かなり久し振りに、「信じられない」という表情をされた。 久し振りだったから戸惑ったけれど、あまり間違ったことを言ってないと思っていたので、それに自分でかなり確信していたことだったので、ただ自分の思っていることを伝えた。 そしたら、やっぱり信じられない、という顔をされた。 もちろん、笑みに誤魔化してはいたけれど。 たぶん、私は人非人と呼ばれるような発言をしていた、と思う。 けれど私の考え方は多分変わらない。
何故か殺人の話しになったのだ。 「好奇心で人を殺したって少年事件があったよね、」と、友人が言った。 「それは駄目だね、人間として」 という話になっていた。私はその話に参加していたけれど、本気で言ったのだ。 「でもそれって、有りかなって思うよ」 一瞬、みんなが「え?」という顔をしたので、思っていることを語った。
好奇心で人を殺してしまうか?って聞かれたら、私は否定できない。 それは有り得ると、自分で思う。 だから「有りかも」と言った。ほんとうにそう思うので。 ひとり、私の考え方を今までにかなり話している友人がいて、その子は 「ああ、おまえってそうやんな」 と、言ってたけれど、ほかのメンバーは不可解だ、という顔だった。 自分が人を殺すシチュエーションを考えてみる。 きっと、本気で心の底から殺したい、という相手がいれば殺すだろう。いや、殺そうとするだろう。 綿密に計画を練って、完璧な計画を立てて、それで、もうこれで大丈夫、絶対につかまったりしないって100%の確証が得られれば、それを実行して殺す。 絶対に殺す。
けれど、自分の頭がそんなによくないことを知っている。 だから100%の計画なんて信じない。有り得ない。 それなら殺さなくていい。 殺しそびれて、自分が破滅するなら、殺さなくたっていい。 そう思うだろう。だから実行には移さないだろう。 結果的には、殺さない。というか、殺せない。
けれどそれと全く正反対のこともありえると思う。 衝動的な殺人。 理性が吹っ飛べば、殺すと思う。けれど、多分その時には「捕まって本望だ」というくらいに満足する気がする。 いや、そう思うくらいに殺したくなければ、理性なんて飛ばさない自信がある。 過剰な自信かもしれいけれど。
と話した。 「相手のことは考えないの?」 と、聞かれた。そんなの、答えは決まっている。 「考えない」 その時、その相手は心底驚いた顔をしていた。信じられないって表情が言っていた。けれど、私は思ったことを言っている。 考えるくらいなら、人なんか殺すかっての。 だから、好奇心で人を殺す方が、ちょっとした金目当てよりも、よっぽどマシな気がするのだけれど。だから有りだって思ったのだけれど。
あ。今気が付いた。 私意外のメンバーは、「自分が人を殺す」なんて考えてもいないのだ。 相手が気になるから。 会話がすれ違っていたかもしれない。 私は「自分が人を殺すなら、」という前提で話しをしていた。彼らは「自分なら殺さない」という前提で話していた。 なんだ。 そりゃ、信じられないって顔もされる。
間違ってる・・・・かな。 でもやっぱり考え方は変わらない・・・・・かも。
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