てくてくミーハー道場
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| 2020年01月30日(木) |
オフブロードウェイ・ミュージカル『bare』(草月ホール)〈予告〉 |
「バレ」じゃなくて「ベア」という英単語なんですが、意味は「赤裸々」「むき出し」だそうで、つまり「バレバレ」ってことらしいですな(いや・・・違う・・・こともないか・・・)
オフ作品なんですが、実にオフ作品らしくて、小ぢんまりとした中に真面目さがあり、大作では味わえない佳品でした。
出演者たちは、小ぢんまりとした作品にしては結構有名どころが出ていたにもかかわらず、主演の男の子二人はぼくが知らない俳優さんで。
そこらへんもまた面白かった。
続きはまたまた後日。
| 2020年01月21日(火) |
日本・オーストリア友好150周年記念『ハプスブルク展』(国立西洋美術館) |
絶対行く!と一昨年(!)の冬ぐらいから(たしかチラシを手にしたのがそれくらいの時期だった)決心してたのに、気づくと今度の日曜日で終了(ぼくっていつもこう・・・懲りない)
慌てて有給休暇とって行ったよ。
平日に行って良かった。普通に混んでたけど、セカセカしなければ一つ一つの展示をゆっくり見たり説明文をちゃんと読みながら進むにちょうど良い感じの込み具合。
土日だったらこんなもんじゃなかっただろうな。
もちろん、花總(まり)と梅原裕一郎さんの音声ガイドをしっかり活用して見て回りましたので、余すところなく堪能できました。
図録は、家にあっても半永久的に開きそうもなかったので(なんだと!?)買ってこなかったのですが、何点かは記憶の中にしっかり収録。
ぼく的「心の中にお持ち帰り」は以下の通り。
〈マルガリータ・テレサ初回盤AB〉(←ちょけるな!)
今展のメインビジュアルになってる「青いドレスの王女マルガリータ・テレサ」なんですが、なんとこの絵には“Bパターン”とも言うべき「緑のドレスの王女マルガリータ・テレサ」というものも存在することを初めて知りました。
「青」の方が圧倒的に有名なんですが、「緑」も全く構図が同じ。「青」を描いたベラスケスが練習用(?)か予備に描いたものなのかと思ってたら、作者は別人(フアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソとかいう人)
マルガリータ・テレサの肖像は“お見合い写真”としてレオポルト1世に献上されたという話は有名で、3歳、5歳、8歳(これが「青」)、10歳・・・とベラスケスは色違いのマルガリータを描いている。なぜ「緑」(描かれた年が「青」と同じなのでこれも8歳時のはず)だけ別の画家が“Bパターン”を描いたのであろうか。
それとも他の年齢のも“Bパターン”があるのかしら。
正直、画力は圧倒的にベラスケスの方が上で(「緑」の方はなんだか筆使いがのっぺりしてる)、もしかしたらデル・マーソは弟子?だったのかな?師匠の大作を模倣して修行したとか?
勉強不足でその辺全く知らないのですが、並べて展示してあるのを見ると、“A”と“B”の差が如実で面白かったです。
チェーザレ・ダンディーニが描いた「クレオパトラ」
世界三大美女の一人クレオパトラが毒蛇に乳房を噛ませて自殺する瞬間を描いてるんだけど、クレオパトラが17世紀当時のイタリア人の服装!
適当すぎるぜバロック文化(≧∇≦)
こういうの好き。←
ユピテルとメルクリウスを歓待するフィレモンとバウキス
分かりやすく言うと「一見みすぼらしかったので他の連中が冷たくあしらった仮の姿のジュピターとマーキュリーを神様だとは知らずにもてなした心のきれいなおじいさんとおばあさんが得したという道徳逸話」を描いてるもので、客人に食べさせるため鴨を絞めようとしてるおばあさんの腕の筋肉が、老婆とは思えないほどたくましいのにそそられました(←)
ルーベンス工房の作品で、登場人物がもれなく筋骨隆々です()
現代人が見てもほれぼれするような美しい筋肉であります。(そこ?)
“工房”制度のもと、人物、静物(卓上の果物)、動物(危機一髪の鴨←この後助かる)、背景などが分担して描かれているんだそうで、今で言うプロダクション制の漫画家みたいなもんでしょうか(違う!・・・とも言い切れない)
だまされた花婿
タイトルのインパクトで(≧∇≦)
でも、絵の方はあんまりじっくり見れなかった。
100年以上も経ってからモーツァルトがこのタイトルの歌劇を作曲してるんだけど、当時のヨーロッパではポピュラーなお芝居かなんかだったのかなあ。
ぼくは寡聞にして全然知りませんでした。
フランス王妃マリー・アントワネットの肖像
今回、国立西洋美術館さんの作品の並べ方がお見事で、時代が古い順にモノが展示されてるのはまあ普通だったんだけど、来る人が明らかにお目当てにしてるであろうマルガリータ・テレサとマリー・アントワネットの超有名肖像画は、展示室に入った途端正面にドーーーン!と目に入るようにしてある。
どんなに混んでてもその絵が真っ先に見えるように飾ってあるので、展示室に入った瞬間の感動がすごかった。
このアントワネットの肖像も「18世紀の部屋」に入ったら一番奥に鎮座していて、「キターーーーーッ!」感が半端なかったです(語彙力)
ここら辺に来ると花總の音声案内も“本物感”増し増しで実に高揚しました。
19世紀の部屋
ナポレオンに始まりフランツ・ヨーゼフに終わる“ハプスブルク終焉の間”は、こっちの思い入れのデカさとは裏腹に若干あっさりしていました。
まあ、ここを濃くやってもね、って感じだったんでしょうが、エリザベートの肖像が1枚しかなかったのは寂しかったな。
しかしエリザベートの肖像画って、どれもこれも異常にウエストが細い。ありえないほど細い。
多少誇張されてるんじゃと思うぐらい細いんだが、そうやって最も強調されるぐらい彼女の体形の中で一番の特徴だったんだろうなあ(なにせ大型犬の首輪をウエストにはめたらぴったりだったそうである・・・まじか)
エリザベートとフランツ・ヨーゼフ1世の超有名な肖像画1対は、今回所蔵品を貸してくれたウィーン美術史美術館ではなくてホーフブルク(王宮)内の「家具博物館」においてあるそうだ。
ぼくがウィーンに行ったときにはこの絵はシェーンブルン宮殿にあったような気がしてたんだが、それはもう20年以上前のこと。その後引っ越しをしたのかぼくの記憶違いなのか。
あの実物をぜひもう一度見たいと思っているのだが、来日してくれるのを待つか、ぼくがウィーンへ行くか、どっちが実現度高いのかなあ(こういうこと言ってるうちは前者だろうな)
行って良かった。堪能しました。
今、国立新美術館では「ブダペスト展」てのもやってるので、そっちも行きたいなあ。また閉会ギリギリになりそうだが←
| 2020年01月18日(土) |
『アルトゥロ・ウイの興隆』(KAAT神奈川芸術劇場)〈予告〉 |
原作のブレヒトに対しても、演出の白井晃さんに対しても、主演のツヨぽん(草��剛)に対しても、満足と不満の両方がある観劇になりました。
続きはいつ書けるのか、正直心もとないが、とにかく身体的に疲れたので保留(横浜は遠い・・・)
| 2020年01月16日(木) |
『シャボン玉とんだ 宇宙(ソラ)までとんだ』(シアタークリエ)〈予告〉 |
ゆうみ(咲妃みゆ)上々吉
タイトルだけは知っていた純国産ミュージカルですが、観る機会を逃したままここまで来てしまい、今回初めての観劇となりました。
これを言うと申し訳ないが、たぶん今回も音楽座での上演だったら観に来てなかったと思う。東宝製作ありがとう。←
ただぼくはひねくれ者なんで、「宇宙人の魂の仮の宿主として死んだはずの女の子が生きながらえる」という設定と、昭和末期の時代設定の中での男女の純愛(これを卑近なものと見ること自体ひねくれてるんだけど)を掛け合わせたストーリーと分かった瞬間、思いっきり腰が引けてしまうのだった。
不幸な生い立ちゆえに心がとがっている本当は純粋な女の子と、どこまでも優しい青年がふとしたきっかけで出会って愛し合うようになる――そういう話、普通ならぼくは絶対観に来ない(そうでしょうねえ・・・)
多分、音楽座がこの作品を初演した当時(30年前だそうです)なら、観てもげんなりしてたと思う。苦手なんですよ、こういう話ほんとに(宇宙人のタームはまた別にして)
でも、これは本当に腹立たしいことなんだけど、幼い女の子が継父に性虐待をされてました、ってストーリーの演劇を観たとして、30年前のぼくなら、
「いくら“不幸”を表現したいからってやりすぎだろ。昔の大映テレビかよ。却下」
と思ってただろう。が、今や、こういうことがしばしば現実にあることを知ってしまっている。
多分、昔も本当にそういうことはあったんだろう。
だけど、めったに表沙汰にならなかったし(そこも病的だけど)本当にレアだったんだと思いたい。
かつては荒唐無稽だと思えた佳代の生い立ちが、実は珍しくもないものだと思わせられてしまう時代に日本はなってしまった。
おそらく当初の創り手の希みとは完全にはずれた感想だと思うんだけど、今回初見の観客としてはこの事実が一番突き刺さってきた次第です。
なんか、めっちゃ厭世的な感想になってしまったけど、作品自体にはちゃんと感動しました。
でもそれ以上に、カーテンコールで土居裕子さんが歌う「ドリーム」のワンフレーズを聴いた瞬間、全身に鳥肌が立ってぶわーーーーーっと涙が溢れてしまいまして、それで全部ふっとんじゃった。
お話の中身じゃなくて、そういうことに感動するのってひねくれてるよね。
ゆうみを思いっきり褒めたいんですが、今そのトリハダを抑えるのが大変なので、ちょっと時間経ってから再開します。
(ほんとか?)
| 2020年01月13日(月) |
『Carnaval de amor〜熱愛のカルナバル〜ラテン音楽大全集』(イイノホール)〈予告〉 |
タカラヅカのラテンショーは苦手なんですが、魅力的なOGの皆さまの歌が聴けるので出かけてまいりました。
詳細は後日(こんなのばっかり・・・)
| 2020年01月12日(日) |
宝塚歌劇団宙組公演『El Japón−イスパニアのサムライ−』『アクアヴィーテ!!−生命の水−』(東京宝塚劇場)〈予告〉 |
ポスターのゆりかちゃん(真風涼帆)と実際の役が全然違うやんけ!(←)
さらに詳しいイチャモン(エッ?)は後日。
| 2020年01月11日(土) |
ミュージカル『フランケンシュタイン』(日生劇場) |
初演(2017年)はなぜか腰が重かったのもあって(近年、ロングランでもないのにダブルキャストのミュージカル作品が多くて正直閉口している)、1公演の中でアッキー(中川晃教)とカッキー(柿澤勇人)の両方が観られるというサービスデー(?)に1回だけ行きました(“怪物”はコニタン(小西遼生)の通し)
宅配ピザを注文するときに必ずハーフアンドハーフを選ぶ性格がここでも発揮されたわけですが(一緒にすんな)、ピザはそれで正解になるんだけど、お芝居はそうでもないことが判明。
事前に期待してたような役交替(場面ごとにアッキーとカッキーが替わる)ではなくて、ビクターはカッキー、ジャックはアッキー、という、一人二役システムのメリットが消滅したパターンだった。
なので、「同じ役を見比べられるんだ」という都合の良い期待が裏切られて「これならやっぱり両方別に観た方が良かった・・・」と後悔したのもすでに遅し。日程の都合がつかないうちに上演終わっちゃいました(なので感想すら書いてない)
そんなわけで、ほぼ同じキャストでの再演は心からありがとうという気持ちです(エレン&エヴァ役のみ新キャスト)
前回の後悔に鑑みて、1日で両方のキャストを観ることにしました。
組み合わせはどっちでも良かったのでそこは気にせず、とにかく両方のビクター&ジャック、両方の怪物が見れればOK。
作品の内容に関しては、原作とえれえ違ってるのは前回で判ってたので、その辺は気にしなかった。ただ、ぼく自身、原作本をちゃんと読んだことがあるわけではなく、ヒガシ(東山紀之)と坂本(昌行)君がやった芝居(2013年東京グローブ座)での知識ですが。
余談だけど、この芝居すんごく良かった。特にビクターをヒガシ、怪物を坂本君がやったパターン(この作品もダブルキャストだったの。もちろん両方観た)がめちゃくちゃ良かった。
(余談が長くなりそうなので続きは我慢)
で、この芝居を観てちょっと「?」と思ったのが、最後の場面でビクターと怪物が二人きりで北極に行って対決するという流れ。
今回のミュージカル版でも最後の対決のシーンは北極になってんだけど(原作でもそこは北極らしい)、なんで北極?と思って。
「北極に行く必然性」が原作のどっかに書いてあるのかしら(知りたきゃ読めよ)
と思って今回注意深く()観劇しましたところ、怪物が格闘場で出会う可哀相な娘・カトリーヌが「北極には人間が一人もいないんだって。あたしそこで暮らしたい。人間なんて大っ嫌い」と語るシーンがあるのだった。
なるほど、これはつじつまが合う(そうか?)
それはいいんだけど、ジュリアを殺した怪物が怒りに燃えてるビクターに、「俺は北極に行くから会いたければ来い」とか言って去るんだが、おいおいおい北極の広さ知っとんのか?!と驚愕。
「今新宿にいるから来れたら来て」みたいに言うな!(←たとえが矮小すぎ)
てか、「新宿」ですらそれだけじゃ絶対会えないに決まってんのに、「北極」だけで会えるわけないだろ!何?「北極」っていう居酒屋かなんかなの?(←ふざけすぎ)
ふざけるのはこのくらいにして、めでたくコンプリートしたプリンシパルキャストの皆さんへの感想。
加藤和樹 as アンリ&“怪物”
とにかく一番先に書きたいぐらい大当たり。あー今さらながら『ファントム』を観そこねた自分を罵りたい。
そして初演でかずっきーを観なかった自分を責めたい。そしてそして「今回ちゃんと観て偉いぞお前」と褒めたい(自画自賛)
ご存じのように、3Dコピー機に「イケメン」とインプットしたら出てきたような()かずっきーですが、正直、様々な高スペックの中でわずかに歌のポイントだけは弱いかな、とぼくは思ってました。
もちろん、全然下手ではないんです。ただ、アッキーやらカッキーやらと比べると、いわゆる“声の圧”の持ち主ではない。
ただ、彼はとにかく芝居が上手くて(ぼくはかずっきーのことをほとんど知らないで観てた時代に、「この人、めっちゃ上手いじゃん!」と思った記憶がある)、歌も表現力で勝負してくるフシ()がある。
この作品、暴力シーンが多く、人間の憎悪やら怪奇な部分が頻繁に描かれていて、ほぼ最初から最後まで「エグいわー」と思いながら見てたんだが、今日、かずっきーの怪物が森の奥の場面で、
「一人の怪物がいた 嘘だと知っていたけど 幸せがあるという地の果てに行った・・・」
と歌った瞬間、いきなり泣いた自分にびっくりしました。
彼が北極で死のうとしていることが、この瞬間はっきり感じ取れたからです。
一応初演観てるので、ラストシーンで怪物が死ぬというエンディングなのは覚えてたんだけど、それを抜きにして、ここのかずっきーの歌声で彼の「覚悟」を知ったという感じ。
で、なぜ怪物が死を覚悟してたのか。
ストーリー上説明されているのは、「ビクターに『完全なる孤独』という絶望を与えて復讐を遂げるため」なんだけど(そういう“復讐”の仕方もすさまじいが)、実はそれだけじゃなく、“怪物”自身がすでにこの時点で世界に絶望してるんだよね。
その絶望の中で生き永らえたのは「復讐するため」ただそれ一つのためという意味でも、なんて可哀相なんだ、と泣けて仕方がないわけですよ。
“怪物”って。
醜いから可哀相なのではない。
死体をつぎはぎして造られたから気持ち悪くて可哀相なのではない。
生まれながらにして神様を冒涜した存在だから可哀相なのではない。
最初からどう生きるかを他人(ビクター)に決められてしまったから可哀相なんだ。
ぼくにはそんな風に思えました。
実はここで少し原作とこのミュージカルの間には齟齬があって、ビクターが死者を生き返らせる実験に没頭するには涙ながらの理由(母親を当時の医学では救えない病で亡くしたこと)があり、そういうもっともらしい(おい)理由をつけたがゆえに、このお話、この怪物が持つ本当の意味の悲劇と恐ろしさがごまかされてしまっている。
本当は、フランケンシュタインは「科学への信望と自分の知力の限界を知りたいという強い好奇心」という土台のもと“怪物”を創り出してしまうのだ。
勉強が異常にできるクソガキ(こら)の傲慢により怪物は生まれさせられてしまうのだ。
主題がそこではなくなってしまっているところが、このミュージカルが“ホラー”ではなく“ゴシックロマン”になっている所以かもしれない。演者がイケメンだから()という理由だけではないのだ。
イケメンといえばこの作品、怪物になる前のアンリがめっちゃイケメン(心も)に描かれてて、普通だとアンリが「いい人」過ぎて若干鼻につきがち()なんだけど、かずっきーのアンリは「いい人ですけど何か?」ってくらい開き直ったいい人というか。
そんで、「君の夢の中で」というナンバーの中に、
「君に出逢った瞬間 夢見るその瞳に 僕は恋をした」(僕=アンリ 君=ビクター)
って歌詞があるんだけど、え?この話って、そういう話だったの?(違う!)
というのは単なるボケですが、こんな甘い声で「恋をした〜♪」なんて歌われたらたまったもんじゃねえよなあ!おい?(←私情100%)
いつもながらとっちらかった感想で恐縮ですが、とにかく今回上演の大収穫は加藤和樹だったとぼくは断言しちゃいます。
柿澤勇人 as ビクター&ジャック
初演でカッキーのビクターを観た時、「めっちゃアッキーの影響受けてるやん」と思ってました。
「アッキーならここはこういう風に歌うだろうな。こんな芝居するだろうな」というのがすごく見えて(当時はそれを確認できなかったのだが)
で、当然アッキーのような声ではないので、「真似とかしちゃダメだって」とハラハラして観てた記憶。
今回もそこが心配だった。
ところが、カッキーめちゃめちゃ進化してました。
彼自身が成長したのもあるんだろうし、ぼくがこの3年の間に彼の出演作をいくつか観て、柿澤勇人の実力を知ったというのもあるんだろう(特に『愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』はでかかった。WOWOWさん、放映ありがとう←)
“生命”を自分の手の中で作り出せると信じる傲慢さと、そういうところから派生する「こいつを酷い目に遭わせてやりたい」と思わせるMっぽさ(エッ?)のバランスが絶妙。
ホームズ役に(ぼくが)引きずられてるのかもしれないが、どことなく甘ったれな“弟っぽさ”のあるカッキーのビクター。実際にビクターはお姉ちゃんがいる“弟”なわけだが、エレンに対してというより、アンリに対して弟っぽい。
ぼくはこの『フランケンシュタイン』という作品に『ジキル&ハイド』からの強い影響を感じるのだが(主人公がマッドドクターぽいところも似てるし、ナンバーもワイルドホーンっぽいんだよね。てか、プログラム見るまでてっきりワイルドホーンだと思ってた)、カッキーのビクターを見てて浮かんだのは、『デスノート THE MUSICAL』のキラだった。
やってたんだもん、そらそうだろ、とおっしゃるかもしれませんが、実はぼく、カッキーのキラは観てないんです。
それでもこのビクターにキラっぽさを感じたのは、「天才がその傲慢さゆえに禁断の域に入り込んでしまった」というよりも、「自分は“正義”を遂行するつもりで始めたことが、どんどん手に負えなくなっていった」という主人公の精神の幼さ・危うさをカッキーからは感じるからなんだと思ってる(注:褒め言葉)
こうなると、『スリル・ミー』も見とくんだったなあ(欲望が止まらない)
ところで、初演の時には見れなかったジャックの部分ですが、やっぱエキセントリックさという点でアッキーに勝てず。
頑張って憎たらしさを出してたんですが、助走してきてジャンプして怪物をぶん殴るみたいな(アッキーもそんなことやってなかったが、そんぐらい暴力的に見えたという意味で)狂気は出せてなかった。
ただ、一日に両方観て感じたんだけど、ビクターの“狂気”はアッキーよりもカッキーの方が感じられたのが興味深かったです。
それと、一幕ラストに「アンリーーーーーーーーーーーッ!」とすごいロングトーンを歌い切ったのにびっくり。アッキーはここまで伸ばし切れてなかった。
こんなロングトーンはこれまで『ダンス・オブ・ヴァンパイア』のクロロック伯爵(山口祐一郎先生)でしか聴いたことがなかったので、ほんとにびっくりしました。秒数数えていればよかった()
中川晃教 as ビクター&ジャック
アッキーのビクターとかずっきーの怪物で観なくて良かったと今になって思います。
『怪人と探偵』をどうしても思い出してしまいそうだから。
あんときは役柄的には逆だったけど・・・いや、世間を翻弄する犯罪者()とそれに真向に立ち向かう者、という意味ではむしろ同じ役柄かな?
初演の時からビクター・フランケンシュタインというキャラクターにアッキーはぴったりだと思ってたんだけど、結局ジャックの方しか観られなかったわけで。
で、今回もカッキーの方が先だったという“刷り込み”があった後に観てしまうというハンデがあったわけですが、それだけではなく、なんか思ったほど狂気を感じないビクターだった。
アッキーは声の質から“イライラ”してる芝居が上手い()という個性のある俳優なんですが、その辺も今回はあんまり強く感じず。
それと冒頭の戦争のシーンで思ったのだが、「自分より年上の人より身分が上」というビクターの役どころを演じるのがあんまり上手でなかった。アッキーは「相手より目下」の役が圧倒的に多いので、「自分の方が偉い」という芝居があんまり得意じゃなさそうに見える。完全に私見ですが。
まあ、そのぶん歌は完全に安心して聴いていました。
小西遼生 as アンリ&“怪物”
申し訳ないんだが、コニタンは前方に出てこないタイプの声なので(まじで、全然歌詞が聞き取れない場面があった)、今回のメイン4人の中で一番不利というか。
ただ、ビジュアルは、アンリとしても“怪物”としてもその長身とガタイゆえ迫力と説得力があった。顔面偏差値も高いし。
とにかく声がね・・・残念ですが。
良くなかったところを長々と書く悪趣味はないので、短いですがこれで終わります。(えええ?)
音月桂 as ジュリア&カトリーヌ
初演の時、キムがジュリアを演るってのは事前に知ってて観てたんだが、カトリーヌを二役で演ってるとは知らず(そういうシステムの作品であることを知らなかった)、「なんてすごい歌唱力の女優だろう」と感心してしまいました。
もちろんキムが歌ウマジェンヌの代表格だったことはしっかり覚えてたんだけど、あまりに意外な役だったので。
それと、当時はジュリアのキーが(元男役のならいで)あんまり上手に出てなかったのもあった。
「まだ性転換半分しかできてない」と思いながら観てたのだ。
今回も、残念ながらまだわっかドレスの裾裁きが今一つだった。何でもなさそうにスルスル歩いてるアンサンブルの女優さんたちってすごいんだな、と改めて思いました(余談)
で、今回はちゃんと分かって観てたんだけど、それでもカトリーヌのナンバー「生きるということは」の恐ろしいレンジの広さとそれを歌いこなしたキムの歌唱力にはただただ感嘆。
話がちょっとそれるけど、最初の方でぼくがワイルドホーンかと勘違いした今作の作曲者は、イ・ソンジュンという韓国の作曲家でした。
そもそもこれって韓国産のミュージカルだったんだよね。
そこで思い至ったのは、韓国の歌手やミュージカル俳優たちの半端ない歌唱レベル。これでもかっつうくらいの技巧と声量を誇る韓国芸能人たちのレベルに合わせて曲を作ってるから、もうめっちゃ複雑かつ難しい曲ばかり。
特に、女性の歌でも遠慮会釈なくものすごい低音が頻出する。
よくぞ歌いこなしたものだと感動しました。
露崎春女 as エレン&エヴァ
この役は初演でははまメグ姉さん(濱田めぐみ)だったので、メインキャストの中で唯一代替わり。
露崎さんは女優っていうよりも歌手としての方の印象が強い。歌は大丈夫だろうけど芝居の方はどうなんだろか?と思って観てたんだが、「これなら合格かな」ぐらいな感じでした(別にはまメグ姉さんの記憶にやられたわけではないよ?)
何よりわっかドレスの裁きがキムより上手かったのにちょっと驚いた(え)
ただ、エレンはなんだかすごく老けて見えるメイクというか実際そういうご年齢なのかもしれないのだが(おいおい)、ビクターの姉というにはちょっと“おばさん”っぽすぎる印象(ご、ごめんなさい・・・)
ところが、エヴァになったら急にイキイキめっちゃ楽しそうに演じてたのに笑った。←
総じて、二役演ってる方皆さんが、コロッセウム(闘技場)で演ってる役の方がイキイキとしてる(≧▽≦)
このコロッセウムの場面は、(作者のワン・ヨンボム氏をディスるつもりはないのだが)あからさまに『ラブ・ネバー・ダイ』の見世物小屋のシーンに酷似していて、もしかしたら無意識に影響受けてるんじゃないかって気がしないでもない。
そういえば実は『オペラ座の怪人』のファントムも、原作ではサーカスに売り飛ばされてそこで虐待されながら育ったということになってるんだよね。
あ、また話それた。
なんか、エレンが全体的に地味な印象だった中で、死後にビクターの回想の中に出てきて「さようなら」と去っていくシーンが姿が良く威風堂々としていてジーンとしてしまいました。
鈴木壮麻 as ルンゲ&イゴール
ほんと頼りになる俳優さんの代表です。
軽妙なルンゲは若干『サンセット大通り』のマックスを彷彿とさせたが、その、一見生真面目でなおかつおちゃめな執事とガラッと変わったイゴールの不気味なこと!
ただ扮装で異様に見せてるだけじゃなくて、腕を常時ぶらぶらっとさせてるところが微妙に怖い。この役は初演でも本当に印象に残りました。
相島一之 as ステファン&フェルナンド
ステファンには登場早々ソロ歌唱があって毎回ひやひや(こらっ!)するんだけど、そこをクリアすればあとは自在に動き回る相島氏。こちらもやっぱりフェルナンドの方が楽しそうなんだけど()ステファンで一か所「すごい」と瞠目したシーンがあって、それは、またもやビクターの回想のシーン。
少年ビクターが留学に出発するシーンで、別れを惜しむ少女時代のジュリアに、ステファンが、
「ジュリア、お別れを言いなさい」
って言うんだけど、その言い方がものすごく機械的で。
冷たくてそっけない、とかのレベルではなくて、まさに「血の通っていない人形が録音したセリフを発してる」みたいな感じで言う。
このシーンはビクターの“記憶”の中という設定なので、実際のステファンがどんな口調だったかは重要じゃなく、ビクターがどんな風にその言葉を受け取り、現在まで覚えているか、ということの方が大事なのだ。
そういうことをしっかりと観客に分からせてくれる名演だと感嘆した次第であります。
ちなみに、子役はマチソワともビクター=大矢臣君、ジュリア=浅沼みうちゃんだったのですが、二人ともまあ達者で。
特に臣君は上手かったなあ。今後また他の舞台で出会うことがあるでしょう。しっかり記憶しておこうと思います。
久しぶりにめちゃめちゃ長い感想を書いてしまった。それぐらい面白かったということです。
再々演があったらまた違う組み合わせで(同じキャストとは限らないかもしれないが)観たいなと思います。
| 2020年01月07日(火) |
『羽生結弦プログラムコンサート〜Music with Wings〜』(東京国際フォーラム ホールA) |
地元(って東京だが)での2020年最初のてくてくはコレになりました。
昨日が仕事始めだったんだけど、その1日でぐったり疲れてしまったんで、即日美しい音楽、美しい映像(これ重要)にまみれることができて幸せっす。
本当に贅沢な2時間半でした。
“美しい映像”に関しては、このコンサートの主催がテレビ朝日だったので、あっちじゃなくてこっち(とボカす)のものしか使えてなかったのがちょっとだけ残念ですが、逆にレアな感じもして面白かったです。
“美しい音楽”については、なにせ川井郁子(ヴァイオリン)、福間洸太朗(ピアノ)、塩入俊哉(ピアノ)という、羽生君のファンならば思い切り心ときめく面々(テノール歌手の中鉢聡さんだけはちょっと存じ上げず、すみません)
羽生君所縁のコンサートでなくても、こんなメンバーが揃うなら勇んで聴きにいきたいメンツ。さすがテレ朝の力()
ただ、(寂しい話なんで薄い字で書きます)残念ながら超満員とはいかず、S席7分ぐらい、A席は半分弱、といった入り。B席はコスパ的に一番良いと判断されたか、ほぼほぼ埋まってた。1階がこんな状態だったので2階席は人がいないんじゃないかと悲しんでいたら、エンディングで歓声がしてたので一応お客さんは入ってたようだ。
まあ、「※羽生結弦選手は出演いたしません」としつこくアナウンスされてたので、これでも上々な方じゃないのか?とは思う。
とか言ってたら、最初にコメント映像が流れまして、ちょっとだけ得した気分になりました。
それより、(文句なのでまた薄い字にします)客の入りがこの程度なのに、早々に昨日の初日でプログラムが品切れになったそうで、今日行ったぼくらは買えず、注文書を置いて帰ってきた。なんだこの読みの甘さ?もしかして転売ヤーが一人で何冊もまとめ買いしてったのを漫然と許したのか?
ちょっと釈然としませんでした。
文句はこれくらいにして、公演の感想を。
ホールCにはしょっちゅう行ってるぼくですが、ホールAは数えるほどしか入ったことがない。ミュージカル公演には広すぎるコヤなんだが、コンサートには適しているのが分かる、非常に音響が素晴らしいホールです。今日のコンサートもそれが如実に分かった。ロック系のコンサートでも来たことがあるんだが、むしろクラシックに適してるんじゃないかなと思いました。
セットリストを細かく上げるのは今はやめときますが(来月テレ朝CS2で放送があるらしい)、全部羽生君の演技の映像が出るんかと思ってたら、曲とシンクロしてる一部だけ流したのや、まったく出してこなかったのもありました。
ショパンの「Ballade No.1, Op.23」なぞはフルで福間さんが弾いたので映像は一切出ず。「Hope & Legacy」もプログラム用の編曲ではなくて、「Asian Dream Song」をフルで演奏。プログラムには使われていない旋律がどんどん出てくるんだけど、不思議とそういった部分でも羽生君のスケーティングを感じられる瞬間があって、面白いもんだなと思います。
映像が出てこないからこそその姿がくっきりと浮かび上がってくる。
かと思うと、ラストの「SEIMEI」なんてのは(どんどんネタばれするあたし)もちろんバルセロナGPFのノーミス映像が最初から最後まで使われてたわけですが、もう300回ぐらい見てる(数えたわけではないが)のに、生の演奏で改めて見て、まるで初めて見たかのような衝撃を受けました。
か、か、か、か(しつこい)完 璧(いやほんとのこと言えば後半最初の4T3Tの4T着氷だけちょっと詰まってるんだが。あそこスムーズに降りてたら220点超えてたよな・・・)
「フィギュアスケートにおける音楽との融合」と言葉にするのは簡単で、実際にそれをやるのは簡単ではない。だが、この「SEIMEI」に明らかに一つの解答がある。それを実感しました。
と同時に、羽生君をもってしても毎回それを達成できるわけではないことは試合ごとに証明されているわけで、フィギュアスケートの競技としての奥深さを感じるとともに、今ここで演奏しているアーティストの方たちにしたって、“会心の演奏”が毎度毎度できるわけではないことも実感(いや別に演奏ミスがあったとかいうことではなくて←コラ)
スポーツが芸術足りえるか、といういつもの議論に加えて、芸術家たちにアスリートの側面があることも感じることもできた、なかなか奥深いコンサートでした。
なんて、偉そうなことを今書いてしまったが、コンサート中は、「ロシアより愛をこめて」で「なんて脚の長い小学生低学年なんだ!」と改めて感心し、「MI:2」で「ぼくが覚えてる少年結弦君は目の細いおかっぱ君だったはずが、なんだこの美少年は?!」とびっくりし(いや一応この試合の映像も何度も見てるんだけど)、レアバージョン(どの試合のが使われてたかは放送まで内緒です)「パリの散歩道」で「大人っぽくやろうとしてぎこちないとこがカワイイッ!」なぞと興奮し(もちろん心の中で)、思う存分羽生君の成長を堪能。
「オペラ座の怪人」で使われた映像はバルセロナGPFバージョンで、4Tの着氷と「ジャーン!ジャジャジャジャジャーーン!!!」の「ジャーン!」がピッタリ合ってるところは何度見ても気持ちいい。この時は最後の3Lzで転倒があって、これがなきゃきっとフリーで200点超えた最初の試合になってたと思うんだが(スポーツに“たられば”はダメですよておどるさん)、そこはうまいこと隠してくださいました。えへへ(こら)
そして今季の「秋によせて」は映像なし、「Origin」は川井さんのバイオリンによる贅沢バージョンで映像はほぼ会心の演技だったスケートカナダのもの。
だが、今季残されたあと2つの試合で、これよりももっとすごい羽生結弦が見たい、いや見られる気がする、と欲深なことをついつい願ってしまうのであった。
とにかく羽生君、いつもの合言葉みたいになっちゃってますが、お伝えしたいことはただ一つ。
ステイヘルシー。
ではまた来月。
おとろしいタイトルですが、本来の、敬虔な意味で受け止めてください。
大晦日、元日と堂本之男命ズに参詣し幸せいっぱいのオラだったのですが、2年ぶりにKANZAI関西に来ておいてそのまま帰京したのでは覿面にバチが当たること必定。
けっこう“脚”に来てたんですけど(混む電車に乗るのが嫌なので、心斎橋の宿から京セラドームまでは2日連続徒歩で往復いたしました。意外と時間かかんないのよこれが)、今日行かないと今度またいつ来られるか分からないので、一昨年よりは歩く距離の短いパターンで目的地を目指すことに。
まずは近場(?)の大阪市内にて阿倍野区「阿倍王子神社」へ(一昨年と逆ルート)
行 列←そんなデカい字で書くこと?
いやあ、行列が混む電車と同じくらい苦手なんでねえあたくし(どっちも似たようなもんだが)
ここは地元の皆さんの憩いのお宮らしく(でも歴史はスゴイ)、並んでると言っても80人ぐらいのもんだったんだけど、寝坊したので既にこの時点で昼過ぎ。ここで素直に並んでいたら大本命への参詣に間に合わない、ということで“王子”に不義理をかまして(本殿はスルーしたのだが横のお稲荷さんはお参りした←)即「安倍晴明神社」へ向かいました。
ここがね、これまた空いてた。(おいっ!)
不思議だ。なぜ穴場なのだ?皆さんに訊きたい。
参詣してる人は10人ばかり。ゆっくりお礼を述べ、晴明公の産湯を汲んだという伝説の井戸を眺め、葛の葉(信太狐)をモデルにした石像の前に置かれた水晶を覗いてきました(中に五芒星が見える)
お昼がまだだったんだけど、時間がないのでコンビニパンをかじりながら地下鉄駅まで歩き、梅田から阪急電車に乗って御影駅へ。
来たぜ「弓弦羽神社」
前回来たときはジャスト元日だったのでめっちゃ混んでたが、今日はそうでもないだろ、と高を括っていたら、前回と同じぐらいの長蛇の列!
すみません。なめてました。
もちろん、みんながみんな羽生君がらみの参詣客というわけではなく、ここはなかなかに大きな神社ですので近郊の方々がこぞって初詣に来ていたとみえます。
ぼくも、ここはさすがにスルーできないので(オイ)、ジリジリと並ぶこと2時間弱。前回来たときは確かまだなかった「ゆづ丸」という八咫烏をかたどったキャラクターグッズ(?)を眺めながらひたすら順番を待ちました。
「熊野大神さま、参るのが2年ぶりになって申し訳ありません。一昨年は願いを叶えていただき本当に本当にほんとーーーにありがとうございました。おかげさまで私も本当に幸せでした。で、ここからがお願いなんですが、なにとぞ彼がけがを繰り返しませんようお守りください。よろしくお願いいたします。そんで、そんでそんでこれはもうホントによろしかったらなんですけど、さ・・・三、三連覇なんて!いやもう、ホント気が向いたらでいいんで!叶えてくださると嬉しいなー、なんて!いやホントにもう」
と、控えめなんだか図々しいんだか分らんお願いをしてきました。
もちろん、第一希望()はステイヘルシー一択でございます。
さて、前回はこの後夜のコンサートに向けて大阪市大正区に向かえば良かったんだけど、今回はこのまま帰京するので新大阪へ。
帰りのチケットを買ってなかったけど、まだ正月休みは続くから・・・と安易に考えてたら、上りの指定席は最終まで売り切れ。
ぬかった。
なぜ皆そんなに早く帰るの?(自分はどうなんだ)
自由席しか選択肢はなかったんだけど、これまたホームは大行列。
列の後ろに並んだら新横浜ぐらいまで立ってることになる。10キロ以上歩き2時間行列した身にはつらい。
なので、まだ列ができてないホームで1時間以上立って待ち(なんか矛盾・・・)遮二無二自由席をゲットしました。
あー疲れた。
疲れたけど楽しかった。
来年はどこで年明けを過ごすのかな。
堂本之男命ズ次第なんですけどね。
どこでも行くぜえ海外以外は(熱意そんなもんかよ!)
帰宅してしばらくしてから気づいたんですが、正月に大阪に行くことを決めた時点で劇団朱雀の4日のチケットをとっとけば良かった。間に合ったかどうか分かんないけど。
ちなみに東京公演はスルーしました。だって喜矢武さんが出ないんだもん←
喜矢武さんのためだけに大阪に行くっていう選択をしなかった時点で喜矢武婆失格ではありますがね。
堂本さんズ、羽生くん、喜矢武さん(+早乙女太一くん)のトリプルマターのうち、堂本さんズがなけりゃぼくは動かないのだということを改めて自覚した次第であります。まあ、羽生くんの場合ご本人が見られるのであればあとの二つがなくても飛んでいくとは思うが。
それはそうと、大阪(うめだ阪急)でしか買えないらしい「GRAND Calbee」(高級ポテチ)めっちゃうめえ! ※一部通販あり。新大阪駅でも売ってた
今後、大阪に行くたびに買ってこようっと。
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