幸田露伴の『努力論』を手に取ったのはなぜだろう。
越した先は図書館が側にないので、 適当に手にとって読んでみる、ということができなくなった。 そのせいか本を物色する機会もぐっと減って、 自分が好きそうな本を見つけるセンサーみたいなものも すっかり鈍ってしまった。 なので、本屋に行っても何も買わずに帰ってきてしまう。 なんとなくがっかりする。
そんな折、「これではいかん」と無理やり買って帰ったのが 『努力論』//幸田露伴//岩波文庫 なんでこれだ?と首をかしげつつ、けれど惹かれてしまったのでご購入。
遅々として進まないもののちょっとずつ読んでいます。
半分まで進んだところですが感じるところが少しあったので・・・
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私は何か単純作業をしながらも思考がふわら〜とどこかへ行ってしまう性質です。 それが心地よく、弾き慣れた曲をピアノで繰り返しながら ふらふらと思考遊泳をして遊んでいたことがあるのですが。 同じように、何かとっぴなタイミングで失敗を思い出したりして 「あ!あれ忘れてた!!」と騒いだりすることもあります。
私は、それをどちらかというと優位なほうに考えていて、 同時にいろんなことが考えられるから頭脳に余裕があるに違いない(笑) と思っていました。
けれど、『努力論』には、それは「散じ気」でありよろしくないのだ、 といった事が書いてあるではないですか。
確かに!!と納得するわたくし。
なにしろ、ふらふらといろいろなことを考えているので、 思いついたことは次の瞬間に忘れている。 「今日の夕食はAね〜」と言った10分後に 「今日はBが食べたいなあ」と言ったりする。 「お土産を忘れずに持っていかなきゃ」と思った次の瞬間に、 そのまま歯磨きを始めてしまい、土産を置き忘れて出かける。 そういうことがもう、画面が尽きてしまうほどたくさん起きているのです。
私はそういう自分のマイナスの性質に気づいていましたけれど、 その理由を上手に分析できなかった。 そうか、それは単に、「気が散って」たんだ!!と 私はこの度『努力論』を読むことで気づいたのです。
ちょっとずつ改善できたらいいですね。 自分では効率を重視しているつもりだったんですけど、 結果的には効率を下げているんだなと身に沁みました。
これからは思いついたときにきちんと優先順位を見極め、 思いついたことを忘れちゃうリスクがあるなら、 その場でちょっと動いて、忘れないうちに用事を済ませてしまう。 そういうことが効果があるんじゃないかな。
何が大事か、きっと見失っているんだね。 そいういことだよね。
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