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最近のテーマは、いかに生きるか、ということで。 「いかに生活するか」という思考を、どうやって自己の経済活動に直結させるかについて、考えている。 つまりは自己の人生に対して誠実な方法で稼いだ利益で生計をたてていきたいよなぁ。 しかし、よい作品を作るってのも、それを理解してくれる人がいて、 それを支持してくれる人がいて、それを買ってくれる人がいれば、いいのだけれど。 内省的じゃ苦しいよなぁ、いまの時代。 そこでみつけたのが「工芸」でありまして、 やはりそこには、衣食住という人間の根底にある必然性がもつ力が。 なぜ、つくるのか、ではなくて、どうやって生きるのか、がテーマなんじゃないのかな。 その「どうやって」のところで、すでにある、名もなき作り手たちの労苦の集大成を、 いま、僕はどんどん知っていってる最中なのだ。それに僕なりの答えを、そろそろ一回ださなければならぬ。 思想と機能と造形 歴史的にはこの二者をどのような関係性でとらえていたか。 いやはや、書きながら発見したぜ、この視点。
「やりたいことがない」或は 「やりたいことと、進む道が噛み合ない」 前者は、色々なパターンを考え考え考えているものの、 やはりどのパターンもしっくりこない。考えすぎて頭が痛い。 後者は、世間体や大多数の向く方向へ流されそうになりつつ、 いやいや、俺のやりたいことはこういうことではないんだけどなぁ、 といいつつ、やはり、このままいっても不安ですよなぁ。 わかるわかる。いまのままでいいのか、これが本当に自分の進むべき道なのか、 本当にやりたいことなのか... そんでもやっぱり「現在が一番」だとおもうのです。 今やってることを、とことんやる。これでいいじゃない。 それがなにになるのか、そういうことを忘れるぐらい、没頭してしまえば。 あとからついてくる不安や心配は、その都度考えればいい。 どの道でも、それぞれの出会いがあるわけで、あまり神経質になりすぎないように。
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