それは不確かな事象だと思う。数理であれば、物理法則であれば、理解する事もあろうというもの。だけれども、僕らは、何かを知れば知るほど、理解していない自分を知る事になる。知る事とは知らざる事を知る事。そして、僕たちは何も理解などできない事を知るべきだろう。理解などというものは、絵に描いた餅のような概念なのだ。僕らは何も理解しないし、悟りもひらけない。