| 終わったから書けること |
終わった終わった終わった! なんか身体の力が抜けてしまって精神的に不安定なとこだけ残ってしまった。 恐ろしいくらい我が侭に自分のやりたいようにやってしまった2ヶ月だった。 結果的にビデオ観ると(あと、前日のリハで自分が抜けて生で観たからもあるけど)意図以上だなっていうか、こんなことになっちゃったんだとか、ちょっと恐ろしかった。 こう書くと傲慢だなあ。 そう、私は今すごく傲慢な気持ちがいっぱいある。 さあ観てみてこれがあたしよ!と平気で言える。 自分でも渾身の一撃だったと思うよ。
。。。だけど、その分悪魔に魂売り渡したようなこともいくらでもやってるから。 私が振付したり構成したりしてる時に何を考えていたかというと、ダンサーとして出演してくれている友達のことを一番に考えたことなんて一度も無かったかも。 この人達が魅力的に見えるようにとか、みんなが楽しくなんてなんにも無かった。 私がこんな風に表現したいんだからというそれが第一で(というかそれしかなかった)、人(友達)を駒のように考えて使ってしまった。 ああやだ。 いや、なんちゅうかそういうこともありだと思うし、それが悪いとは思わないんだ。 そうじゃなくて、まるで友達みたいな顔して、楽しくやろうねとか大嘘ついて、やってることがこれだから。 最初からあたしの作品を最大限表現するためにダンサーとして力を頂戴と言ってればよかったんだけど。 そこまで言い切れる自信がないところもいや。カリスマ性があるわけじゃないし、ま、実際そういうのも嫌いなんだけどさ。
相反するものを求めてるよな。あたしって。 あ〜あ、どうしろっちゅうねん。
とか、書いても、結局作り手はただの作り手でしかなく、表現するのは生きた身体と心。 作品というのは振り付けした人のものだけではなく出演者個人個人のもんだしな。
なんかさあ、 出て(舞台上に)しまえばこっちのもん!というダンサーな自分をすっかり売り渡してしまったよ、今回は。 ダンサーな友達とキモチを共有なんていくらしたくても出来なかったし、舞台で照明が消えて拍手もらった時に、ビデオを見た時に、観てくれた人に誉めてもらった時にふるえが来るくらいうれしかったけど、そういうのを誰かが同じ感覚で共有してくれるかというときっと違うだろう。
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2003年03月11日(火)
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