。)
そして、その後はしみじみ(オ、オイッ/汗)
という状態であった。
歌詞がよく解らないのに歌だけ聴いて泣いてしまったのは、4年前にマヤ・ハクフォート女史が歌った「見て、彼女は恋してる」(『Romeo & Juliette』の乳母のナンバー)以来である。
これが歌の力ってやつか。
ただ、こんだけ褒めといてから書くのも気がひけるが(なら、書かなければいいのに?)、「歌・ダンス(特にタップ)・芝居」の三拍子揃ったお人だという触れ込みなのに、ダンスをひとかけらも披露してくれなかったところが、若干納得いかん。
日本人の出演者たちは、ナンバーごとにその役の雰囲気を持った衣裳で出てきたのに、その点も(←まぁまぁ、その辺で)
今回の出演者たちで、ぼくが特にステキだなと思ったのは、かなみん(彩乃かなみ)と昆夏美ちゃん。今日は美少女声に浸りたい気分だったのかしら?(^^ゞ(と言っても、かなみんの声はヒロイン声としては若干低めだけどね。でも逆にそこが好き。長く聴いてても疲れない)
まぁでも、全体的には“安心のクオリティ”で楽しかったな。
よし、帰って『関ジャニの仕分け∞』視ようっと(*^^*)
↑ 夏休みの作文かよ。
今年はいつまでも暑いね。
というのが、最近の職場での挨拶になっておりますが。
去年もこんなもんじゃなかったっけ? と実は思ってる。
ブログをちゃんと毎日更新しなかったから確証はないのだが、姑の三回忌(アラウンド秋分の日)前日に、「暑くて眠れない! 明日黒い服着るのやだな〜;」と苦しんでたことを覚えてるからだ。
さて、6連ちゃんの予定が7連ちゃん(発作的に映画を観に行ったので)になって、すっかり体力が消耗している熟年であります。
で、8連ちゃん目の昨日は、短期助っ人さんの「ご苦労様でした&来年もよろしくね」会があり、今日は思いっきり寝坊してしまった(・・;)
入道雲がゆっくりと東へ流れていく。←現実逃避のポエム
9月中旬に入道雲て。(驚)
どうやら、地球まで夏バテのようじゃな。(いや、南半球は冬ですから/汗)
今日こそは早く帰宅しよう。
三連休にも予定をぎっしり入れてしまったし(←)
とりあえず・・・仕事しよう(←サボってたのか!/叱)
更新がおっつかない(←やっぱり)
とりあえず備忘録書いとこう。
9日と10日は同じもんを連ちゃんしました。(これで、勘の良い人にはバレたぞ?)
ちなみに、ここ二週間の間に行きたかったけど行けなかった(日程とか、チケットがとれなかったとか理由はさまざま)公演は、『CLUB SEVEN 8th stage!』『芭蕉通夜舟』『ふくすけ』『ちんじゅの森コンサート2012』(←これは始まるころに雷が鳴り出したので、「あー行かなくて正解だったかな」と思ってしまった。出演者&関係者の皆さんごめんなさい)『ミス・サイゴン』『サイケデリック・ペイン』などでございました。
| 2012年09月12日(水) |
『死ガ二人ヲワカツマデ・・・ 第二章 南瓜花〜nananka〜』 |
ておどるさん、間違えてない?
と、思いますか?
いーんです!(←川平慈英かお前は)
そもそも両方観るつもりでした(新感線メンバーの皆さんが出てるしね)
上映時刻の関係で、今日は第二章だけ観ることになってしまいましたが、別に支障なかったです。
途中、突然出現する無口な謎のイケメン(爆笑・・・って、オイ。)が何者なのか、なんて、判明しなくても、ものがたりの展開にはなんら影響ありませんでした(≧∇≦;)
ま、謎のイケメンのことはほっといて(・・・)ネタばれ大会といきましょう。
と言っても、ストーリーは一応(注:今回、いちいちチクチクと皮肉りますので、それが気に障りそうな方は、これ以降サヨウナラ)ミステリー仕立てなので、そっちのネタばらしはいたしません。出演者と脚本、監督に対して、ミッツ・マングローブも裸足で逃げ出す勢いで、ずけずけと言わせていただきます。その関係上、思わず核心部分がバレてしまうかもしれないので、先にお断りしておきます。
ではまずストーリーに対して。
期待値が限りなくゼロに近かったので(早速来たか)、思ったより楽しめました。
と言っても、所詮ライトノベル級の初期設定(いいぞいいぞ調子こいてるぞ/危)
“病院”が舞台なんだけど、登場する患者たちの病状にリアリティはナッシング。いちいちそんなこと気にしないでください、的な姿勢がむしろ潔いです。
主人公・怜羅ちゃん(藤江れいな)の病気の正体も、一体何なんだか、最後までわからず。
さまざまな種類の深刻な病いの患者たちが見本市のように集まっているわりには、「マチのお医者さん」的な小ぢんまりとした古い病院は、建物がいい感じにひなびていて、そこはナイスでした。
どうやら、病院名までもが本物のまんま(看板の掛け替えすらせず)実際にある病院の建物をロケったらしい。
この辺の低予算っぷりには、むしろ好感を抱いてしまうひねくれ熟年(^^ゞ
で、そこに勤務する頼りない、でも誠実を絵に描いたような青年医師・中里先生(豊永利行くん)が、あらゆる女性患者に(こら! ミスリードさせんな!)「君の病気は必ず治してみせる」なんて口約束するもんだから、話はややこしくなる(←違いますっ! そんな話じゃありません!/汗)
いやでも、この「必ず治してみせる」が、もうね、それこそ『コーパス・クリスティ』の感想でも書いたが、そういうことを軽々しく言うな! とぼくは義憤に駆られてしまうんですよ。そもそも「医者」の種類すらもまったく分かってない脚本(はい、どうどうどう)
ほんのちょっとでもね、この病院を、小イナカにある(ご、ごめんなさい○○市の住民の方々)ことを良い方に使って、終末医療施設であるとかの設定にするくらいの繊細さが制作陣には欲しかったな。それなら余計な苛立ちなかったのに。
まあ、いい。ラノベ相手に怒ってもね(こ、こらこら/汗)
んで、中里先生なんですが、はっきりズバリと申し上げて(豊永くんのファンの方、先に謝っておきます心から)どう見てもイケメンではございません。映像畑でこのルックスで二枚目キャラで主演という例を、ぼくは寡聞にして存じません。(ああああ空き缶投げないでお願い/謝)
ですが・・・ですが!(ここで挽回します)
お芝居うまいです。そして、折り紙つきのイケボです!(そもそもSETの役者くんらしいが、声優としても人気だそうですな)
できれば声だけ聴いていたかっ・・・ああ危ないっ! 物投げないで!!(←いい加減に一人芝居やめろ)
彼があるシーンで謎のイケメン(笑)命華とからむんですが(まさに、酔ってカラむ)、二人の芝居力の格差に、あたくし笑いと涙(?)をこらえきれませんでした。
これは、過去、『世にも奇妙な物語』で、光一さんの親友役で出ていたヤマシゲ先生(山崎樹範)を初認識したときと同じ感覚であった。
演技力は容姿を超える。(何の格言ですか?)
ただですね、中里先生、途中でメガネかけるんだけど、急にそこで男っぷりが上がる。
いわゆる「メガネ男子」ってやつ?
「メガネをはずすと予想外の美貌」ってのが伝説的に古臭い少女マンガのパターンだが、最近では逆なんですね(おいこらこら)
それはともかく、この他の登場人物に関しては、新感線メンバー(そういや粟根さんも“メガネ男子”だ/笑)は若干便利(演技力があって少し笑いもとれる、主役の若い人の邪魔をしない安心な地味なルックス・・・っておい!)に使われてる感があって残念なだけだったので、特に感想は申しません。
それより、隣りで観ていたお嬢さんたちが、謎のイケメンが出てきたとたんに嬉しそうにクスクスはしゃぎ出したので(バレてたよ! 君たち)、ぼくも負けじと(おいおいおばさん)・・・いや、だからぼくは命華にじゃなくて、カボチャ農家のおじさんにテンション上げまくったのである。(さすがだろ? 熟年は)
彼の名は伴大介さん。
何を隠そう(別に隠さないが)、ぼくの初恋の人(注※ておどるくんは“初恋の人”が10人以上います)『人造人間キカイダー』のジローその人なのであった!(♯∇♯)きゃ〜〜〜!!! こ、こんなところでお逢いできるなんてっっ!!
謎のイケメンが出没するバーのマスターが『仮面ライダーV3』風見志郎をはじめとする数々のヒーローで有名な宮内洋さんであることは事前に知って観にいったので、出てこられたときもさして驚きはなかったのだが、伴さんの登場にはけっこう衝撃を受けた。
それこそお嬢さん方が喜矢武さん(あっ名前出しちゃった)の登場にテンション上がったのと同様のうろたえっぷりを発揮してしまった(笑)
・・・すっかりおじさ○になられて(しみじみ)←勝手にシミジミすんなよ(呆)
少女たちよ知っているか? キカイダーという伝説のアンドロイド兼エアギタリスト(笑)がかつて存在してだな、その(以下、5時間にわたり思い出話)
失礼しました。
しかし、こんなマニアックなキャスティングをし、トンチキストーリー(ごほ、ごほごほ)を力技で映像化してしまう松村清秀とは、一体何者なんだろう? 逆にそこに興味がわいたぞ。別に調べないけど(こら)
ちなみに、冒頭に近いシーンで、松村監督本人が、カメオ出演しています。はっきり申し上げます。ユーモアが地滑りしておりました。
で、これ見て「なんだ、聞いたことのない名前だから若造のカントクなのかと思ってたら、ずいぶんオッサンなのね」と思ってたら、ぼくより○歳も若いだとぉっ?!(震撼)
・・・長生きしてると、こんな目に遭うんですね・・・(泣)←失礼過ぎますぞ?
すみません。これはさすがに言い過ぎました。
まぁ、今そこそこ業界で地位と権力を手にしつつある昭和40年代生まれの傍若無人ぶりは、小耳に挟んでおります。
いや、けっこう楽しい時代であるとも言えましょう。
over40バンザイ!\(^^)/←若干ヤケクソな感じ
さて、そろそろまとめに入ります。
本編のエンディングロールで「春が来る前に」が流れるのは、金爆ギャならご案内のとおりでありますが、これが、期待(こっちにはうかつにも期待してしまったのよね)したほど効果を上げておらず、がっかり。
歴史的迷作(笑)『剃り残した夏』のラストシーンでの本気で感動的な使われっぷりに比べて、なんだか平坦すぎる印象だった。
同じ曲でも、使い方でこうも劇的効果が違うのかと考え込んでしまった次第である・・・いや決してバイアスがかかった見かたをしてるわけではありません! 信じてください。
思えば、『剃り残した夏』は、ラノベどころかカストリ同人誌(おいおい/慌)色満載のふざけた映像作品なんだが、不思議とあのラストシーンには胸が熱くなるのを抑えきれない。
それは、決してぼくが腐だからではない!(ことさらに言い募ると危険だぞ?)
もちろんぼくも大人ですから(?)、冷静に「おいこの画面、「Eternal Flame」のMVのパク○じゃん」とツッコむのも忘れているわけではない。(あ、やっぱ気づいてました?)
でも、それを知ってさえも、あのラストシーンには甘酸っぱい感動がこみ上げてくるのを抑えることはできないのだ。
予定調和っぽくはしゃぐ4人にかぶせた「春が来る前に」、そもそも季節感も全く合ってない。
なのにあの楽曲が纏っているせつなさが最大限活かされているように感じるのは、
「夏は、次の年にも来るかもしれないが、それはもう、決して同じ“夏”(もしくは“春”)ではない」
ということを、あの場面で表現されているからではないかとぼくは思っている。
そもそも、ゴールデンボンバーは(正確には、「鬼龍院翔は」)、楽曲そのものでは決してふざけない。
ライブやPVではハチャメチャに世界観を壊してしまう楽曲も、その歌詞、そのメロディとアレンジ自体は、いつも大真剣に作ってある。
だから金爆ファン(ここでは“ギャ”に限定しない)は、心からその楽曲を愛することができるのだ。飽くことなく。
その世界観を理解した使い方をしてほしかった。と思うのだが、「え? こっちだってちゃんと使われてたじゃん」と思った人もいたのかもしれない。
感性は人それそれだしなぁ。
若干自信がなくなってきたので、ここで終わらせます。
本命じゃない方でここまで語ってしまうクドい性格の熟年なので、「第一章」を観たら何を言い出すかわからないけれども、とにかく上映が急に終わらないうちに(縁起の悪いことを言うな!)近日行かなくては。
「ヴィジュアルメイクじゃない喜矢武さんは、結局どうだったのよ?」という疑問に対するお答えは、そのときにじっくり述べたいと思います。へっへっへ(←イヤな予感) 昨日11日は、渋谷でした。(これで判る人がいたら、超能力者だ)
今日も仕事が早く終わるんで、渋谷に行こうかな。水曜日だし(←これなら、勘の良い人は判るかもね)
| 2012年09月11日(火) |
『ミュージカル 走れメロス』(Bunkamuraオーチャードホール) |
(UPした当時は名古屋および大阪公演以前でしたが、ネタばれしまくってました)
公演案内が来たとき、
「え? 日生ファミリーミュージカル?」
と思った(すごい昔の話だが、今の松緑が辰之助時代に日生劇場でやったことがあるのだ)
なのに、出演者のところに「河村隆一、諸星和己(後略)」とあり、やや混乱。
反則だけど、ちょっとあらすじ(といっても、起承転結の「起」しか書いてなかった。そこは偉い)を事前に盗み読み。
あ、なんだそうか、タイトルの小説をミュージカルにしたんじゃなく、それを書いた太宰を題材(シャレじゃありませんよ)にしたミュージカルか。
しかし・・・この題材でミュージカルって、やな予感しかしないんですけど。ストレートプレイならまだ怪我が少ないんじゃないの? 演劇オタの偏見かしら? と、心配しつつ拝見。
まず、ホールに入ってその心配が的中。
オーチャードホールって、デカすぎるわ。わかってたことだけど。
主な出演者の皆さん(それぞれJ-POP界では一世を風靡した方々)の集客力に期待したのかはどうか知らんが、見事に全然埋まってない。1階席後ろ半分スカスカ。過去の栄光にすがるんじゃねえよ、と口汚く罵りたいところだが、そんなことじゃなく、作品世界自体、こんな広々としたところでやるようなものじゃない。どんなに大きくても世田谷パブリックシアター、本当はシアタートラムでやってほしいぐらい濃密であるべき題材。
で、でも、ミュージカルらしいし・・・始まってみれば、また違うかも、と開演を待つ。
・・・やっぱ、だめだった。(ううう/嘆)
なんか、すごく脚本&演出が退屈←さすがに見えるように書く度胸がない。
音楽はすべて河村隆一氏が手がけたそうで、一曲一曲は楽曲として立派に成立していて美しい曲ばっかなんだけど、ミュージカルのナンバーってのはそういうものじゃないんだけどな・・・って、ミューオタの偏見ですねすみません。
これさ、コンセプトCD化して売れば? 公演のチケットよりそっちの方が世間に受け入れられるような気がするわ。Ryuichiさんのファンが買うんじゃない?(←なにその門外漢っぷり)
第一、こんな音響の良いホールで上演してるのに、音楽、カラオケだよね? ダメだわそんなんじゃ(←ゴールデンボンバーのニワカのくせに、そういうこと言う?)あのね、それはそれ、これはこれ。問題が別です。
だからなのかな? ナンバーの躍動感や臨場感が全然後ろのほうの席に届いてこない。
あと、歌は上手だけど芝居がてんで下手なJ-POP界の人たちと、芝居はそこそこだけど(彼らはそもそも歌を歌わない)地味すぎる役者たち、存在感は派手だけど、わざとらしいコメディアンっぷりが鼻につく約二名(名前書かないけど、観た人はお判りになると思う)という具合に、カンパニーの色彩がごたごたしすぎ。
かと思うと、出演者同士のプライベートな仲良しぶりだけが透けて見えるような“なぁなぁ”な芝居があったり、とにかく全編ぼくには苦痛でした。
なんかもう・・・怒りよりも、とにかく苦痛。
そこには、太宰やオダサクや芥川は存在せず、河村隆一とIZAMと大澄賢也がいるんだよなぁ。
そんで、鈴木亜美は着物の着方も下手(ごめんね歌舞伎オタで)だし芝居も歌も(略)、玉置成実は下品なデザインの着物着させられてかわいそう(本人は「セクシーでステキ!」と思って着てたのかもしれないが)、歌とダンスは得意のようだったが芝居はうにょうにょ(←どういう表現だよ?!)と、泣けてくる女優陣。
で、最後までふれませんでしたが、「辻島衆二」役のモロ。
いかに名ばかりの文学部卒とはいえ、この名前がピンと来ないほど落第生ではありません。W主演が河村隆一とモロで、役名が「太宰治」と「辻島衆二」なのに、ワクワクせんはずがないでしょう?
なのに、そのワクワクはいつまで経っても報われない(途中眠っちゃったのが良くなかったのかな?)
結局何だったんだ? この話。最後まで理解できなかった(まぁ、半分はぼくも悪いのだが)
思うに、太宰と辻島のキャラ付けが、ぼくが期待してたイメージと逆だったんだな。
太宰が幻想の中に生きているような(ま、この話自体が、「自殺した太宰を辻島が回想する」という枠でできているので)繊細な優男で、辻島がそれよりも現実に生きている若き日の太宰のような男・・・って感じだったんだが、うん、確かに河村君とモロだったらそういう役分けにせざるを得ないでしょう、ぱっと見。
でも、結局脚本にそういう対比が明確にあったわけでもなく。
なんか、作り手がワンアイデアに嵌っちゃってるような気がしてならなかった。
あー、まぁ、全部ちゃんと観なかった(おいっ!/大汗)ぼくも悪かったんですけどね。
いや、途中で帰ったわけじゃないよ?(9行上ご参照)
こういうのも、後でいい思い出になるんでしょうね(←ポジティブ!)
散々なこと書いてすみませんでした。とりあえず正直なとこで。
時機遅れで役に立たないこと。
うむ。わたくしのブログのようだ。(←自覚あんのね)
でも、めげないぞ。(←逆に始末に負えない)
無茶の6連ちゃんの3日目を終えて、意気揚々と帰宅し、翌朝いきなり腹痛に見舞われる。
去年も似たようなことがあった気がする。
・・・懲りない。
ギリギリまで寝床でうんうん唸って、ギリギリまで出欠を迷ってから、やっぱり行った。
あっぱれミーハー根性(←自己満の塊)
帰宅した途端、ばたっと寝込み、本日も、少し残った胃痛をおしてお仕事。
5日目イベントも何とか行けそうだな(←呆)
詳しくは後ほど(←これ、いつものパターンですか?)
| 2012年09月08日(土) |
宝塚歌劇団月組公演『ロミオとジュリエット』(東京宝塚劇場) |
楽日間近になって、やっと行けた(^^;
でも、ろみりお(明日海りおのロミオ)バージョンが観れなかった・・・悔すぃ・・・(T∧T)いいもん、スカイステージの放送に期待するもん(涙)
宝塚バージョンとしては、過去3組中最高の出来だったとぼくは断定します。
何しろ主要キャストの基本的歌唱力が皆「優」レベル。
歌唱力は大事ですよ。
宝塚“歌劇団”だもの。
って、何でいちいちこんな当たり前のこと言わなきゃいけないんだ? っていうことを、歌劇団事情は過去たびたび起こしてきましたからね。
・・・まぁ、“本当の”歌劇団の方々から見れば、「お嬢様たちが何をおっしゃっているの?」レベルかも知れませんが。
とりあえず、曲の第一声から「うう・・・」てな事態になるシーンが一か所もなかったことは、重畳と思います。
ロミオも、ジュリエットも、ティボルトも、マーキューシオも、ベンヴォーリオも、大公もキャピュレット夫妻もモンタギュー夫妻も神父さまも、みんな良かった。
それで満足です。
そして、ぼくが、この作品の一番のキーパーソン(歌の上で)だと思っている乳母。
過去の公演で乳母を演った子たちも、確かに頑張ってはいた。
しかし、今回の(美穂)圭子ねえさんの大美声を堪能してしまっては、過去のキャストさんたちごめんなさい、である。
もしかしたら、ACT版のハマコねえさん(未来優希)よりも、情感という点では上だったかもしれない。
もちろん、他のキャストが「男は男優」なのと「男も女性(男役)」なのとでは、それに対抗する乳母もある程度骨太じゃなきゃいけないから、ハマコの歌いっぷりも、あれはあれで正解だったと思うが。
んー・・・、でも待てよ? 今思えば、圭子ねえさんもところどころ「力任せ」な歌い方してた部分もあったかもしれないな・・・まぁ、ほんのちょっとだけど。
それにしても・・・、
みりお、カッコいいっっっ!!!o(≧∇≦)o←やはりそれか
くゎんぺきなティボルト〜〜〜!!!!!(←「!」が多すぎますよ?)
基本可愛いくせに、色気もあってぇ〜〜〜〜!!!(>_<。)
(少々お待ちください)
あーあ、ロミリオ、見たかったなぁ(さめざめ)
(もう少々お待ちください)
ぼくね、初めてこの作品を観たとき、(星組バージョンでした)ティボルトが歌う「今日こそその日(C'EST LE JOUR)」の冒頭の歌詞、
「初めて女を知ったのは15の夏だった」
に、「スミレコード、大丈夫か〜〜〜っ?!!!」(←今日はやたら「!」多すぎますよておどるさん)と驚愕したものだった。
まぁ、近頃ではこの程度じゃスミレコードも何もあったもんじゃないし(そ、そうなのか?)、歌ったのが“色気の権化”のようなテル(凰稀かなめ)だったので、まぁ妙に納得してしまったのだが(オイ)っつうか、原作では当時のヴェローナの方々の結婚適齢期は十代中盤だし、別にどってことないんだけど。
で、ヅカ版だとそんなにはっきりと分からない(よね?)んだけど、ACT版を観て納得したのは、その、ティボルトの筆おろし(直截的過ぎますよておどるさん)の相手はキャピュレット夫人なんだよね(ただし、フランス原作版の歌詞では、「父親の手ほどきで娼館に連れて行かれ童貞を捨てた」とあって、実は全然違うのだが。つまり小池流解釈?)
ただし、そのキャピュレット夫人も、16歳ぐらいだったかでキャピュレット卿のとこに“処女”で嫁に来て、“跡継ぎを産む機械”扱いされてたのであろうし、ティボルトともそんなに年が離れてないはずなので、それほど責められるようなことでもないと(毒されてます! 現代人の価値観になってます!)
このフランス版ミュージカルでは、シェイクスピアの原作から一番突拍子もない改変をされてるのがこの部分(ティボルトのキャピュレット家の中での立ち位置)なので、きっと賛否両論あると思うのだが、これも作品が成立した時代(2000年代初頭)のなせる業なのかも知れない。
要するに何が言いたいのかと言うと、この部分の歌詞は、単にティボルトが女たらしなことを意味しているのではなくて、「そんな、のっけから“女”に夢を持てない童貞喪失をしてしまってすさんでいたオレが、初めて“心”で愛したのが、あの汚れなき従妹だったんだよ〜♪」と作者は表現したかったんだろうということだ。
これまでのティボルト(ヅカ版もACT版も含め計4人)を観てきて、ぼくはうかつなことに、この歌詞を普通に「ティボルトって、早熟な女たらしなのか」みたいにしか思っていなかった。
ヅカ版の前の二人は、いかにもティボルトをそういう、「ロミオやマーキューシオたちのような“小僧”どもよりも、少し年齢が上」という感じでティボルトを演じていたから。
で、ACT版では演じる以前に、まさにティボルトがそういう人たちにキャスティングされていたから(あれ? そうだっけ?)
だけど、今回みりおのティボルトを観て、・・・みりおがそういうふうに深く演じていたからってことでもないのかもしれない、単純にみりおのキャラが“少年キャラ”だったおかげなのかもしれないが、とにかく今回のティボルトに、
「失ってしまった少年性」(ここで言う「性」はセックスのことじゃなくて、生来持っている質、のことです)
を感じとってウフウフしてしまったのである(←変態め!)
みりおの章が長くなりすぎた。
他の主要キャストに関しても少々。
ロミオ。
めでたいトップ就任なのに半無視ですまん、まさお(龍真咲)
客観的に見たら、彼女の方が美人だ、それは認める。
歌だって上等(ただ、すごい鼻声発声なのが、長く聴いてると苦痛になってくる)
ロミオって、逆に言えばすごく損な役だ。
主役なのに、“色”がないので、周りの濃いキャラたちに比べて、印象も薄い。
時々、どこにいるか判らなくなった(お、おいっ!/大汗)
これまた過去の二人(男性ロミオ二人とは、そもそも演出が違うので、比較できない)と比べて、まぁ、貫禄負けというか・・・。ぼくがキム(音月桂)推しなのを恨め。(←ひどい/涙)
これから頑張ってください(愛が薄すぎるぞっ/焦)
ジュリエット。
・・・困った。彼女(愛希れいか)については本当に何も知らん(´д`)
元男役だったとしか。
その先入観のせいか、歌声に太さがあったような気がする。カチャ(凪七瑠海)がシシィを演ったときほどではないが。
まあ、今後の月組を観てみないと分からんことだな。
組替え一発目で大健闘の美弥るりかちゃん。
可愛い顔でふっとい低音(笑)
星組時代には、デカデカ男役群の中で苦労していたようだが、きゃしゃな月組にやってきて(でも今回はマギー(星条海斗)が常に隣にいたからなー/苦笑)水を得た魚になってくれるのではないかと期待しています。
「歌の月組」の時代を築き上げてってください!(^^)
・・・あ、これはるりかちゃんへの文句じゃなくて、今ふと思い出したことだが、マーキューシオが死ぬときに、ロミオに「ジュリエットへの愛を貫け」とかいうの、おかしくない? 小池先生。
これ、ヅカ版独特のアレンジだったかな? ACT版ではこんなこと言ってなかった気がする。だって、矛盾するもんねマーキューシオの性格と。
ま、確かにヅカ版演出は、スミレコード(いまさら?)もあって、若干ぬるいのは否めない。
だけど、悪いところばかりでもない。と思う。
本来は“死”しか出てこないサイレントダンサーを、ヅカ版では“愛”も登場させて、最後のシーンでこの二つの象徴を拮抗させるという創りかた、ぼくは好きです。
“愛”と“死”は、常に一体なんだっていう考え方がね。
語り出すともうとめどなくなってしまう大好きな作品なので、このあたりにしときますか。
ううう、来日版が力いっぱい楽しみなんスけど。
早く来い来い〜〜〜〜〜!!!!!!!!!(←だから「!」が多いって)
| 2012年09月07日(金) |
『CHICAGO』(赤坂ACTシアター) |
Ryoko Yonekura凱旋公演です(*^^*)人゛素直にパチパチ
実は彼女がロキシーを演じた日本公演版が、ぼくが初めて「ナマ」で観た『CHICAGO』でございまして。
このブログではよく知ったかぶってるけど、実は蓄積はそんなもんです。
あの時は正直ほとんど期待してなかったてのもあって、よねくりゃ姐さんの意外な(失礼)出来にびっくりしたもんです。
で、感動してその後にあった日米合作てか、日本人キャストの中に今回ヴェルマを演じたAMRA-FAYE WRIGHT姐さんが入って上演された公演もとっても楽しみにしていたんだけど、見事に仕事で行けなかった。
未だに残念に思っている。
まぁ、今回の公演でそのリベンジが果たせたわけだが。
ちなみに、その間に来日公演も観ていて、その時はビリー・フリンをKevin Richardson(元Backstreet Boys)が演ってた。
その公演自体はなぜかあまり盛り上がらなかった記憶がある。
キャスト陣はどう考えても日本版のキャストよりも実力的に勝っていたはずなのだが、客席がなんとなく醒めてたような・・・。ぼくが観に行った日だけかもしれないが。
で、今回の公演は、よねくりゃさんも含めて“ブロードウェイ版招聘”という形。
なんか、客席の熱気が全然違ったなぁ今日は。
やっぱ「客のノリ」って、公演を左右しますね。
もちろん、その熱気を引き出すほどの出演者たちの実力があったからこそなのだが。
ただ、ここ以降、ちょっと残念なことを書かなきゃいけないんだけど、初見の時にあれほど感動したよねくりゃさんの出来が、ほかのキャスト陣と比べて、かなり だった。
うーん、英語のハンデ、ではないんだよな。いや、英語も確かにカタコト気味だったんだけど、それはむしろ、ネイティブの米国人が聴いたら、「カタコト英語をしゃべる、あどけないジャパニーズ」って風に見えて逆に効果的だったかもしれないとも思うのよ。
たとえば、ぼくらが韓流スターが「アリガト、ゴジャイマシュ」みたいにしゃべってるのを聴いて、彼らを実際以上に幼く感じるのと同じような効果があったと思う。
ロキシーって、もともとノーティキャラだから、日本では「姐さん」風格のよねくりゃさんでも、アメリカでは少しは幼く見えたほうがいいと思うし。
やっぱりあのー、唄でしょうね・・・。
基本的声量や“余裕”が全然足りてないわけだった、やはり。
これは残念なことだった。
日本版の初演では、よねくりゃさんの余裕のなさが、そのままロキシーが「アタシ有名になりたいの!」っていうガツガツした役どころにマッチしてて、それが良い方に作用してた。
でも、今回ぐらい他のキャストと力の差がありすぎると、「がんばれよ」って優しい気持ちにまで上がらない。
「おととい来なよ」みたいな気分になっちゃう(←きついぞ! 今日も)
「WE BOTH REACHED FOR THE GUN」の人形振り(?)なんかはよねくりゃさん上手で、ぼくも2009年に観たロキシー(誰だっけ? プログラムが見つからない・・・)よりも好きなのだが、一番大事な「ROXIE」の、主役オーラのなさは、ちょいと悲しかった。
男性ダンサーたちに埋没してるんだもの。
アムラ姐さんが冒頭の「ALL THAT JAZZ」からすっかり会場全部をトリコにしてしまったのと比べて、あまりのていたらく。
う〜ぬ、期待しすぎたか。
ただ、公演全体は今回すんごく良い出来上がりだと思います(←映画版も入れて3回しか観てないくせに、よく知ったかぶるよな)
すごく面白かった。堪能できました。
| 2012年09月06日(木) |
『コーパス・クリスティ 聖骸』(青山円形劇場) |
タイトルは、作者のテレンス・マクナリーが生まれた町の名前だそうだが、直訳すると「キリストの遺体」。
いかにもアメリカっぽい町名ですな。
日本だったら「仏舎利町」とかになるのかな(別に日本に例える必要ないけど)
あともうひとつ、「最後の晩餐を記念する日」(三位一体祝日の次の木曜日・・・なんのこっちゃ?)の意味もあるそうです。
キリスト教徒でないので、ちんぷんかんぷんです(←なら書くな)
あ、本日初日だったのか。なら、内容は詳しく書けないな(別にいいのかもしれないけど)
舞台上(てか、青山円形なので、真ん中の「芝居場」をぐるっと取り囲んだ客席から見下ろす感じになる)には、やけにほそっちい美少年やらたくましいお兄さんやらすらりとした美青年やらきゃしゃな美中年(おい)やらが都合13人。
男ばっかり13人。ここ大事っぽいね。
これだけで観る方は胸騒ぎがしますな。キリスト教に詳しくなくとも。
第二次世界大戦のちょい前に生まれたらしいアメリカ人の男たちがここ「コーパス・クリスティ」に集まって、「キリストの誕生から磔にされるまで」を演じましょう、という趣向で始まる。
ここまで観て、
「あれ?『GODSPELL』ちゃうの? これ」
と思ってしまったのはむべなるかな。
あっちは男女(+ゲイもいた気がする)入り混じったミュージカル作品で、にぎやかに始まり(こっちもにぎやかだが)衣裳の色彩も派手(ヒッピー文化時代ど真ん中)なのだが、こちらは、今回の出演者たちの雰囲気もあってか、男子校の余興みたいでもある(そのせいか、『SHAKESPEARE'S R&J』も思い出したなあ)
ただ、キリスト(こちらの役名は「ジョシュア」)とユダ(こちらでは「ジュダス」)の間柄に関しては、『GODSPELL』でもほのかに“そういう”関係つうか、特にユダがキリストに対して愛憎入り混じった感情を抱いてるのをほのめかしているのだが、こっちはもうズバリの関係。
出会っていきなり濃厚キス(あっ、腐女子捕獲ネタばれをしてしまった)
なので、この作品、アメリカでの初演当時にはお堅い(そして過激な)宗派からかなりシャレになんない攻撃を受けたらしい。
お堅い人たちにはそりゃあ許しがたい発想かもしれない。
ただ日本では、昔から「宗教」と「同性愛」は密かに結びついてたりして、寛容なんだかアンタッチャブルなんだかよくわからん状況ではあるから、特に上演妨害はないだろう。
むしろ、それこそ腐女子捕獲というありがた迷惑(よく言うぜ自分も腐のくせに)効果があるかもしれない。
ぼくは劇団フォーシーズン食わず嫌いなところがあるから、名作『ジーザス・クライスト=スーパースター』を観たことがないのだが、あっちではジーザスとユダの関係にそういうほのめかしってあるのだろうか?
別になくてもそれはそれでいいわけで、何年か前にテレビでトニー賞の中継を視ていたら、『ジーザス・クライスト〜』がリバイバル賞かなんか獲ってて、1シーンを再現していたのだが、その時出てきたユダがめちゃくちゃカッコ良くてド胆抜かれたことがある。
あれが来日してたら絶対観に行ってたのになぁ(自分がブロードウェイ行くって発想はないのね?)
またそれとは別に、学生のころに「短いから」ってんで読んだ(文学部卒が泣くぞ!)太宰治の『駈込み訴え』が官能的(エッ?!)名作すぎて、これがもうぼくの中ではイエスとユダの関係のデフォルトになってしまっているのであります。
まあ、『駈込み訴え』にそのテの空気を感じとるあたりが、既に腐ですけどね。ノーマルな人なら哲学的な意味しか感じないんだろうなあ。
でも、とにかくぼくは感じとったと。
なので、今回の作品のストーリーをちらっと知った時にも、さほど衝撃でも何でもなかったというか。
「じゃあ、“そういうの”を、どうやって面白く(笑えるって意味ではないですよ)見せてくれるんだい?」
と、若干挑戦的な気持ちで観に行ったわけです。
少年たち(ぼくから見ると、全員“少年”でいいよもう←なぜヤケ?)は、頑張ってました。
すごい上手い子もいたし、長いセリフを頑張って覚えたね、偉いね、レベルの子も(←例によって遠慮ねぇな)
ぼくが惹かれたのは、ジョシュアが砂漠で出会うジミー(ジェームズ・ディーン)の霊を演じた人だったんだが、慌ててプログラムを買ってみたものの、その役を誰が演ったか出てない!(12人の使徒の名前しか出てなかった)
うわあぁ! 不親切!(怒)
見た目で判断するに、米原幸佑くんのような気がするのだが、もし間違ってたらごめん。
知ってたら誰か訂正してください。本人でもいいよ(笑)
それからやっぱり主要な二人ってことで、渡部豪太くんと窪塚俊介くん。存在感があったな。
渡部くんは「ゼクシィ」のCMに出てた子だよね、って程度の知識だったんだが、そういやわたちゃんが出てた『絹の靴下』でなかなか達者だったのを思い出した。
ジョシュアは、主役にありがちな(?)自分からはアクションしない茫洋とした人物なのだが、この人自体がそんなイメージなので(そうでもないはっちゃけた役もテレビドラマなどでは演ってるらしいが、幸いにも視ていない)ぴったりだった。
窪塚くんは、良く言えばセクシー、悪く言えばいやらしい雰囲気の持ち主(おい! 主観がすぎるぞ!)
でも、その中に何かしら繊細な優しさとかが垣間見えて、いいジューダスでした。
で、この先はかなりネタばれになってしまうので、これから観に行こうと思っている人はまだ読まないでほしいのだが、結局テレンス・マクナリーは、「アレやコレの二番煎じちゃうか?」と言われるであろうことをわかってて、なぜこの作品を書いたのか、ぼくなりに想像してみた。
やっぱ、テレンス自身がゲイであることは無視できないだろう。
普通イエスの生涯なんかを脚色しようとすると、なんでこんなステキな人が迫害されたのかってところに行きついちゃうと思うのだが、その時にゲイ要素不要論でいくと、「組織がでかくなるとき」の問題とか「権力者とうまく付き合えない不器用なカリスマ」の問題とか、単純な「嫉妬」の問題とかが主題になると思う。
でも、この作品では、ローマ人がジョシュアを逮捕するときに、はっきりと、
「(殺されるべきは、何人も殺した殺人鬼じゃなく)オカマの方!」
と言うのだ。
そういう世間の目に対するテレンスの憤りがこの作品を書かせたのじゃないだろうか。
自分と相いれない価値観の人に対して、人はどんだけ残酷なことか。
「ホモキモイ」と思ってる人には、殺人犯以下なんだから。
それと、イエス・キリストが許した「姦淫した女」のエピソードは、ぼくでも知ってるくらい有名だが(「罪のない者だけが、その女に石をぶつけなさい」ってやつ)、この作品の中では、HIVポジティブの男娼がそれにあたる。
そんで、ジョシュアは“奇跡”を起こして彼の「その病気」を治しちゃうんだが、ぼくらが今でも知っているとおり、「その病気」は、治らない病気なんだよね(発症を抑えることはできる)
なんか、せつなかったな。
そのシーンを見てぼくは、
「こういうことしたから、彼はきっとこの後偉い人たちにとんでもない目に遭わされるんだろうな」
と直感してしまった。
不治の病をさらっと「治ったよ」なんて言うやつほど、権威側にいる人たちの恰好の餌食になるやつはいない。
治した病気がAIDSだったから迫害されたと言ってしまうのはちょっと違うと思うが、単に男娼を救うのではなく、その病いを治してしまうところまで書いたのは、やはりテレンスの意思がそこにあった気がしてならない。
だって、その前にらい病の男をジョシュアが全快させるというエピソードがあるから。
病気を治すエピソードがかぶってる、そこに何か一つのベクトルを感じるんだが。
・・・考えすぎかな。
ま、ともかく、こうして「差別」や「世紀末観」について考えるもよし、単純に可愛い男の子がいっぱいだ! と目の保養にするもよし、やっぱどっちかっつうと女性向けの作品だったかもな(客層はほとんどが20代くらいの女性。男性少数、30代女性もなかなか。それ以上の年齢層の男女ちょぼちょぼ(でも、いた)って感じでした)
| 2012年09月04日(火) |
『謎解きはディナーのあとで』(天王洲 銀河劇場) |
なんで観に行ったのか自分でもわからん。
そ、それじゃあんまりですておどるさん(T-T)←誰だ?
んー、まったくだ。これじゃあんまりだ。
なんで観に行ったのかはとりあえず内緒にしといて(そんなもったいぶるような理由じゃないのだが)、なぜそう思ったのかを書きます。
ぶっちゃけ、脚本と演出の人のスタンスが中途半端というか、
「本当にこういうことやりたかったの?」
と訊きたくなるような感じだったのよね。
その脚本・演出の村上大樹さんは、拙者ムニエルという、正直に白状しますとぼくは“名前だけは知っている”“本公演をちゃんと観たことはない”劇団の代表の方である。
だから、ぼくは知らないのだが、もしかしたら、この作劇は村上さんの王道パターンなのかもしれない。
ぶっちゃけていうと、「ここ、面白くしよう」としてるところが、ことごとく滑ってるのである。
狙って滑らしたのかもしれないのだが、ぼくが思うには、ムニエルと今回の客層の違いを村上氏が把握できてなかったことが一番の原因ではないかと思う。
一応ね? 二幕目冒頭の客いじりなんかは、生暖かい雰囲気に包まれたんですがね・・・。
原作は大ヒット小説にもかかわらず読んでないし、テレビドラマ版も、1ミリも興味をそそられなかったので(ジャニオタのくせに、言うね〜最近)視ていません。
でも、演劇オタなんで、一番金がかかる状態でこの作品に触れてしまった(←もうやめなさいっ!)
それで思ったのは、この内容ならば、深夜ドラマとして視れば、多分「そこそこ面白い」と思っただろうな、と。
プライムタイムのドラマだからジャニーズ主演になっちゃったんだろうけど、実はこの小説は、こんな感じのノリで、チープな(おいっ! 失礼だぞさっきから)ギャグと謎解きが合うのでは。
そして、影山はクールビューティじゃなきゃだめなんでは? と。
世間的に櫻井翔がどういう扱いを受けてるのか、ジャニオタを標榜する僕でもすでにもうよく知らないんだけど、少なくとも“クール”ビューティではないわな。
といって、DAIGOもそうとは言えないが。
ただ、見た目だけならDAIGOの方が絶対小説のイメージに近いんではないかと。
原作知らないのに言い切ってしまうのは罰当たりなので、今度読んでみようと、そういうプラスの効果はありました。この舞台。
『リトルショップ・オブ・ホラーズ』でかなりDAIGOに瞠目したぼくですが、今回の芝居に関しては、「声色、ちょっと高すぎないか?」と思った。執事らしい身のこなしもできてないし。
あと、めっさ頭の切れる役って、DAIGOには似合わな(略!)
う・・・えと、あのー。ウエンツ瑛士のボンボンぶりがとてもよろしかった(苦し紛れの話題転換)
ウエンツ、達者だね。キャラにいやみがないし、基本的な実力もある。
西山茉希は、美貌的には北川景子に全然引けをとっていないけれども、芝居が特に上手かったわけでもないし、何より“お嬢様”っぷりがいまいち。
特に、歩き方が汚い。上等なクツを履いたことがないのか? 元モデルのくせに(といっても、グラビアモデルなんだよな、確か)、がっかりだ。
これで思ったのは、
「これ、タカラヅカで、石田作品で観たら、ギャグの滑りっぷりも、謎解きのヌルさ(こらっ/大汗)も、愛嬌として許容できたんだろうなあ」
ってこと。
ジェンヌは“金持ちの人たち”を演じさせたら随一ですからねぇ(『メイちゃんの執事』をやっちゃったから『謎ディ』はできなかったのかな? ま、最初からやる気がなかったのかも知れないが)
「お嬢様然とした身のこなし」ができる娘役、「若くて美形の執事」「おっちょこちょいだけど見た目はかっこいいおぼっちゃま」をやらせたら右に出る者のいない男役。
掃いて捨てるほど(捨てるなよ!)いますからねー。
しかも今回、影山が(「苦手です」と言いつつ)突然ダンスを披露するシーンとかもあったりしたので、これはもうヅカでやるしかないじゃないですか(力説)
まぁ、全体的には、冒頭の寒々とした(毒舌が過ぎます!)数分を耐えれば、後は何となく生暖かい気持ちで最後まで観ることができましたですよ。
特に、二幕目はあめくみちこ女史と乃木涼介さんがきっちり締めていて後味が良かった。トリックはひどかったけど。
まぁ、このひどいトリックがあったからこそ、
「これが本当に『本屋大賞』獲ったミステリーなのか? 舞台向けに潤色してあるのかな? じゃあ、原作読んでみなきゃ」
と思えたので、よしとしたい。
・・・すみません村上さん本当に。
あ、ところで、本日、yasuが来てたらしい(ぼくたん3階席のはしっこに追いやられてたので(文句言うな!)全然わからなかった)
だから「デザートにわたくしの大好きな“ブラックチェリー”を用意してございます」「でも私は“イエス”とは言わないわよ」てなギャグがあったのか!(今気づいた)
昨日はキリキャンが(二人揃ってとは、なかなかプレミアムういっしゅ!)観に来たそうな。
またすれ違いかよ! おらはバンギャの神様には嫌われてるようだな(自覚)
ゴールデンボンバーからDAIGOへのお花もありましたが、どんな花かちゃんと見てくるの忘れた。
こんな感じです。
完全に、解る人にしか解らないタイトルですな。
映画のタイトルみたいですな(←自己満足)
それはともかく、どうなんですか? これ、何かの間違いじゃ?
そう、Bの方。
値段が違いすぎますし。
内容的にも「72分」あるとは思えませんし。
公式サイト(レーベルと事務所の両方)も何度も確認しましたし。
Music Clipで72分て、あり得ると思います?
それより、そんな太っ腹なこと、あのレコード会社が(略)
ま、どうせ3種類とも買うんだし、どってことないわな←
NHKも再放送されるし(火星のはばっちり録ったよ。まだ視てないけど←)これで安心だ。
結局今日は何にもてくてくせず(3つの候補の中から選ぼうとして、結局全部メンドくさくなった←オイ)
久しぶりにおしめりが来たので、布団も干せず、なんだかモヤモヤとした休日だったなあ。
本当の意味で「休み」だった。
仕事も今週はなんとなく緩やかなので、夏の疲れを癒すべく、6連チャンのてくてくが(←うをいっ?!!!!)
だってだって・・・日程的にそうなっちゃったんだもん(汗)
よし、まずは『新堂本兄弟』を視よう(って、感想書かないのかよ!)
| 2012年09月01日(土) |
『英国王のスピーチ』(世田谷パブリックシアアー) |
お、9月に入ったら、若干涼しくなったかも?(嬉)
台風のせいかな?
季節の挨拶はここまでにして(短!)感想いきます。
とても、良かったと思います。
え? パッションを感じない?
そんなことありません。
本当に良い舞台だった。
映画版と遜色のない出来だったと思う。
ま、ぼく自身英語がよくわかんないから、映画版のすごさがいまいち理解できないっつーのもあるんだが。
ヒガシ、すばらしかったよ。
コリン・ファースはアカデミー賞獲ったけど、日本人のぼくには、ヒガシの芝居の方がより一層沁みこんできた。
アルバート(ジョージ6世)の苦悩、焦り、怒り・・・そして決意。
てらいのない演出も良かった。
やっぱ、映画とは、そしてイギリスとは違って当然なのであって、例え主人公が英国王であろうが。
昔ぼくはこのブログだったか忘れたが、『吃又』という歌舞伎の演目について、「吃音て、そんなに絶望するほどのものなんですかね?」みたいなことを書いたことがある。
ぼくの周囲にも何人かいたし、日常生活にそんなに支障があるほどの障がいには思えなかったからだ。
でも、この映画(ぼくには珍しく、映画を先に観てました)を観て、吃音の原因(それがすべてとは言えないとは思うのだが)には幼少期からの精神的な傷なども影響していると知って、そうか、克服できるものなら克服したほうがいいんだなーと、そして、吃音の人たちはぼくが思ってるより、ずっとその“個性”に悩んでいるのかもしれないなーと、思い至ったのである(なぜ『吃又』で思い至らないのかは、やはりその、ストーリーによるものだと思う)
それとだ、今回の舞台版の演出(というか脚本)では、アルバート一人が主役ではなく、吃音克服を請け負う「言語聴覚士」であるライオネル・ローグの出自や現在の状況などを、映画版よりもきめ細かく描いていたように思う。
映画版では、オーストラリア人であることも、さほどネガティブなものとして伝わってこなかったし(ぼくの知識不足)、本当は俳優になりたいのになれてないっていう部分も、深刻な感じに描かれてなかった。単にシェークスピアかぶれのおっさんとしか。(←何ですって?)
と、ここでとても思ったのは、近藤芳正のすばらしさである。
彼のことはぼくはやはり東京サンシャインボーイズの公演で知って、以来“最強のバイプレイヤー”として認識してるんだが(主演の『ハゲレット』も観てますが)、コンちゃんと言えばやはり『笑の大学』の椿一そして、ぼく的に2011年のベストワンアクトだった『90ミニッツ』と、二人芝居の帝王(相方はどちらも西村雅彦であったが)という感じである。
これはつまり、脇役(というより準主役)として最強というか、自分も名演技を発揮しつつも主役を食ったりすることなく、いやむしろ主役をますます守り立てるという、真の実力者ぶりを感じるからである。
というのも(この後は不穏当発言になっちゃうかもしれないな)、前回ヒガシが主演した『ミシマダブル』特に『サド侯爵夫人』では、ヒガシはすっかり平幹二郎に食われていた。
全然ダメやな・・・ってくらい食われてた。
平幹二郎の底力オソロシス!と瞠目していたのだが、こうして考えてみたら、共演者を食うなんてのは、役者の実力としては“並”なんじゃないだろうk(お、いいかげんそこでやめとけっ/汗)
真実の実力者というものは、自分の力を十二分に発揮してなおかつ相手役のことも1.5倍ぐらい増し増しに見せるものなのではないだろうか・・・と、今回のコンちゃんの芝居を観て思い至ったのである。
どうでしょか(誰に訊いてんですか? 例によって)
というわけで、他の出演者の皆さんに関しては特に言及しませんが、おのおのとても良かったと思います。葛山信吾くんなんて、映画版のデイヴィッドの上行くイケメン皇太子っぷりで(いや、映画版はコリン・ファースを引き立てるために(何だと?!)わざとサル顔のガイ・ピアースにしたらしいよ)、『エドワード8世』の記憶も新しいヅカオタのぼくには嬉しい配慮(?)でございました。
王室メンバーは一様に美女美男子で、それを取り巻く政治家&宗教家たちは食えないおっさんたちで・・・みたいなキャスティングも面白かったし(油断のならない政治家として典型的なチャーチルを、愛嬌役者のラサール石井さんがやったのも面白かったなあ)
以上、そんなわけでけっこう満足できた舞台でございました。
とにかく、ヒガシの生真面目で堅い演技が良かった。
この人の本質的な性格はどうか知らないが(おっとこらこら)、ヒガシ=ストイックという日本人みんなの先入観を上手にキャッチした役作りだった。ヒガシの主演作としてベスト3に入るんじゃないかなー(他の2つは今ぱっと思い浮かばないけれども←オイ)
よし、明日はアレを当日券で観にいくか。(←こういうフラグは禁物)
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