広島弁
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2001年09月05日(水) |
兄へのスト〜カ〜( ̄m ̄*) |
意外にも反響の大きかった昨日の日記(;-_-;)
はぅ・・・やばい・・・見ていたら・・・殺されてしまいます(†∇†\)
とは言え・・・このままでは兄が
単なる七味野郎と思われてしまう可能性もあるので
今日は弁明日記です。
確かに兄は狂暴だった←これは認めざるを得ません( ̄m ̄*)
幼少時代・・・何度殴られたことか・・・何度蹴られたことか・・・(遠い目)
しかしあたしは兄が大好きだった。
殴られても蹴られてもいつも兄の後をついてまわっていた。
いわゆる金魚のフン状態(´△`)
木登りや工事現場の中に入って基地作り、自転車でありとあらゆる場所へ行ったりと
本当に・・・執拗に兄につきまとっていた。いわゆるスト〜カ〜?( ̄m ̄*)←時代の最先端
そんな兄があたしと口を利いてくれなくなったのは中学に入ってからだろうか・・・
「学校で話しかけるな(* ̄д ̄)"b" お前が妹と分かるのが恥ずかしい」
と思春期の彼はあたしに優しく言った(*/∇\*)
ごもっとも♪
それからあたし達は口を利くこともなくなった。←思春期にありがち
お兄ちゃんはあたしのことが嫌いなんだ・・・(´△`)
奴が死ねば400CCのバイクがいらなくなる・・・( ̄m ̄*)
絶対にたたき売って金にかえてやる・・・・( ̄m ̄*)
死んだら葬式で棺桶の上に片足のっけて高笑いの刑だ・・・( ̄m ̄*)
などととんでもないことを考えていた(≧m≦*)ぷっ・・・
しかしあたしが家出をして路頭に迷っている時に
何年かぶりに口を利いた。
しかもドライブに2人で出かけたのだ。・・・((((( ̄‥ ̄;)
それはあたしがうら若き18歳の頃だった・・・
会話もほとんどなくドライブは終わっていった・・・
最後に兄は「体だけは気ぃ〜つけよ」とぶっきらぼうにぼそっと言った。
死んでしまえ(* ̄д ̄)"b"と思われているのかと思っていたので
まさに青天の霹靂のお言葉(/||| ̄▽)/
おまけに暴露してしまうが・・・(-。-;)
あたしがシンナ〜の吸引というなんとも若気な行為をしている時に
脳天を思いきり割れるのか?ぐらいの勢いでぶち蹴ってくれたのも兄だ。
次の日の朝絶対に人の前では涙を見せない兄が泣いていたそうだ(†∇†\)
ごめんちゃい(*/∇\*)
20歳の時に親戚に「こいつはつまらん人間じゃ」などと大文句を言われ
暴言を吐いたあたしをかばってくれたのも他ならぬ兄だった。
あたしは兄に教えられたことが大きいのかもしれない。
だがそんな兄は長男のくせに
23歳で養子に行ってしまった(≧m≦*)ぷっ・・・
あたしは兄がそれで幸せになるんなら(lll ̄人 ̄)と賛成した。
↑賛成もなにも決まっていたが( ̄m ̄*)
兄が結婚して改めて思ったが・・・
正直・・・兄を扱えるのは日本中探しても彼女しかいないだろう(-。-;)
結婚式の日あちらのお父さんに「兄をよろしくお願いしますm(_ _)m」と挨拶した。
そのお父さんは去年他界してしまった。
パンダみたいに大きくて豪快なお父さんがあたしも好きだった。
結局「ありがとう」と言えぬままお別れしてしまったのが心苦しい。
あたしの目にも兄とお父さんの確執というものは見えていた。
お互いつらかっただろう・・・と思う。
だが遺影には兄と一緒に写った写真を切りとったものが使われたらしい。
そのことがとても嬉しかった。
でももう少し・・・いやまだまだ生きていて欲しかった。
しかし・・・兄が養子という道を自ら選んで行ってくれて・・・正直・・・
本当に良かったと(lll ̄人 ̄)
だってあたしがまた離婚した時に帰る家があるじゃない(≧m≦*)ぷっ・・・
兄はそのことまで予知していたのかもしれません(しみじみ)
何はともあれあたしが尊敬する人は両親ではなく
超狂暴な兄だったりする ↑投票ボタンです
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