川底を流れる小石のように。 〜番外編〜 海老蔵への道!
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| 2004年04月04日(日) |
お練りツアー@成田山 |
朝から雨。 週間天気予報では、ずっと晴れと言っていたのに、 金曜になって「日曜は一日雨」の予報。 しかも寒いらしい。 地震まで起こるし。
京成上野に辿り着くと、すでにそれらしい人たちが大勢。 参道を1時間も練り歩くので身軽な服装がよろしいかと、とお知らせにはあったが、 雨もようにもかかわらず、ビシッと着物の方も大勢。 おおー気合入ってるなあ。
ホームで海老蔵号がやってくるのを待つ。 鉄道マニアよろしく、写真パチリ。その1 報道陣もやってきて、どうやら成田屋ご一行は1号車のもよう。 団パパ、ママ、妹の智恵子さん、団パパの妹の紅梅さん、 右之助さん、家橘さん、一門のお弟子さんらと共に、 エスカレーターを降りてくる新之助。 今日も紋付き袴がスキッとしてる。 周りからの「おめでとうございます!」の言葉に笑顔のご一家。 特に今日のママは、晴れやかな笑顔で、 見ているだけでも、じーんとしてしまうような、しっとりと輝く雰囲気。 銀色っぽい地味目な着物に、金の帯。 帯の柄が、菖蒲色(?)みたいな青い大輪の牡丹で、 ママの着物は粋で品があって、いつも見とれてしまう。 (市川家の替紋は杏葉牡丹(ぎょようぼたん)なので、牡丹はゆかりの花)
報道陣の取材に。ホーム上で応えてるらしい新之助。 遠巻きに皆が見守り、デジカメの嵐。 私からは、横顔やら坊主頭やらが時々見えるだけ。
スカイライナーで隣あわせた方は、 成田屋三代、新のじいちゃんの団十郎襲名もご覧になったとのこと。 色々海老サマブームの頃の話をうかがう。 そして噂のお揃いの半纏が配られる。 深い藍の半纏で、襟元には成田屋の文字。 背中にはでっかい50�損擁�くらいの、白抜きの三升に、 グレーのかまわぬ。 お隣のおばさまも、まあオシャレで良かったわ!とにっこり。
一両40人強、5両分だと220人のお揃い半纏かあ〜。
記録班のクルーもやってきて、ビデオ撮影。 こないだのパーティーで流れた新の生い立ちビデオも、 この人達の作品らしい。 まじであれは傑作だった。 発売して欲しいです!と誰かが言うと、予定はあるような感じであった。
成田駅で15分のトイレ休憩。 ここで出遅れて、集合しようとすると、もう大勢の人人人。。。! 仕切もままならぬ混雑と熱気と人だかりで、 ダダ漏れのまま、駅長室から出てきた新に付いてゆく民族移動。 もはやお弟子さん達ですら、新のそばには近づけない様子。 いわんや、我々おや。 ツアーに含まれていた傷害保険も頷けるような勢いだ。
こんな感じだったらしいが、ひたすら後ろ頭のてっぺんだけしか見えず、 ともかく遙か後方を練り歩く半纏連。 っていうか新七さん、こんなとこにいてもいいの? 曇り空ではあるが、雨はなんとか持ちこたえてる。 沿道の店々からは、紙吹雪、くす玉、かけ声、声援が飛び交い、 こうして歩くだけでも、成田山に愛されてるんだなあーと実感。 いよいよ境内に近づき、お練りも終盤。 このあたり、雨がぱらつき出す。 長い階段を登りながら振り返る新之助! にこやかに手を振る。 周りからは団ぱぱにも「おとうさーん!」と声がかかり、 ママには「おかあさーん!」 ははは。その2
本堂前の歓迎式では、ようやく半纏が威力を発揮し、 仕切のロープの中へ入れてもらえた。 松竹役員(大川専務)、成田市長からの挨拶、新之助からも挨拶。 一番長く聞きたい新が一番短い。 でも「皆さん、寒い・・・・ですよね。寒いと思いますんでこの辺で。 どうもありがとうございました」と素顔な感じで締めくくる。
このところ新は、もちろんまだ不器用ではあるけれど、 また一皮むけたというか、大きくなった気がする。 マスコミにもしかり、ファンにもしかり。 おばちゃんは嬉しいよ。 隣ではワイドショーのレポーターが、例のこしょこしょしゃべり。 マイクを片手に「お母様の後ろの赤いお着物の方、あれは妹さんですね」とか、 「亡くなられたおじいさまも、見守っておられることでしょう」とか、 色々それらしくしゃべってた。 (そして、その部分は殆ど使われてはいなかったのだけど。)
本堂に入り、いよいよ大護摩修行。 新之助はちょうど目の前に座り、間近で後ろ姿を拝むオレ。 ご本尊をさしおいて、新を拝んでしまうよ。 新は三升の紋、団パパは杏葉牡丹の紋。 ママは青い大輪の牡丹。 うーんハレだなあ。
20人近いお坊さんもやってきて、大護摩。 朗々とした声で、なんだか迫力があって、大きな太鼓が打ち鳴らされて、 私も静かに、襲名興行の成功と、皆の健康と家内安全、 それからチケット無事にとれますようにと、お祈り。 聞き違いかもわからないが、 大勢の縁の人の名前を読み上げる時に、 以前、新の子供を産んだという女性の名前も呼んでいたような。 そうかもな。成田屋さんだしな。と思う。 そして当たり前のように、足がしびれる私たち。 そんな素振りも見せない、新之助はじめ一門の方々。
敷地内の光輪閣へ移動し、お食事会。 なんとなく、ツアーのイメージで勝手に、 どこかの食堂を借り切って、ツアー客だけの食事なんだろうなと思ってた。 ところが光輪の間は、大きな宴会場さながら。 精進料理のお膳がずらーり。 お守りもいただいた。 これ以前、新之助も胸に下げてたらしい。 その広間で成田屋一家、一門、松竹、マスコミ、地元商店街、後援会の半纏連 そろっていただくことに。 一番偉いお坊さんは貫主と呼ぶそうなのだが、 貫主のご挨拶、団ぱぱ挨拶、大川専務挨拶、新挨拶。 団ぱぱは「今日は天気がどうなるかとはらはらしました。 新之助にははらはらさせられることが多い」言い、 皆、和やかに笑ってしまう。 なんというか、団パパって、本当に実に大らかで大きな人、暖かな人だなーと、 こういうときにいつも思う。 大川さんは、私事ですがと、昭和37年のじいちゃんの団十郎襲名の時、 入社したての大川さんは宣伝部で、色々お仕事させてもらい、 成田屋さんとはご縁があるなーと感無量とのこと。 少し声をつまらせているようで、 聞いていて、私もじいちゃんの襲名からわずか3年で、 56歳で亡くなった最期のこと思い起こして、 なんだかウルウルしてしまう。
御神酒でみなで、おめでとう!と乾杯。
新と一緒にお食事ですって!まあ! 会場の雰囲気もおしとやかぎみ。 私の席からは、新がスッキリ背筋を伸ばして、静かに食事してるのがちょうど見える。 わお。 とはいえお腹ぺこぺこ。 精進料理をいただく。
あれ?もう食べ終わってるみたい、 役者さんはきっと食べるの早いんだろうね、 ホントだ、もうお弟子さん達も終わってるみたい、 などと言ってると、市川家の皆さんはご退席。 最期はなんどもお辞儀をし、手を振り、笑顔で去っていった。
するとなんとなく、広間の雰囲気もくだけて、ふ〜一息みたいなムード。 やっぱり緊張してたのは、オレだけじゃなかったらしい。
ここで解散。 4:05のスカイライナーに遅れないように。 お手洗いを済ますと、そんなに時間は多くはない。 もう一度、今度はひとけの少ない本堂でおみくじ。 参道をぶらぶら歩く。 途中ガラス細工の店へ。 ここでちいちゃなガラスのきれいな赤い海老を見つけて、購入。 370円。 うれしい。その4 かまわぬ羊羹で有名な米屋さんは、大きな店構えで、 中には休憩場とセルフでお茶をいただけるコーナーがある。 午後からさらに冷え込んで、 冷えた体でいただく甘茶の美味しいこと!
帰りのスカイライナーは海老蔵号ではなさそうで、 新、団パパ、ママは車で帰ったとか。 千恵子ちゃんと紅梅さんがお見送りのためか同乗。 写真などせがまれていた。 目許が新ににてるかな>妹さん。 柿色の着物が似合ってた。
帰りの電車は、行きと同じ座席組だったので、 お隣さんと再会して、お疲れさまーと言い合い、報告し合う。 今日知り合った新しい成田屋友達と、あれこれ5月に気持ちをはせつつ帰路につく。 精進料理のお箸の袋に「開運箸」と書いてあったのだけど、 新はそれをちゃんと、お箸ごと持ち帰ったそうな。
帰ってからテレビでこれを見て、今日の復習。
ともあれ、おめでとう! 一日お疲れさま!
☆追記☆ パーティーより先に、お練りの日記を一気に書いてしまったのでアップします。 日曜ごとに大きな行事があって、楽しくて興奮しっぱなしで過ごしました。 成田屋なお友達もできて、嬉しかったなあ。
そんな中、かつての三之助仲間の菊之助さんが 7月松竹座(大阪)、9月御園座(名古屋)、10月(パリ公演)は 海老蔵襲名興行にご一緒するらしいと知り、おおーです。
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