2004年11月29日(月) |
賛否両論あると思いますが・・・ |
日曜の真夜中にやっている日本テレビのドキュメントを見た。
結構好きで毎回見ているのだが、今回は心臓移植についてだった。
個人的に・・・・・私は移植にはあまり積極的ではない。
もし、自分の身内に移植の必要な人間がいたら、
「絶対に移植して欲しい」と思うだろう。
が、逆に身内が植物状態になったとして、
その時自分が「臓器提供」に同意できるか?と言えば、
・・・・・・恐らく、答えはNOだと思う。
何故なら、まだ心臓は動いている訳で、体は温かく、
触れれば「生きている」と感じるだろうから。
器具につなげたまま命を永らえたいとは思わなくても、
「臓器を提供する為に」器具をはずし「死」を選べるかと言うと
それは、今の私の心境としては受け入れられないと思うからだ。
自分自身ならどうかと言えば・・・・何とも言えない。
本当に貧富の差がなく、誰でも受けられる医療なのかどうか。
誰にでも等しく認められる権利なのかどうか・・・。
番組の中で「移植法から7年たったが感心が薄く・・・」と言っていた。
関心が薄いのではなく、判断材料が見つからないのだ。
今の私が持っている倫理観や宗教観では、まだ受け入れがたいのだ。
「医療」そのものについても知識が乏しく、不安がある。
移植ではなく、骨髄ドナーにも関心は在る。
出来るなら登録もしてみたいと思うが、その勇気が出ない。
一つには、実際事故が起きている現実。
今まで入院や手術とは全く縁遠く生きてきた為その実態が分からない。
「求める人」の政府の公共広告はあるが、
「提供する人」の公共広告は無い。
倫理観や世界観が変わらなければ、中々浸透しないと思う。
どうすれば倫理観や世界観が変わり、不安が解消されるのか?
メディアはもっともっと伝える義務があるのではないだろうか?
「提供する人」の実際の体験を、日々の生活を、その時の心境を。
「イエス」も「ノー」も、両方の立場の人々を紹介して欲しい。
何故イエスなのか、何故ノーなのか。
本当に提供者を増やし、浸透させてゆきたいならば、
私のような一般の人間にもっと分かるように、
もっと不安を解消できるように情報の公開が必要だと思う。
多分、多分だけれど、
私のようにテレビをニュースソースにしている人間には、
「提供する側」を主人公にしたドラマがあれば、
それが感動的なドラマであれば、心を揺さぶられてしまうだろう。
「提供を待つ人々」の苦悩を描いたドラマは数多くある。
確かに、心に響くものが在る。
が、それを見ても不安は解消されないし、倫理観は変わらない。
賛否両論があるだろうが、それが私の本音である。
私は臆病で博愛心に欠けた人間なのだろう。
人の痛みをわが痛みと感じられない人間なのかも知れない。
しかし、私のように関心はあるが決断を出来ない人々は、
この世の中に結構いるのでは無いかと思う。
私はいまだにドナーカードを持っていない。
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