*黎明ノォト*

2009年07月24日(金) 切ない形


とあるお話を借りて読んで、返却するときに
「このお話のラスト、こうだったら私の好き系なんですけど」
と言ったら、
「なるほど、切ない系が好きなんだね」
と返された。

おお、そうだったのか!
いやいや納得。
よく考えればそのとおりでした。

恋愛小説で例えるなら、誤解して、すれ違って、
相手を思いやるふりをしながら自分のことをこすっからく守って、
それらの泥臭くて卑怯なあれこれを踏み越えて、
ラストは一緒になるもよし、別れるもよしなんですけど、
(でもどっちかっていうと別れて成長してゆくほうが好き)
まあ、そう、そういうお話のほうが好きで、
胸がきゅんきゅんします(笑)。

同じように、涙を誘われるポイントもそういうひねくれた箇所で、
私が人生で初めて泣いた小説(本)は『マリリンに逢いたい』で、
主人公犬が恋犬に逢いに海を渡るという名場面(だったっけ?)ではもちろんなく、
犬のご主人と、その兄貴がそれぞれの主張を抱えて殴り合いの喧嘩をするシーンだった、という・・・

なんだそりゃ・・・

もちろん、「さあここで涙どーん!」な場面にも「うっ」とくるんですが、
意地で泣かない。


*  *  *  *

さて、こんな私が先日見た『ハリー・ポッターと謎のプリンス』ですが、
もちろん全員の涙を誘う“あの”シーンにもぐっと来ましたが、
それより重くやってきたのは、
ワンカットだけ入ったマルフォイの切ない表情でした。

ああいう、突っ張っている子のがまんしている弱さ・強さに共感を覚えます。
判るような気がする。なんとなく。
本当は平凡な自分を知っている、けれど認められない、
でも、今手にしているのは自分の望んだものではないのだ、という葛藤。

+   +   +

私は結局、小説をストーリー展開と語り口とキャラ萌えで読んでいて、
「小説から得られる何か」なんて考えずにさらーっと読み流すし、
だからこそ何回も何回も復習するように読むし、
それでもミステリの伏線とか、あっさり読み飛ばすけれど、
雰囲気をつかむのはきっと得意なのだ、と信じている。

言葉になった理解ではないけれど、
きっと、「小説から得られる何か」はきっと、
きっと感じ取っている、と信じたい。
「なんとなくだけど判っている」と思いたい。



さて、それは真実だろうか?


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那音 [MAIL]

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