*黎明ノォト*

2001年05月11日(金) 判らない区別

 娯楽小説と文学小説の境界について。
 それは一体なんなのだろう?
 例えば、夏目漱石が書いたものは文学小説だ。何十年、百何年経ってもまだ伝えられているものだ。それはすごいことだと思う。絶版にもならず、地味に地味に売れている、読まれている。
 じゃあ、今巷に溢れているこの小説たちはこれからどうなるのだろう?
 直木賞だとか、芥川賞だとか、文学賞はいろいろあるだろうけれど、その受賞作家は年月を経るごとに増えていく。そのうち一体何割が後世に伝えられるものを遺せるのだろう?

 残るものが文学なのだろうか?
 残らないのだとしたら、文学の意味は何なのだろう?
 残らない小説の意味、それは刹那の娯楽じゃないのか?
 だとしたら、娯楽小説と文学小説に違いはないじゃないか。

 だったら、何隔てなく、読まれるべきなのだ。
 例えば、コバルト文庫だからと言って、敬遠すべきではないのだ。
 だったら、何故そういう文庫による区別が出てくるのだろう。
 あの分類が判らない。ような気がする。

 良く判らない。
 文学だと言われても、私にとって娯楽にならなかったら、読みたくはない。
 否、読めない。
 だったら、私にとって「文学」という枠は存在しない。
 小説は、私が面白いと感じるか、否かだ。

 いままで残ってきた小説たちは、どうして残って来たのだろう。
 これから、いつか消えてしまうのだろうか。
 それとも、「文学=今まで残ってきたもの」とはいつでも不偏で、残り続けるのだろうか。

 判らない。そういう判らない区別が何故か世の中には大量に在る。
 


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那音 [MAIL]

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